第八話 ミイヒの正体
そんなことを考えたり、事業に向けて準備を進めていると、あっという間に次の水曜日になった。
俺は、彼女にも是非「プリン」を食べてみてもらおうと、荷台の隅にプリンを置いた。孫さんの時にそうしたように、タライには色とりどりの紫陽花と氷を浮かべた。
(今回は、プレゼントつきかぁ。)
行きしに歩きながらそう思うと、今まで女の子に対してそんなことをしたことがなかった俺は、それだけでなんだか照れくさかった。
しかも、タライには花まで入れて…。
まるでデート前に花屋でバラの花束買っていくキザ男かよ!愛の告白かよ!と一人ツッコミをしながら川べりに向かった。
俺は平静を装いつつ彼女を待った。するとしばらくして、いつもの、
「アツシ!」
と言いながら弾ける笑顔で手を振り、こちらに向かってくる彼女が見えた。
(今日もかわいい!!!)
俺の平静は早くも崩れ去った。
彼女が俺の至近距離まで近づいたところで、
「一週間ぶりだね。」
と俺は静かめに言った。前回恰好をつけて笑われてしまったので、今回は慎重に言葉を選んで。
しかし、そんな彼女の反応は、俺の斜め上をいくものだった。
「1週間ぶりだね!会いたかったよー!…アツシは?」
屈託なくそう言って彼女は俺を見つめた。そんな彼女の「会いたかった」という言葉だけが脳内をリフレインして、俺は何て返答すればいいかわからなかった。
「えと、その…。」
(いや、俺そもそも毎回慌てすぎだろー!)
モジモジと頭を掻きながら、心の中で俺は毎度毎度気の利いたことの一つも言えない自分のふがいなさに内心腹を立てた。
「そ!そうだ!」
と、俺は無理やり話題を変えた。
「実はキミに食べてもらいたい物があって今日持ってきたんだけど食べてみてくれる?」
「え、ホント?…んーーーーー、どうしよっかなぁ。本当に食べてもらいたい?」
彼女は上目遣いになって俺に聞いた。
「もっもちろん!朝からキミのために作ってきた自信作なんだ!」
まさかの拒否!?と思った俺は、ちょっと前のめり気味に勧めた。
「じゃあねぇーーーー。」
次第に彼女の目が、いたずらっ子のように変わっていくのがわかった。
「ミイヒのために作ってきたって言い直して?」
「えぇ!?」
俺は生まれてこのかた、女の子から「アツシ」なんて呼び捨てにされたこともなければ、まして、女の子を呼び捨てにしたことなんて一度もなかった。だから、俺にとって彼女を名前で呼ぶことは、結構ハードルの高いミッションだった。
「ダメ?なんかこの前から私ばっかり名前で呼んでる気がするんだもん…。」
と、彼女は俺の隣で口をとがらせた。確かに、それはそうだったし、前回会った時に
「次は、名前で呼んでね。」
と言われたことを忘れていたわけではなかった。
しかも、今回は俺が勝手に呼び捨てにするわけではなく、彼女からのリクエストというか、了承済みの話しだ。
(さん付けとか、ちゃん付けとかではどうかな…。)
俺は、心の中で早くも逃げ道を考えた。
だけど、彼女は俺の事を既に呼び捨てにしているわけで、ここで同じ土俵に立たないのは男として卑怯ではないか?…とかなんとか、俺はたかだか名前ひとつでアレコレ理論武装を始めた。だけど、いつまでも戸惑っている訳にもいかないので、
「ミ!ミイヒ!」
俺は、結構な勇気を振り絞って声にだしてみた。
「ミイヒ!俺、ミイヒのために、プリンを作ってきたんだけど食べてくれ!」
言い終わった時には、何だかドッと緊張が解け、むしろすがすがしい心持ちだった。
ミイヒの反応はというと…、自分から名前で呼べーなんて言ってた割には、眼を丸くして俺を見つめ、妙に顔を赤らめるから何だかつられてこっちまで赤面した。
「私、誰かにそんなふうに呼ばれるの、生まれて初めて。なんだか思ってたよりもくすぐったいね。」
ミイヒはリアル天使の顔で笑った。
それから俺はタライに入った(紫陽花で飾り付けした)プリンを見せた。
プリンの説明を終えると、
「アツシありがとう。いただきまーす!」
と言ってミイヒはツルリとプリンを口に運んだ。
その時のミイヒの表情といったら、天使がますます輝きを増すかのようで、感想を聞くまでもなく喜んでもらえているのを感じた。
「何これ!おいしいっ!食べたことのない味っ!」
口元を手で押さえながら彼女は言った。
