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第29話 みんな集まれ マザー襲来だよ(前編)

 日野先生から放送で職員室に呼び出された。

 また呼ばれた。気は乗らないけど、無視するわけにもいかないし。職員室の扉を開けて室内に入る。


「失礼します」

「桜河さん、よく来てくださりました」


 日野先生の口調がおかしい。いつもはもっと尊大な態度なのに。着ている服もいつもの小豆色のジャージではなく、黒いスーツだ。何か裏がある。


「あ、来た来た。ゆいちゃーん」


 今は猫なで声だが、この声は聞き覚えがある。恐る恐る声の方向に視線を向けると、女性が立っていた。髪は緩いウェーブのセミロング、身長は170越えの巨乳。年齢は40程度、私の母である。


「ど、どういうことですか、日野先生!」

「それはですね、あなたのお母上が――」

「可愛い、我が娘の晴れ姿を見たくって来ちゃった。大丈夫、許可はもらっているわ」


 眩暈がした。

 この母は何をしているんですかね。高校生にまでなって、授業参観とかありえない。


「待って! 許可ってどういうことなの?」

「ふふふ、実はね、校長先生とは旧知の仲なのよ」


 頭痛がしてきた。

 自分の持つコネを最大限利用してきた。そこまでして何をやろうとしているんですかね。しかも、サムズアップして笑顔を向けてくる。反省する気もないようだ。


「おほん。とにかくですね。こういうことで、今日一日、お母上が授業をご覧になります。張り切って――」

「格好いい姿を期待してるからね! 頑張って!」


 母が日野先生を押し退けてる。ぐいぐい来るなぁ。このやりとりで職員室の視線を集めまくってる。もう、恥ずかしい。


「では、失礼します」


 職員室を出て行く私に向けて、母が手を振ってくる。物怖じしないところがあるけど、この状況を全く意に介していない。

 私は職員室から出てから、はあ、とため息を吐く。今日は一日、大変なことになりそうだ。



 4時限目。

 教室の後ろから見ている母の機嫌が悪い。直接見なくても、そのプレッシャーでわかる。その理由は簡単。今日は教師からの指名を一身に受けている。当然というか、必然というか、そのことごとくが失敗していた。ここから、巻き返さないといけない。命が危ない。


「ハロー、エブリワン。本日の講師は日野結香、日野結香でございます。この学校の一番人気――」

「早く始めてもらえる?」


 日野先生はがっくりと肩を落として「はい」と小さく返事をした。母がピリピリしている時に、自分を売り出そうとするから、そうなる。自業自得。


 授業は淡々と進んでいく。いつもは、脱線ばかりでろくな授業をしていないのだが、母が見ている手前、下手な授業はできないのだろう。


「それでは、桜河さん。タイの首都の名前を答えてください」


 唐突な質問。しかも、これ、今の授業と全く関係ないし。しかも、難解このうえない。この首都名を空で言える人は、かなり特殊な人だと思う。

 名指しなので、立ち上がって答えを考える。


「ば……バンコク」


 一瞬、日野先生の口角が上がったのが見えた。この教師、生徒をだしに使う気だ。


「そうです。バンコクですね。ですが、正式名称があるのは、知っていると思います。それは、クルンテープ・プラマハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタ――」

「長いわッ!!」


 母の拳が日野先生の腹に直撃した。身体を九の字にして吹き飛んだ。

 正式名称をドヤ顔で言っている間に、母は距離を詰めて一撃を放ったのだ。油断していた日野先生は床に倒れて、水揚げされたエビの様にびくびくとしていた。

 きっと、首都名を知っていたから、披露したのだろうけど、完全に裏目に出てる。

 日野先生を殴り飛ばし終えた母が近寄ってきて、耳打ちしてくる。


「これぐらい、答えろ。次はないぞ」


 背筋がぞっとする低い声。地獄の釜から響いてくるようなおぞましい何かだった。今までの人生でも最も恐怖を感じた瞬間だった。


 日野先生がお亡くなりになったので、その後は各自で自習。とどこおりなく授業が終了した。

 昼休み、いつものように真ちゃんと薫ちゃんとで集まって昼食をとる。各々が弁当を机の上に広げる。真ちゃんはミートボールを中心したおかずと、おにぎり。薫ちゃんはメロンパンと野菜ジュース。

