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4.彼女を求めるひと達は




「まあまあ、可愛らしいお嬢さんだこと!」

 宮廷に着いて二日(ふつか)目の昼下がり。金糸で刺繍の施されたガウンを身につけ、髪を都で流行しているという形に整えて(官女達に整えられて)、ティア=アンは宮廷の奥に居た。奥深く、幾つもの廊下を渡り、幾つもの中庭をとおりぬけ、やっとこ辿り着いた、清涼なお茶の香りと極彩色の菓子の甘い匂いに充たされた部屋だ。


 そこは、王家の女達が集まり、お茶を楽しむ場所だそうだ。宮殿のなかではあまりひろい部屋ではなく、装飾は女性的とでもいえばいいか、あたたかみのある淡い黄色の壁(どうやってそんな色をつけているのか、ティア=アンにはまったくわからない)や、花や蔦をかたどったような装飾の窓、愛らしい曲線の多用された長椅子にのっている薔薇の柄の座布団(クッション)など、可愛らしく、なんとなくちまちまとした印象のあるところだった。

 壁にかかった黒いドラゴンの絵も、どことなく可愛らしい。宮殿へはいってすぐの場所にあった、こちらを威圧するような像の、そこに本当にドラゴンが居て睥睨しているかのような圧迫感は、その絵からは発せられていなかった。流石に宮廷に飾られているだけあって、勿論素晴らしい絵ではあるのだが、それはおそろしいものではなかった。絵が小さいからそう思えるのかもしれないし、首の短い、体のまるい、目の大きなそのドラゴンが、子どものように思えるからかもしれなかった。

 黒いドラゴンは、王家にゆかりのものだ。ティア=アンは見たことがないし、存在しているかはわからない。だが、王家を象徴するものとして、紋章にも用いられている。おとぎ話にも出てくる筈だ。少々ぼんやりしてしまっている祖父が、何度かその話をしていた。

 王家をまもり、民を庇護する、勇ましきドラゴンは、国難に際してあらわれる。王家や貴族と団結して難を退け、弱き民を救う。かつて、周辺国家に攻め込まれた時にも、ドラゴンは王家を助けて無礼者どもを退けた。遙か昔、まだ宮廷もできていないような、王家が王家でなかった頃の話だ。その一件から、ドラゴンと特別のつながりある一族が王家となり、今に至るまで玉座に座っている。お話として伝わっているだけで、誰もそれを見ていないし、今生きている人間でドラゴンを見たことがある者はないだろう。ドラゴンは久しく、姿を見せていない。

 頭から信じている者は居ないけれど、嘘だとはっきりいう者も居なかった。ドラゴンの存在云々よりも、王家の象徴にけちをつけるような愚か者は居ないというだけだ。誰だって、王家の体面を傷付けようとはしない。そんなことをしたら、どのような理由で罰せられるか、わかったものではない。だから誰も、声を大にしてドラゴンは居ないなどとはいわないのだ。それは、王家の権威、玉座に座る正当性を疑う行為にほかならぬ、不敬であるから。


 ティア=アンの目の前にある、こぢんまりとした愛らしい(テーブル)には、薔薇のレースがかけられていた。随分手の込んだものだ。これだけのものを編むには、相当な時間がかかっただろう。

 華奢な彫刻の施された椅子は、白地に花模様の浮き織りが施された座面がついていて、そんなものは見たことのなかったティア=アンは、はじめ座るのを躊躇した。額にいれて壁に飾られているのが似合いの、絵画のような布である。その上に、自分のようなみすぼらしい娘が座るのは、大変に冒涜的な行為であるように思われた。だが、ホーに促され、ティア=アンはおっかなびっくりそれへ座った。

 彼女はやはり、ひとに命ぜられると、逆らえない。こうせよといわれたら従ってしまう。普段は考えこむだけ考えこむのに、強い調子、或いは自信のある調子は、彼女を萎縮させ、黙らせ、思考力を奪った。大きな声や権力は、彼女の口を噤ませ、徹底的な防御の姿勢にはいらせた。ティア=アンは度を超した臆病で、なにもかもをおそれている。なにもかもを、恐怖の原因と考えている。


