第四話 詠太、オトコの矜持 4
決闘当日。
勝負の場所として指定された西の広場は、両チームのメンバーに加えてハインツ、キリエ、それと噂を聞きつけた多数の人々でごった返していた。
「すげえ人だな……」
「何言ってんの、アンタ主役じゃない。しっかりしてよ」
周囲を見渡して面食らっている詠太に、リリアナが発破をかける。
そう、これからここで――あの大男と、俺が……決闘……
「うおぉ、何だか緊張してきた」
詠太は身震いをして天を仰ぐ。
「主殿。これまでの修練で積み重ねてきたことを忘れなければ大丈夫だ」
「ああ……ありがとうマリア」
広場の反対側ではイワンの陣営が酒を片手に談笑している様子が見える。
その中に、居心地が悪そうにぽつんと座る例の女性。
俺は――負ける訳にはいかない。
詠太は、まるでお祭りか何かのように盛り上がるズヴェズダのメンバーたちを、ただじっと見つめ続けるのだった。
「それでは両者、前へ!」
いよいよ決闘開始の時刻。詠太とイワンは広場の中央で対峙し、ハインツによる開始の宣言を待つばかりとなっていた。
この時に至ってもイワンの表情に緊張感は無く、余裕に満ち溢れている。自分が詠太に敗北を喫するなどということは、万が一にも無いと踏んでいるのだろう。
酒場での会話の内容によるとズヴェズダの討伐隊ランクは黒鉄 《アイアン》。最低ランクの黄銅 《ブラス》からすると確かに格上ではあるが、そう離れてもいない。
詠太の実力が実際のランク以上のものであるというマリアの言葉を信じるならば、逆転できない差ではない、はずだ。
「いざ尋常に――勝負!!」
勝負の開始が告げられると同時に、イワンが猛然と詠太に斬りかかった。
「行くぞオラァァァアアアアッッッ!!」
ブンッ!!
咄嗟に後ろへ飛び退いたものの、イワンの剣は詠太の鼻先をかすめた。
僅かに傷を受けたのであろう。鼻の頭に血のにじむ感覚がある。
マ……マジかよ――!
今回は古式に則った正式な決闘ではあるが、武器は模造刀を使用している。
だが、模造刀とは言っても刃がついていないだけで実物同様の形態、質量を持った金属であり、当たればそれなりのダメージを受ける。
それはもちろん詠太も承知の上ではあったのだが、しかし、この剣圧――とても怪我ぐらいでは済みそうもない。
「ほらボーッとしてんじゃねえぞっ!」
「うわわっ!」
イワンが打つ。詠太が避ける。また打つ。避ける。
この繰り返しで時間だけが経過していく。
「なんだぁ? あの兄ちゃん、避けてばっかじゃねえか」
「オラー! もっと打ち合えー!!」
進展のない戦いに、観衆からヤジも飛び始めた。しかし――
「主殿の目は――死んではいない」
詠太の成長をそのすぐ側で見てきたマリアの見解は違った。
そして、その視線の先では詠太の方もまた、マリアとの特訓を思い返していたのだった。
「あーもう! 何で当たんないんだよーーーー!!」
夕暮れのルメルシュ城塞。打てども打てどもマリアに剣が届かず、詠太は半ばやけ気味に叫ぶ。
「主殿の攻撃は正直過ぎるのだ。呼吸、視線、筋肉の動き……それらを観察していれば、どのタイミングでどこへ攻撃が来るのか、容易く予想がつく」
「そんな事言われても――」
「――うむ。それを相手に悟られないようにとは言っても、もちろん一朝一夕で成し得る事ではない。なのでまず、主殿は相手の行動を読めるようになるところからだな」
マリアが詠太のもとへ歩み寄る。
「呼吸のタイミングや視線はわざと外すことで相手を欺くこともできる。しかし、筋肉の動きだけは――これから行う動作について嘘はつけない」
「……そういうもんかねえ」
「いいか、主殿。見るべきはここの筋肉だ。……ああ、申し訳ない、甲冑がついていてはよく分からんな。どれ」
そう言うとマリアは詠太の眼前で躊躇うことなく装備を外していく。
それはあまりにテキパキと、あまりに手際よく――あれよあれよという間に、マリアの上半身は黒いタンクトップのインナーを残すのみとなった。
「いやその、まま、マリアさん……?」
「相手の攻撃が剣などの得物を用いたものの場合、まず予備動作としてこの指屈筋と指伸筋あたりに変化が現れる。持ち手を握りなおす、力を込めるなどの動作だな。そして、実際に武器を振るうにあたって上腕二頭筋から三角筋、大胸筋にかけて筋肉の収縮は伝播していく」
ほんのさっきまで詠太と打ち合いをしていたからであろう。マリアの肌はしっとりと汗ばんで艶やかな輝きを放ち、説明に合わせて伸縮する筋肉の動きがやたらとなまめかしく見える。
――うわわっ! 倫理的にあまり凝視したらマズいんだろうけど、かといって目を逸らすこともできない! ああこれどうしたら……幸せだけどいたたまれない!!
