第十話 決死の突入、その先に 4
リドヘイム王国大臣、ヤズ・ヨギストフトが新たに拠点とするルメルシュの世界樹。その中腹をくりぬくようにして作られた密室内で、暁ノ銀翼メンバーはヨギストフトの狂気に直面していた。
「悪い子にはお仕置きをしなければなりませんね」
大臣はニーナの身体を押さえつけると、冷徹な笑みを浮かべた。
「げんこつ」
「あうっ!!」
大臣の固く握った拳がニーナの頭に打ち付けられる。
「げんこつ。げんこつ。げんこつ。げんこつ……」
「あっ! あぅっ!!」
何度も、何度も、何度も――。大臣の拳、故意に尖らせた中指が、一定の間隔でニーナの額を捉える。
「あああぁぁ…………」
痛みと恐怖に耐えきれなくなったのだろう。ニーナの存在が薄くなり、そして消える。
「ふむ。ステルスですか。いろいろと便利な技をお持ちだ。しかし――あなたの身体がここに固定されていることが分かっていれば意味ないですよね? あなた馬鹿なんですか?」
「……ぎゃッ!!」
振り下ろされた拳でニーナのステルスが解ける。涙とよだれと鼻水で顔面をぐしゃぐしゃにしたニーナを、大臣は躊躇なく執拗に殴り続けた。
「げんこつ。げんこつ……」
「ぎゃっ! ぎゃう! ――ぎッ!!」
寸分たがわぬ位置に繰り返される打撃によりついに額の皮膚は裂け、流れ出た血がニーナの顔を赤色に染める。
「やめて!! ――やめてください……ッ!!!!」
イレーネが半狂乱で懇願するが、大臣はそれに耳を貸す様子もない。ただひたすらに、淡々と、ニーナへの折檻を続ける。
「何でも……何でも言う事をお聞きしますからぁッ!!!! だからやめてやめっ……やめろォォォォッ!!!! ヨギストフトォォ!! おのれええええぇぇぇぇ!!!!!!」
「――――――――!!!!!!」
突然、詠太の身体をすさまじい衝撃が駆け抜けた。
ニーナだけではない。マリア、メリッサ、メロウ、そしてイレーネ……皆の意識がはっきりと詠太の頭に流れ込んできたのだ。
ニーナの意識と、周りでそれを見ていることしかできないメンバーの意識――さらされているだけで頭がおかしくなりそうだ。
「――ああああぁぁぁっっ!! みんなが……みんながッッ!!!!」
「詠太! 落ち着いて!!」
リリアナに抱きかかえられ、かろうじて身体の平衡を保つ詠太。
「やっぱりあそこだ! 世界樹……ッ!! そこに大臣と、みんなが――!!」
王が世界樹へ視線を向ける。
「世界樹周辺にはヨギストフトによる魔力障壁が展開されておったはず……。あやつ――わざと『開け』おったなッ……!!」
「ヤズ……ヨギストフトォォォォ――――!!!!!!」
絶叫にも近い声を上げ、駆け出そうとする詠太。その行く手にハインツが立ちはだかる。
「どこ行くんだ」
「世界樹に……!! みんなを助けなくちゃ――!」
「だめだ」
「でもみんなが!!」
「――だからこそだ!!!!」
ハインツが詠太を一喝する。
「……あそこにはおそらく、この城にいた兵士が配備されているはずだ。俺たちは何人いる? 救出したエンティティたちは戦えない」
「だから俺ひとりでッ――!!」
「冷静になれ!!」
ハインツは詠太の両肩を掴んで揺さぶった。
「俺だって同じ気持ちだ。今すぐ駆けつけてみんなを助けてやりたい。でも……俺たちは今、確実に大臣に勝利することを優先させなくちゃならない。こんな安い挑発に乗って、ここで倒れる訳にはいかないんだ」
ハインツが唇を噛み締める。握りしめた拳が震えている。
「ハインツ……」
「――信頼のおける討伐隊がいくつかある。俺たちが声を掛ければ動いてくれるかもしれない」
「私たちも付近に潜伏させている兵に召集をかけましょう」
ハインツの言葉にレイチェルが呼応する。
