12.血に塗れたふたりは
こわいかこわくないかでいえば、こわい。
ティア=アンは怯えていたし、恐怖を感じていた。
だが、死罪、は、どうにかしたかった。
カイを殺させる訳にいかない。
のんびり議場にはいってきた娘に、まっさきに気付いたのは、ノウェスパルだ。上座で悠然としていたが、ティア=アンに目をとめ、その口がぽかんと開く。
ティア=アンは黙って、王と王后へ向かい、歩く。ノウェスパルが顔色をかえたからか、ほかの貴族らも気付きはじめた。
そこには爵位持ちだけでなく、その跡取りも複数人居た。皆、ティア=アンとは顔見知りだ。彼女があの裂け目へ放り込まれた時、あの場に居た者達である。
「貴様、誰のゆるしを得てここへはいった」
木っ端貴族が喚いた。ティア=アンは彼を、シーズン中の舞踏会で見たことがあったが、あちらはティア=アンを知らないようだ。大音声にびくりとしたが、ティア=アンは停まらない。「小汚い娘だな」
「官女か? 誰か、つまみだせ」
さっと、侯爵の息子が走ってきた。ティア=アンを外へ追い出そうというのだろう。
ティア=アンは帯からたいまつをぬくと、両手で持って、そいつをぶん殴った。しっかり、頭を狙って。
貴公子は昏倒し、突然の暴力行為に議場は騒然となる。多くの貴族が立ち上がり、不可思議な力を持つ連中が率先して走ってきた。
ティア=アンは知らないが、顔ぶれで、不可思議な力を持っているのだろうと考えた。高位の連中だからだ。恐怖がせりあがるが、時間を稼ぎたい。死罪を撤回させることはできなくても、カイが逃げる時間を稼ぐことはできる。
ノウェスパルがティア=アンを掴んだ。彼はにんまりしたが、すぐに、血の気がひいていく。「何故……」そのすきを、ティア=アンは見逃さなかった。呆然としたノウェスパルの脇腹に、短剣をつきさす。
ノウェスパルは悲鳴もあげずに倒れ込んだ。短剣が手からつるりとはなれ、ティア=アンは別の貴族に腕を掴まれる。
笛のような甲高い音がして、井守もどきがそいつにぶつかった。貴族は倒れ、鼻をおさえて起き上がる。井守もどきは口を大きく開け、ぎしゃあぎしゃあと奇妙な声で鳴いた。ノウェスパルが短剣を掴んで喚く。
「きかない……ちからがきかない……!」
背後に気配がして、ティア=アンは横っ飛びに避けた。
床に剣がめりこむ。ティア=アンを唐竹割りにしようとしたのは、王族の男だった。ティア=アンはそれを睨む。
男はもう一度、剣を振り上げた。井守もどきがその腕へ嚙みつく。ティア=アンは井守もどきに感謝して、王の許へと走る。
王と王后は、ぽかんとしていた。ティア=アンが生きているのも、貴族達の攻撃をくぐりぬけて走ってくるのも、悪夢のように思っているのだろう。
ティア=アンはどうにか、王の前まで辿り着いた。王は口をぱくつかせ、ティア=アンを頭のてっぺんから足の爪先まで、眺める。王后もだ。
王后の顎が、がくっとさがった。顔色があっという間に、紙のように白くなる。
「その指環は」
王后は、ティア=アンの手を見ていた。
憐れなミーグァ家の娘が、大切そうにしていたものだ。
ティア=アンは、その指環をした手を、彼女へ向けた。
王后はへたりこむ。
「王! なんの騒ぎです!」
声に振り返ると、王太后が、官女達をひきつれてやってくるところだった。彼女の傍には、先程ティア=アンが脅しつけた連中が居る。ご注進に上がったようだ。
それから、カレンも居た。成程、カイと結婚する為に、まず祖母や母から籠絡したのか。器用なことだ。
ティア=アンに気付くと、王太后はかすかに表情を強張らせたが、それだけだった。胸を張り、姿勢よく歩いてくる。流石、長く権力を握ってきた人間は違う。カレンも似たようなもので、公爵令嬢ともなるとものが違うのだろうか、となんとなく思った。
「ケーナ!」
「はいっ」
びくっとして立ち上がったのは、父だ。ティア=アンは、父も議場に居たことに、その時初めて気付いた。
父はまっさおで、酷く震えていた。もしかしたら怯えているのだろうか。酷く怯え、恐怖するのは、父から来た性質かもしれない。ティア=アンは初めて、父との血のつながりを感じた。
王太后は威厳をこめていう。
「お前の娘が、神聖な議場を穢しました。あの子をつれて出てお行き」
「か、かしこまりました」
誰も反論しないし、なにも意見しなかった。ティア=アンがカイの許嫁で、リスエロにさらわれたことになっているのは皆知っているだろうに、誰もそこを訊こうともしない。リスエロは、とも、逃げてきたのか、とも。
父がやってくる。実に迷惑そうな顔で、ティア=アンの傍まで来ると、彼女の腕を強引に掴んだ。「ほら来なさい、ティア=アン」
「おやめ!」
議場の扉の前、大声を上げたのは、ホーだった。