もはや説明など半分も耳に入っていない状態の詠太。しかしそんなことはお構いなしにマリアのレクチャーは続く。
「大胸筋に関しては特にここのあたり、鎖骨の下から腋にかけての――」
そう言いながら、マリアはついに自らのタンクトップに手を掛け、引き下げて見せる。
み、見え――!!
見え――はしなかった。しなかったのだが、目の前に展開するあまりに際どい光景に、先程から悲鳴を上げっぱなしの詠太の理性はついに瓦解の瞬間を迎えた。
「――この部分だ。ほら、動いているのがわかるだろう?」
「は……はいぃ」
「ん? どうしたのだ、主殿」
空気が抜けた風船のようにへたり込む詠太を、マリアは不思議そうに見つめるのだった。
――そんな事もあったっけな……
打つ。避ける。
闘場となる広場の中心では相変わらずの展開を繰り返しながらも、詠太の思考は次第にクリアになりつつあった。
こいつ……力だけの脳筋キャラじゃない。剣撃には速さもあり、そこに正確さも兼ね備えてる。でも――こいつの攻撃は『正直』だ。
イワンの攻撃を避ける度に手ごたえを感じる。詠太の心に余裕が生まれ始める。
次はこう来るだろ。剣筋は――こうだ。……ほらやっぱり!
これなら……いける――!!
「ッラァ!」
「!?」
詠太が避けた、その直後。
攻撃が当たらない事に業を煮やしたイワンが、詠太の足を踏みつけて動きを止める。
そしてそのまま、イワンの右拳が詠太の顔面に叩きつけられた。
「がっ!」
「チョロチョロ逃げ回るんじゃねえ!! クソが!」
剣の柄でこめかみ部分を強打され、受けた傷から血が流れ出す。
こんなんもアリなのかよ――!
ちらと伺ったハインツの表情に変化はない。
問題なし、続行……ってか。気を抜いたらダメだ。冷静に、冷静に……
剣を構え直し、再びイワンと対峙する詠太。
慎重に間合いを取りながら相手の様子を観察し、攻撃の来るタイミングを計る。
イワンの筋肉が動いた。予備動作だ。
――いいぜ、剣筋はバレバレなんだ。望み通り受けてやろうじゃないか。
ガキィィィン!
「うぉっ!」
重い攻撃だ。
受け止めた衝撃が、剣から腕を通して足先にまで駆け抜ける。
さらにイワンはそのまま力を込め、押し斬りにかかった。
徐々に押される詠太。力比べではやはり分が悪い。ここでとるべき戦法は――相手の体重、勢いを利用すること。そう、マリアがレッドファルコン相手に見せた、あの体捌きだ。
詠太は飛び退き、鍔迫り合いから離脱する。次の瞬間、追撃を狙ったイワンが大きく振りかぶった。
――ここだ!
詠太は素早く一歩踏み出し、相手の懐へ潜りこんだ。
キンッ!