 卓を囲んでいるのは四人。ホー、それからカイの母である、現在の王后、それからカイの祖母、つまり陛下の母にあたる、王太后が居る。勿論、お茶の支度や給仕をする官女達、それに王后や王太后の個人的な付き人の貴婦人も居たが、『お茶会の出席者』には含まれない。出席しているのは飽くまで、ホー、王后、王太后、そしてなんの因果か王子の許嫁になってしまったティア=アンの四人だ。そう、ティア=アンも出席者なのである。

 項垂れ、膝の上の自分の手を見詰めているティア=アンは、誰かが喋る度にびくついていた。にこにこ顔の王太后も、穏やかな目でティア=アンを見詰めている王后も、なにか気がかりがあるような顔のホーも、ティア=アンにとっては等しく雲の上のひとである。逆らうことはできないし、そもそも簡単に口をきける相手でもない。そのかた達と卓を囲んでいるのは、夢としか思えなかった。それも、悪夢だ。目が覚めた時に、自分がみすぼらしいちびの魯鈍な娘だということを考えても、それでもまだ現実のほうが夢よりもましだと心底から思えるような、とびきりの。


「あの子が突然、ケーナのお嬢さんがいいといいだすから、なにかと思ったけれど。ニア=ドーラの婚約の公示があったばかりでしょう? ねえティア=アン、あなたの妹さんは、ティハ家に嫁ぐのだったわね?」

 ティア=アンはびくついてから、王太后へ、小さく頷いた。それから、そのような仕種をするのは無礼だったかもしれないと、非常に怯えた。だが、言葉は咽にひっかかって、出てこない。ええそうです、といえたなら、どんなにかよかったろう。非情にもそれは、口から出てこない。上の妹はとても美しくて、お相手の家からどうしてもと求められたのです、と、そういえたらいいのに、いえない。

 ティア=アンが答える前に、王后が王太后へ笑みかけた。「そうですわ、お義母さま。ティア=アンの妹さんは、どちらもとても美しいとか」

「そう。そうよねえ。だからわたくし、驚いたのよ。ケーナのお嬢さんといったら、まだ十三じゃなかったかしらって。あの子は十七だし、ほかにもそれくらいの年齢のお嬢さんは居るのに、それでもそのお嬢さんがいいくらいに……」

 そこまでいって、王太后は自分の失言に気付いたようだ。はっとして、眉を寄せ、心の底からみたいにいう。

「あらごめんね、ティア=アン、あなたが美しくないというのじゃないのよ。ただ、わたくしはもう年で、ぼんやりしていたの。ケーナのお嬢さんはふたりだと思っていたものだから」

 ティア=アンは、王太后に、小さく頭を振った。妹達が美しいのは事実だ。そして、自分がみっともないのも、また事実だ。少しだって優雅に動けず、体が弱い為に長い間立ってもいられず、ぼんやりしていて愚かな娘なのだ。魯鈍で、愚鈍で、()()()で、救いがたい。三度も婚約に失敗している娘が、ここまで庇ってもらえたら、文句もなにもあろう訳はない。


 王太后は、ほっとしたみたいに微笑む。やわらかく、優しい声を出す。「ああ、本当に、大人しくて愛らしいお嬢さんだわ。カイの選択は間違っていなかったわね」

 はたしてそうだろうか、と、ティア=アンは心のなかで彼女へいいかえした。殿下がなにを考えて自分を許嫁に選んだのか、未だにティア=アンにはわからない。ケーナ家の(やしき)の数倍はある棟を与えられ、移動の時以上に増えた官女が世話をしてくれ、ガウンも宝飾品もあたらしいものが絶え間なく運び込まれて、それでもって着飾っても、ティア=アンの心はまったく晴れなかった。王子の気持ちがわからないからだ。一体全体、葡萄の絞りかすよりも価値のないような娘を、なんだって許嫁にしたのか。

 ティア=アンは必死に、願っていた。祈っていた。もし、このまま王子の気がかわらず、結婚したとしても、子どもはできないままでいておくれと。或いは、できたとしても、自分にひと欠片も似ていない、聡明で美しい子がうまれますようにと。もし、自分に似た男の子をうんでしまったら、きっとティア=アンはその子を殺して、自らも命を絶つだろう。王家の威光に泥を塗ることはできない。王家のかがやかしい歴史に、魯鈍な王は必要ない。昏君の母として歴史に名を残すことも、絶対にいやだった。ケーナ家を辱める行いは、したくない。


 自分の、王家に嫁ぐ人間としての適性に、相当控え目にいって疑問を抱いているティア=アンに対して、王太后も王后も、非常に楽観的だった。にこにこと機嫌よく、ティア=アンを誉めそやした。ひとしきりそれをすると、王后はなんだかほっとしたように溜め息を吐く。

