新しい日常 3
強くなるための修行には二種類あると先生は言った。
『力を積み上げるか力を引き出すかの二つです』
言い方は悪いが持たざる者は最初から前者の修行を。
持てる者はまず自分の中に眠っているものを引き出し切ってから前者の工程に移るのだという。
自慢するようでちょいと居心地悪いが俺や先生は持てる側の人間だ。
持てる側で尚且つ、同じ混血。だからこそ自分が強くなった過程の大部分を流用できるとのこと。
「……どうしたもんか」
週明け月曜の放課後、俺は教室で一人頭を抱えていた。
修行の課題? のようなものを出されているのだがそれが問題だった。
曰く、
『次郎くんが私との戦いで力を引き出したアプローチは決して間違っていません。
地道な修行と並行して内面を通じた強化も進めていくべきでしょう』
そのために言われたのがプライベートをより充実させること。
どういうこと? と問うと先生は自身の経験を交えながら教えてくれた。
『ハッキリ言って裏の界隈はゴミ溜めのようなものです』
……美人がゴミ溜めとか汚い言葉使うのちょっと興奮するよね。
『だからこそあの頃の私には日の当たる日常が何よりも輝いて見えました』
つまらない授業。楽しい授業。しんどい授業。友人との何気ないお喋り。部活。
切り取ってみればそう大したことのないそれらがこの上なく掛け替えのないものに思えたのだという。
必ず日常へ帰る。何人たりとも日常を侵させはしない。
そんな強い執着が力を引き出すのに役立ったらしいが、
『だからプライベートを充実させろと? いやでもそう言われても困るっていうか』
別段今の状態で不満があるわけじゃないもん。
何か違うと思ってたのなら具体的な指針もでるだろうが特にないというのが本音だった。
『分かってます。いきなりそんなことを言われても難しいのは』
なのでちょっとした参考程度に、と先生は幾つか例を挙げてくれた。
『例えば部活動。次郎くんは野球部だったみたいですしクラブ活動の楽しさは分かっていますよね?』
『ええ、でも』
『分かってます。運動部はほぼ週5なのでキツイでしょう。では文化部は?』
わりと緩いところが多いらしい。
そして経験がないからこそいざやってみるとハマるということもあるかもしれないと。
『後は恋、とかも良いかもしれません。ええ、恋。すっごく良いと思います恋』
やたら推すあたり先生も女の子なんだなって。
ただ恋は諸々の事情で良いと思ってた人が対象外になったので除外。
となると部活ってことになるんだが、
「……文化部多すぎだろ」
うちの学校、予想以上に文化部が充実してた。
「どうした明星。何か悩みごとか?」
「ん? ああ中川か。いや帰宅部もつまんねーし何か部活入ろうと思ったんだけどさあ」
「ああ、多いよなこの学校」
「そ。それで悩んでるわけ。ちな中川くんは何かやっとるんけ?」
「バスケ部と裁縫部を兼任してる」
「バスケはともかく裁縫て……」
ってか家庭科部じゃないのか?