見よう見まねの付け焼き刃。マリアのそれと比べて、踏み込みのタイミングが甘かったかも知れない。動作にも余裕がなく不格好であったかも知れない。
しかしそれでも、詠太は見事イワンの剣を捌き、弾き飛ばすことに成功した。
「う……うおおおおおおおおおーーーーーー!!!!!」
バランスを失ってよろけたイワンに、詠太が斬りかかる。
「そこまで!!」
響き渡るハインツの鋭い声。そして訪れる静寂。
「ひ……ひっ……!!」
詠太の剣はイワンの眼前わずかのところで静止していた。
一瞬の後。沸き上がった歓声が周囲を包み込む。
「えっ? えっ?……オレ勝っ……?」
極度の興奮状態から解放され、その場に呆然と立ちすくむ詠太。その腕をハインツが掴み、高々と上げる。
「勝者、秋月――」
「ま、待て待て待てーーーー!!」
ハインツによる勝者宣言を阻むように、突如イワンが声を上げる。
「今のは作戦だ! わざと隙を作って相手に打ち込ませる為のな! 途中で止められなければ俺は――!!」
「往生際が悪いぞー!」
「素直に負けを認めやがれ!」
次々に浴びせられる野次にさらされながら、イワンは顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。
「うるせー!! オメーらに何が分かるってんだよ!! 高等戦術だボケがあッ!」
「……オイ」
イワンの背後からハインツが近づく。ハインツはイワンの襟首を掴むと、その巨体を腕一本で軽々と持ち上げた。
「……は?」
両足を浮かせた状態で恐る恐る振り向くイワンに、ハインツは顔を寄せ低い声で言い放つ。
「これだけの民衆の前で、しかも正式な決闘を行っておいて、それは無いんじゃないか?」
そこまで言うとハインツはイワンを乱暴に投げ捨てた。固い石畳の上に尻餅をつき苦痛の声を漏らすイワンを見下ろしながら、ハインツが言葉を続ける。
「俺はあくまで中立の立場として、勝敗が決したと見たから試合を止めた。その結果を不当に覆そうって言うんなら、ゴールドプレートのノーザンライツリーダーとしてはちょっと見逃せないな」
「あ……! そのバッジ……っ!?」
ハインツの胸でまばゆい輝きを放つ金色のバッジ。言葉を失い呆然自失のイワンの前に、キリエが進み出る。
「ゴールドランクの討伐隊は正規軍兵士以上の権限を持ち、国の治安と民の安寧のためにこのような場を独断で収めることも許されている――ご存知ですよね?」
「あ……あ……」
進退窮まり完全に詰みの状況。ついにイワンは観念し、がっくりと頭を垂れるのだった。
「――では改めて。勝者、秋月詠太!!」
ハインツによって正式に詠太の勝利が宣言されると、広場に再び大きな歓声が沸き起こった。
「約束だ。彼女との契約を解いてもらうぞ」
詠太はその場でイワンに召喚解除の儀式を行わせ、グリモワールを受け取る。
「それと、彼女のお姉さんだ」
「……知らねえ、俺は何も知らねえ! 売人に渡してから先はどうなってるか分からねえし、下手に探れば俺たちの身が危険なんだ!」
詠太の問いに、イワンは目をつぶり首を横に振る。その口調は心なしか怯えているようだ。詠太の後ろで睨みを利かせていたハインツが身を乗り出す。
「……知ってる事は全て話した方が身のためだと思うがなぁ。それとも『今』、その身を危険にさらしてみるか?」
「ひっ! いや……あの、噂じゃ……バックに大きな組織があって、みんなセレニアに売り飛ばされてるって話だ……です」
詠太とハインツは互いに顔を見合わせる。
「セレニア……か。よし、こっちでも少し調査してみよう」
「ありがとう、ハインツ」
この後――討伐隊ズヴェズダはノーザンライツにより人身売買の罪でお縄となった。
イワン、そしてズヴェズダはこれまで数々の嫌疑によってマークしていた対象だったとの事で、ハインツは実に上機嫌で去って行ったのだった。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
改めて礼を言う女性。
「あのっ、私はメロウといいますっ! メロウ・スティアニーです」
「俺は秋月詠太。あの……お姉さんのことは……」
「大丈夫。姉は生きています。人魚の種族はお互いに通じ合っていますので……分かるんです」
以前詠太がメリッサの危機を察知したように、また、ヴィムルの山中でマリアの気配を感じたように、人魚は同種族間で互いを感じ取れる感覚があるということらしい。
