けんのみちしるべ
窓からオレンジ色の光が差し込む。光は室内を優しい色で染め上げていく。テーブルに並ぶのは色とりどりの食べ物。チキンやサラダが子供たちの手で運ばれてくる。いい匂いが鼻をくすぐる。
「何してるんだ?座れ座れー。」1人の少年がシチューを運びながら話しかけてくる。年は俺と同じくらい。言われた通り、席に着く。何人かの子供達はもう席についていて、騒いでいる。
「あ、お前!今つまみぐいしただろ!俺は見てたからな、ダメなんだぞ!」
「別にいいじゃんかー。お腹空いてんだよ!」
「はいはい、喧嘩しないのー。アグ、つまみぐいはダメでしょ。行儀悪いよ。次したらお風呂掃除の罰だからね!」
喧嘩を止めに入った少女は、アグと呼ばれた子の頭を軽く叩きながら嗜める。
それから、少し離れた席に座って俺を見て笑った。
「ごめんね、うるさいでしょ。あ、私はミナト。ここの最年長でリーダーの1人。よろしくね。」
黒髪のツインテールが揺れる。
「…よろしく。」
軽く頭を下げてあいさつする。
あ、名前も言ったほうが良かったか…失敗したな。というか、リーダーって?ここのリーダーか?
考えているうちに、並べられたほぼ全てのイスが埋まった。俺を助けた女の子、リルが俺の隣に座る。
「みんな、座った?じゃあ先に、新しい家族を紹介します。」
リルが俺を手で示す。全員の視線が集まる。
うわ、こういうの緊張するから苦手なんだよな…
「テルム君です。みんな仲良くね!」
リルがこっちを見る。え、なんか言わなきゃいけないタイプ?…転校生になった気分だ。いや、ある意味そうなんだけど…
「…あー。テルムです、よろしく。」
よろしくーとあちらこちらで声があがる。
「よし、じゃあ、挨拶もしたし、ご飯食べよっか!みんな、手を合わせてー、いただきます!」
「いただきます!」
俺もいただきますと声を合わせる。
みんながご飯に手をつけ始め、賑やかになる。
…いただきますと言ったものはいいものの、ご飯を食べる気にはならない。リルに驚いて普通についてきたけど、家族の死を見てすぐにご飯を食べるなんて、さすがに無理だった。
リルもそれを察したらしく、声をかけてくる。
「…ご飯、無理に食べなくていいからね。」
「ああ。ありがとう。」
ご飯を食べるのはやめて、テーブルに座った面々を見る。全員が子供だった。俺と同じくらいか、それ以下の子供達。大人は誰1人としていない。まさか子供達だけで生活してるわけじゃないだろうし……不思議に思ってリルに聞いてみる。
「なあ、ご飯食べてるの子供しかいないんだけど。大人は?」
「ん?あれ。言ってなかったっけ?ここはチルドレン教会って言って、子供達しかいないの。みんな、色々と事情があってここにいるの。料理も洗濯も買い物も、全部自分達でやるんだ。だから、大人…18歳以上の人はいないんだよ。」
「は、マジで?嘘だろ?お金とかはどうしてるんだよ。買い物に必要だろ?」
「うん。必要なお金も自分達で稼ぐよ。知ってるでしょ?教会。人に危害を加える獣や、悪い人達を捕まえたりする組織。ここもその1つで、10歳から上の子達は、教会の仕事してるの。仕事して、本部からお金貰ってるよ。あとは、近くにある街の人達が色々くれたりもするし、慈善団体から貰ったりもしてるよ。畑もあるしね。」
「10歳から上ってことは、俺も教会の仕事するのか?」
「あ、そこは自由だよ!怪我もする仕事だからね。強制はしないんだ。あ、でも洗濯とかはしてもらうよ。生活するには大事なことだからね。テルム君も自由に選んでね。」
「ん。わかった。料理なら結構得意だから頑張るよ。教会の仕事は…ちょっと考えさせて。」
リルは微笑んで、何も言わなかった。
みんながご飯を食べ終わったあと、教会を案内してもらった。教会は7階建てで中は広く、大きいお風呂や調理場、たくさんの部屋があった。