「すごいねっ!こんなのが作れるなんて、アツシは料理人なの?」
「ハハッ、いやぁ、まさか。俺のは単なる趣味の領域だよ。でも、これからはこのプリンで、この前話したチンさん夫婦や孫さんの役に少しでもなればいいなと思ってるんだ。」
「へー!趣味の領域って、こんなの私今まで食べたこともないよ!アツシの生まれ故郷ではこんなにおいしい物が普通に売られているの?」
「あ、あぁ、うん!そう!」
ヤベと思いつつ、俺はその場を取り繕った。
「そっかー、そうなんだー、山奥から引っ越してきたって言ってたから、私てっきりかなり田舎の人だと勝手に思ってた!ゴメンネ!」
と言って彼女はカラコロと笑った。
(俺が2020年の大都会東京から来たって言ったらびっくりするだろうなぁ。)と一瞬思ったけれど、今更そんなことは言えなかった。
「ところでさー、もう1個あるけど食べないの?」
と、ミイヒは手に持っていたプリンを食べ終わり、もう一つのプリンを見つめながら俺に聞いてきた。タライの中には元々2個入れていた。
「俺は、いつでも作って食べられるから、これは2個ともミイヒのために持ってきたんだよ。よかったら食べて?」
と俺が言うと、ミイヒの顔がパッと華やいだ。
「え?いいの!?」
と言うや否や、タライに入っている2個目のプリンに手を伸ばした。
(女の子って、やっぱスイーツ好きだよなぁ。)
と思いながらミイヒを見ていると、彼女はそのプリンをひとさじすくって、
「ハイ、よかったら一口どうぞ!」
と、俺に勧めた。
(それって、俗にいう、お口あーんでは!?)
しばらく落ち着いていた心拍数が、また一気にグーンと上昇した。
ミイヒは、あどけなさの残る屈託ない表情で俺を見てニッコリとした。
ヨコシマな事ばかり考えてしまう自分が恥ずかしく、間違ってもそんなことを悟られたくなかった俺は、平静を装いつつそれを受け入れ、プリンに口を近づけた。
「おいしいね?」
と、ミイヒはパッチリとした瞳で俺を見つめながら聞いてきたが、正直味なんてわからなかった。
プリンを食べ終え、まだ少しはゆっくりできそうだったので、
「前回、俺自分の話ばっかりしてしまったし、今日はミイヒのこと教えてよ。」
と言ってみた。
今日のミイヒは高価そうな銀色の髪飾りと、ピンク色に所々花の模様が刺繍された衣装を着用しており、やはりどこから見ても普通の街の人には見えなかった。
少しの沈黙の後、
「いいよ!じゃあねぇー、アツシが当ててみて?私はどこの人でしょー?」
と、ミイヒが笑顔で言った。
「うーーーん、俺が思うには、ここは王宮の近くだし…。」
ミイヒの顔がピクッとひきつったようにも見えた。俺はやはり!と確信しつつ、
「ミイヒは王宮の侍女さん、の娘さん!しかも結構いいとこの!」
と自信たっぷりに当てにいった。ミイヒはしばし沈黙した後、
「すごい!なんでわかったの!?大当たりっ!」
と言った。
初めて会った時からなんとなくわかってたさぁ、と俺はドヤ顔で伝え、
「そんな身分の高いお嬢さんがこんな場所に一人で出かけていいの?」
と聞いた。
「午後のこの時間は読書の時間って決めてあるから、誰も私が城を抜け出して外に出てるなんて思ってないよ。」
と彼女は言いながら、笑って舌を出した。
その後もなんだかんだ楽しい会話が続き、夕方になる前に俺たちは別れを告げた。
「また来週もミイヒに会いにここに来るから。」
と俺が別れ際に伝えると、
「私もアツシに会いにここに来るねっ!」
とミイヒは手を振りながら満面の笑顔で言った。
「いやいやいやいや。俺、ワンチャン、結構イケメン男子じゃね?最後の方、結構いい感じにリードしてたんじゃね?」
赤く染まった夕日を見ながらの帰り道、そんな事を考えながら、俺はニヤニヤが止まらず、今日のデートは100点満点中95点!なんて、勝手にデートってことにして採点までしたりした。
正直言って、初めて会った時から完全に一目惚れだった。だけど、俺がミイヒに夢中になったのは、彼女の持つ生まれ持ったビジュアルの魅力だけではない。
ミイヒの、仕草、言葉、その時その時の表情。そのどれを取っても、散りばめられた一コマ一コマが俺の心をギュッと鷲掴みにした。
それまで、人を好きになるということがイマイチよくわかっていなかったけれど、
「これが恋ってやつかぁ!!」
と、俺はベタな青春ドラマのように夕日に向かって叫んだ。