第十八話
そのまま街道を西へ進んでいくと港町に着く。聞いてもいないのにテクトが自慢気に話すには、テクトの父がその港を作ったらしかった。しかし、その港の方へは今回は行かない。目的地であるドワーフの方へと行く為、途中で間道に折れ、北の方へと向かった。
前のように半ミイル標を打ち込みながら進んでいく為、その進みは非常に遅かった。通常であれば三日の道のりを五日かけて進んでいく。
五日目にその間道を折れ、更に脇道に入って行った。道と言ってもかつて荷車が往来していたであろう轍の形跡が僅かに残っていただけであったが。
開けた荒野を進んで行く。さっきからずっと坂道を進んでいた。
「なんだか……坂道多く……ないかしら……?」
「山に向かって行ってるからね。この先下りどころか平坦な道すらあまりないと思うよ」
街道から外れてから、暫くは平坦な道が続いていたが、途中から緩やかな坂道に遭遇するようになった。アオイにとって辛い事に、日を追うごとにその割合と角度は増していっている。
ドワーフ族の所に行き着く頃には、崖みたいな急角度の道を通らなければならないのではないかとアオイが思っていた時、坂の頂上に獣のような影があった。
「……魔物だね」
テクトは低くそう言った。アオイは咄嗟に荷車を止めた。魔物は暫くこちらの方を見ていたかと思うと、頂上の向こう側へと消えていった。
「仲間を呼ぶ気だね、きっと」
アオイはテクトに荷台の上に避難するように言われた。荷台を上ると続いてポンチョを被るように言われた。アオイは言われた通りにした。被ると、少し野菜の香りがした。
テクトは荷台から盾を取り出すと荷車から飛び降りて、同じく臨戦態勢になったメンに指示を出した。
「狙いは撃退だけで。深追いしてこの荷車から離れないようにね。僕は前側、メンちゃんは後ろ側ね」
メンは頷くと荷台の後方へと向かった。当たり前と言えば当たり前だったが、アオイには何の指示も下されなかった。戦いでは足手まといにしかならない。幌の隙間からこれから始まるであろう戦いを観戦するしかなかった。
「来たよ!数は陸上型十七!」
頂上から走り寄って来るのは、所々触手の生えた、狼の様な姿をした魔物だった。魔王によって産み出された魔物はクレンの倒した飛翔型とこの陸上型の二種類しかいない。魔王からしてみれば、手駒には膨大な種類よりも、汎用の利く繁殖力の高い陸上型と、機動力に優れた飛翔型だけで充分だったのかもしれない。現に魔王は、この二種類のみで魔界の大半の部族を隷属させており、アルビオス山脈を越え人間界をも侵略しようというまでに勢力を広げていた。
十七匹の魔物は獣のような俊敏さで、散開しながら荷車の方へと向かって来た。
「そこから降りなかったら安全だからね。……多分」
テクトの言葉に若干の不安を感じたが、今のアオイには二人の強さをあてにするしかなかった。
魔物は向かってくる勢いのまま襲ってきたりはしなかった。これから襲う獲物の戦力を伺うように遠巻きに取り囲んでくる。
テクトは魔物の動きを確認するように周囲を見渡すと、盾から投げ矢を一つ取り出し、一番大きな個体に投げた。恐らく群れのリーダーらしき個体を狙ったのだろう。上手くいけばその一匹を倒すだけで撃退できるかもしれない。
投げ矢は標的の頭に突き刺さり、その命を奪った。しかし、魔物達は一瞬ひるんだように見えたがそれでも退こうとはしなかった。
「厄介だね」
もう一つテクトは投げ矢を取り出した。そして、近くにいた魔物目掛けて投げた。しかし、学習能力があるのか、それともその個体が類稀な反射神経を有しているからなのか分からないが、魔物はそれを避けた。
短く舌打ちをして、テクトがもう一つ取り出そうとした時、魔物は一斉に襲い掛かってきた。まるで、来ると分かっていた隙を狙ったようだった。
魔物はテクトの左右から同時に飛びかかった。それは訓練を積んだ兵士が行うような統率の取れた攻撃だった。テクトはその巧みな攻撃を、左方を盾で防ぎ、右方を剣で貫き、躱した。