「1階は基本的にみんなで過ごすスペースで、2階から6階までは私室だよ。7階は教会関係のものとか、色々ある部屋が多いかなー。あ、5階にはね、すっごく大きい図書室があるよ!色んな本があるし、ソファとかもあるから疲れた時は、図書室で休むのがオススメかな!」
6階に上り、少し歩きながら、話していく。
図書室か。本とかどれくらいあるんだろ。今度覗いてみるか。本は好きな方だ。読んでると落ち着くし、何より家にはたくさんの本があった。探偵ものや冒険譚、日常を描いたものまで、色んな種類の本があった。母さんいわく、父さんの影響らしい。…その本も燃えたんだけどな。
「…テルム君。テルム君ってば!着いたよ!ここが君の部屋!」
リルの声で落ちかけた思考が止まる。
「え?あ、ああ。悪い、ボーッとしてたみたいだ。えっと、ここが俺の部屋なんだよな。開けていいか?」
「もちろん。テルム君の部屋だからね。」
ドアを開けると低い音がなる。暗い部屋に廊下の光が差し込む。中に入って電気をつける。パッと部屋が明るくなり、姿を見せる。月の光を誘い込む綺麗な窓。窓の
近くには引き出しがたくさんついた机がある。机から少し離れた場所にベッドがある。1人用の木製ベッド。
他には大きめのクローゼットが1つ。
「ここが俺の部屋。」
少しだけ、少しだけだが、自分が元々使っていた部屋に似ていた。焼かれたあの部屋に。
「…どうかな?今日からはここで寝てね。他に必要な家具とかは自分で用意して、模様替えとかは自由だから、好きにしていいよ。」
部屋に入ってきたリルが言う。
「ん、ありがとう。気に入った。」
「そっか。じゃあ、私は一回戻るから。…あ、あと、隣は私の部屋。逆隣は、タイ君の部屋だよ。何か困ったことがあったら言ってね。」
笑って、リルは部屋を出ていく。
それを見送り、部屋を見渡す。机の引き出しやクローゼットを開けてみる。何も入っていない。家が焼かれ、急遽来たため、持ってきたものもない。しばらくは何も入らないだろう。掃除されてるのだろう埃1つない部屋、何も入っていない引き出し、新しいシーツ。新しく住人を迎えるための部屋だ。役割を待っていた部屋。俺が新しい住人。ベッドに座る。
俺の家が消えたから。家族がいなくなったから。全てが消えた俺に与えられた新しい部屋。俺の部屋に似ている違う部屋。
寝転がる。ふかふかのベッドが身体を受け入れる。ベッドが軋む音がする。
俺の住んでいた家はもうない。帰ってきた俺を暖かく出迎える家も、おかえりと言ってくれた母さんもいない。燃えた。全て燃えたのだ。
目から何かがこぼれた。いつの間にか溜まっていたそれは顔を伝ってベッドを濡らした。
「…なんで今になって、出てくるんだよ。泣くなよ。涙なんか出てくるなよ。」
止まらなくなっていた。次から次へと溢れた涙がベッドにできた染みを大きくしていく。見上げた天井は、涙で揺れている。
頭の中を流れる思い出が、涙を加速させていく。
小さい時にはもう父さんはいなかった。でも母さんがいた。母さんは1人で俺を育ててくれた。2人であの家で一緒に暮らしてきた。母さん料理が好きで、よく新しいレシピを試していた。一緒に料理をしたことだってある。友達が家に遊びにきた時は手作りのお菓子を出してくれた。一番美味しかったのは、クッキー。チョコチップがたくさん入ったクッキーで、たまに作ってくれた。風邪の時には、ホットミルクを作ってくれた。すりおろしたりんごとはちみつを入れてくれて、甘くて美味しかった。もう飲めないのか。もう、一緒に料理もできない。話せない。会うことすらできない。
家族だけじゃない、あの町には友人も学校の先生もいたんだ。それが全部、あのドラゴンによって焼かれたんだ。無事な人は何人いる?そもそもいるのか?
