第四話 ぴーちゃん下
次の日からというもの、俺はぴーちゃんが殺されてしまうのは、今日だろうか明日だろうかと不安な気持ちで胸がいっぱいだった。レイさんが声をかけてくると、とりあえず返事はするものの、もう以前のようには振る舞えなかった。シーさんに対しては、シーさんが悪いわけでもないのに、心の中で一方的に悪者にして明らかに避ける態度を取ってしまった。
ぴーちゃんはいよいよ大きくなりパッと見た感じでは普通のニワトリと遜色ない大きさになった。それでも、俺が庭に顔を出すと必ず嬉しそうに俺の方に近づいてきた。
今日は王宮に週一回の使いに行く日だった。いつもなら俺はその帰り道に川べりで道草をするのだが、その日はどうにも胸騒ぎがしてどこにも寄り道せず足早に家に帰った。
家に着くと荷物も置かず俺は裏庭に急いだ。
「…ドサッ。」
次の瞬間、俺は手に持っていた荷物を思わず落とした。ぴーちゃんがいない。俺を見つけては駆け寄ってくるぴーちゃんが…、どこにも…いない。
俺が留守の間を見計らってぴーちゃんを殺したんだ!
そう確信すると、ワナワナと肩が震え、俺は裏庭から家へ続く襖をバン!!と力いっぱいあけた。
怒りと憎しみで頭が沸騰しそうだ。俺は震えるこぶしを握りながら、
「シーさん!!」
と叫んだ。シーさんがこちらを見る。思えばシーさんとこうやって目を合わせるのは幾日ぶりだろう。
「ぴーちゃんをっ!ニワトリをっ!…。」
殺したんだね!?と、俺は最後まで言葉にすることもできず、
「うっうっうっ…。」
と、膝から床に崩れ落ちた。涙がもう止まらなかった。次から次へと目からは涙が溢れ嗚咽を漏らした。
「…アツシ、ちょっと裏庭に来い。」
と、シーさんが静かに俺の肩を叩いた。促されて俺はやっとのことで立ち上がりシーさんの後をついてトボトボと裏庭に行った。
(許さない、シーさんを俺は絶対に一生許さない!)そんなことを思いながら歩いていくと、
「あのニワトリは他所にやったとよ。」
裏庭につくなりシーさんが振り返りざまに俺を見つめて言った。
「やった?やったってどういうことだよっ!」
俺はつい語気を荒げた。そんな俺を見てシーさんは落ち着けと言いながら続けた。
「うちではこれ以上ニワトリを飼うつもりはなか。ほじゃけんど、近所の孫さんの家がちょうど雄鶏を欲しがっちょったけえ、孫さん家にやったとよ。これからは孫さん家で立派に種雄として役目を果たしてくれたらそれでよか。」
思ってもみなかった光の差し込む展開に俺は目を見張って言った。
「え…、ってことは…ぴーちゃんは…。」
そして、更にシーさんは続けた。
「最近のアツシの様子を見てたら、自分の子供の頃を思い出すからあのニワトリを殺すのは勘弁してくれっちレイが毎晩俺に向かって泣くとよ。俺はレイに泣かれるのだけは敵わねえんだからよ。」
聞けば、レイさんにも俺と同じような過去があるらしく、可愛がっていたヒヨコがニワトリに成長したところで、ある日の夕食「水炊き」になって出されたそうだ。レイさんはそれがトラウマで今もニワトリは食べれなくなったらしい。
「なあアツシ。俺にとってはヒヨコもニワトリもこういっちゃあ何だかただの家畜だ。家畜は食べるもんだ。だから正直アツシの気持ちもレイの気持ちも俺にはよくわからん。だけど、レイのためにウチではこれ以上ニワトリは増やさず卵だけ回収することに決めてるんだ。アツシ。そもそもお前にニワトリの世話は任せてるんだから、男なら言われた役目は今度からしっかり果たせよ。」
そう言ってシーさんは俺の肩を強めに叩いた。
俺は、事の展開に上手くついていけず、でもどうやらぴーちゃんは殺されずにすんだらしいので、またもや膝から崩れ落ちた。
「シーさん、すみません。俺ずっとシーさんに対して態度最悪で。許してください。すみません。すみません。」
感情が、それまでの怒りから安堵へと大きく変わり、それはそれでどうしても涙が止められなかった。
ガハハ!とシーさんはいつもの調子で笑いながら
「男がそげん簡単に泣くメソメソ泣くもんじゃなか!」
と言った。
