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第42話 みんな集まれ 逃亡だよ

 手が赤い。定まらない視線の先には、人が倒れている。

 手が震える。彼女はぴくりとも動かない。赤い水たまりの上に倒れていては、洋服が赤く染まってしまう。何をしているのだろうか。

 視界が定まらない。視線は彼女を捉えているというのに、世界が揺れているかのよのように不安定だ。

 思考がまとまらない。なにが起きたのか、理解できない。


「蓮子! 早く江藤を病院に運んで!」

「承知した」


 視界の端から現れた女性が倒れた人を抱きかかえた。女性は空へと彼女を連れて飛び立とうとしている。彼女は私の大切な人だ。そんなことはさせない。

 血に濡れた腕を振りかぶって、それを止めさせようとする。もう一度、この手を振るえば、彼女を取り戻せる。


「唯様! どうしたの!? 正気に戻って!」


 腕を振るう前に、誰かに腕をつかまれる。この程度の力で止めることなどできない。つかまれた腕を強引に引き離した。しかし、私の振るった腕は、空を飛ぶ女性には当たらなかった。

 振り返って腕をつかむ邪魔な相手を睨みつける。そこには、金色の耳を生やした女性がいた。


「蓮子への攻撃を止めて! 江藤にも当たってしまうわ!」

「うるさい! 邪魔だ! 邪魔をするな! お前から倒してやろうか!」


 腕にしがみつく女性を腕ごとコンクリートの塀に叩きつける。


「かはッ!」


 それは効果があったのか、腕が解放された。

 すぐに上空を見上げる。遠ざかる羽根を広げた女性を見つけた。この程度の距離なら、飛び上がれば余裕で届く。踏ん張って飛び上がろうとした瞬間、鉄の棒が行く手を遮った。ただの棒じゃない。痺れさせて、こちらの行動を封じてくる。タイミングを狂わされて、飛び上がることができなかった。


「やはり、こうなったか!」


 女性の振るう鉄の棒はただの棒ではない。当てられると少々痛むが、それだけだ。邪魔する相手は倒してしまえばいい。女性の持つ棒と、私の爪の間に紫電が飛ぶ。もう少し力を込めれば、吹き飛ばせる。そう思っていると、視界に何枚もの紙切れが落ちてきた。その紙切れが身体を拘束するかのように、雷を伴って動きを封じてくる。

 ついに身動きが封じられる。紙切れが全身に張り付いた。身動きできなくなり、次第に意識が薄れていく。今まで何をやっていたのか、何をしたかったのか、曖昧になって思考できなくなる。いつしか、考えるのをやめた。





 何も見えない真っ暗な暗闇が視界を覆っていた。光を求めて、瞼を開いた。

 見えてきたのは、木製の天井。それに見覚えがあった。ジンガイ荘のものだった。


「あ! 目を覚ましたっスよ!」


 聞きなれた友人の声が聞こえた。友人の姿を求めて身体を動かそうとするが、重しが載せられているように、全身が重い。身体を起こすと、そこがジンガイ荘の居間だということに気付いた。


