第一話 初めての◯◯◯ 3
男を追いかけてきたのは大きな獣だった。
イノシシのような体形だが、詠太の知っているイノシシよりはだいぶ大きい。おそらく体長三~四メートルはあるだろうか。全身が真っ黒い毛で覆われて、頭部には一対の大きな角も見える。
その異形が目の前の男を目指して砂煙をあげ一直線に突進してきていた。
「うわあぁぁぁぁ!!」
皆がクモの子を散らすように避難する中、詠太はあまりの出来事に呆然と立ち尽くしていた。
「詠太、こっち!」
リリアナが詠太の腕を掴み、大きな岩の後ろへ誘導する。
みるみる男との距離をつめるホダッグ。詠太たちの前でホダッグはついに男に追い付き、そのまま男にきつい頭突きをくらわせた。
「ぐあっ!」
重量級のホダッグが放つ勢いの乗った一突きに、男はひとたまりもなく跳ね飛ぶ。同時に男が抱いていた黒い塊は宙へと放り出され、悲鳴のような鳴き声を上げた。
「ピィイイイィィッ!」
「あれは――ホダッグの子供?」
「ぐはぁっ!!」
男は詠太たちの目の前にまで飛ばされ、そのまま地面へと叩きつけられた。
「おい! 大丈夫か!?」
「あ……があ……ぁ……」
男は体中に擦り傷を負い、さらに頭から血を流しながらも意識はあるようだった。
「子持ちのホダッグにちょっかい出すなんて、アンタ何考えてるのよ!!」
駆け寄ったリリアナがボロ雑巾のように横たわる男の胸ぐらを掴み、ガクガクと揺さぶる。
「あのー、リリアナさん……それトドメ刺しちゃうんじゃないかなー」
「う……ぐげ……子供なら捕まえてカネに……出来ると思ったんだよぉ……」
男がようやく言葉を絞り出したその時――
「グギャアアアアァァァアアアアッッ!!」
「!?」
採掘場の谷全体を揺さぶるような荒々しい叫び声が響き渡る。
「えっ? えっ!? 何だよ、まだ怒ってんのかよ!?」
「ほらっ、ボサッとしてないの!!」
リリアナが詠太の腕を掴んで走り出す。
「ホダッグってのは他の種に比べてとりわけ子供への愛が深いのよ!」
走りながら説明をするリリアナ。そしてリリアナは深刻な顔をしてこう付け足すのだった。
「――その上興奮すると見境がつかなくなる困った性格の持ち主でもあるわ」
詠太が振り返ると、そこには視界に入るもの全てを攻撃対象に荒れ狂う親ホダッグの姿があった。
採掘用の台車や、人間よりもはるかに大きな岩……それらが軽々と跳ね飛ばされていく様子に、皆遠巻きに眺めることしかできない状況となっていた。
監督役の兵士は最低限の武装をしているのだが、あの巨体に対し二人という頭数では太刀打ちのしようがないだろう。
「ギャアァァオオオオォォォウ!!!!」
親ホダッグは怒りで我を忘れ、なおもその場で猛り続ける。
咆哮が空気を震わせ、衝撃が地震のように辺りを揺らす。
「ピィイイイイーーーーッ!!」
必死に親にすがり付こうと近寄る子ホダッグをも踏み潰さんばかりの勢いで暴れ狂う親ホダッグ。もはやその目にはわが子の姿すら見えていない。
「ちょっと……これじゃ自分の子供まで……」
「…………」
「ねえ詠太、なんとか……」
「……の」
「詠太?」
「……こんの……バカ親――――!!」
言うが早いか詠太が飛び出した。
「詠太!? アンタ何――!!」
詠太は素早く子ホダッグの元へ走りこみ、その体を抱き上げる。
「おいコラ!! テメーの大事な子供はここだ!!」
ギロリ――
親ホダッグの狂気をはらんだ目が詠太に向けられる。詠太は子供を抱えたまま走り出した。親ホダッグがその後を猛然と追う。
「確かこっちに――」
詠太が向かった先には、先程採掘場に向かうため渡った川があった。幅数メートルほどのさほど深くない流れに、材木を数本渡しただけの簡素な橋が架かっている。詠太はその橋の上を、一気に駆け抜けた。
「グオァァアアアア!!」
詠太が渡りきるとほぼ同時に、詠太を追って親ホダッグが橋の上に乗り上げる。その瞬間、橋はその重さに耐え切れずに崩壊し、ホダッグと共に轟音を上げて真下の流れに落下した。
ズシャアアアアアァァァァ!!!!