パンフを見てみるとどうやら料理や掃除など細分化してるらしい。
「パッチワークにハマってるんだ」
「ああそう……」
「明星も一緒にどうだい?」
「パス」
学校でまで家事はしたくねえ。
「ちなみに俺はどんな部活に向いてると思う?」
「軽音部」
「見た目で判断しただろ」
大体俺はJPOPとかより演歌派なんだよ。女の情念歌い切ったろかい。
「ははは。ところで桐生と如月は?」
「用事あるんでもう帰ったよ」
コスモスさんとの修行だ。
今っとこ俺のがか~なりリードしてるから二人はかなりやる気みたいなんだよね。
「二人には相談したのか?」
「うん。軽音部入れって」
「やっぱり軽音部じゃないか」
どいつこいつも見た目で人を判断しやがって……。
「決めかねてるならとりあえず見学から始めれば良いんじゃないか?」
「……うざがられないかな?」
「妙なとこで気にしいだなあ」
いやだって新入生勧誘する時期はもう過ぎてるし。
不安がある俺の背を叩き大丈夫だと言う中川くんを信じ部室棟へ向かう。
どうせなら一番自分に縁のないところからと最初に選んだのが茶道部だった。
戸をノックすると少ししてどうぞ、と女の子の声が返ってきた。
失礼しますと断りを入れてから戸を開ける。
一人の女生徒がいた。大和撫子という形容がぴったりの綺麗な子。
正座をしている。綺麗な姿勢だ。背中に棒を通したようにピンとしている。
多分、先輩。ただ一年二年の差とは思えないような貫禄があり俺は少し気圧されていた。
「茶道部に何用でしょうか?」
「あ、えと……その、今入る部活探しててそれで見学させてもらえたらなって……」
凛とした声だった。ゆっくりと閉じられていた瞳が開き黒い瞳が俺を射貫く。
反射的に名を名乗っていた。
「一年の明星と申します。その、お邪魔なら」
「これはご丁寧に。二年の聖 愛衣です。見学は問題ありませんよ」
拙い腕ではありますが振舞わせてくれと聖先輩は小さく笑った。
「ふふ、明星くん」
「うぇ!? な、何でしょう」
「そうかしこまらず。足も崩してくださって構いませんよ」
「え、でも」
茶道ってそういうあれじゃないのでは?
「礼儀作法としての茶道ならばその通り。しかし他者を持て成すという原義に沿うなら客人を萎縮させるのは本末転倒」
旨い茶と菓子で心と体を和ませてくれたのならそれが一番。
そう語る聖先輩からは教え導く人間の風格のようなものがにじみ出ていた。
(……本当に一つ上なのか?)
一年後の俺がこんな風格を身に着けられるとはとても思えない。
「さ、どうぞ気を楽に」
私も形式通りではなく自由にやるのでと言われたので頷く。
「……じゃ、じゃあお言葉に甘えて」
足を崩し胡坐をかいて座り直す。
何かよく分からない道具を用いて手際良く茶を点てる姿を俺はぼんやり眺めていた。
「さ、召し上がれ」
「いただきます」
気楽にというので片手で茶碗を掴み口をつける。
「如何でしょう?」
「その、何っつーか……不思議な味っす」
苦いんだ。でも不快な苦さじゃないっていうか。
染みる? いやよく分からない。ただ落ち着くのは確かだ。
「ではこちらを」
「うぇ!? く、クッキー?」
差し出された器にあるのは部屋とも茶とも不釣り合いな洋風丸出しのクッキーだった。
「ふふ、騙されたと思って」
「じゃ、じゃあ」
口の中に放り込み、
「む!?」
え、あ、何だこれめっちゃうめえ!
ひょっとしてめちゃ高い、
「100均のクッキーです」
「えぇ!?」
「そして茶の方も徳用のお手頃なものです」
「マジか!?」
「組み合わせ次第で如何様にも化けるものなのですよ」
口元に手を当てコロコロと笑う先輩は実に茶目っ気があった。
「ではもう少し驚かせてさしあげましょう。ここで茶を」
促され再度茶に口をつける。
「え、あれ……何かとっつき易いというか優しい?」
「不思議なものでしょう?」
「は、はい」
味変……ってコト!?