そんなに大きくはないけど、仲良く笑顔で溢れていた町。俺の大切で大好きな町なんだ。なんで、俺の町なんだよ、なんで俺の母さんなんだよ。やり場のない怒りが溜まっていく。
俺の家族はもういない。これが全部夢だったら良かったのに。
いつのまにか目は閉じていた。泣いて疲れたのかまぶたが重く、目を開けることはできない。意識が遠のいていく。意識が落ちる前、お母さんが作ってくれたホットミルクの匂いがした。懐かしくて大好き匂い。また飲みたいな。
テルムが眠りについたころ、テルムの部屋の前にはリルがいた。リルの手にはマグカップが1つ。マグカップの中に入っているのはホットミルク。すりおろしたりんごとはちみつが入った、リルお気に入りのホットミルクだ。
部屋の中にいる新しい住人は、もう眠ったらしく少し前まで聞こえていた泣き声は止まっている。
「…ぬるい。」
ホットミルクを飲みながら、テルムの部屋の隣、自室へと戻った。
「…ん、朝…?」
ボーッとしたまま、起き上がり窓を見る。まだ外は暗く、朝日ものぼり始めたばかりだ。こんな時間に起きるの、初めてだな。いつもは朝日がのぼりきってから、起きる。涙の跡は消えていた。
バタンッ。隣から音が聞こえた。ドアを開ける音だ。つづいて足音が聞こえた。意識が目覚める。
隣は確か、リル…?
昨日教えてもらったことを思い出しながら、部屋を出る。1階に下り、リルを探す。
きぃぃと扉が開く音がする。音を頼りに1階を歩く。音の鳴っていたドアは外へと続くドアだった。
「外に出たのか?」
ドアを開き、外にでる。冷たい風が吹き、テルムを包む。
「寒っ…」
思わず出た声と共に、腕をさする。少しずつ明るくなっている空の下、リルを探す。遠くの建物に、リルが入っていくのが見えた。走って建物に近づく。
白く大きな建物だ。上では、ステンドグラスが輝いている。
豪華な装飾が施された扉を開け、中を覗く。
リルは建物の中央で、舞っていた。剣を手に持ち、前を見据えて動く。右へ動き、剣を振り抜く。剣は朝陽を浴びて輝いている。リルの動きに合わせて動く髪が、朝陽に透かされ躍る。
大きなオレンジ色の瞳は、光を集め輝き前を見続ける。暖かな光の中で剣を持ち、舞い踊るその姿は美しいと思わずにいられはしないだろう。
「…綺麗だな。」声がこぼれる。
はっとリルが振り向く。目が合った。
「びっ…くりした。おはよう、テルム君。朝早いんだね。」
リルが近づいてくる。扉を開き、テルムに笑いかける。
「何してるの?入りなよ。」
促され、中に入っていく。
「おはよう、リル。……えっと、すごいな、さっきの。俺はたまたま目が覚めたんだけど、リルはいつもこの時間に起きてるのか?」
「うん?あー、そうだねー。みんなより早く目が覚めるから、ここで剣の練習みたいなのしてたり、本読んだりしてるんだよ。朝陽を浴びながら動くのも、楽しいし気持ちいいよ?」
「へー、そうなんだ。それ、リルの剣?」
「……これは、私のじゃないよ。預かり物。いつもは使わないんだけど、たまにはね。外に、出してあげたくて。」
「そっか。綺麗な剣だな。」
「うん、すごく綺麗な剣なの。」
リルが剣に微笑む。布でできた鞘に剣を大事そうにゆっくりと収めるリル。
「あ、あのさ、ここって何?」
剣を収めるのを見ながら聞く。
「あ、まだ教えてなかったね。ここは神殿だよ。神様を祀る場所。」
「え、神殿⁈…あー、だから装飾とかこってるのか。そっか、神様を祀る場所…」
「そうだよー、神様を祀る場所。それが神殿。今の教会の祖であり、始まりの場所。」
突然、声が聞こえた。リルのものでも俺のものでもない声。
リルの近くに、1つの光が降りてくる。光は集まり形を作る。人の形になった光はやがて、実体へと変わっていく。
「おはよう、リル。今日も朝からがんばるね。隣の子は誰かな?」
光は少女になり、リルに微笑む。
少女は、俺やリルと同じくらいの年に見える。でも、何かが違うのだ。全てを見透かしている、そんな目をしている。まるで、世界を何年も見続けてきたかのような。
「おはようございます、ティシア様。」
リルはティシアと呼ばれた少女に挨拶をするとテルムの方を向く。
「この子は、新しく教会に来たテルム君です。
テルム君、この神殿で祀られているティシア様だよ。」
「…テルム・ミラーです。」
「うんうん、テルムだね。ティシアです。よろしくね!」
ティシアはにこにこ笑っている。
「よろしくお願いします。テ、ティシア…様?」
神殿で祀られてるってことは神様だよな?…この見た目で?
