第五話 呪いのグリモワール 3
ニーナを確保した詠太が銀星館に到着した時には、知らせを受けた皆も屋敷に戻ってきていた。食堂に全員が集まり、二人を囲む。
「……それで」
イレーネは複雑な表情で問いかけた。
「なぜそのような事になっているのですか?」
ニーナは詠太にぴったりと身を寄せて、その腕にしがみつくように抱きついている。
「こんなに汚れて……さあ、お屋敷へ帰りましょう」
「嫌!」
ニーナはイレーネが差し伸べた手を避けるようにして、詠太の後ろへ隠れてしまった。
しかしイレーネは動じずに、さらにニーナとの距離を詰める。わがままお嬢様の扱いはお手の物、といったところだろうか。
「さあ、お嬢様」
「嫌」
「お嬢様……」
「絶対に、い、やっっ!!!!」
不穏な空気が辺りを包み込む。
「……仕方がありません。このまま召喚の破棄を――」
「――だめっ!!!!」
ニーナは詠太の腰のあたりを両手で抱え込み、意地でも離れない構えだ。
『親族間のいがみ合いにさらされ――』
詠太は先程のイレーネの話を思い出す。この子はこんなに小さいのに大人の都合に振り回されて辛い思いをしている。なんとか――してやれないだろうか。
「イレーネさん。俺からも頼むよ。せめて数日だけでも……こっちで過ごさせてやるわけにはいかないかな」
「…………」
イレーネはしばし考えた後、諦めたように口を開いた。
「わかりました。旦那様にお伺いしてみましょう」
イレーネはその場ですっと目を閉じ、こめかみに指をあてる。
「……旦那様。私です。イレーネです。はい……はい……」
――電話……? じゃないんだろうな、多分……
イレーネが話し終わるのを待っていると、リリアナが声を掛けてきた。
「それにしてもアンタたち、凄いタイミングよねー」
――リリアナの話によると、街外れでニーナが登った木は世界樹で、今回たまたま数百年に一度の『伸びるタイミング』にあたってしまった、ということらしい。何年か前に世界樹が芽を出したことで、あの一帯は廃棄されていたのだそうだ。
「あそこ今、大変なことになってるわよ」
あれだけの巨大樹が突然出現したのだ。地表はもはや人の住める状態ではないだろう。前もって区画ごと廃棄されていたのも頷ける。
「――はい。かしこまりました。ではそのように」
イレーネが話し終わったようだ。
「只今の『念話』の内容についてなのですが――旦那様と、奥様から承認を頂くことができました。お嬢様を救って頂いた事、さらにお嬢様のステルス能力を超えて通じ合った事実から、このまま秋月様と召喚契約を継続していた方が安全だろうとのご判断です」
「おお! ということは!!」
詠太とニーナが互いに顔を見合わせる。
「はい。数日と言わず、この先しばらくはお願いしたいと。ただし――私もお目付け役として随伴させて頂きます」
「えー!? イレーネも一緒なのか?」
明らかに不満を表明するニーナに、イレーネが鋭い視線を送る。
「お嬢様……私と一緒ではお嫌でしょうか」
「……!! や、あの……」
「お い や で し ょ う か」
イレーネから発せられる殺気にも似た静かな圧力。ニーナの顔面が一瞬で蒼白と化す。
「イエ……ソ……ソナコトハ……」
ニーナを承服させたその迫力を保ったまま、次にイレーネは詠太の方へ向き直った。
「では秋月様。これからよろしくお願いいたします」
「ヨッ、ヨロシク……オネガシマス……」
――イレーネの迫力に圧倒されたのはニーナだけではなかった、ようである。
その後――詠太はイレーネとも契約を終え、お互い改めて自己紹介を行うこととなった。
「ニーナ・クローネンダール。今年六万歳になったばかりだ」
「いっ……!? ろく……まん!?」