残り十五匹。そう数えた時に後方から、魔物の悲鳴が二つ聞こえた。どうやら残り十三匹のようだった。
四分の一程の仲間がやられても魔物は一向に逃げようとはしなかった。それどころか、より敵意を増しているようにも見える。
テクトはじっとその場から動かなかった。さっきの様に投げ矢を取ろうとすればその隙を狙われる。テクトから動いても足の速さは魔物の方が早く、簡単に逃げられる。その為、向こう側の攻撃に反撃を加えていくしか攻撃手段が無いからであろう。
睨み合いは長時間続き、やがて魔物達が退くことによって終わった。彼らの影が坂の向こう消えると、アオイはほっと胸を撫で下ろした。
「安堵している所悪いけど、陽が落ちたらまた来るかもよ」
返り血のついたテクトは荷台に上りながらそう言った。
「どうしてわかるのかしら?」
「多分後ろかな?そこを見たらわかると思うよ」
テクトはタオルで顔に着いた血を拭い始めた。
アオイは荷車の後ろの方を見に行った。そこには頭部が潰された魔物が二匹と、同じく返り血を浴びたメンが立っていた。
「お疲れ様。怪我は無いかしら?」
「はい……!大丈夫です……!」
メンは僅かに興奮しているようだった。アオイはメンに返り血を拭いてもらう為、タオルを渡した。顔に着いた血と肉片はそれで拭えたが、服に飛び散ったのは洗うしかなかった。
「着替えた方がいいわね」
「いえ、まだいいです……」
そう言い、メンは後方の地平線の際を指差した。アオイがその先を見ると、さっきの群れの一匹であろう魔物がいた。
「いやぁ。改めて魔物の強さを思い知らされるね」
何時の間にか横にいたテクトがそう言った。
陸上型の武器というのは、鋭い牙でも鋭利なトゲの生えた触手でも無いとテクトは言う。彼らの本当の武器は、本能的に行われる高度な集団戦と、機動力にあるらしかった。
そして、今、見張りがついている事こそが、その両方の能力を証明するものだとテクトは言った。
日が沈んだ。月は無い。
魔物は夜目も利く。夜間に襲われる可能性が高い為、その備えとして荷車を囲むように用意した篝火が唯一の光源だった。
逃げても見張りが付いている以上、どこまでも追いかけて来るらしい。それなら闇雲に移動するよりも、開けたこの地形で彼らを迎え撃った方が良いというテクトの考えにより、襲撃された場所から動くことはしなかった。
二台の荷車の間で焚火を始め、三人ともそこに集まる。見張りはいらないのかとアオイはテクトに尋ねたが。自分が起きているうちは、篝火の灯りの下行われる見張りなどは不要とのことだった。エルフ族は感覚が鋭敏らしく、闇夜の中でも何かが近づいて来るのが分かるらしい。
「ラリウス程じゃないけどね」
あの裸のエルフ族はどうやら特異らしかった。
アオイ達が囲む焚火の爆ぜる音が、時たま鳴る。
まだ日は沈んだばかりであり、夜を明かすにはまだ長い時間を要する。テクトは暇つぶしまでにと、魔王が如何にして人魔界全土をその手に収めようとしたのか話し始めた。アオイは神話や物語などは両親からよく聞かされていたが、こういう歴史の話はあまり聞いてこなかった。その為、新鮮な気持ちでテクトの話に耳を傾けた。
魔界には人間よりも戦闘に適した種族が多くいる。巨人族、エルフ族、リザード族、その他沢山。魔物はリザード族にも蹴散らされるような強さであり、それよりも更に強い巨人族もいる。にも拘らず、どのようにして大半の部族を服従させたのか。
それは、魔物の持つ機動力を最大限に生かしたのだった。決して強い種族と正面切って戦うようなことはせず、守りの弱い村や町を襲撃しては、助けが来れば退いていく。そうしていると、何年も襲撃され続けた村の中に自分達の居場所を守る為、助けに来てくれる者達を裏切り、自分達を襲う存在である魔王に服属を誓うものが出て来る。最初の村が魔王の手に落ちると、我も我もと他の村も同じ様に従属を誓っていった。