王が詠太に歩み寄り、その頭に手をかざして言った。
「――ひとまずエンティティとの繋がりは再び遮断させてもらうぞ。このままではお主の精神が持たんでな」
糸の切れた人形のようにへたり込む詠太。その気持ちがわかるだけに、わかり過ぎるが故に――皆はただ無言でその様子を見守ることしかできなかった。
「……どうじゃ。少しは落ち着いたかの」
先程の騒動からしばらく。バルコニーで世界樹を見つめる詠太のもとに、王が現れた。
王は穏やかなトーンで詠太に語りかける。
「――ハインツは正しい判断をした」
「……ああ。わかってる」
王城への突入の際も、詠太たちは綿密に計画を立てた上で慎重に行動を行った。敵があらかじめこちらの存在を意識し、待ち構えている今回のケースではより慎重な行動が求められるだろう。
「態勢を整えて、確実に『勝ち』を取りに行かないと」
詠太は力強く言い放ち、しっかりとした眼差しを王に向けた。
「うむ。大丈夫そうじゃの」
そう言うと王は詠太の隣に並び立ち、再びゆっくりと口を開く。
「しかし……お前さんよ」
「ん?」
「あのサキュバスの娘との契約についてなんじゃが」
「俺と……リリアナの?」
「うむ。あの娘の――サマナーとしての願いは何じゃったかの」
「確か、『リドヘイムとセレニアの争いに加担する』事……」
「そうじゃな。しかし……」
国王は少しの間を置いて詠太に告げた。
「その『願い』は、今となっては成立しないものではないのか?」
「――――!?」
倒すべき敵はリドヘイムにいる。セレニア討伐隊としての働きを求めるリリアナの願いは、既に機能していない――?
「じゃあ――」
「うむ。お主らの契約関係は既に終了しておるよ」
「ホントかよ。全然そんな気はしないんだけど……」
そもそも詠太はこれまで、召喚契約についてその有無を意識するようなことはなかった。リリアナどころかその他のメンバーたちとも、その感情が流れ込んでくるから繋がっているのか、という程度の認識でしかないのだ。
「本来であれば契約が切れたエンティティは元いた場所へと戻るものじゃ。それが異世界からの召喚であってもな」
「ってことは――」
元の世界に戻るために契約を全うするという詠太たちの選択は間違っていなかったようだ。
「しかし、契約が切れているのにも関わらずその身はこの世界に留まったまま……やはりお主の場合は少々事情が特別なようじゃの」
含みを持たせたような王の言葉に、詠太は何か引っかかるものを感じた。
かつてステラやシャパリュとの会話の中にあった違和感、詠太が王に確認したかった事――。
「それは……俺がこの世界に『導かれた』って話と関係が――」
「ああ、おそらくはな」
「じゃあやっぱり、俺がこの世界に来たのって単なる召喚の失敗じゃなくて……」
「うむ。対ヨギストフトの望みをかけて、わしが呼び寄せた」
王は実にあっさりとその事実を認めた。
「ただのう……導いたのは確かにこのわしなのじゃが、なぜお主であったのかはわしにもわからんのじゃ。わしは啓示に従いあの場所で古本屋を構え、訪れる『誰か』を待っておったに過ぎん」
「あの古本屋のじいさん……やっぱり王様だったのか」
「左様。そして――そこへ現れたのがお主だった。それは偶然であり必然。お主があそこを訪れるのは宿運であった。いわばこの世界の意思が、お主を呼び寄せたのじゃ」
王が受けたという天啓の時点で、その対象は詠太と決まっていたのだろうか。
その『世界の意思』の働きにより、詠太はこの世界に留まっているのか。
「よくわからないけど……でも、よかった。俺はここで帰る訳にはいかない」
正直なところ、自分がこの先どれだけのことができるかはわからない。しかしこのタイミングで詠太だけ元の世界に帰されたら、その後一生後悔し続けることだろう。