「本当に、親の欲目だけれど、カイは正しい行いをしましたわ」

「ええ、ええ、あの子は誰に似たのだろうね? 父親に似ず、賢明で、王家も安泰だわ。いい子をうんでくれましたね、王后」

 王太后は王后を優しく労い、ティア=アンへ目を戻す。

「まったく、こんな素晴らしい子は居ないわ。あの子の花嫁にぴったりです。お淑やかで、静かで……」

 手放しでティア=アンを誉めてから、王太后はふと、心配げな目になった。孫とは似ても似つかない、金色の瞳が、鋭くティア=アンを見ている。その目は、公爵に似ていた。ひややかさを帯びた、なにか値踏みするような、かすかに疑いや、なにかしらよくない感情を秘めた眼差しだ。

 王太后は身をのりだした。上品な灰色に、金で複雑な模様が縫いとられたガウンが、王太后の動きに合わせてきらきらと光る。自分も、地の色こそ違うけれど、金糸で縫いとりをしてあるガウンを身につけていることを思い出し、ティア=アンは小さく、実に小さく息をのんだ。あんな綺麗なものを身につけて、なにを考えているのだろう。似合わないガウンほど、ひとを惨めにするものはない。ちびで、吹けば飛ぶように軽いことを、思い出す。ガウンのほうが、ティア=アンよりも重たいかもしれない。

 どろりとした絹、はりのある繊細な毛織物、きらきらとした金の糸。できあがったガウンは上等なものだが、ティア=アンは自分がそれに相応であるとは思わなかった。思えなかった。


 王太后は、ティア=アンが自らを羞じているなどとは思いもしないのだろう。優しい、低い声を出した。

「ティア=アン? このようなことをあなたに訊ねるのは、本意ではないのだけれど、王家の決まりですから、答えてもらえるかしら?」

 なにを訊かれるのか、ティア=アンはびくついて、王太后の顔をまっすぐに見た。けれどすぐに後悔して、顔を伏せる。王太后は美しい顔をしていた。もう、カイという、十七になる孫も居るというのに、そんな年齢には見えなかった。ガウンはぴったりだし、真珠を贅沢にあしらった宝飾品も、頭を覆う繊細なレースも、なにもかもが王太后を美しく見せていた。美しく、自信があって、権力を持っていることをはっきりと示していた。

 ティア=アンは震え、すぐ傍にある、磁器のティーカップを見詰めた。まっしろで、花の模様が絵付けされたものだ。ひとつが幾らするのか、考えたくもないそれの中身は、減っていなかった。いい香りのお茶は、誰にも飲まれずにさめている。おそらく、そのお茶にしても、ティア=アンではどうにもできないほどに高額であろう。

 お茶もお菓子も、彼女はひとつも手をつけていなかった。酷い緊張状態で、なにか口にいれたら失神しそうなのだ。もしくは、内蔵まで吐き出してしまうか、どちらかだ。いずれにせよみっともない結末が訪れることは明白だったので、彼女は冒険しなかった。黙りこくって座っていることを選んだ。


 王太后は、ティア=アンはどうあっても質問に答えると判断したらしい。当然といえば当然だった。王家の決まりに逆らう者があるだろうか。あるとしても、ティア=アンはその仲間ではなかった。彼女は怯えている。王家に逆らうなど、とんだもない。王太后がお茶を飲みなさいといえば、それに毒がまざっていたって飲んだだろう。

「ティア=アン。不躾な質問をすることを、先にわびさせて。ごめんなさい」

 ティア=アンはなにもいわない。おそろしさに震えている。このように位の高いかたが謝るなど、一体どんな質問をされるのだろう。「あなたはまだ、清らかよね? つまり、男性と、ごく個人的な接触をしたことは、ないわよね?」




 それは予想外の質問だったが、考えればわかることだった。ティア=アンは三度、婚約に失敗しているし、そのあと長い間、誰ともいいかわしていなかった。もしかしたら密かに恋人が居たかもしれない、と考えるのは、不自然ではない。といっても、ティア=アンを見て、そのように考える男は居ないだろうが。何故って、彼女はびくついていて、小さく、女性的な魅力に乏しい。秘密の恋人が居たと疑う男はないだろう。