表情こそ年齢には合っていないものの、身体や顔の小ささは明らかに子供だった。
「ふふ、そんなにかしこまらなくて大丈夫。神殿に祀られてるって言ってもね、私は神様じゃないからね。」
「え、そうなんですか?」
「ん。あ、でも神様みたいなものなのかな?」
どっちだよ!思わず、突っ込みそうになる。
「そう、ね。神の使い…?なんで言えばいい?天使って言えば分かりやすい?」
「天使、ですか。」
天使って…羽とか生えてないじゃん。いや、そもそも天使っているんだな。実在しないものだとばかり…
「まあ、気持ちは分かるかな。天使って言っても、中身は君たちと変わらないし。昔はいなかったからね。」
へー。俺たちと変わらないんだ。…あれ、じゃあ神様も本当にいるのか?
「いるね。今は眠ってるんだけどね。かわりに私たちが、この世界を見守ってるの。」
「神様、眠ってるんだ……って、え?俺、声に出してました?」
「あ、ごめん。私、なんとなくだけど、人の心が分かるっていうか…勝手にごめんね。」
ティシアがうなだれる。少女の見た目のせいか、テルムに罪悪感が襲いかかる。
静かな時間が続く
な、なんか申し訳ない!ていうか、リルの視線も痛い!
「それにしても、久しぶりですねティシア様。何か異常とかありましたか?」
こほんと咳払いをして、リルが静寂を破る。
「え、ティシア様どこか行ってたんですか?」
ティシアはうなだれるのをやめ、真面目な顔になる。
「各国に異常がないか確かめにね。神様が眠ってるから、何かあっても対処できるように、たまにだけど回ってるんだ。で、本題。最近、獣たちがおかしいの。魔力が尋常じゃないくらいに高まってる。その影響なのか何個かの森が枯れてた。もしかしたら、あっちの世界から誰かが来てるのかも…リル、本部から小隊を行かせるよう手配してくれる?」
「はい、分かりました。本部に連絡してきます。テルム君、私は先に戻るよ。もう少ししたら、朝ごはんの時間になるから、来てね。」
リルは剣を持って立ち上がり、扉を開け外に出ていく。
お願いねと頼むティシア。
ティシアとテルム、2人の空間になる。2人とも言葉を発さないまま時が経ち、ティシアが口を開いた。
「……テルムは、魔法って知ってる?」
「聞いたことはあります。たまに魔法石を使わなくても、魔法を使える人間がいるんですよね。見たことはないですけど。」
この世界には魔法石という石が存在する。この魔法石はいろんな役割を持つ。町や家の中を照らす光を出したり、熱を発したもので料理をしたり、日常生活には欠かせないものだ。この魔法石が使われるのは、日常生活だけじゃない。教会に所属する人間のほとんどが魔法石の埋め込まれた武器を使い、人に被害を与える者たちを倒していくのだ。言ってしまえば魔法石さえあれば、誰にでも魔法を使うことができる。
ただし、全員が魔法石を使っているわけじゃない。魔法を嫌うものたちもいる。その人達は科学という論理に基づいた形で、電気というものを生み出しているらしい。
魔法石の管理は全て教会が行っているため、作られるところを見たことがなく、ほとんどは買わなければならない。だから、科学を好んで使う国や人がいるらしい。
