きよしこの夜 4
「今日は楽しかった。本当にありがとう」
「そりゃ俺の台詞さ。こっちこそありがとう」
互いに感謝だなと次郎が笑うと正子も嬉しそうに笑った。
「じゃ、また」
「うん、また」
正子と別れ駅に向かって歩き出す。
超常の力を使っていないので夜の寒さは中々に堪えるが、
「……へへ」
首に巻いたマフラーを軽く撫でて次郎は笑った。
寒さも気にならないぐらいの幸せ気分で夜道を行く。
そうして駅に辿り着き改札を潜ろうとしたところで視線を感じ足を止める。
「やあ」
券売機付近に立つ男がニヤニヤと笑いながら話しかけて来た。
見ただけで分かる。人間ではない。
面倒なことになりそうだと思いつつ口を開く。
「誰だテメェは」
「はじめまして明星次郎さん。私はスタルトス。しがない悪魔ですよ」
言葉遣いこそ丁寧ではあるがこちらを小馬鹿にしている態度を隠そうともしていない。
これは文句のつけようもないカスだなと確信を抱いた次郎はうんざりしたように問う。
「ああそう。で、俺に何の用だ?」
「ちょっとここでは。少し付き合って頂けますか?」
「おいおい勘弁しろよ。クリスマスにお前みたいな陰険そうな野郎とどこへしけこむってんだ」
これから楽しいパーティが待ってるのに御免被ると嘆息する。
その態度に気分を害した様子もなくスタルトスは髪を弄りながら言う。
「それは困りましたね」
「勝手に困ってろ。じゃあな」
「なら先ほどまで楽しく甘いひと時を過ごされていた方に“お願い”するとしましょうか」
踵を返し去ろうとした次郎が振り返りスタルトスを睨みつけた。
しかし睨みつけられた悪魔はどこ吹く風でニタニタと笑っている。
「殺すぞ」
「おぉ、怖い怖い。それで、どうしますぅ?」
「……付き合ってやるよ。ただし」
「ええ、大人しく着いて来てくださるなら久世正子さんに手は出しませんよ」
己、そして己の意思を酌んだ第三者の悪意ある干渉を禁ずる。
そのような文言をスタルトスが唱えると虚空に黒い炎が出現しそれが揺らめき契約書に変わった。
悪魔の契約というやつだろう。次郎は契約書を手に取りざっと視線を走らせた。
(……これなら正子ちゃんは大丈夫そうだな)
そう判断し次郎が契約書にサインをするとスタルトスも同じようにサインをし契約が結ばれた。
どこから間違っていたのかを後々考えればこの時点で取返しはつかなかったと言えるだろう。
次郎もスタルトスも致命的に間違っていたのだ。
次郎はスタルトスを、スタルトスは次郎を、互いに“見下して”いたせいで視線が交わらなかった。
「では、こちらへ」
虚空に出現した黒い渦にスタルトスが飛び込み次郎もその後に続く。
ワームホールの先はぼんやりとした赤い光に照らされる石造りの闘技場。
観客席には誰も居ないように見えるが、
(……見てるな)
一見すればこの場には自分とスタルトスしか居ないように思える。
だが次郎の感覚はそこかしこに配置された“眼”をしかと認識していた。
同時にスタルトスの目的とやらも大体、看破した。
「こんなとこ連れ込んで何するつもりだ? ひょっとして俺に惚れてる?」
「私と戦って頂きたいのですよ」
ああ、やっぱりと次郎は内心呆れた。
ようは衆目の前でルシファーの息子を始末し己を誇示したいのだ。
だが客の方は存外、冷静なのだろう。
顔を見られルシファーの息子に認識されたくはないから姿を晒していない。
「まあ、無理にとは言いませんがねえ」
言葉通りに受け止める馬鹿は居ないだろう。
断れば駅でのやり取りのようなことが繰り返されるだけ。
正子はもう使えずとも他にも親しい一般人は居るのだから。
「良いよ。お前をボコれってんだろ?」
「ふふふ、ええ! ええ! そうしてくださることを期待していますよぉ」
侮っている、見下している、当然だ。