「おう、桜河、気付いたか?」


 明ちゃんがこちらを覗き込んできた。話の流れから、私は気を失っていたようだった。

 辺りを見回すと、居間には見覚えのある人が大勢いた。私が気を失っている間に何があったのだろう。


「やや、唯様。お目覚めですかな」

「もう目覚めないかと、心配してたのよ」


 蓮子さんと陽子さんがこちらを見ている。2人には、悪いことをしてしまった。


「流石は鬼。並みの妖怪なら二度と目覚めぬ封印だったが、3日で意識を取り戻すとはな」


 腕組みをした調停者が静かな面持ちでそう言っていた。

 3日、真ちゃんを傷つけてから、そんなに時間が経ったのか。


「そうだ! 真ちゃんは!?」

「江藤さんなら、入院中ですよ。命に別状はないそうです」


 鎌田さんが答えてくれた。

 命に別条がない事に、少しホッとする気持ちと、罪悪感が胸中に同居している。何かしなければいけない。そんな焦りも感じていた。


「大丈夫……みんな来てくれてる……」


 にーちゃんが肩を叩いてくれる。

 改めて辺りを見るとジンガイ荘の仲間以外の人も、こちらを見つめていた。


「もう大丈夫そうだね。倒れたって聞いて、心配してたんだよ」


 妖気に当てられたジョロウグモ。自称ジョウロさんが、私が起きたことに気付いたようだ。

 小さな女の子も気付いたようで、こちらに寄ってきた。


「そうだよ。おねえちゃんが大変だって聞いて、お母さんといっしょにきたの」


 彼女は人面瘡に憑りつかれた女の子で、鎌田さんが切除するのを手伝ってあげた。痛い目に遭わせてしまったのに、こうやって見舞いにきてくれるなんて、思わかなかった。とっても嬉しい。


「私のこと、憶えてます? あの時、助けていただいた二口女です。何だか大変そうなことになったとか……」


 髪の長い女性は少し離れた場所から、こちらの様子をうかがっている。助けた時も、口数が少なかった。話すのが苦手だったのかもしれない。

 視線を巡らすとぎょっとする人物の顔があった。

 ぶっきらぼうな様子で部屋の隅に立っているのは、全身兵器のMF-1だった。それに、少し身構えてしまう。


「もう、手は出さない。MF-2に修理されてから、武器の類いはすべて取り外された」


 にーちゃんは、姉の修理に成功していたんだ。もっと早く教えてくれてもよかったのに。


【私もいることを忘れないでほしい】


 脳内に直接語りかけてきた。

 今まで出会ってきたみんなが私を心配して、ジンガイ荘まで来てくれたのだ。それが、こんなに心を落ち着けてくれるなんて、思わなかった。


「感動話は済んだか? これから、あなたの処遇を決めなくてはならない」

「私の処遇……?」


 調停者が言っていることが何なのかわからない。


「お前! 唯様は目覚めたばかりなんだぞ!」

「タイミングってものがあるでしょ!」


 蓮子さんと陽子さんからの抗議に、調停者は無視するようにこちらをじっと見つめていた。


「江藤 真を傷つけたことだ。それだけに止まらず、格代と助本を攻撃しようとしたそうだな」


 頭に血が上っていた時のことだ。曖昧にだけど覚えている。


「正式なものではないが、調停者同士で話し合った結果、強制帰還が決定した。従わないのなら、封印してでも送り返す」


 その言葉は氷柱のように胸に刺さった。それだけのことをしでかしたというのに、私は地元へ帰りたくないと思ってしまった。また、ひとりぼっちの生活に戻るのは嫌だった。我がままだとわかっていても、それは許容できなかった。


「それは、私がもう誰も傷つけなければいいことでしょ? あの悪霊がいなければ、私は真ちゃんを傷つけなかった。私は悪くない……悪いのは、悪霊だよ!」


 私は思うがまま叫んでいた。

 ここにいたい。こうして、みんなが見守ってくれるこのジンガイ荘にいたい。もう、ひとりにはなりたくない。

 私は立ち上がってから走り出した。みんなの視線を振り切って、ジンガイ荘の外へと飛び出した。そこで、私は自分の妖力を解き放った。

 悪霊が私の妖力に集まってくるのなら、すべて集めてしまえばいい。すべて集めた悪霊を全滅させれば、もう誰も傷つかない。

 私の放つ妖力に誘われて悪霊たちが集まってくる。こいつらをすべて殺して――


「唯ちゃん! ダメだって!」


 誰かが私の肩を掴んできた。

 鬱陶しい。今から悪霊を殲滅するのだから、邪魔をしないで欲しい。

 そちらを振り向きながら、パシッとその手を力強くはたいた。肩をつかんできた相手の顔が見えた。

 ――!!

 薫ちゃんの泣きそうな顔が見えた。

 今、私は何をした?

 制止する彼女の手を振り払った?

 どうしてそんなことを? 彼女は泣きそうになりながら、私に手を伸ばしてくれたというのに……。

 頭が真っ白になった。


「ごめん……。そんなつもりじゃ……」


 ジンガイ荘から他の仲間が出てきて、私を見る。

 こんな私を見ないで……。

 私は再び駆け出していた。もう、ここにはいられない。ここに自分の居場所はないと、どこへでもいいから、逃げ出したかった。

 遠ざかるジンガイ荘を背に、私はあてもなく駆けていった。

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