そして、ごく稀に魔法石を使わなくても魔法を使える人間がいる。魔法を使える人間が放つ魔法は魔法石よりも強い魔法が使えたり、魔法石ではできない魔法もできるらしい。
「そう、魔法石を使わなくても魔法を使える人間がいる。なんでだと思う?」
「は、なんでって…魔法を使える素質があるから、とかですか?」
ティシアは微笑んだ。少女の顔から子どもっぽさが消える。
「違うよ。魔法はね、命なんだ。」
「は?」
「魔法はやろうと思えば、誰でもできるのさ。君にだって、できるんだよ。魔法を使えればだけど、ね。」
魔法は誰にでも使える?それって、どういう…
「ふふふ、さてさて、そろそろ朝ごはんができる頃じゃないかな?行きなよ。昨日の夜も食べてないんでしょ?」
聞こうとする前に、話は打ち切られた。
ティシアの目に促されるまま、テルムは外に出た。太陽が山から姿を現している。パンの匂いが風に運ばれ、テルムに届く。
扉を閉じる時、ティシアが言った。
「私はしばらくこの神殿にいるよ。何かあったらおいで。」
声がテルムに届いた時、神殿の中にティシアの姿はなかった。
「おっはよー、テルム兄!」
教会に入ると、声をかけられた。6.7歳くらいの元気な男の子だ。
「テルム兄って、俺のこと?」
「そうだよー?俺たち、家族じゃん!俺はフルーラド。ラドでいいよ!」
そういうと食堂の方へ笑いながら走っていく。
「……家族。」
昨日来たばかりの俺をそう言ってくれるのは、ありがたいことだって分かった。でも、受け入れることのできない自分がいた。
昨日母さんを失ってすぐに、誰かを受け入れるのは無理だ。
空はどこまでも青く続いていて、日差しもよく目の前に干されたシーツもすぐ乾くであろうことが分かる。
朝ごはんを食べた後、今日の洗濯当番に任命された俺は、タイという少年とシーツを干していた。
「テルムさん、朝ごはんはお口に合いましたか?」
「ん、美味かったよ。」
「今日は僕とアンちゃんがご飯当番なんです。アンちゃんの作るご飯はどれもすごく美味しいんですよ。僕は、そんなに料理得意じゃないんですが、パンだけは自信があります!」
タイは優しく笑う少年で、嘘なんかついたことなさそうな顔をしている。
確か、部屋が隣なんだっけ。
「あ、干すの無くなっちゃいましたね。他にあるか見てきます。少し待っててください。」
タイは笑うと、教会の方へ走っていった。
タイが戻るまで物思いにふける。
朝ごはんはパンとカボチャのポタージュで、すごく美味しかった。リルは朝ごはんの時、ずっと俺の方を見てたな。俺が食べ始めたの見て、すごい笑ってたな。私の分も食べていいよって、さすがに遠慮したけどな。あれも全部子供だけで作ったんだろうか?30人近くいる子供達のご飯…そこそこの量が必要だろう。
そういえば、昨日リルがここにいるのは事情がある子たちって言ってたな。俺みたいに、家族が殺された子か…?
なんかの事情でこの教会に来て過ごす子供達。大人の手も借りないで、子どもだけで…
グルヴゥゥァァァ!
この声は、昨日聞いたドラゴンの…!