 いただきますをして、弁当に箸をのばすと、背後から声が聞こえてきた。


「あら、そのお弁当、雪絵に作ってもらってる?」


 後ろを見ると、母が弁当を覗き込んできていた。昼休みになったからか、先ほどまでの身が縮こまるプレッシャーは感じない。いつもの見知った母だった。


「お、お母さん。は、初めまして、江藤 真と、申します。えーと……お嬢さんとは仲良くしていただき……えー」

「あ……、あたしは、蛇上 薫……っス」


 真ちゃんは敬語を使おうとしてるけど、逆に頓珍漢とんちんかんな言葉になっている。薫ちゃんは委縮してしまって、声がほんの少ししか出ていない。でも、2人から私を大切にしてくれている気持ちが伝わってきて、嬉しい。


「初めまして、唯の母の桜河おうが 定子さだこよ。気軽におばさんって呼んでね」


 友達と母との会話を聞くとうのは、背筋がもぞもぞと痒くなる。もう、早く終わって欲しい。


「真ちゃんは、いいお弁当ね、バランスがとれているわね。薫ちゃんは……もう少し頑張りましょうか」


 自分の昼食を評価されて、ちょっと困った様子だ。こういったものは、自分では何ともしようがない。家族関係の難しいことだから、口に出されても困るだけだと思う。


「唯は……くっ、野菜のおひたし、卵焼き、たこさんウィンナーだと……以外とちゃんとしたもの作ってるじゃない。いつの間にこんなに主婦力を身につけたのよ。昔は氷漬けの弁当しか作れなかったくせに! いまだに独身のくせにッ!」


 母は、後ずさりした。雪絵さんの弁当が相当眩しいらしい。それは、仕方ない。それよりも、雪絵さんへのヘイトが酷い。雪絵さんがここにいたら、戦争が勃発しそう。


「毎日作ってくれるよ。お母さんのお弁当よりずっとおいしいんだよ。お母さんのは、全て冷凍食品で揚げ物のオンパレードだし、助六寿司をパックから出して、お弁当箱に移し替えるだけとかあったっけ……」


 今思い出すと、結構酷いものだった。ちょっと話していたら、昔の記憶がどんどんと蘇ってくる。


「ちょ……唯ちゃん……言い過ぎだよ」

「そ、そうっスよ。これ以上はいけない」


 2人が耳元でそう言ってくれてるけど、思い出すだけで、吹き出しそうになってきた。これは是非とも話したい。いや、もう止まらない。


「おかずが冷凍枝豆でごはんは白米だけとか、長いういろう1本とか、ところてんだけだったこともあったなー。今思い出しても、これは無いんじゃないかな。あーおかしい」


 真ちゃんも、薫ちゃんも平静を保とうとしてるけど、頬が引きつってる。もう一歩で笑い出しそう。ここは、とっておきのやつでいこう。


「おかずが焼き鳥の串――」

「まって、これ以上、言わないで! もう、唯ちゃんの馬鹿、もう知らない!」


 私の言葉をさえぎって、母が叫ぶ。赤い顔を両手で隠して逃げ出し始めた。これは、言い逃れできないと思う。


「唯ちゃん、ほ、本当?」

「そ、それは、ひどいっスね」


 2人とも我慢できずに笑っていた。私も一緒に笑ってしまう。

 母には悪いけど、昔はこんな風に笑い合える日が来るなんて、思ってもいなかった。きっと、あのお弁当は母なりに私を元気づけようとしてくれていたに違いない。

 母のおかげで、元気が出てきた。これから午後も頑張れそう。今度こそ、格好いい姿を見せるからね。



 午後の授業もやっぱり駄目だったよ。日々の努力が大切なんだなって思い知らされた。みんなもいざというときのために勉強しよう。

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