4 甘い匂い
車で十分ほど行った場所に、ショッピングセンターはあった。
その周辺には、どこか懐かしいレトロ調のカフェや、少しひび割れた赤青白のサインポールが店の前に置かれている床屋などがある。寂れたほどではないが、古臭い印象は否めなかった。寅之助曰く、買い物は大体ここで済ますことが出来るらしい。ここから少し離れた場所には、ホームセンターとカラオケもあるという。
ど田舎だと思っていたが、最低限の生活必需品は揃えられると聞いて正直安心した。
「寅之助くん、この子が新しい子?」
精肉売り場のおばちゃんが、寅之助ににこやかに話しかける。
「杉田さん、こんにちは。花坂咲さんです」
寅之助に紹介され、慌てて杉田さんに向かって会釈をした。
「いやあ、こげな綺麗な子が来てくれて嬉しいわなあ」
「あは、あはは」
こういうのは、一体どう返すべきなのか。正解が分からず、ただ引きつった笑いを返す。
「寅之助くん、ええ肉入ったから後で寄って」
「本当ですか! じゃあ杉田さんまた後で!」
「はあい、またねえ」
寅之助は、初めは暗そうな人だなと思ったが、町の人に声を掛けられるとにこやかに会話をしている。それで、ああこの人は私に対し緊張していただけなのかもしれない、と気付いた。相変わらず横顔からも顔の全体像が窺えないが、鼻筋は通っているし顎のラインもスッとしていて今時の若者みたいだ。もしかして年下だろうか、思ったよりも肌ツヤもいい。途端、自分の肌年齢が俄然気になりだした。
向こう数日の食材と保存食を大量に買い込み、荷物を荷台に載せた後は、再び新居へと向かう。
「水も空気も美味しいから、米も野菜も美味しいですよ」
帰りの軽トラで、寅之助が最初よりもリラックスした状態で笑いかけた。
「う、うん……」
「咲さん? どうしました?」
「いえ、何でもありません……」
嘘だ。大ありだった。軽トラの座席は、狭い。夏だからと窓を閉めエアコンを入れたその空間は涼しくていいのだが、問題はその匂いにあった。
臭くはない。逆に物凄くいい匂いが車内に満ちていた。これは、寅之助に出会ってから近付くとしたあの甘い石鹸であり石鹸でない様な匂いだ。滅茶苦茶いい香りで、クラクラしてきていた。
「ま、窓開けてもいいですか……」
辛うじてそう尋ねると、「寒かったですか! すみません!」と寅之助が慌てて窓を開けてくれた。ブワッと車内に暑い空気が入り込み、一応妙齢の女子として持っているべき理性が吹っ飛ぶ寸前で正気に戻ることが出来た。
しかし、これは一体何の匂いか。これまで数人の男性とお付き合いをしたことはあったが、これほどまでにいい香りを放つ男性には一度も出会ったことがない。大抵の男は、私に興味を示し始めると、少しずつ汗っぽいというかワキガっぽいというか、ちょっと臭めの匂いを発してくる様になった。それが何なのかはよく分からないが、私のことが好きになると相手の体温が上昇し、それで汗をかいてるんじゃないかとか色々考えてみたが、正解は不明のままだ。
これまで、そこそこもてた方だと思う。だが、大抵寄ってくるのはギラギラした目をした奴ばかりで、どちらかと言うとわんこ系男子が好みの私にしてみれば、ガツガツしたのはあまり食指が動かない。
つらつらとそんなことを考えていたが、ちょっと待て、と心の中で立ち止まる。何故に私は先程から恋愛系の思考ばかりを繰り返しているのか。
恐らくは、この匂いの所為だ。ふうー、と大きく外の空気を吸って肺の中を入れ替えると、話題を変えようと試みる。
「寅之助さんはご結婚なさってるんですか?」
いやちょっと待て。話題がどうしてそっちになる。思わず笑いそうになったが、必死で抑えた。
寅之助が、片手を離して頭をボリボリと掻く。
「いやいや、独身で彼女もいませんよ! この町には若い女性もあまりいませんし、いても皆若い内から結婚しててフリーな人はおばあちゃん達だけで」
「あはは、さっきも大人気でしたもんね」
そして沈黙が場を支配する。話題だ。何かもっとピンクじゃない話題を探すのだ。
「あっ――仕事なんですけど」
「あ、それなんですが、幾つか募集が来てまして」
ようやく軌道修正出来てほっとしていたところ、寅之助がとりあえず見える範囲では形のいい口をほんのり上げながら、言った。
「今日は片付けもあるでしょうから、僕の仕事が終わったら杉田さんからお肉を買った後に募集内容の詳細を持ってお伺いしますよ」
「え? いや、でも、何から何まで……」
考えてみれば、寅之助はただの町役場の担当に過ぎない。いくら隣家と言えど、何から何までお世話になっては申し訳ない気持ちもあった。
「咲さん」
思ったよりもはっきりと名を呼ばれ、思わず寅之助を凝視する。
「は、はい!」
「僕の家で、咲さんの歓迎会をしていいですか?」
さっき出会ったばかりの男の家で、歓迎会。普通に考えたら、ありえない。だが。
ふわ、とまた漂うあの香りに、思わずこくりと頷いてしまったのだった。