彼女はひとりではない。カイが一緒だ。あの、見張りの三人も居る。
ホーはやつれた顔で、それでもしっかりと胸を張り、はいってくる。
「ティア=アンは、兄の許嫁です。兄の助命に来るのはおかしなことではないでしょう。あのような怪我をした兄を可哀相に思ったのです」
ホーがカイを示した。貴族達がそちらを見、ぽかんと口を開ける。
カイは、顔を洗い、酒で毒を消したようだが、それでも傷があるのははっきりわかった。酷く痩せ、足をひきずっているのも。
伯爵以下の貴族らは、ほとんどが困惑顔になった。ざわめいている。高位の貴族達は、口を噤み、カイから目を逸らした。ノウェスパルは別だ。憎々しげにカイを睨んでいる。愛娘のカレンを殺されそうになって、カイを憎んでいるらしい。
王太后が鼻を鳴らした。
「なんの罪もない娘を殺そうとしたのですよ! おまけに大暴れしたので、捕まえるのに苦労したとか。ノウェスパル、お前もひっかかれたそうね?」
「はい、陛下」
「あの怪我は抵抗したからできたものです。罪のない大人しい娘を殺そうとして、官女達にも怪我をさせ、公爵にも襲いかかった。王子に相応しい行いだと思う者は? 居ますか?」
誰も返事をしない。王太后は勝ち誇ったようにホーを見た。それから、ティア=アンへ目を戻す。
「ケーナ、その子を」
王太后は最後までいえなかった。井守もどきが王太后にぶつかったからだ。
王太后は転がり、井守もどきは反転して、ティア=アンの傍へやってきた。口をゆがめて、不快げだ。ティア=アンの肩にのり、父へ向けて口を開ける。
王太后は起き上がろうともがいていたが、井守もどきを見て、みるまにあおざめた。王、王后もだ。
井守もどきはぎしゃあぎしゃあと鳴き、跳びあがった。そのまま、翼をばさばさとやって、滞空している。
立ち上がった王太后が、喜色満面でティア=アンへ近付いてきた。「ああ、やっぱりあなたは素晴らしい子だったわ!」
豹変に、ティア=アンは眉を寄せる。王太后は嬉しそうにいった。
「黒いドラゴンをつれて帰ってくれるなんて!」
「おばあさま? なにをおっしゃってるの?」
カレンがぽかんとしている。王太后はティア=アンの手をとって、嬉しそうに上下させていた。「いい子ねえ、ティア=アン。よくぞ、よくぞ……さあ、黒いドラゴンをこちらへ」
井守もどきは、黒いドラゴンらしい。そんなことをいわれても、ティア=アンはぴんとこなかった。あれは、のたのたあるく、くいしんぼうの、羽根のある井守だ。ドラゴンの絵や像のようなこわさはない。目はやっつもあるし、言葉も通じない。
「あなたも、ドラゴンのおかげで不可思議な力を手にいれたでしょう。だから戻って来れたのね」
そんな力を持っているとは思えない。自覚はない。戻って来れたのは、たしかにあの子の協力のおかげかもしれないが、ティア=アンは不可思議な力なんてつかってこなかった。
「カレン、ジョルザをつれてきなさい」
「え? で、でもおばあさま、殿下はお昼寝中です」
「いいから。この子はカイと結婚させます」
王太后がいうと、またざわめいた。今度は貴族達全員が、驚いている。「ジョルザはカレンと。あの子にはティア=アンを姉と仰ぐようにいいきかせなければ。ティア=アン、カレンはあなたの妹のような子でしょう? なかよくしてあげてね」
「おばあさま、まってください」
カレンがなにかいう前に、ティア=アンはいった。「いやです」
場が静まりかえる。
ティア=アンは、そっと、王太后の手を振り解いた。
黙って、カイの傍まで歩いていく。
カイの腰へ手をまわし、支えた。
王太后が金切り声を上げた。
「おまち! カレンを認めないというの? だったらわたくしも、あなたとカイを結婚なんてさせません!」
ティア=アンは王太后を睨んだ。井守もどきが急降下してきて、王太后へもう一度ぶつかった。王太后は悲鳴をあげる。井守もどきが追撃しているからだ。どろりとした絹のガウンに嚙みついている。貴族達が助けようとしたが、井守もどきが一枚も二枚も上手だった。不可思議な力でおこした火や雷がきかない。あたるけれど、痛くないらしい。なんともない顔をしているのだ。
ホーがやってきて、ティア=アンとカイをまるごと抱きしめた。「ごめん、お兄さま。ティア=アンも、ごめんなさい」
ティア=アンは頭を振る。疲れたから、とにかくぐっすり眠りたい。それしか考えられない。
ホーがはなれていき、カイは緩慢な動きで、ティア=アンの顔を覗きこんだ。いつかのように、少し腰を屈めて。
血と膿の匂いのする顔が近付いてきて、口付けられた。ティア=アンは逃げないし、嬉しかった。
血塗れの度合いでいったら、自分のほうが上なのだし、文句はない。