 女は違う。どんなことが、ただ女であるという理由で起こるか、世の女ならば理解している。

 ティア=アンがなにかいうよりも先に、王太后の傍に控えていた婦人が、やわらかくいった。「陛下、それでしたら、もうお医者さまが……」

 ティア=アンにはなんの話かわからないが、王太后はそれで納得したらしい。王后も、安堵したように大きく頷いていた。ふたりの目が合い、空気が弛緩する。その段でティア=アンは、緊張感があったことに気付いた。

 たしかに宮廷へ着いてすぐ、医師の診察をうけた。裸になって、体の隅から隅まで調べられたのだ。医師も、同席していた官女達も、ほっとしたような顔だったのを覚えている。ティア=アンは体が弱いけれど、それ以外に問題はないと、医師はいっていた。


 ティア=アンの隣に座っている王后が、手をさしのべてきて、彼女の手をとった。気遣わしげに、優しくいう。

「いやな思いをさせて、ごめんなさいね、ティア=アン。でも、わたくし達も調べられたし、王家へ嫁いだ女性達から質問されるのも一緒だったわ。皆、これは訊かれるの。我慢して頂戴ね」

 我慢もなにもない。決まりならば、ティア=アンは従う。それに、答える前に誰かが答えてくれたから、ティア=アンはなにもいわずにすんだ。


 ホーが自分を睨んでいるのに、ティア=アンは気付いたけれど、どうしようもなかった。彼女は、ティア=アンが王家へはいることに、納得していないらしい。カイの命令だといって、こうやって奥へと案内してくれたのは彼女だが、王后や王太后のように、親しみを示してはくれていなかった。当然だと、ティア=アンは思っている。美しい兄に、不器量な許嫁ができたのだ。納得なんてしない。

「ホー」

 王后が咎めるような声を出した。それが自分でなく、ホーへ向かったのに、ティア=アンは首をすくめる。自分が原因で、王后が娘を叱ろうとしているのは、考えなくてもわかった。

 王后はホーを睨み、ティア=アンの手を優しく撫でた。「なんです、その顔は。折角、女同士、気兼ねのないお茶会だというのに、なにが不満なの」

「……なんでもありません、お母さま」

 ホーはそういって、顔を背けた。王后はその答えに不満を覚えたらしかったが、しかしそれ以上追及はしない。ここでホーに、ティア=アンに不満がある、といわせたところで、誰の得にもならないだろう。

 ホーだけはまともな人間に思え、ティア=アンはかすかに安堵した。自分がどうにかしてしまったかと、公爵が迎えにみえた日から考えている。殿下も、陛下も、皆優しい。こんなのはなにかの間違いだろう。おかしいなんて言葉ではいいあらわせないくらい、まるで世界がひっくり返ってしまったかのような、不自然なことが起こっている。

 外から誰かが扉を叩き、官女が顔をのぞかせた。






 宮殿はいりくんだ、普通は到底覚えられないような内部構造をしており、それは有事に備えての為であると、ホーが話してくれた。彼女は、ティア=アンが兄の許嫁になることには、消極的にだが反対を表明している。しかし、ティア=アン当人を傷付けようという意図は、その言動からは感じられなかった。単純に、ティア=アンを兄嫁と仰ぐことはいやだというだけで、ティア=アン当人を蔑んでいる訳ではないのだ。随分できた人間だと、ティア=アンはそのことに驚いていた。不器量な人間を、まるできちんとした人間のように扱う彼女の気持ちが、ティア=アンには理解できない。

 ホーは、ティア=アンが覚えられるようにか、官女達が停めるのもかまわず、いりくんだ廊下やなにかについて説明をしてくれた。低めの、落ち着いた声で、はっきりと発音されたそれは、不思議とティア=アンの頭に定着した。もともと、ティア=アンは、ものの形状を覚えることだけは、人並みにできる。ホーの懇切丁寧な説明も手伝って、宮廷・宮殿の内部はだいぶ、覚えられた。


 ホーの説明が正しく、ティア=アンの記憶がたしかならば、お茶会をしていたあの部屋から移動したこの場所は、王家の個人的な広間だった。二十人は楽にかけられそうな卓があり、今は火のはいっていない暖炉があり、黒いドラゴンと王家の始祖を描いた大きな絵が飾ってある。絵はほかに、大小数枚あった。歴代の王や王后だろう。残念ながら、ティア=アンは不勉強で、装飾品や手にしたものから、数人、判別できただけだ。

