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6.思い込みと思い遣りは




「なんてことを……」

 そうささやいたのはカイだった。

 眼前には、着飾った王族や貴族が、ずらりと雁首揃えている。その有り様は、この心優しき王子殿下の目にはまさしく異様、そして、醜悪に見えた。


 カイの傍らには、声を失ったホー、それから、ホーの許嫁のヴォスが控えていた。ホーとヴォスは、どちらも酷く息を切らし、顔色もよくない。

 ふたりは、離宮に居た。居た、というか、とじこめられていたらしい。


 儀式を執り行うといわれ、離宮で支度していたカイは、外へ出た。公爵の息子であっても、嫡子ではないリスエロは、離宮へ残った。高位の貴族の嫡子だけでまとめられた兵に囲まれ、カイは巨木へと向かっていった。花嫁は先に行ったといわれたからだ。見れば、たしかに、出席者達が巨木の裏へとはいっていくところだった。もう、ティア=アンは見えない。

 すると、ホーとヴォスが、走って追ってきた。何故、先に行っている筈のふたりが、と思ったが、カイの疑問は氷解した。ホーが喚いたからだ。『お祖母さまとお母さまにとじこめられたの! わたくし達が邪魔をしないようにって!』


 その、母と祖母の判断は、カイには正しいように思えた。何故ならホーは、頻繁にティア=アンを訊ねていたからだ。それも、ティア=アンを姉と仰ぎ、王家へ迎えいれる為ではない。カイとの結婚を思いとどまるように、しつこくいっていたらしい。繊細で傷付きやすい、愛らしいティア=アンに、酷いことをいっていたのだ。

 そのようなことは許容できないと、カイは妹を直接叱りもしたが、彼女はそれに反発するだけだった。反省するどころか、まるでカイが非道なことをしているかのように、怒気をこめて反論してきた。




 彼女は花嫁に相応しくない、といわれた時に、カイは頭に血がのぼって、妹を平手で打ち据えた。

 それだけはいわれたくなかった。ティア=アンは愛らしい、優しい、素敵なひとだ。幼い頃、ほんの数週間一緒にすごしただけだが、彼女の優しさも、思慮深さも、他人を思いやる気持ちも、すべて、痛いほどにわかった。だから、どうしてもはなれたくなくて、お嫁さんにする、なんてことをいったのだ。そもそもあの娘達は、カイの花嫁候補だった筈だ。この子達は花嫁になると、そう聴いていた。だから、お嫁さんに、などという不遜な言葉が出てきたのだ。

 ティア=アンははずかしがって、逃げてしまったけれど、拒絶の言葉が出なかったのはいい傾向だとカイは考えた。

 だのに、はっきりとした返事をくれる前に、彼女は山から居なくなった。彼女以外の、名前も顔も思い出せない娘達も、次々に山を去り、カイはひとりとりのこされた。そして、秋が来る前に都へ戻り、それからは夏場の静養で短い期間訪れる以外では、ここへは近寄らなかった。


 ケーナ家は、あまり歴史のある家ではない。王家の血も、まったくといっていいほどまざっていない。これまで、ケーナ家から王家へ嫁いだ娘も、居なかった。位もさほど高い訳ではなくて、公爵や侯爵に、カイとつりあう年齢の娘達が大勢居るからか、カイがティア=アンを妻にと求めた時、両親ははじめ反対した。どうしてわざわざケーナ家、それも、美しいと評判の次女三女ではなく、体も弱くうすぼんやりしていると噂の長女なのか、と。

 だが、ティア=アンでなければだめなのだ。カイにとって、彼女こそ運命のひとだった。彼女が黙ってそこに居るだけで、カイは満足できるのだ。言葉は要らない。勿論、喋ってくれるのなら、それもまた嬉しい。けれど、重要なのはその部分ではなかった。ティア=アンがティア=アンで居ることが、カイには重要だった。彼女がただそこに在るだけで、カイはえもいわれぬ満足を得た。どうしようもない幸福を、胸の内に感じていた。