スタルトスからすれば実力の差も分からないのかといったところだろう。
だが次郎はスタルトスが今の自分より格上であることは理解していた。
理解した上で、
(なーんかまるで負ける気しねえんだよなあ)
強がりでも何でもない純粋な感想だった。
「少し、準備して良いか?」
「ええ、ご自由に」
万が一があってはならないとマフラーを外し魔術で収納空間に送ろうとして、
「……ハッ、馬鹿らしい」
「?」
止めた。
マフラーが駄目になってしまうことがではなくマフラーを外すことが馬鹿らしく思えたのだ。
次郎にとってこの状況は不本意極まるもの。勝手な都合を押し付けられただけ。
そんな状況でこのマフラーが与えてくれる温もりはこの上ない癒しだ。
何でカス相手にびくびくして外してやらねばならないのか。
マフラーが心配なら目の前のカスを“圧倒してやれば良いだけ”だろう。
そう気持ちを切り替えた次郎は軽くストレッチをするだけにした。
「もうよろしいので?」
「ああ。どっからでもかかって来いよ」
そう手招きをすればスタルトスが嘲笑を浮かべた。
「どこからでもどうぞというのは私の台詞では?」
彼我の実力差すら理解できないのか。その目は雄弁だった。
次郎は気分を害した様子もなくああそうと返し軽く地を蹴った。
「じゃ、遠慮なく」
瞬間、スタルトスは次郎を見失った。
どこにと目を見開いたその時にはもう真正面に居た。
「ごっ……!?」
警戒も何もしておらず緩んでいた腹筋に深々と突き刺さる拳。
胃液を吐き出したたらを踏むスタルトスに追撃をかますでもなく冷めた目で見つめていた。
「次」
「くっ」
動揺しつつも反撃をしようとするがまたしても姿が消える。
「!!?!」
背後に回った次郎が無防備な背中を押し出すように蹴りつける。
またしても反応ができず吹っ飛ぶスタルトスだが即座に体勢を立て直す。
そして間髪入れずに魔力を放とうするが、
「次」
右側面に回り込んでいた次郎に足を払われ情けなくすっ転んでしまう。
「ば、馬鹿な……」
スタルトスは混乱の極致にあった。
かつてミカエラはスタルトスを自分より三枚ぐらいは落ちると評した。
大天使ミカエルの娘で十二枚羽に至るほどの才覚の持ち主であるミカエラがだ。
上位の実力者であり現在の次郎では到底、敵わないはずの実力差があった。
「次」
前、後ろ、右と来れば次は左。パターンは読めていた。
しかしスタルトスが迎え撃つより先に次郎の拳が頬に突き刺さりまたしても攻撃は形にならず。
それからスタルトスは前、後ろ、右、左のローテーションで一方的に嬲られ続けた。
攻撃が当たらないどころか攻撃を出すことさえ出来ぬまま。
「はぁ……はぁ……!!」
膝を突きぜえぜえと息を荒げるスタルトスの表情は屈辱と混乱で塗り潰されていた。
少し離れた場所でポケットに手を入れ見下ろしていた次郎がその様子を見てぽつりと呟く。
「悪かった」
「なに、を」
「どこからでもどうぞ、なんてのは自分の台詞だっつーから相当な自信があると思ってたんだ」
悲し気な表情で、
「だからその通りにしたんだが」
しかし瞳にこれでもかと傲慢の色を滲ませ次郎は言う。
「まさかここまで出来ない奴だとは思わなかったんだ」
これじゃ弱い者いじめだ。
「本当にごめんなさい」
先の発言の撤回は何時でも受け付けるよと優しく語り掛けた瞬間、
「~~~ッ貴様ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」
魔力の暴風が吹き荒れスタルトスが悪魔としての姿を露わにした。
一般人ならそれだけで絶命するほどのプレッシャーを放つスタルトスだが、
「まだ続けるんだな、OK。根性あるじゃん。すごいよお前」
当然のように受け流しせせら笑う次郎は翼すら出していなかった。
禿「 ( ˘ω˘ ) スヤァ」