 その場所は、公的なものではない。王家の人間か、それに非常に近い人間しか足を踏みいれない場所だ。勿論、官女や従僕達は別である。彼らは王家の快適な暮らしの為に、あらゆるところへはいりこむ権利、もしくは義務があった。

「ティア=アン、昨日は会えなかったね。ホーにいじめられていない?」

 カイは実に気さくに、快活に、ティア=アンへ話しかけてきた。彼女を愛しげに、軽く抱きしめ、ごく自然に椅子へと導く。あたたかみのある苔色の座面の椅子へ、ティア=アンは座った。カイに、頬へ軽く口付けられ、びくついてしまったが、それには皆、かすかに笑い声を立てた。


 その場には、王家の面々が揃っていた。一緒に移動した王后、王太后、ホーは勿論、カイ、それからまだ幼い弟君も、王も居る。ティア=アンの知らない、王家のかたと思しい男女数人、更に、公爵も参加していた。ノウェスパルのかただけではなく、ティア=アンでも指環や杖の紋章を見ればすぐにわかる公爵家のかたが、あとふたり。ここにはいれるのだから、公爵自身だろう。公爵家はどこも、王家と血が近く、王家の血筋が絶えそうな時に何度も救ってきている。充分、個人的な集まりに呼ばれる資格はある、ということだ。

 公爵達は、それぞれ、息子や娘をつれてきているらしい。傍に、ティア=アンと同年代の子どもが居る。小柄なティア=アンと同年代とは思えない、立派な体躯の子ども達が。


 ホーが不機嫌そうに、兄を睨んだ。「わたくしは彼女を傷付けようとなど、しておりません」

 カイや、王にごく近しいかた達は、くすっと笑った。だが、公爵達、その子ども達は、かすかに表情を強張らせる。王太后は、それにめざとく気付いて、ふうっと溜め息を吐いた。呆れたような色が見える。

「ホー、あなたが無用な緊張を生み出しているのは、わかっている? 慎みを持ちなさい」

「お祖母さま、わたくしは」

「お黙り。カイがこの子を選んだの。お前が口を出せることではなくてよ」

 ホーはかすかにあおざめ、口を噤んだ。王太后はそれに、満足したみたいに頷く。力関係が見てとれた。王太后は、この場で一番偉いようだ。

 王太后は公爵達を見遣る。すぐに、ティア=アンへ、そしてその隣にいつの間にか座っていたカイへ、目を移す。「カイ、説明してあげなさい。あなたの選んだ花嫁も知っておくべきですからね。我が家の親戚について」

 カイはにっこり笑った。王太后がティア=アンを認めていることに、喜びを覚えたらしい。その心の動きが、ティア=アンにはまったくわからない。




 すぐに、食事が運ばれてきた。大きなパンを、女達がとりわけている。ティア=アンは、手を出さなくていいといわれて、じっとしていた。もとより、彼女は緊張でがちがちになっていて、なにか作業などしようものなら失敗しただろうから、助かった。

「……それで、あちらが、君をつれてきてくれた公爵だ。ノウェスパルだよ。お祖母さまの甥でもある」

 カイの説明は、それで終わった。ティア=アンは小さく頷く。

 成程、瞳が似て見えたのは、それでかもしれない。ティア=アンは心のどこかで、酷く納得した。面差しも、よく見れば、公爵と王太后は似通っている。近い親戚であるとすれば、それはまったく不思議ではなかった。

 人名は、ティア=アンはあまり、覚えられなかった。ただ、王のいとこや、姪甥(つまりカイ達のいとこで、王太后の孫達である)が出席していること、公爵達も近しい血縁関係にあることは、理解した。


 公爵達は、やはり、子どもをつれてきているのだった。それぞれ、ティア=アンに礼儀をつくし、なのってくれた。ノウェスパルの娘は、淡い緑の髪に、金の瞳が美しい、ホーとはまた違う傾向の美人だ。彼女には見覚えがあり、ティア=アンはだいぶ時間をかけて、思い出した。デビューの年、何人もの貴公子からひっきりなしに踊りを申し込まれていた子だ。王子の許嫁候補として、誰もが名前を挙げていた。ひとと話をすることが得意でないティア=アンでも、傍で話されれば耳にはいる。何度も聴けば、自然と覚えた。

