第三話 ぴーちゃん上
次の日の朝、俺はいつものように薄暗い中卵を拾っていた。すると、時折闇夜に紛れて
「コツコツコツ、コツコツコツ」
と小さな音が聞こえることに気づいた。
「なんだろう。」
音の聞こえてくる方向に進んでみると、その音は次第に大きくなっていった。
「コツコツコツ、コツコツコツ」
「んん!?」
歩みを止めてかがみこむと、薄暗い庭の隅にひとつ。白い卵が落ちていた。それが、なんと今まさに孵化しようとしていたのだ!
「えっ、うそ!マジ!?ヤベ!」
シーさんからは、これ以上ニワトリを増やす気はないので、卵は毎朝残らず回収するよう以前から幾度も言われていた。ということは、これは俺のミスってことになる。狼狽する俺をヨソに、ソイツは次第に卵の殻にヒビを入れ、クチバシが出てきたと思ったら、次に頭が飛び出し、クリクリした目をキョロキョロさせながら湿った身体をよじらせ殻から飛び出してきた。
「ピィ」
小首をかしげながらソイツは俺を見た。俺もソイツをじっと見つめた。やっべぇ!と思う反面、生き物の誕生を目の当たりにするのは生まれて初めてで、なんともいえず感動している自分がいた。しばし沈黙の後、ソイツが
「ピピピピ」
と連続しながら鳴き始め、俺の足に顔を近づけ始めた。チョコチョコと動きながら、右足左足に顔を近づけては首をあげて俺の顔を見つめて
「ピイ!」
と鳴いた。
「んん!?こいつもしかして俺のこと母鳥かなんかと思ってる!?」
鳥は生まれて初めて見た物を親と思う習性があるらしい。
「うっそだろお。これ、やばいやつやん。」
俺の頭の中で、やばいやばいという単語が脳内をぐるぐると駆け回った。
と、とにかく、シーさん達に報告しなければ。怒られるかもしれないけど、生まれてしまったもんはしょうがない。それに、優しい二人だから、このヒヨコも新たな家族に加えてくれるだろう。
そう思いつつ、俺は朝食を作る前に目覚めたばかりの二人の前にヒヨコを見せ
「すみません、俺の不注意で卵を回収するのを一つ見落としてしまったようです。」
と謝罪した。
俺の両の掌の中で、ヒヨコは絶え間なく
「ピピピピ」
と声をあげたり俺を見上げたりした。
「あらぁ…。」
レイさんは、困惑した顔でヒヨコを見つめたまま沈黙した。俺は、いつもの優しい口調のレイさんを想像していたのでいささか不安になった。シーさんに目をやると、腕組しながら何やら考えているようだったけど、ほどなくして
「アツシ、うちにはもうオスのニワトリが二羽いるんだ。ニワトリってのはな、だいたいメス15羽に対してオス1羽ってのがいいバランスなんだ。それ以上多すぎても少なすぎても生まれてくる卵の数がおかしくなっちまう。だから、アツシにはちゃんと全部回収するよう言ったとね。でも、こうなっちまったもんはしょうがなか。ソイツは生まれたばかりだからまだオスかメスかはっきりしないけど、メスだったら別にいいさ。でも、オスだったらそん時は…まぁ、そういうことだ。わかるだろ?」
そう言って、俺の頭をポンと叩いた。呆然とする俺の掌の中でヒヨコは目を閉じスヤスヤと眠っていた。
それからというもの、俺はヒヨコのために餌を水で練ったやつを与えたり、何をするにもついてくるので踏みつけないよう注意しながら過ごした。昼も夜もまだ冷える時があるから掌に入れて温めたり着物の中に入れたりして温め続けた。なるべく情をかけないように、コイツはペットではない、あくまでも家畜なんだと自分に言い聞かせてみても、絶えず鳴きながら俺の後をチョコチョコと追いかけてくるのを見ているうちに、つい「ぴーちゃん。」と名前をつけたり、ぴーちゃんが他のニワトリにいじめられていないか心配で様子を覗きに行ったりした。ぴーちゃんの黄色くてフワフワな羽毛、掌の中に乗せると、「ピピピピ」と声をあげながらすぐに寝てしまう様、うっとりと目を閉じたかと思えば、クリクリの目で俺を覗き込むように見つめる様は俺の胸を熱くさせた。
俺は、ぴーちゃんがメスであるよう毎日星に祈った。メスであれば、他のニワトリと同じように大きくなったぴーちゃんから毎朝卵を回収することができる。
「ぴーちゃんもトサカを立てて俺を威嚇したりもするのかなあ。」
フフッと思わず笑みがこぼれた。
レイさんもシーさんも、かいがいしくヒヨコの世話をしすぎる俺を快く思っていないのは感じていた。だから俺は、家の事や店の事も手を抜かずに頑張った。
しばらくすると、ぴーちゃんの黄色の羽毛の下から白くて硬い羽毛が混じるようになった。鳴き声も大きくなり、身体も普通のニワトリの半分程に成長した。俺の後ろをまとわりついて歩き回る時間も減り、ニワトリの中に混じって行動することも増えた。
そんなある日、夕食を囲みながらシーさんが唐突に言った。
「アツシ、あのヒヨコのことじゃけど、あれはオスとね。」
「え…。」
俺の箸が止まった。シーさんから目が離せない。シーさんはさらに続けた。
「ホントはもっと前からオスなのはわかっとったとよ。やけど、アツシがあんまり可愛がるから言い出せんくてね。そのうち、あいつは立派な雄鶏になる。そん時に縄張り争いが起こったら困るとね。」
「え…でも…。」
とは言ったものの頭の中が真っ白で後に続く言葉が出てこない。俺はたまらずレイさんに目をそらした。でも、レイさんは俺を見ようとせず黙ったままうつむいている。
「まーの!」
重たい空気を破るようにガハハと笑いながらシーさんが酒をあおりながら言った。
「家畜は家畜じゃけえ。かわいそうもへったくれもなか!オスなら食べる!それは初めっから決めてたことたい!」
「そ、そんな…。何とかなりませんか。」
俺はすがるような目でシーさんを見上げた。しかし、
「もうこの話は終いじゃ!明日も早いんやけえ、寝るぞ!」
と、シーさんは話を打ち切って部屋から出て行ってしまった。レイさんも気まずそうに皿を下げるために立ち上がった。
俺は、シンと静まり返ったその日の晩、いろいろ考えて眠れなかった。なんとか、ぴーちゃんを救えないだろうか。例えばどこかにこっそりと放す訳にはいかないだろうか。でも、家畜として飼われていたぴーちゃんが野生で生きていけるとも思えないし、居候の俺がそんな勝手なことしたら、せっかく置いてくれているあの二人に申し訳がない。それに…、頭の中に飢えて弱っていくぴーちゃんが浮かんだ。結局そんなことをしてもぴーちゃんを救うことにはならないのだ。考えているうちに、自分が無力で涙が溢れてきた。元々、俺が卵を回収し忘れていたからこんなことになってしまったのだ。優しいレイさんにあんな顔をさせてしまい、シーさんは俺に言いにくいことを言うしかなかったのだ。ぴーちゃんの代わりに他の雄鶏を殺してほしいとも頼めなかった。そんなのは俺のエゴだ。
「俺は…俺は…結局なんにもできないんだ…。なんにも…。」
鼻水と涙で布団がぐじゅぐじゅになった。布団の中で嗚咽をこらえるもどうにも止まらず、隣室にいる二人にまた心配をかけてしまうと思うとさらに涙が溢れた。
下に続きます