その後も先輩に導かれるまま茶を楽しみ終わる頃には心も体もすっかり満たされていた。
「どうでした?」
「すっげえ良かったです」
「それは重畳。しかし、仮に私が作法通りに持て成していればその満足感はなかったでしょう」
例えばクッキー。本来菓子は茶の前に食べるのだとか。
そちらでも美味しく頂けはするが後に食べる美味しさは味わえない。
茶も然りだ。そのままの味をまず楽しみ、クッキーを食べた後の舌で感じる味はなかった。
「ようは心の向き。友人を、恋人を、或いは初めて出会う誰かを。
差し向かう相手に一時のささやかな楽しみを提供できるよう心がける」
それが私とこの部の方針だと先輩は言い切った。
礼儀作法としての茶を学びたいのならば本職に教えを乞えば良い。
学校の部活なのだからこれぐらいの緩さで構わないのだと先輩は笑う。
(……悪くねえな)
誰かとコミュるならそいつを楽しませてやりたい。そうすりゃ自分も楽しめる。
それを茶ってツールを通して学び、実践する――良いじゃん良いじゃん。
「あの、入部したいんですけど」
「あらまあ即決」
「だ、だめっすか?」
「ふふ、まさか。むしろ大歓迎です。これでたった一人の茶道部から脱却できますし」
どうやら部員は一人しかいなかったらしい。
よくそれで存続してるなと思ったがそこらも緩いんかなうちの高校。
「入部届は……帰る前に出せば良いか。あ、ここの顧問って?」
「名ばかりの顧問ではありますが英語の清水先生ですね。ただ今日はいらっしゃらないので私が預かっておきましょう」
「あ、そうっすか? じゃあお願いします」
ってことで鞄から取り出した入部届にささっと記入して先輩に渡す。
受け取った先輩は丁寧にそれを折り畳み自身の鞄にあるファイルに仕舞い込んだ。
「予定がないなら部活動という名のお喋りでも如何です?」
「是非に」
何か今俺すんげえ大人っぽい空気味わってんじゃねえか?
おいおいおい次郎くんの男が上がっちまったなァ!!
「ところで明星くんは部活を探していたと仰っていましたが何故今の時期に?」
まあそこは気になるよな。
部活やろうって新入生は大体、入学から一週間ぐらいで決めちゃうもんだし。
「あー」
「話したくないなら別に構いませんが」
それっぽい理由をでっちあげて誤魔化すこともできる。
いや話せない部分は当然、あるのだが……何でだろうな。
今日会ったばかりなのにこの人の前ではあまり嘘を吐きたくない気持ちがあるのだ。
何だろうこの感情は? 近しいそれを挙げるなら友情、だろうか?
いや可愛いし下心なんじゃねえの? まあどっちでもええわ考えるの面倒くせえし。
「自分の殻を破るため、っつーか……意識の変遷とそれに伴う変化が欲しかった的な?」
人外の力をより強く引き出すためというのをぼかしつつ伝えるならこんなところか。
いやこれでも十分何言ってんだ案件だな。
呆れられるか引かれてもしょうがないと思ったが聖先輩は真っ直ぐ俺の目を見つめている。
驚くほどに真剣で、そこにマイナスの感情はまるでなかった。
「つまるところ自らの成長を求めて、ということですね」
いやもっとシンプルに伝えられたな。
ざっくりまとめられてちょっと恥ずかしいがその通りなので素直に頷く。
「何のために成長したいと思ったのです?」
「んー……これからも自分を好きでいるため、友達のため、俺のために心を砕いてくれる人のため」
指折り数えながら理由を口にする。
「まあ、色々っすわ!」
「ふふ」
あ、馬鹿っぽかった?
「ああごめんなさい失礼でしたね。ただ、素敵だなと思ったので思わず笑ってしまったんです」
「素敵?」
「前に進むための理由が幾つもあるということはそれだけで素晴らしいことなのですよ」
「そう、なんすかね?」
「それはもう。だってその歩みを支え背中を押してくれる手が多いということですもの」
確かにそう言えなくもないのか。
「ならば私もあなたの歩みの一助となれるよう微力を尽くしましょう」
「い、いやそんな」
「お気になさらず。明星くんが好ましいと思った、だから力を貸す――何の不思議もないでしょう?」
「それは」
「勿論、要らぬ節介だというのであれば慎みますが」
「あ、いやそんなことは!!」
「良かった。まあ、力になると言ってもここで茶を通じた学びのお手伝いをすることぐらいしかできませんが」
「……十分っすよ」
ふと思った。
(あれこれ何か良い雰囲気でない?)
美人な先輩と二人きりの部活。
まだ出会ったばかりではあるが俺は先輩に敬意や友情にも似た何かを感じてる。
つまり時間を共有していけばその先に発展する可能性もあるってことだ。
そしてそれは先輩の方も……。
(おいおいおい! 一石二鳥とはこのことか!?)
恋、始まっちゃうかもしれねえなァ!!