 彼女をしあわせにしたい。安心させたい。

 怯えた瞳が、安堵に揺るぐのが、とても素敵だった。怯えていない、安心しきった彼女を見たかった。ティア=アンの為に、よりよい人間になれる。そう思えた。

 彼女にずっと、傍に居てほしい。傍に居て、ただ笑っていてほしい。考えこみがちな、心配性なティア=アンは、きっと王后に相応しいだろう。物事を深く考えず、怯えを失った人間は、王家には必要ない。浅慮と蛮勇は身を滅ぼす。それは、カイが幼い頃からいわれてきたことだった。それに照らせば、ティア=アンはまさしく、王の妻として相応ではないか。


 カイは何度も、ティア=アンを、と求めた。父母は最初、カレンがいいのではないかといっていた。カレンならば、家格も申し分ない。不可思議な力も扱える。美人で聡明で朗らかで、礼儀も心得ている。

 理路整然と、カレンのいい点を挙げられ、カイは何度も黙りこくった。たしかにカレンは、世間一般では美しいとされる部類の顔だ。だが、カイはカレンを好きにはなれなかった。寧ろ、きらっている。彼女の行動は、打算的なのだ。王后や王太后と近付きになり、気にいられて、娘のように扱ってもらっている。王にもとりいって、カイに婚約の話を持ちかけさせる。そういう妻は、カイは、ごめんだった。願い下げだった。それにそう、カレンは美しい顔立ちなのかもしれないが、カイには美しいとは思えなかった。つくられた天真爛漫さ、どこか箍の外れた朗らかさも、きらいだった。


 父母はある瞬間、不意に、ティア=アンへの求婚を認めてくれた。そして、すぐにティア=アンを迎えるようにといった。だからカイは、古式に則り、公爵をつかわしたのだ。それは、王家の典礼通りの行いだった。

 ティア=アンが都へ来て以来、カイは今までになく、落ち着いて、しあわせだった。彼女と一緒に居ると、いつもよりも空気が清々しかった。彼女と一緒に居ると、いつもよりもなにもかもが楽しかった。

 ティア=アンは緊張していて、まともに目も合わせてくれなかったが、彼女が山に居た女の子なのは間違いなかった。芥子色の髪も、ほとんど黒に近い緑の瞳も、日に焼けたような肌も、覚えているとおりだった。

 何度も、抱きしめた。

 だが、そこまでだった。

 清らかでないと、王家へ輿入れすることはできない。それが決まりだからだ。






 とじこめられていたという妹は、許嫁のヴォスが扉を破り、見張っていた官女や従僕を振り切って、外へ出たそうだ。呆気にとられてなにもいえないカイにふたりは、急いで儀式の場へ行かなくてはならないと――少なくとも、意味合いとしてはそのような言葉を――いった。ヴォスはまともな文章を喋らなかったし、ホーは金切り声をあげていて、その声に驚いたらしい烏がぎゃあぎゃあと騒いでいた。

 ティア=アンを侮辱され、物別れに終わって以来、妹はカイへまともに口を利かず、カイもホーと顔を合わせるのがいやで、彼女を避けていた。しかしその時、ホーとヴォスの尋常ならざる顔色を見て、胸騒ぎを覚えたカイは、妹の言葉に耳を傾けることにした。

 ふたりを見張っていたと思しい官女達が追ってきて、カイの姿にほっとしたように息を吐いたのも、妹と一時的にだが和解することにした理由だ。官女達が、カイは自分達と()()()同じ陣営だろうと考えているのが、透けて見えたのだ。それは裏を返せば、彼女達にとってホーは別陣営、それも、敵対関係にある陣営に属している、ということになる。同じ王家で、めでたい華燭の典の直前に、なにを対立するというのだろう。それに、おかしな話ではないか。ホーは、ティア=アンに対して友好的ではないが、それでも王女なのだ。結婚式に参列できない訳はない。幾らホーでも、結婚式をぶち壊すようなことはすまい。

 ふたりをつれもどそうとする官女や従僕達を叱責すると、警護の兵達が焦りを見せた。どうやら、そちらも、ホー達とは対立する()()らしい。ホーとヴォスを結婚式から排除しようとしているのが、王太后や王后に指導される立場である官女達だけでないことに、カイは急速に疑念をふくらませていった。なにかがおかしいと、頭の片隅で喚くものがあった。喚いているのは、警戒心だった。