 カレン・ノウェスパル。家柄も美貌も、聡明さも申し分ない、公爵閣下の愛娘。そう、彼女なら、殿下の許嫁として、誰もが納得する。ティア=アンは、殿下が彼女を求めたのなら、なにも不安を覚えなかったと、そう考える。

 カレンは、ティア=アンと目が合うと、にっこり笑った。屈託のない、愛らしい笑みだ。ティア=アンは目を伏せ、それを見ないようにした。予想があたったことに、いやな思いをしていた。容貌の優れた人間達のなかへほうりこまれ、劣等感に苛まれてすごすことになる。今の段階で、それは間違いではない。これが一生続く公算が高いことが、彼女を追い詰めている。




 食事はティア=アンにとって、心安らぐものではなかった。礼儀作法は、緊張した体では、きちんとまもれない。なにがつらいといって、王家の方々に気を遣わせていることが一番つらい。そのように気を遣われる立場ではないし、価値のある人間だとは自分では考えていない。口ごもってばかりの無口な娘、ただのちっぽけな娘なのだ。はたしてティア=アンは、本日この瞬間に至るまで、言葉らしい言葉はひとつも発していない。

「あら、いい焼き具合だわ。おいしい」

「でしょう、お祖母さま。わたし、料理人にならなれると思うわ」

「あなた、スープをこぼしています」

「おおすまぬ、后」

「いつまでも子どものようなのだから……」

 くすくすと、王后が笑う。襟を手巾で拭われた王も、にっこりした。やわらかくてあたたかい、親密な雰囲気だ。ティア=アンがそこにまざっていることに、誰も違和感を覚えていない。誰も、ティア=アンを邪魔にしない。異分子に気付いていないのか、見ない振りをしているのか。

「ティア=アンにお茶を」

 カイが優しくいい、官女がお茶のおかわりをくれた。ティア=アンは、お茶を少し飲んだだけで、固形物はまだ口にしていない。だが、少しずつ、彼女の緊張は解れていた。それはひとえに、カイの優しさ故だ。頼もしい王子殿下は、許嫁を気遣い、優しく話しかけてくれる。ティア=アンが戸惑ったように眼差しを返すだけでも、それに満足げにして、君はとても大人しいんだね、などという。そういって、ティア=アンの手や頬を撫で、愛しそうにする。


 容姿の優れたひとに囲まれ、場違いでつらいのはかわらない。王家の方々が、まるで普通のことであるみたいにティア=アンを迎えいれ、そっとしておいてくれているのも、忍びない。

 だがティア=アンは、どこかでかすかに、嬉しさも覚えている。家族のように扱われていることに、うっすらと、安堵している。そして、それと同時に、情けなくもなった。こんなばかな話はないと、気付いたからだ。実の家族と一緒に居て、落ち着けず、安堵もできず、常に批判にさらされていたのに、ここはどうだろう? 皆、ティア=アンの不器量を責めない。ティア=アンの口の重さを、みっともないといわない。

 彼らは赤の他人だからこそ気遣ってくれるのかもしれないと、考えた。自分達とは血がつながっていないから、不器量でも、みっともなくても、優しくできるのだと。

 彼らは、不器量な娘を王家へ迎えいれることになると、気付いていないのだろうか?

 その不都合から、目を背けているのだろうか。ティア=アン宜しく。




 カップを手にし、ぬるいお茶をすすって、それを卓へ戻す。ティア=アンは、そればかりしている。カイはそれを、どうにかしようとした。心優しきこの王子は、許嫁を精一杯、気遣っている。自分が是非にと望んだ娘が、縮こまって、小柄な体を一層小さくしているのだ。聡明な王子も、彼女が緊張していることには、気付いている。柔和な微笑みを見せて、彼女を安心させようと努めている。

「ティア=アン、すまない。我が家はお喋りなひとが多くてね。君を怯えさせたいのじゃないんだ」

 カイがそういうと、王后や王太后が深く頷いた。陛下もだ。王家の親戚の面々も、安心させようというのか、ティア=アンを見て笑みをうかべた。

 カイの優しさに、ティア=アンは寧ろ、少し落ち着いていた恐怖をかきたてられた。不可思議な力を持っている彼らが、持たざる者である自分に利く口ではないと、そう思ったからだ。こんな途方もない話はない。

 カイや、この場に居るひと達の優しさは、大人が小さな子どもに向けるようなものに思えた。

 或いは、潰す前の豚を落ち着かせようと、優しく宥めているようでもあった。




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