シーさんすみません。レイさん、辛いことを思い出させてしまいすみません。本当に…ありがとう。
俺は、心の中で何度も何度も謝罪と感謝を繰り返し、居てもたってもいられず家を飛び出し、孫さんの家に急いだ。ぴーちゃんの無事をこの目で確かめたかった。
薄暗くなる前に孫さんの家についた。人づてに場所を聞きながら探したので近所といっても30分は迷ってしまった。辿り着くと、敷地は大きなお屋敷だが、どう見ても手入れが行き届いておらずいささか不安になった。庭に回ると竹でできた柵もところどころ朽ちており、竹をしばっている麻紐もほつれたりほどけそうになったりしていた。
「コッコッコッコッ」
敷地が広いので、ウチの何倍ものニワトリが放し飼いにされ餌箱から餌をついばんでいた。肩を並べて一斉に餌を食べているので頭上から見ただけではどれがぴーちゃんかわからず
「ぴーちゃん。」
と俺はそっと声を出してみた。すると、周囲のニワトリに比べると少しばかり小さめのニワトリがピクッと反応し、食べるのを止めて俺を見つめこちらの方へ向かってきた。
「コッコッコッコッ」
近づいてきたのはまさしくぴーちゃんだった。俺の右足左足に顔を近づけてはクリクリとした目で俺を見上げた。
俺は、ぴーちゃんが生きていたこと、今現在無事でいること、泣いていただけで何の力にもなれなかったこと、安堵や無力さ、いろんな感情が胸を交差し、腰をかがめて硬くなった羽毛のぴーちゃんをなでた。
「ぴーちゃん、よかったな。ごめんよ。守ってやれなくてごめんよ。ぴーちゃん。」
俺はこの数日でどれくらいの涙を流しているんだろう。大粒の涙がまたもやぴーちゃんの羽毛に落ちた。ぴーちゃんはしばらく俺を見つめていたがやがて踵を返して餌場に戻っていった。俺は、壊れかけの竹柵にしがみつきながら繰り返し繰り返し涙を拭った。
そんな時だ。
「もしや、お前さんはアツシかのお?」
屋敷の中から長いヒゲをたくわえた初老の老人が杖をつきながらこちらへ近づいてきた。孫さんだった。俺は慌てて涙を着物で拭い、
「は、はい!アツシです。この度は僕のニワトリを引き取っていただいてすみませんでした。本当にありがとうございました!」
そう言って深々と頭を下げた。
孫さんは、ふぉっふぉっと笑い声をたてて
「なーに。シーがわしに頭を下げに来るのは珍しいからのお。このところ雄鶏が欲しいと思いよったし、ちょうどよかったわい。」
と言った。
「あ、あの、こんなこと図々しいお願いだってことはわかっているんですが、ウチのニワトリを殺さずにこれからも生かしてやってくださいますか?」
と尋ねた。孫さんは
「もちろん、そのつもりじゃ。うちで大事に引き取らせてもろたからの。」
と笑った。俺は心の底から安堵し深いため息をついた。孫さんは目を細めてそんな俺を見ていたが、
「あの夫婦には子供がおらんでの。」
と、ふいに言った。
「あの夫婦には子供がおらんでのお。もう年の頃は40近いはずじゃ。今更子どもには恵まれんじゃろうと諦めとったところに、ある日お前さんが住み込みで働きたいと来て、一緒に暮らすうちにお前さんのことが本当の自分の息子みたいに思えてきたいうてシーが言うとったぞ。」
眼を細めながら孫さんはそう言ってふぉっふぉっと笑った。
孫さんに幾度も感謝を伝えて帰る帰り道、俺はシーさん達が俺のことをそんな風に思ってくれていたこと、それなのに俺は一方的に逆恨みして、この数日というもの夫婦に対して子どもじみた八つ当たりを繰り返していたことを心の底から後悔して反省した。俺がそんなことをしている間に、レイさんはシーさんを説得し、シーさんはニワトリの引き取り手を探し回ってくれていたんだ…。
すっかり日も暮れて家に帰り着くと、
「おかえり、アツシ。」
と、レイさんはニッコリ笑って温かい中国茶を出してくれた。
俺は、自分で自分が恥ずかしかった。本当はもっと素直にならないといけないのに、赤面してうつむき
「レイさん、ありがとう。」
と言うのが精一杯だった。
ぴーちゃんの運命は最後まで悩みました。もしかしたら水炊きの具になっていたかも