 ティア=アンになにかあったのでは、と、不気味な予感がした。


 あの巨木の裏へは、王子であっても、祭礼の時にしか足を踏みいれない。そこが酷く陰気な場所であることは、けれど、カイははっきり記憶していた。忘れようにも忘れられない。周囲に木があるのに、空がはっきり見える。だが毎回、そこへは夜に行くので、彼はそこで太陽というものにお目にかかったことがなかった。苔と羊歯と、それにかびの匂いがする。ごろごろと石の転がった、あまり雰囲気がよくはない場所だ。

 子どもの頃、数回行ったことも、覚えている。黒いドラゴンへ祈りを捧げる為に。

 ホーの時のことは覚えていないが、弟が生まれた時にも、王家へあたらしい命を与えてくれたドラゴンへ、感謝する為に、そこへ行った。そんなふうに、なにかの折りに足を運ぶ場所なのだ。誰かが生まれた、誰かが死んだ、誰かが結婚した。そういう理由で、そこへ行く。

 祈りは毎回、ドラゴンへの捧げ物で終わった。巨石の間にある、地の裂け目へ、供物を投げ込むのだ。それは食べものか、宝石、或いはドラゴンの好むという、金属製のものが多かった。供物を投げ込むのは、王か、カイの仕事だった。カイはそれが好きではなかった。大勢の人間が苦労してつくったものを、投げ捨てるのだ。いい気持ちではない。

 ホーを追ってきた官女達を退けるのに、少し時間をとられた。カイ、それからホーとヴォスが走って、巨木の裏へまわりこんだ時には、もう一行は隧道のなかへはいってしまっていた。それを目の当たりにして、カイは不意に考えた。()()()()()()()()()? ()()()()()()()()()()()()()()()

 いやな感覚にかすかに震えながら、カイが隧道をぬけるのと、同時だった。従兄弟の腕で、ティア=アンが、あの忌々しい裂け目へと放り込まれたのは。






 今、カイは、酷く悔やんでいた。妹と話をしてこなかったことを。

 ティア=アンを呼んだことを。

 自分が王子であることを。

 そしてなにか、重大な失敗をしたことを。




 カイは座りこんでいた。花婿の衣裳が汚れるのもかまわず、苔に膝をついていた。彼の目の前で、ティア=アンは悲鳴もあげず、地の裂け目へと吸い込まれていった。

 何度も供物を捧げたから、カイは知っている。そこへ投げ入れたものがどうなったか、判断つかないことを。何故なら、音がしないからだ。着地した音がわからないくらいに深い穴なのである。そして誰も、そこになにがあるか、本当には知らない。ドラゴンの棲み処だといわれているが、誰もそこへはいったことはないから、それが正しいかはわからない。

 まっくらな、地面までどれくらいの距離かもわからない裂け目へ、許嫁が放り込まれた。


「何故です、何故、ティア=アンを」

「なにをいっているの、カイ」

 呆然と顔をあげると、不審げにこちらを見る王后が居た。尊敬すべき母、父を陰日向なく支え、官女達を統率し、王后の責務を果たしてきた母は、今カイの目には、おそろしいなにか別のものに見えた。灰色のガウンは、獣の肌のように思えた。

 母は心底不思議そうに、いう。

「お前の望んだことでしょう」


 官女や、女性達が、くすくすと笑いさんざめく。カレンは酷く楽しげだった。やけに着ぶくれている。「ああ! これでやっとね。ティア=アンには感謝しないと」

 いいながら、手にしたガウンを放り投げる。裂け目へと放り込んだのだ。それに、くすくす笑いながら女達が続いた。カレンの喋ったことが、彼女達には面白くてたまらないらしい。女どもは狂ったように、手にしたものを、あの裂け目へと放り投げていった。

 ガウンや、宝飾品、装飾品が、次々にのみこまれていく。それが、ティア=アンの持ちものであることは、何度も彼女と散歩したカイにはわかった。なかには、カイが見繕って、彼女へ贈ったものもあった。

「やめろ」カイは恐慌を来し、立ち上がって、女どもの蛮行を阻止しようとした。まるで、ティア=アンがこの世に居たことすら消そうとするような、その行為を、やめさせようとした。「それはティア=アンのものだ」