魔王は従属した者達には優しかった。約束通り村を襲わない上に、その見返りも魔物達の食糧として村の余剰生産物を僅かに求めるだけであった。それどころか、魔王は襲った他の村から強奪した金品を分け与えたりもした。我が身の可愛さだけで裏切った者たちはそれだけで懐柔された。初めは村を守る為であった形だけの服従が、何時しか心からの崇拝に変わっていった村もあった。『魔王の下につけば富を得られる』そんな風評が、人間界魔界を問わず、巡った。
そこで一旦区切りをつける為か、テクトがお茶を啜った。
「……まるで見てきたように話すのね」
「そっちの方が臨場感あって良いでしょ?」
或いは本当に見たのかもしれない。とアオイは思った。長命のエルフ族ならあり得る話である。
またテクトは語り始めた。
巡った噂は、魔王に、人間と魔人が混成された軍勢を与えた。中には戦うのを避けていた巨人族やリザード族などもいた。それでもその時の魔王の勢力は、魔界の五分の一にも満たない。残りの部族や、人間界の王国の力を合わせれば容易に勝てるはずであった。しかし、当時は交通網が整備されておらず、人間界から魔界に軍勢を派遣するのは極めて困難であり、魔界の部族達も日和見しようとする所が多く、力を結集して戦う事は実質的に不可能だった。
魔王軍は各地を攻撃して回った。力の合わせられない部族達は各個に撃破されていった。そうして遂に有力な巨人族の里がその手に落ちた時に、
「僕の父さんが王都に流れ着いたんだよねぇ」
テクトが自慢気に言った。
またか。とアオイは思った。よく聞かされるテクトの父親の自慢話と分かり、半ば聞き流した。話によれば、流れ着いた後に王に謁見。その後、魔界まで続く軍勢の通れる簡易的な道の作り方を指導し、すぐ魔界へと単身移動。各地の部族の長に話をつけて、その力を結集し、やってきた人間界の軍勢と共に、魔王軍と戦い、魔王を倒したらしい。しかも自らの手で。
創作にしても、もう少しその強さを抑えるべきだろうとアオイは思った。
「もしかして信じてない?」
テクトがそう言った。アオイの顔を覗き込みながら。自分では無意識だったが胡散臭いものを見るような目をしていたのであろう。
「……ええ」
何故信じないのかテクトが尋ねてきた。
「……まず話に現実味が無い所ね。それに、そんなに凄い人なのに何故あまり語られないのかしら?」
テクトが言うには、父自身がそれを望まなかったらしい。
「……それならあまり人に話さない方が良いんじゃないかしら?」
「……それもそうだね」
それでも色んな人に知ってほしかったんだよね、とテクトは言った。
「そこまで息子に愛されるなんて、父親冥利に尽きるわね」
また焚火が爆ぜる音がした。
魔物の群れが襲ってくるのは、今晩とも限らない。もしかしたら明後日かもしれない。その為、持久戦に備えてアオイ達は交代で見張ることにした。
結局、その晩に魔物達は襲ってこなかった。
「どうしようかなぁ」
昨日と同じく荷車の間に集まり、焚火の後を囲んで朝食を食べている最中に、テクトがそう言った。アオイが聞くと日中の内に移動するか、このまま動かずにいるか迷っているという。
「このまま進むと森に入るんだよねぇ」
テクトが地図を見せてきた。確かに進行方向に森の表記があった。森の中は視界が狭まる。そこで奇襲がある可能性が高いとテクトは言う。
アオイはチラリと後方を見た。自分達と同じように交代しているのか、それとも一匹で一晩中張り込んでいたのかは知らないが、昨日見つけたところと同じ場所に魔物がいた。呑気に寝そべりながらあくびをしている。
「進みましょう。このままここに居ても埒が明かなそうだし……」
テクトもメンもそれに賛成した。
視界の悪い森を通り抜けるまで、奇襲に備えてテクトが荷車を牽いていく事になった。アオイはそれまで荷台の上に乗っていくだけである。重しにしかならない自分が情けなかった。
坂の頂上を過ぎると、すぐそこに森があった。森の中は背の高い木しか生えておらず、意外にも視界を狭めるような茂みは殆どなかった。
「……何かいるような気がする」
