新しい日常 序
約束の場所に向かうとどうやら俺が最後だったらしい。
シャワーを浴びたのだろう。幾分スッキリした二人と先生が俺を迎えてくれた。
「では行きましょうか」
「「「はい」」」
先生の車に乗り込む。ウォッチャーの本部は新宿にあるらしいが……。
「すまない先生、質問があるんだが」
「構いませんよ。私に答えられることならお答えしますので」
どうぞと促すと了が一つ頷き疑問を口にする。
「何で日本に本部があるんだ?」
そこだよ。それは俺も思った。
オカルト的なアレが存在するとしてもだ。悪魔の争いなら欧米じゃね?
そうなるとウォッチャーの組織もそっちにあるのが自然なのに何故、新宿に本部があるのか。
「ああ。それは簡単。日本がゲームの舞台だからです」
世界各地でやり合っていたら広すぎて円滑にゲームが進まないでしょう?
先生の言葉はご尤もだが、
「「「クッソ迷惑」」」
何で日本でやってんだよ。
いや他所なら迷惑かけても良いってわけじゃないけどさあ。
「何で日本がステージに選ばれたんですか?」
「端的に説明すると宗教観が緩いから、ですね」
うんざりしたような飛鳥の言葉に先生はそう答えた。
宗教観? と首を傾げる俺と飛鳥だが了の方は何となく理解したらしい。
どういうこと? と俺たちが視線をやると了はあくまで私の推察だがと前置きしてから語りだした。
「悪魔たちの王が不在というのは善なる超常存在にとっても不利益だ。ここまでは良いな?」
「「っす」」
「だが神を信仰する者たちにとってはどうだ?」
悪魔と契約し力を得て相争うような存在を見過ごせるか?
それは己のアイデンティティにも関わる話だと了は言う。
「そうか……邪魔せざるを得ないってわけだね」
「そしてそれを上の連中も咎め難い、と」
教会の悪魔祓いとか映画に出てきそうな人らも実際に存在するのだろう。
彼らはその教えに従って悪魔や悪魔とつるむ人間と戦って来た。
だというのにちょっとの間、見過ごせというのは信仰される側としても言い出し難いわな。
「だからそこら辺の意識が緩い日本が選ばれたのだと私は予想したのだが……どうだろう?」
「仰る通りです。ただまあ日本に押し付けることになったわけですからね」
その分、他国から金銭や人員の支援もたんまり受けているとのこと。
ウォッチャーには柔軟で融通の利くエクソシストなども出向という形で所属しているという。
世界や人に害を成さないならプレイヤー同士の争いなら彼らも黙認しているとのこと。
「ここからは徒歩になります」
駐車場で車から下りて繁華街を進む。
いわゆる夜のお店とかも立ち並ぶこんな場所に拠点があるのか?
男三人でひそひそしていると先生は建物と建物の間にある寂びれた小さな公園の中に入って行った。
「あ、あの先生……」
「私たちは男なのだが……」
先生はあろうことか女子トイレの前で立ち止まったのだ。
「大丈夫ですよ。ここは誰にも使われていませんので。さあ、こっちです」
促され一番奥の個室に入った瞬間、床が抜けた。
まさかまさかのフリーフォール。
暗闇の中をどれほど落下したか。突然、ふわりと体が軽くなり音もなく床に着地。
「「「お、おぉぅ」」」
目の前に広がるのはお洒落なラウンジで十人ぐらいの人が思い思いに談笑しているのが見える。
彼らは俺たちに気付くと愛想よく挨拶をしてくれたので俺たちも思わず会釈してしまった。
「やあ、よく来てくれたね」
そうこうしているとちゃらそうなオッサンが軽く片手を上げながら話しかけて来た。
「はじめまして。ウォッチャーの代表を務めさせてもらっている志村だ」
「桐生飛鳥です」
「如月了」
「明星次郎っす」
おなしゃすと三人揃って頭を下げると志村さんはよろしく、と俺たちの手を取ってくれた。
フレンドリーなオッサンだがこんな組織の代表張ってるんだ。多分、今の俺らとか瞬殺なんだろうな。
「じゃ早速だけど飛鳥くんと了くんは検査を受けてもらうよ」
「次郎くんは私と一緒に」
ということで二人とは一旦別れて俺は先生に着いて行く。
連れて行かれたのは何もないだだっ広い部屋。
体育館ぐらいの大きさで多分、訓練か何かに使う部屋なのだろう。
(というかさらっと名前で呼ばれたな)
身内感にじみ出てない? 多分あっちとしては俺の正体とか触れない方向だろうに大丈夫?