「ああお兄さま!」

 ホーがようやくと、声をとりもどす。けれど、それ以降は絶句していた。

 ホーの声に、母は彼女の気持ちを汲みとったらしい。しばらく顔をしかめてから、片眉を吊り上げ、カイを見た。

「まさか。カイ、お前、()()()ティア=アンを后にしようとしていたの? つまり、ドラゴンへの供物にするのではなくて、本当の意味で妻にしようと?」

 カイは喘ぎ、近場に居る官女へつかみかかった。




 あっという間に、従兄弟や親戚の男達におさえこまれる。女達からひきはなされ、カイは唸って、自由になろうとあがいた。ホーが悲鳴をあげる。ヴォスは彼女を抱きしめ、集団から距離をとる。

 王后はちっちっと、軽く舌を鳴らした。王太后が裂け目を覗きこみ、王は退屈そうに、残ったティア=アンの荷物を、足で追いやって裂け目へ落とした。

 音がしない。

「まあ、まあ、カイ。なんてばかなことを考えるの。あの子には力はないわ。なにもできないのよ。火も、水も、風も、彼女のいうことはきかない。家も、たいした功のない、木っ端貴族じゃないの」

 王后が呆れ顔でいい、王太后が継いだ。

「あの子はたしかに、あの年齢まで純潔を保っていたけれど、それだってあの子の功績とはいいがたいでしょう。あの子が不器量なのが功績だというのならそうかもしれないけれど」

「不器量だからほかの男へなびかないと考えているなら、それはあまりにも楽観的だわ、カイ。それとも大人しい子がよかったのかしら。ちびで扱いやすそうだから?」

 尊敬すべき母、今は醜悪なばけもののように思える母は、顔をしかめた。若々しい顔が、途端に、歳相応に見える。「たしかに、大人しくて、お淑やかな子ですよ。わがままもいわなけりゃ、贅沢をしようともしない。いいことかもしれないわね。でもあれは、ただまわりの人間のいうとおりにして、責任から逃げているだけですよ。たしかに、お人形さんみたいで楽でしょう。大人しくて、従順な妻をほしがるのは、殿方のおなじみだしね」

 王后は王をちらりと見た。王は肩をすくめる。

 王后がまた、こちらを見た。カイはじたばたするのをやめ、それをにらみ返す。

「王であるなら、そういう妥協は宜しくないわ。不美人をめとっても、結局後悔して、美人の側女(そばめ)を持つことになるの。カレンを日陰の身にはできないでしょう」


 頭をがんと殴られたようだった。ティア=アンに優しく、貴族のなかで一番彼女を受け容れてくれていると思っていたカレンが、くすくすっと楽しそうに笑ったのだ。たった今、ティア=アンが裂け目へ放り込まれたというのに。

 たった今、ティア=アンの命が、山へのみこまれたというのに。

「お義母さま」図々しくも、カレンはそういった。「ありがとうございます。ティア=アンにも、きちんとお礼をいわなくてはなりませんね」

「ああ、なんていい子なんでしょう。カイ、カレンを見習いなさいな」

 王后は顔をしかめて会へ行ってから、カレンへ目を戻した。「でも、もういいのよ、カレン。ティア=アンは大変な名誉を戴いたの。ドラゴンへの供物になったのですからね」

 ドラゴンへの供物。

 その単語が、カイの頭のなかで、ぐるぐると渦をまいている。

 供物は今まで、捧げてきた。だが、人間を捧げるなど、そんなばかな話は聴いたことがない。いつからこんなことを……? わたしが留学している間に、なにかあったのか?




「ケーナ家はなんというと思っているのですか?」

 カイは必死に、抵抗した。体はもう、力がはいらなくて、思い付いたことを口にした。ティア=アンの両親にもいつか会うのだと思っていた。彼女が二度、誉めそやした、彼女の妹達にも。

 王后のひややかな目は、カイを黙らせた。聴きたくないと激しく思ったが、カイの手は自由にならず、耳を塞ぐこともできない。

「彼女が供物になると、承知に決まっているでしょう。ひとさまの子ですよ。ティア=アンをもらいうける時に、ノウェスパルがしっかり説明しているわ。不器量で体の弱い、()()()も怪しい子だから、王家の為になるのならばかまわないと、ケーナは喜んで承諾したそうよ。供物にする娘達から妻にしたい子を選んだお前がおかしいの。いったでしょう、この子達はドラゴンの花嫁だって」