「我はアークデビルの種族。アークデビルは総じて長命なのだ」
さらにニーナは詠太に耳打ちをする。
「……イレーネは半人半蛇のエキドナの種族でな、さらに長命なのだ。あやつは今、二十九万歳だぞ。」
「――お嬢様」
いつの間にか背後に回ったイレーネが低いトーンでニーナに囁く。
「わたくしの歳の話など……どうでもよろしいのでは?」
「ひゃ、ひゃい……」
イレーネの張り付いたような笑顔が怖い。この人だけは怒らせないようにしよう――詠太は固く決意するのであった。
「では、よろしくお願いいたします」
ひととおり全員の自己紹介が終わったところで、詠太の目が一点に止まる。
「で、その動物は……猫、か?」
想像上の種族しかいないかと思われたこの世界で、よく知っている存在に出会えたことは詠太にとって嬉しい事だった。しかし――
「いや、エルバッキーだな」
「エルバッキーね」
マリアが答え、リリアナがそれに同意する。
「え? どう見ても猫……」
「純粋な猫なんてほぼ幻の存在にゃ! 大体がケットシーか猫又かエルバッキーなのにゃ!」
メリッサの力説。猫が言うのなら間違いはない……のだろうか。
「エル……バッキー……」
不思議そうに猫を見つめるニーナ。
「……うむ。エルバッキーでもなんでもよい。あの木の上で我と一緒にいてくれたのだ。これからたくさん可愛がって恩返ししなければな」
「お嬢様――! なんとお優しい……」
ニーナの言葉にイレーネが一瞬で感極まったようだ。
「よし! おまえは『シャパリュ』と名付けよう! 我は今回の騒動で大事なぬいぐるみを失ってしまった。おまえがその名を受け継ぐのだ!」
ニーナはエルバッキーを高々と持ち上げ、そして抱きしめる。こうしてこの日、暁の銀翼に新たなメンバー二人と一匹のエルバッキーが加わった。
その後二人の部屋決めを行い、あとは銀星館内部の案内など――遅い時間からではあったが迎え入れの準備をどうにか完了し、各自部屋に戻って就寝の運びとなった。
夜も更けた頃――
詠太の部屋のドアが音もなく開く。
「えーた……えーた」
暗闇で自分を呼ぶ声に目を覚ます詠太。見るとニーナがエルバッキーを抱えて立っている。
「ん……? ニーナか。どうした?」
「今夜は風が強くて……その……」
夕方あたりから吹き始めた風は、次第に強さを増して今や暴風の域にまで達している。いつの間にか降り出した雨も交じって、外は嵐のような状況だ。
「なんだよ怖いのか? 悪魔の姫さんが」
「怖くはない!! 怖くはないが、その……えーたが怖がってはおらぬかと……」
「イレーネさんはどうしたんだよ?」
「……あやつは、『ぷらいばしー』だからといって寝るときには姿を現さん。しかし、どこかで警護にはあたっているはずなのだ」
「ホントかぁー?」
「――本当です。秋月様、今宵はお嬢様と一緒にお休みになっていただけないでしょうか?」
「!!??」
突然背後に現れたイレーネに飛び上がらんばかりに……いや、実際に飛び上がって驚く詠太。
「大丈夫です。私がしっかり見守っておりますので安心してお休みください」
それだけ言い残すと、イレーネの姿がふっと掻き消える。
「な? おっただろ?」
「『な?』じゃねえよ! どっから出てきたんだよ! 登場の仕方がいちいちおっかねえんだよ!!」
――ガゴッ!
「ひっ!?」
風のせいなのかそうでないのか――窓枠がひときわ大きな音を立てる。
「……う、うん、じゃあ寝よっか」
ベッドに入り、明かりを消す。
外はまだ風が吹き荒れているが、そんなことは詠太には問題ではない。しかし――
――しっかり見守られても、逆に……安心できないんだよなあ。
隣で既に寝入っているニーナに代わり、今度は詠太が眠れぬ夜を過ごすことになったのだった。