テクトはそう言いながら周囲を見回しながら荷車を牽いていく。アオイも周りを見たが、魔物が隠れられるような遮蔽物は無かった。
テクトが歩みを進める度に、乾いた落ち葉を足と車輪が踏む音がする。それが非常に小気味いい。アオイはそんな場合では無いと分かっていつつも、つい、遊覧気分に浸ってしまった。
アオイは改めてゆったりと辺りを見回した。この辺りの樹木は針葉樹林が多いようだった。針葉樹林は寒さに強い種であると両親が言っていた。確かに、出発前にテクトに言われた通り、アルビオス山脈の麓に近づけば近づくほど気温が低くなっている。そんな事を思い返しているとアオイの手に冷たいものが落ちてきた。それはアオイの体温によって溶けて水滴になった。
「雪ね……」
アオイは空模様を見るために上を見上げた。空がどんよりとした雲に覆われているのが木々の隙間から見えた。そしてその木々の枝が風も無いのに動いているのも。いや、枝にしてはうねうねと柔軟性を持って動いている――
「――上にいるわ!」
アオイは咄嗟に叫んだ。その叫びは、魔物が樹上から飛びかかって来るのよりは早かった。間一髪のところでアオイの声に反応したテクトが、自身目掛けて飛びかかってきた魔物に剣を突き立てる。
これで残り十二匹。と数えた時、別の木の上に潜んでいたのであろう魔物が、アオイの真横に飛びおりてきた。アオイはその魔物と目が合った。その極端に白目の大きな眼を見て、すぐ友好を結べそうな相手では無いとアオイはすぐ悟った。
逃げる。そう思った時には既に、魔物の攻撃は繰り出されていた。四足歩行の動物であるならば尻尾のついている辺りであろう場所から生えたトゲのついた三条の触手をアオイに向けて叩きつけてきた。
叩かれた箇所に激痛が走った。しかし、ジェベル夫婦から貰ったポンチョのおかげで肉を引き裂かれては無かったようだった。
魔物がアオイを見ながら唸ってきた。それは自分の攻撃が効いてない事に苛立ちを感じているようにも見えた。アオイは助けを求めようと、一瞬、テクトの方を見たが、数匹の魔物に囲まれており、そんな余裕は無さそうだった。恐らく後方にいるメンも同様だろう。二人の内のどちらかが魔物を片付けるまで、一人でこの状況を切り抜けていくしかないようだった。
「……落ち着いて……。……いい子だから……。……ね?」
言葉が通じない相手だとしても、アオイには語りかけて宥めることしか出来ない。魔物の方は獲物の隙を伺っているのか、それとも語り掛けて来る獲物が珍しいのか分からないが、小首を傾げながら暫くアオイを見つめていた。その様子が妙に愛嬌があるように感じられ、『もしかして』をアオイに思わせた。
しかし次の瞬間、アオイは飛びかかられた。首元に鋭い牙が向かってくる。アオイは魔物の首を掴んで必死に抵抗した。何度か避けた口から、魔唾液が滴ってきてそれが顔にかかる。それからは肉を腐らせたような臭いがした。
逃げ出そうにも魔物の足がアオイの胴体を押さえつけている。ポンチョのおかげで鋭い爪がアオイを傷つける事は無かったが、強く圧迫されて痛い。
もうだめかもしれない。そう思った時に、魔物が短い悲鳴を上げてアオイに覆いかぶさってきた。動かなくなった魔物から抜け出すと、魔物の胴体に投げ矢が刺さっているのが見えた。
「大丈夫?大分じゃれつかれてたようだけど」
投げ矢の持ち主がそう声を掛けてきた。彼の周りには魔物の死骸が転がっていた。
「ええ……助かったわ」
メンの方も丁度片付いたようで血の滴っているハンマーを携えて後方からやって来た。
「こっちも終わりました……!」
少し興奮しているのだろう、頬が上気していた。
荷車の周囲に散らばった魔物の死骸を数えると昨日の分も合わせて十七匹となった。結局、魔物は最後の一匹になっても、逃げることなく襲い掛かってきたようだった。
魔物の死骸を道の端に寄せてから、またアオイ達は道を進み始めた。死骸は雪に埋もれる前に森の獣が片付けてくれることだろう。