「次郎くん」
「は、はい」
「気休めを言っても意味はないのでハッキリと言います」
……まあ、何となく予想はつく。
頷き先を促すと、
「桐生くんと如月くんは一先ず我々で保護できます。しかしそれも長くて三ヵ月ほどでしょう」
予想通りの答えが返ってきた。
「やっぱり巻き込まれますか」
「ええ。仮に巻き込まれた絡繰りが判明してプレイヤーとしての資格を除去できるなら問題はありませんが」
そうでないなら二人はプレイヤーとして代理戦争に参加せざるを得なくなると先生は悲し気に目を伏せる。
分かっていたことだ。あの場では確かに切り抜けられた。
だがずっととなれば代理戦争に参加している連中から物言いがつくだろう。
全てのプレイヤーを排除し勝者を目指す人間にとって手を出せないプレイヤーの存在は許容できない。
それを庇うということはウォッチャーは敵であると、そう糾弾することができる。
ウォッチャーの存在を快く思わないプレイヤーもそれに賛同すれば戦争が始まってしまう。
それは避けなければいけない事態だ。
「なので我々は最低限、戦えるだけの力を身に着けさせる方向で話を進めています」
「……」
「その上でライトサイドのプレイヤーが属する組織に二人を任せようと考えています」
まあ、そういう組織もあるわな。
ウォッチャーが中立なら白黒どちらかに偏った組織もあって当然だ。
親父からも最終的に二人はそういう組織に預けられるだろうと聞いていた。
「二人は戦いを避けられない。しかし次郎くんは違います」
俺の正体を知った上でそう言ってくれるのは優しさなんだろうな。
「君には日の当たる場所へと引き返すチャンスがあるんです」
「……先生」
「はい」
「俺はね、逃げることも諦めることも悪いことだとは思ってません」
恥を感じることもない。
別に逃げたって良い。諦めたって良い。それの何が悪いんだ。
「なら」
「でもどうしたってそれを選べない時もある」
「……それは一体?」
「逃げたら、諦めたら自分を嫌いになっちゃう時です」
飲み込めて気持ちを切り替えられるならガンガン逃げれば良いさ。すっぱり諦めれば良いさ。
だけどそれが無理な時、俺は立ち向かうことを選ぶ。
「自分を好きになれない、自分に期待できない人生なんて俺にとっては死んだも同然だ」
「……自分を好きになれずとも自分に期待を持てずとも生きている人はいますよ?」
「分かってます」
でも俺には耐えられない。
「飛鳥と了を見捨てて安穏と暮らすなんて無理だ。俺はこの先、一生俺を好きになれなくなる」
だからやる。
例えルシファーの力がなくたって俺はこの選択をしていただろう。
こればっかりはどうしようもない。
(……まあ俺の潜在能力に期待が持てるから精神的にはかなり楽だけどな)
サンキュー禿。でも禿のせいで……ただ禿が禿じゃなかったらもっと酷いことになってたから複雑。
とりあえず明日、禿にはハイエンドスマホを買わせよう。
何が魔王ルシファー。懐具合は世の中流家庭の域を出ることはないからな。さぞ痛手だろう。
しばらく晩酌のビールが一本減るか昼飯のグレードが下がることはまず避けられまい。
「決意は、固いようですね」
はあ、と先生は息を吐き出した。
「――――ですが君の先生である私がそれを受け入れるかどうかは別の話」
ぶわ! と六枚の翼が大きく広げられた。
「一撃、私に一撃入れてみなさい。それが叶えば君が茨の道に踏み込むことを許容しましょう」
飛鳥と了とは違って俺は避けられる危険に首を突っ込もうとしている。
教師として、姉のような存在として、善人である先生はそれを見過ごせない。
かと言って本気の選択を無下にもできない。
ゆえにこそこれが精一杯の妥協案なのだろう。
「――――上等!!」
ビッ! と中指を天におっ立てる。宣戦布告だ。
先生に、ではない。飛鳥と了を、俺のダチを取り巻くあらゆる理不尽に対するファックサインだ。
俺の意思に呼応するように翼が飛び出し左腕が異形化する。
「素晴らしい気合です。ええ、花丸をあげたいぐらいに」
「いやあ」
「ですが想いだけでどうにかなるほどにこの世界は甘いものではありません」
教師として、似た境遇の先達としてそれを教えてあげましょう。
いつもの柔和な表情ではなく切れ味鋭い表情でそう告げられドキっとする。
恐怖ではない。性欲だ。
(っぱ美人だなあ! めちゃ好みだな! クッソ、いとこじゃなけりゃ! ミカエルの娘でさえなければ!!)
