プロローグ
改札口を抜けて、駅の表に出る。
春の日差しに、目少し閉じてしまう。
私、桜河 唯は15の春から1人暮らしを始めます。
4月1日、これからお世話になるアパートに向かおうとしています。
母の勧めで決まったアパートですが、まだ一度も下見をしていません。
少しの不安を抱きながらも、キャリーバックを引きずって、地図を片手に1歩踏み出した。
駅前商店街はシャッターが下りている商店もあるみたいだけど、まだ活発に営業しているみたい。
商店街を抜けると、すぐに住宅街です。
街路樹として植えられている桜のつぼみは大きく膨れており、今にもピンクの花が咲きそう。まるで、私の新しい生活を祝福しているみたい。
そんな道を足取り軽く歩いていく。全てに希望が満ち、未来を明るく照らしてくれる。
軽い傾斜を上っていくと、周りの住宅とは少し趣の違う建物が見えてくる。
木造の2階建てで、傍から見ても安い造りに加え、何年前からあるかわからないほど古い。オンボロなんて枕詞がついてもしょうがない程だ。
地図を確認すると、目的地はもうすぐ目の前。
その門に目をやると、2人の女性が立っている。
1人は長身で黒いショートカットが似合う大人の雰囲気がする人。服装も白いシャツに、ジーンズと男性にも間違われそう。
もう1人は長い金髪が風に揺れる優しそうな人。水色の上着に白いブラウス、黒のスカートとさりげないおしゃれがとても綺麗。
2人に聞けば、目的のアパートを教えてくれるかもしれない。
「あの、すみません」
少し物怖じしながら、2人に声をかけた。
彼女たちはとても美人さんで、私のようなちんちくりんが話していいものかと思ってしまう。
「ん? 君は?」
ショートカットの女性が応えてくれる。
だけど、身長差があり過ぎて見上げるような恰好になってしまった。
それに気づいたのか、屈んで視線を私に合わせてくれる。
「ごめんね。ちょっと待ち人をしていてね。幼じょ――君に構っている暇はないんだ」
そう言いながら、私の頭を撫でてきて――撫でて――撫で続けられる。
ちょっと長くないですかね。
「ちょっと、幼じょ――この子、困ってるわよ」
そう言うと、金髪の女性はその手を払う。
なんだかさっきから、幼女って連呼されてる気がする。
そして、屈んでまたもこちらに視線を合わせてくれた。
ポケットをまさぐった後、小さなロリポップをこちらに差し出してくる。
「ごめんなさいね。お詫びにこの飴をあげるから許してね」
私は事態の変化についていけずに、言われるがままに飴へ手を伸ばす――と、今度はショートカットの女性が飴を払ってきた。
それから、また私の頭を撫でだした。
「あんないかがわしいモノを渡そうとするな」
「ちょっと待ちなさい、誰の何がいかがわしいって?」
2人はお互いをけん制し合うように、にらみ合う。
――が、2人して私の頭を撫で続けている。
「前は痺れ薬を仕込んで、お持ち帰りしようとしただろ」
「誤解だわ。あれは結果的にそうなっただけで、清く正しい飴だったわよ」
先ほどから物騒な話が続いている。
悪い人には見える――ないと思う。
「あの、道をお聞きしたいんです。ジンガイ荘ってところなんですけど」
2人は一度私を見ると、お互いの顔を突き合わせて笑い始めた。
「ははは。ここは君のような小さな女の子が来るような場所じゃないよ」
そう言いながら、ショートカットの女性はカメラを片手に、私の股下へ伸ばしてくる。
「そうね。今日来る人はとっても怖い人だから、早く帰った方がいいわよ」
金髪の女性は私のスカートをめくろうとしてくる。
さっきから変な事ばかりされているので、スカートを押さえて自分の体を守る。
この人たちは一体何者なのだろう。
「あの、その、ここに引っ越してきた、桜河 唯です。というか、変なことするのを止めてもらえませんか?」