「ありがとう、王様」
「ん?」
「俺をこの世界に呼んでくれて、ありがとう。おかげで俺はいい仲間に出会えた」
「……皆無事に、救い出さなくてはな」
「ああ」
二人はそれきり黙り込み、眼下に広がる夕暮れの街並みに視線を落とした。
明朝。ハインツとレイチェルが集めた人員とも合流した詠太たちは、巨大にそびえる世界樹を目指して王城を出発した。
たどり着いた詠太たちの前に、リドヘイム軍兵士が立ち塞がる。
「やっぱりか……」
「いいか、俺たちがこいつらを食い止める。その間に――行けっ!!」
ハインツが討伐隊、レイチェルがセレニア兵をそれぞれ率い、陣形を組んでリドヘイムの兵と対峙する。
「キリエ! ステラ! 撃てぇぇぇぇ!!!!」
広範囲高火力の攻撃魔法を得意とする二人が戦闘の口火を切った。敵の隊列が乱れたところにメイファンらがなだれ込み、肉弾戦を仕掛ける。
詠太たちはその援護を受けて、ワイバーンで直接中腹へ乗り込む算段だ。
「いいぞ! 押してる。この隙に――!」
詠太たちがいざ飛び立とうとしたその時。世界樹の枝の隙間を抜けて、いくつもの黒い影が現れるのが見えた。
「ワイバーン……!! なぜリドヘイムに!?」
レイチェルが驚きの声を上げる。
ワイバーン自体はリドヘイムにも広く生息している種族ではあるが、それを従属させ兵力として用いる技法を確立しているのはセレニアだけのはずである。だからこそセレニアのワイバーン兵は他国との戦闘において大きなアドバンテージとなり、それをやすやすと乗りこなす詠太に、レイチェルは驚きもしたのだが――。
「考えたってしょうがねえ! アレは俺に任せろ!」
上位種 《ハイクラス》ワイバーンでそのただ中へ突っ込む詠太。
地上では熾烈な白兵戦が繰り広げられ、上空ではワイバーン同士の空中戦。戦力は均衡し、戦局は混迷を極める。
突破口が見つからず焦る詠太がふと視線を向けたその先で、世界樹に寄り添うようにして空中に浮かぶ人影があるのが目に留まった。
「あれは――!?」
目が合うとその人物はまるでエレベーターで降りるかのような動作で地表へと降り立ち、オーバーな身振りをつけてうやうやしく頭を下げる。
「よくぞいらっしゃいました」
「ヨギストフト――!!」
レイチェルたちから一斉に放たれる攻撃魔法。それを蠅でも払うかのように一発一発丁寧に叩き落しながら、大臣は一方的に話を進めた。
「盛大に歓迎して差し上げたいところなんですが……ただまあ私ちょっと今、忙しいものでして」
「ここで邪魔をされるのは不都合きわまるんですよね」
「特別に面白いものもご用意しておりますから」
「あなたたちはここで『コレ』と――遊んでいてください」
そう言って大臣が取り出したもの。見覚えがある。ニーナを召喚した際に彼女が大事に持っていたぬいぐるみ――元祖シャパリュだ。
「これ、たまたまここで拾ったんですけどね……こういう人形って、持ち主の想いが宿ってしばしば魔物化したりするんですよ。アークデビルの残留思念ともなれば通常のそれを遥かに超える。いわば聖遺物の対極、ですね」
大臣は楽しくて堪らないといった様子で話を続ける。
「さらにさらに――ここに採れたて新鮮なアークデビルの負の感情がたっぷりあるんですね?」
そう言って広げた掌の上に、どす黒い瘴気が炎のように揺らめいている。
大臣はぬいぐるみを両手で挟むように持ち、空高く放り投げた。
宙を舞うぬいぐるみが見る間に巨大化し、おぞましい姿に変化していく。
言葉では何とも形容し難いが、言うなれば布のゾンビ。繊維が膨張し、千切れ、増殖しながら再構築されていく。
「なんだよ……なんだよこれ……!」
それは、地響きを立てて詠太たちの前に着地した。