「目ぇ覚ましやがれ!」
先程まで橋を形作っていた材木に混じって、川の中で横倒しになっているホダッグ。
脳震盪でも起こしたのかホダッグはしばらくそのまま動かなかったが、やがてむくりと起き上がり、川べりへと歩き出した。
「……ほら、行けよ」
「ピイイィィィィ!!!!」
詠太が手を放すと、子ホダッグは一直線に親の元へと駆け出す。
「ピィィィ……」
心配そうに擦り寄るわが子をぺろりとひと舐めする親ホダッグ。その目にはもう憤怒の色は無い。
ホダッグはふと視線を詠太に向けブルルゥ、と鼻を鳴らす。
それが感謝の意であったかどうかは詠太にはわからない。詠太、そして追い付いてきた皆の見守る中、親子は揃って茂みの中へ姿を消した。
「詠太っ!」
リリアナが石を飛び移りながら川を渡り、詠太に駆け寄る。
「アンタ……ただのヘタレだと思ってたけど……」
「ん?」
「なかなかやるじゃない!」
リリアナから屈託のない満面の笑みを向けられ、詠太は照れくささから空を見上げ頭を掻く。
抜けるような晴天、爽やかな風――今日の任務はまだ始まったばかりだ。
「さあ、作業に戻ろうぜ」
詠太の号令を合図に、採掘作業は無事再開を果たしたのであった。
「ぐっ、あたたたた……」
体のあちこちが悲鳴をあげている。
「運動不足だな……カンペキに」
一日の任務を終え、任務の報酬を受け取るべく詠太とリリアナはルメルシュ中央兵士詰所を訪れていた。
「待ってなさい! アンタの分も受け取ってきてあげる」
そう言ってリリアナが詰所の中に消えて一〇分……二〇分……
もう結構な時間、詠太は詰所の外に立ちっぱなしで待たされていた。
………………
「お待たせ!」
不意にリリアナが現れる。
「あれ? オマエ今どっから……?」
詰所の入口を注視していた詠太は、背後から声を掛けられ面食らう。
「初めての報酬ね。ハイこれアンタの分。おめでとう!」
「お……おう」
リリアナは笑顔で布製の袋を差し出した。
報酬は月の石――だったな。石の見分け方を教えてくれたあのじいさんに礼として少し渡してやりたかったけど、結局あれからじいさんには会えずじまいか……
「さて、懐も潤ったことだし、今夜はパーッといく?」
リリアナは周囲を見渡すと、一軒の建物に目を留めた。
「そうねぇ……あそこの酒場でいいんじゃない?」
あれ? コイツ今、懐がって言ったけど……受け取った報酬って、現金じゃないよな。
詠太はリリアナから手渡された袋の中身を確認する。月の石が一個、二個……三個!? 確か八個だったはずじゃ……?
「あ、アンタの褒賞品、ちょっと売っ払っといたから」
「オマエ勝手に……っ!」
「まあ堅いことはいいじゃない。入りましょ」
酒場の中は多くの人で賑わっていた。
兵士詰所から近いためか、剣や弓などの武器を携えた客が多く見受けられる。
詠太たちは店の奥に位置するテーブル席に腰を落ち着け、遅めの夕食にありついていた。
「モグ……討伐隊は五人までのチームで構成できるの。……ムグ。人数が多くなれば、もっと戦闘の激しいフィールドの任務だって請け負えるようになるわ」
「なんだってワザワザ戦闘の激しい地域に行かなきゃなんねーんだよ。……あとオマエ食いながら話すな」
「ゴク……プハー! 難易度の高い所ほどもらえる報酬もグレードアップすんのよ」
「そんなに資金繰り苦しいのか? あんないいとこ住んでんじゃねーか」
「『銀星館』、ね。我が暁ノ銀翼の本拠地よ。名前憶えときなさい。……でもあそこだってタダで住んでる訳じゃないのよ? 家賃の支払い溜めちゃってるし。大家さん隣に住んでるから肩身狭いのよー」
「あれ、賃貸なのか!? だったらもっと小さいとこにした方が――」
リリアナの暮らす『銀星館』。
少々年季は入っているが地上三階地下一階の立派な建物だ。それを、リリアナ一人でまるまる借り上げているらしい。
「増員を見越してわざと大きいトコ借りたのよ!! ……とっ、いう訳でっ! ゴク、ゴク……」
ッターン!