また2人はお互いの顔を見合うと、口を開けて笑った。
しかも、私の頬っぺたを無遠慮に触ってくる。
「嘘はダメだ。その人は『鬼』なんだ。君のような可愛い子じゃない」
「そうよ。幼女は一口で食べられてしまうわよ」
この間も私の顔を撫で続けていた。
さすがに私もこのままやられっぱなしというのは、癪に障る。
両手でその2人の手を1本ずつ掴み握る。
「私が、その、『鬼』の桜河 唯なんですけど?」
握る手に少し力を入れる。
それだけで、2人は悲鳴を上げた。
「止めて! 腕が、腕が折れる!」
「砕けるから! 骨が粉砕しちゃう!」
はっと、私は手を離す。
ついやってしまった。こういう事はしないと誓っていたのに、1日も経たず破ってしまった。
腕をさすりながら、2人はまた、お互いの顔を見合う。
そして、次の瞬間――
「申し訳ございません! 一家お取り潰しはご勘弁を!」
「今までご無礼、まことに申し訳ありませんでした!」
0.5秒と経たずして、土下座していた。
何が起こったのかよくわからず、こちらが動揺してしまう。
2人はさらにエスカレートしていってしまう。
「平に、平にご容赦を! 犬に! 犬になりますので!」
「そう、私たちは桜河様の犬! 犬でございます! 靴でもなんでも舐めますので!」
2人は地面に這ったまま、靴に向かって舌を伸ばしてくる。
「止めてください。靴が汚れます」
私の一言に舌を出したままの2人の動きが止まる。何か悪いことでも言ったのだろうか、すごい罪悪感を覚えた。
そして、すぐにまた土下座の姿勢に戻ると、アスファルトにおでこを擦り付けてきた。
「ミジンコ! ミジンコにございます!」
「哺乳類を語るなんてあまりにも高等過ぎました! 微生物で十分です!」
こんな2人の姿を見て、2人に見た幻想が塩になって崩れていく。
もっと格好いい人たちだと思ったのに、これは一体何なの? 何が起こっているの?
「と、ともかく、顔を上げてください。こんなことをされる覚えはありません」
だが、2人は土下座を止めようとしない。
「いえ、私たち山の妖怪にとって、鬼は絶対的な存在!」
「今までの無礼をお許しください!」
今まで、こういう人と会うことがなかったから驚いたけど、鬼ってそんな存在だったんだ。
何か悪いことをしてしまったのかもしれない。
「いいですから、そんなに畏まる必要はありません。むしろ、普通に接してくれる方が嬉しいです」
その言葉に2人は、スクっと立ち上がる。
そして、最初に出会った時のように、凛々しいたたずまいになった。
だけど、先ほどの醜態を見ている立場としては、もうときめきは戻ってこない。
「いえ、これからは、桜河様に尽くさせていただきます」
「私たちを顎でこき使ってやってください」
そんな仰々しい物言いをしているが、また私の頭を撫でまわしてくる。
言っていることを、やっていることが全く一致しない。私はかなり舐められてるのでは?
「とにかく、ジンガイ荘に行きたいのですけど」
私の言葉に2人は背筋を伸ばす。
「はっ! そう言うことなら、こちらでございます」
ショートカットの女性がそう言うと、2人は身体をどける。
そこには、木製で幾分かシミのついた門があり、そこには「ジンガイ荘」と書かれた表札もあった。これは間違いなく「ジンガイ荘」だ。
「私、天狗をやっている、格代 蓮子と申します。以後、お見知りおきを」
黒いショートカットの女性が礼儀正しくお辞儀をする。
「私は妖狐の助本 陽子と言いますわ。何なりとお申し付けくださいませ」
金髪のロングヘアの女性も同じように頭を下げる。
そして、2人は私を見ながら両手を開き、門への道を作った。
「「ようこそ! ジンガイ荘へ」」
これから、私の1人暮らしが始まる。
その生活は1日と経たずに暗雲が立ち込めてきたのでした。