「ティア=アンが居なくなるのは事実です。それについては、リスエロが横恋慕してさらったということになりますから、安心してください、殿下」

 ノウェスパルがにっこりしている。カレンが口許を覆い、ほほほっと笑った。「お父さまったら、お母さまがこわくって、リスエロを家から追い出したかったの。でも、悪いのはお父さまだからね。浮気なんてするからよ」

「悪いと思っているから、リスエロは殺すことにしたんだ。男は供物にできん。純潔の娘でないと、ドラゴンが怒る」

 ああ、ああ、なんて愚かなことだ。

 カイは喘ぎ、猛烈な眩暈を感じた。なんてことだ。なんて愚かだったのだ。

 あの娘達。貴族の、体の弱い娘達が、離宮に集められていた。なかには、明らかにひとよりも勉強ができない、知能に障碍のある子も居た。指や四肢の数が、一般的ではない子も居た。カイはそのことをなにも不思議に感じなかった。

 だが……各家で持て余されている、将来的にいい縁談の望めそうにない娘達が、離宮に集められていたのだとしたら。

 カイはそれを、自分の花嫁候補だと思った。だが実際は、花嫁とは、ドラゴンへの供物のことだった。

「あのなかで純潔を保てた娘は、ほんの三人しか居なかったのよ。勝手に死んでしまった不忠者も居たし……ねえカイ、わがままをいわないで頂戴。カレンとティア=アンなら、ティア=アンを供物にしてカレンを妻にしたほうが、絶対にいいわ。そんなの考えたらわかるでしょうに」

「花嫁に相応なのは彼女ですよ」

 カレンが笑っている。世にも醜悪な光景だった。




 官女らが、カレンのガウンに手をかける。ガウンの上に、ガウンに見えるように、布をまきつけたり針で停めたりしていたらしい。官女らが少し、手を動かすと、カレンは余分な布をとりさって、漆黒のガウン姿にかわった。

 吐き気がする。

 王太后が空を見て、ふうっと息を吐いた。なにか、合点したような表情だ。

「参加しないといけない年齢になったと思ったら、すぐに他国へ遊山に行ったんだったわね、あなたは。まったくもう。とっくに知っていると思ったから、きちんと説明しなかった。失敗だったかしら?」

「そんなことありませんわ、お義母さま。カイだって、美しい妻をもらえば、目が覚めます。珍味はおいしいけれど、そればかりでは飽きますもの」

 王后の喩えに、カレンはまた、くすくすと笑った。ホーが小さな声で、王后を罵ったが、誰も咎めなかった。おおきな儀式が成功して、皆うかれているのだ。


 王太后もそうだった。楽しげに、にこにこして、いった。

「そうね。そんなものかしら」

「ええ。それに、こうやってきちんと供物を捧げているから、わたくし達は力を持ち、平和に国を保っているんです。カイにだってそれはわかる筈だわ」

「ええそうね。カイ、そう情けない顔をするのじゃありません。ティア=アンはドラゴンの花嫁になったのだから、これは大変に名誉なことです。彼女が自力で、到底成し遂げられなかったような名誉ですよ。あのうすぼんやりした子が、我が国をまもる礎になるのだもの、きっと喜んでいることでしょう」

「そうよ」カレンが美しい笑顔で、やわらかく高い、甘い声を出した。「出来損ないの子をうまずにすんだんですもん、彼女きっと、心底ほっとしてる。ティア=アンはいい子だから、カイとわたしが一緒になるのを祝ってくれるに違いないわ。彼女と結婚していたら、どんなうすのろがうまれたかしれないでしょ、カイ? そんな子ども、あなたほしくないのじゃなくて?」

「黙りこくって怯えている王ができていたかもしれないな」

「見てみたかった」

 笑いが起こる。


 カイは唸り声をあげ、渾身の力で、自分を拘束する男達の手を振り解いた。


 驚愕に目を瞠る者らの前で、裂け目へと飛び込もうと駈けだした時、なにかがカイの体へあたり、彼はどさりとその場へ倒れた。




 ティア=アン……。




 ティア=アン、わたしのティア=アン。わたしの所為で、君を不幸にした。

 君をしあわせにしたかった。

 それだけだったのに。




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