ただ、サマナーとエンティティのそれとは違って、感情の起伏や現在位置などまでは分からないようだった。
「大丈夫。大丈夫です。生きていてさえくれれば、いつか……」
まるで自分自身に言い聞かせるように呟くメロウ。
ズヴェズダに加入させられていた約一年の期間を経て、彼女の姉探しは今ようやくスタートラインに立ったようなものだ。
かろうじて姉が現在も生きている事だけは保証されているが、その居場所がセレニアであるという可能性も出てきた今、今後の事を思うと不安に押し潰されそうな心境だろう。
自分も出来る限りの力添えはしてやりたい。いやさせて欲しい。詠太は心の底からそう思った。
「あのさ。これからも何かあれば遠慮なく――」
「あのっ! もしよろしければ、なんですが……」
詠太の言葉をメロウが遮る。
「――私をあなたのエンティティにしていただけませんかっ?」
「えぇっ!?」
イワンとの契約を解除し、晴れて自由の身になったばかりのメロウの口から意外な言葉が飛び出したことに、詠太は驚きを隠せなかった。
「私にはもう戻るべき場所がありません。ならばせめて、助けて頂いた恩返しとしてあなたのお役に立ちたいんです! 勝手なお願いですみませんすみませんっ!!」
「でっ、でもお姉さん……探さなくちゃだろ?」
「それはそうなのですが……でも……」
「助けたって言っても俺が勝手にやったことだし、お礼とか別にいいって」
「しかしそれではっ! 私の気が収まりません!」
「うーん……」
自己犠牲というのか、無私というのか――
メロウの申し出に当惑する詠太。その気持ちはもちろん嬉しいのだが、それにより彼女の姉探しに支障が出てしまうのは詠太としても本意ではない。
――このままじゃ平行線の押し問答だな。何かいい方法は……
一考の後、詠太の顔に明るさが戻る。
「あ……! じゃあさ、俺と召喚契約を結んだ上で暁ノ銀翼に入隊する、ってのはどうだ? お姉さんがもし本当にセレニアにいるんなら、メロウ一人で国境を超えることはほぼ不可能だ。でも討伐隊としてだったら、任務でセレニア領内に入る事もあるよな?」
「主殿としてはいいアイデアだな」
「ご主人としちゃいいアイデアにゃ!」
マリアとメリッサがほぼ同時に声を上げる。詠太の優秀なエンティティたちは見た目も性格も全く違うというのに、妙なところでシンクロしているようだ。
「ということで、どうだろう。リリアナ」
リーダーであるリリアナの表情を伺う詠太。
「大歓迎よ。決まってるじゃない」
詠太からの申し出に即答するリリアナ。こういう時の彼女は全く頼りになるリーダー様なのである。
かくして、暁ノ銀翼は予期せぬ増員を果たすこととなった。
メロウの種族が人魚であることから召喚契約にあたり許可申請を行う必要があったが、特に問題もなく許可が下り、メロウは晴れて詠太のエンティティとなったのだった。
「いただきまーす!」
「皆さんのお口に合うか分かりませんが……すみませんっ!」
夕食時の銀星館。今日はメロウの隊員登録が無事済んだことを祝しての歓迎会である。
本来ならばメロウは歓迎を受ける側なのであるが、本人たっての希望で自ら腕を振るうこととなり、テーブルの上には豪華海鮮メニューがずらりと並んだ。
「おお! うまいなこれ!」
「うむ、これは……うむ」
「うみゃあ!! みゃああああっ!!!!」
「メリッサ……完全に野生に還ってるわね」
四者四様、メロウお手製の料理を堪能する一同。
色鮮やかな魚を頬張りながら、ふと詠太が呟く。
「ところであの時……俺がイワンに負けたらどうするつもりだったんだ?」
何とはなしに出たこの問いかけに、リリアナ、メリッサ、マリアの三人が答える。
「そんなの……ねえ?」
「にゃっ♪」
「決まっているではないか! 成敗だ」
あ……
何というか――コイツら絶対敵には回したくない。
「討伐隊同士で揉めたら問題だけど、一旦あっちに加入しちゃえばあとは内部のゴタゴタ。どうとでもなるわよ」
「……なるほど! 確かにそうです!」
リリアナの言葉にメロウが賛同する。
「でしょー? ああいうヤツらはねえ、一回とっちめてやんないと分かんないのよ!」
「あの中で、よくぞ一年も我慢したものだ」
「もっともっと、自由に生きなきゃ勿体にゃいのにゃ!」
「はいっ、はいっ!!」
――メロウさん……そっちには染まらないで……
とめどなく盛り上がるメンバーたちの会話を聞きながら、詠太は今から心痛に悩まされる思いなのであった。