ぴえんだぜ。
「先手は譲ります。来なさい」
「そいつはどうも!!」
翼を力いっぱい畳み溜めて溜めて一気に解放。
一瞬でトップスピードに乗った俺は真正面から先生に突っ込んだ。
「甘い」
「へぶっ!?」
回避も防御もなしでまさかの迎撃。
横っ面を上手いこと張り飛ばされて軌道を変えられ俺は壁に突っ込んだ。
「いや強えなオイ?!」
だがよくよく考えれば当然のことだと思い直す。
藤馬は俺、飛鳥、了という先生にとっての足手纏いがいる状況でも先生とやり合うことは避けた。
態度からしてまるっきり勝算がないというわけではないが足手纏いを抱えた状態でも割に合わないと判断したのだ。
俺より強い藤馬が戦いを避けるんだからそりゃ俺が通用するわけないよねっていう。
一先ず防戦に徹しながら隙を窺うのがベターだろう。
「だけど俺は攻めるね!!」
「ほう」
少し意外そうな顔の先生を見て、多分これが正解なのだろうと直感で悟る。
何がどう正解なのかは分からない。ただ間違いであったなら先生のリアクションもそれらしいものになっていたはずだ。
にも関わらずそういうマイナスが見えないということは少なくとも悪手ではなかったのだろう。
じゃあお前は何で攻めることにしたんだと言われれば気分だ。こっちのが良い具合にノれると判断した。
「っしゃあ!!」
ぐるん、と翼の先端を丸め込んで硬く固定し疑似的な腕を作る。
そして両腕と合わせて四腕でラッシュを仕掛ける。
「ふむ、では私も合わせましょう」
「ぶべぇ!?」
六枚と二枚。どっちのが多いかなんて幼児でも分かる。
先生も俺と似たような形で疑似腕を作りラッシュで迎撃。
俺の拳は真っ向から弾かれ先生の拳は情け容赦なく俺を打ち据えた。
(こ、このままじゃ不味いよなァ!?)
気分はこれでもかと乗ってるし先生も相応の手加減はしてくれている。
だがそれはそれとして限界ってもんがある。まだ遠いがこのままではそれを避けられない。
となれば、
(覚醒するっきゃないだろ!!)
ハーブでもキメてらっしゃるのかと思うかもだが我ルシファーの息子ぞ? ジュニアぞ?
潜在能力はある。それだけは間違いない。
ならそいつを引き出して次のステージに進めば良いのだ。
先生もあるラインを超えれば一撃を受けてくれる。多分、これそういう試験だろうしな。
(……問題はどうやって覚醒するかだが)
手だけじゃ足りねえ足もだ! とハイキックを繰り出したら真っ向からハイキックで迎撃された。
押し切られて側頭部に先生の蹴りが突き刺さった瞬間――――俺に電流走る。
「ふ、ふふふ」
「?」
「フハハハハハハハハ! 天才! 俺ってばてぇええええええんさぁあああああああああああああい!!」
俺が何なのか。それを考えれば答えは容易だ。
ちょっとばかり馬鹿になる必要があるので無理くりテンションを上げて叫ぶ。
今しばらく色々なことから目を背ける。
「燃え上がれ! 俺の邪ッ心ンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンンン!!」