空になったカップをテーブルに勢いよく打ち付け、リリアナは声のトーンを上げる。
「我が暁ノ銀翼もせっかくアンタという隊員が入隊したんだから、これより更なる増員を図りたいと思いますっ!!」
「はあ。どっから連れてくるんだよ」
「アンタがサマナーになってって言ってんのよ。前に話したでしょ?」
「グリモワールがないといけないんだろ?」
「グリモワールは錬成で作らないといけないけど……」
リリアナは身を乗り出し、詠太の顔を覗き込む。
「じ・つ・は!! アタシもここのところ増員を目指してグリモワール練成のための素材をコツコツ集めてたのよー。今日の報酬の月の石、これで素材はコンプリート。あとはうまいこと錬成していけばOKよ。ふふーん」
手に持った肉をひとかじりして、リリアナは得意気に椅子にふんぞり返る。
「練成はアタシに任せて。今日はもう遅いから、明日グリモワールが完成次第、召喚の儀式を行いましょ」
「お、おう」
「よっしゃあー! 次の任務はグレード上げていくわよー!! おばちゃーん、バスキア酒おかわりー!」
翌日。
「お待たせー。はい、これ」
リリアナが差し出した書物は、詠太が入手したものとは若干の違いがあるが同様のハードカバーだった。
「これで戦闘のエキスパート、ヴァルキュリアを呼び出せるわ」
暁ノ銀翼が拠点とする『銀星館』の地下室。
前に自室で召喚を行った時と同様にロウソクのみという心許ない灯りの中、詠太にとって二度目の召喚儀式が行われようとしていた。
「リリアナ、何か紙ないか?」
「……? 何に使うの?」
「魔法陣、書かないとさ」
「グリモワールの中に書いてあるでしょ? そのまま使うのよ?」
「そうなのか?」
何か勝手が違うな……
詠太は記憶を頼りに召喚の準備を進めていく。
「……で、ここに髪の毛と――」
「逆でしょ? こっちに肉で、血がこっち」
「我が名は秋月詠太。いにしえよりの盟約に基づき、我が名、我が血肉によりて……」
「ちょっと待ってよ。なんか違くない?」
リリアナがストップをかける。
「手順も何もかもぐちゃぐちゃじゃない」
「いや、でも最初のグリモワールに挟まってたメモには確か……」
「それが失敗した原因ね」
リリアナは大きなため息をひとつつく。
「やりかたはアタシが説明するわ。アンタはその通りに実行しなさい」
リリアナの助言に従い正しい手順で召喚の儀式が進行していく。
詠太が最後の一文の詠唱を終えるその刹那、室内の空気ががらりと変わった。
重苦しく、息苦しく、まるで液体の中にいるような感覚が詠太を襲う。やがて、薄暗い地下室がひときわ暗くなり、同時にグリモワールが静かに発光し始める。その光は次第に強さを増し、宙に魔法陣を映し出した。
光が二人の顔を照らし、発生する魔力のうねりが風を起こし髪を揺らす。
「リリアナ、これで……」
「しっ!!」
やがて光は急速にその強さを増し、辺りを照らして包み込んだ。
一瞬の後。
光が弾け、そこに現れたのは――白銀の少女だった。
髪も眉も、果ては睫毛にいたるまで、その全てが雪のような純白。
身につけた甲冑は鏡のようにどこまでも深い光沢を放ち、そこからすらりと伸びる四肢はまるで彫刻のような引き締まった筋肉を纏っている。
口元を凛々しく真一文字に結んだ表情からは内に秘めた真っ直ぐな意志、そしてある種の威厳すら感じさせ、その神々しいまでの立ち姿に詠太は思わず息を呑み立ちすくむ。
少女はゆっくりと顔を上げ、詠太を正面からじっと見据えて静かに口を開いた。
「私はマリア・エッベルス。求めに応じ馳せ参じた」
「ヴァル……キュリア?」
驚きと興奮を隠しきれない詠太の問いかけに、少女が答える。
「いかにも。あなたが今回の主殿か」
「え? あ、あの……」
「……そうよ。秋月詠太。そしてさらにそのサマナーが私。リリアナ・エルクハートよ。よろしくね」
満足に喋ることもできない詠太に変わって、リリアナが返答する。
「なるほど。よろしくお願いする。それで、私は何をすればよいのだ」
「それはね――」
リリアナは順序だてて簡潔にマリアに説明する。
リドヘイムとセレニアの争いのこと、討伐隊のこと、暁ノ銀翼のこと――
ひととおりの説明を終えた頃には、詠太も落ち着きを取り戻していた。
「仔細は承知した。主殿、改めてよろしくお願いする」
「あ……ああ」
こうして詠太の召喚は二度目にして成功を収めた。『主殿』などという呼ばれ方は詠太からすればいささか面はゆい気もするのだが、サマナーとエンティティは主従関係にあることを考えれば、そこは本来そういうものなのだろう、と無理矢理納得をする。
それにしても――
詠太は改めてマリアを見る。
美形である。超絶美形である。
詠太の元いた世界では絶対に関わることのなかったタイプだろう。
その上マリアの種族は戦闘のエキスパート、ヴァルキュリア。詠太の通う学校にあてはめて例えるなら、さしずめ人気抜群の運動部エースといったところか。ますます詠太とは縁が無さそうな人種である。
コイツが俺の、エンティティ……
「…………」
詠太の視線に気づいたマリアがもじもじと身をよじりながら口を開く。
「あ、主殿……そんなに見つめられると……その……」
「ん……? いやっ、ちがっ……!! ちょっと考え事をっ!」
はっと我に返り慌てて弁明をする詠太に、リリアナが追い打ちをかける。
「ん~~? んもぉ~、詠太きゅうん。私というものがありながらぁん♥」
「だぁっ! 違うっつってんだろうがぁっ!!」
召喚が無事成功した安堵感もあるのだろう。先程まで厳かに召喚の儀式が行われ、重苦しかった地下室の雰囲気が一転、賑やかな声が響く。
前回に続き手順を誤りかけるというトラブルがあった事はさておき……ともかくもここにぎこちなく、そして頼りない新人サマナーがひとり、誕生したのであった。