はっと顔をあげると目の前に赤い体が見えた。一直線にこちらへ向かってくる。ドラゴンと目があった。赤い目と。
逃げ、なきゃ。そう思った。でも、足は動かない。昨日の母さんが頭に浮かぶ。嫌でも浮かんでくる、黒くなった母さん。
ドラゴンが近づいてくる。動かない、動けない。
「うわぁぁ!」
叫び声が聞こえた。声は教会の子ども達のものだった。手にはボールを持っている。遊ぶために出てきたのだろう。声を上げたことでドラゴンの目が子供達へ向けられる。速度を上げ、子供達へ近づくドラゴン。
俺はとっさに、近くの石を投げた。ドラゴンの羽に当たる。傷1つつけられてはいない。ドラゴンは俺へと視線を戻す。怒ったらしく咆哮をあげ、突進してくる。子供達は教会へ逃げていく。
足が動いた。教会とは反対方向へ走る。逃げようと必死に足を動かすも、ドラゴンの方が早い。ドラゴンが爪を構える。振り下ろされる瞬間、矢がドラゴンに直撃した。
矢はドラゴンの腹に刺さる。刺さった矢から電気が流れる。
グィオオオ!苦しむドラゴンの声が響く。
「テルムさん!」
タイが俺とドラゴンの間に滑り込む。タイの手には弓が握られている。弓は光り輝き、電気が走っている。
さっきの弓はタイがやったのか!
「っ!まだドラゴン相手には、無理か!すみません、テルムさん。僕ではまだこのドラゴンを倒せません。弓矢で気を引くので、教会の中に逃げてください!」
でも、タイは…迷っているうちに、電気から逃れたドラゴンが吠える。
「テルムさん、早く!」
テルムは走り出した。ドラゴンが追いかけてくる。タイが矢で止めようとするも、かわされ翼ではたき落とされる。
ドラゴンが近づいてくる。赤い目で俺を捉え、追いかけてくる。
なんなんだよ、なんでこっちに来るんだ!俺のこと好きなのかよ、ふざけんな!なんっでドラゴンに好かれなきゃいけないんだよ!
焦りのあまり、石につまづき、転んでしまう。
ドラゴンが口を開く。開いた口から覗いた牙がぬらりと光る。牙が近づき俺に噛みつこうとする。
「テルムくん、そのまま!動かないっ!」
声と共に後ろから、炎球が飛んでくる。炎球は開いたままのドラゴンの口の中に入り、弾けた。火の粉が舞う。
驚いたのかドラゴンがのけ反る。のけぞり無防備になった首に影が刃を突き立てる。
「リルさん!」
後方でタイが叫ぶ。リルは突き立てた剣を抜くともう片方の手に持っていた剣でさらに傷をえぐっていく。ドラゴンの首を伝い回転し、テルムの隣に着地する。リルの手には2つの剣が握られていた。
「双剣…」
朝持っていた剣とは違う、鈍い輝きを放つ2振りの剣。
「2人共、大丈夫?」
前を見たまま訊ねるリル。
「大丈夫です!」「ああ…!」
ドラゴンが痛みに叫ぶ。長い尾を振り回す。
「結構深くいったんだけどな!仕方ないか!」
リルは尾を交わしながら、手を前に突き出す。リルのとなりに風が生まれ、テルムとタイ2人を包み込み遠くへ運ぶ。
「うわっ風⁈」「リルさんの魔法です!」
リルの、魔法⁈
リルはドラゴンの爪や尾をかわしつつ、双剣で交互に攻撃していく。
「リルさんは、魔法を使える人間なんです!魔法石を使わなくていい、自分の手で魔法を使える数少ない人間!」
「リルが…」
ギャギャギィォゥ!
ドラゴンが爪で斬りかかる。降りかかる爪を右に避ける。横に振り回されたドラゴンの腕を、飛んで回避しそのまま腕に着地する。立ち上がり腕を駆け抜け、頭部を目指す。
「これで決める!」
リルの手の中で双剣が炎に包まれる。
肩まで登りきり、力強く飛ぶ。
「せい、やっぁっ!!」
炎包まれた剣をドラゴンの頭に突き刺さす。もう片方の剣を突き出す。空中にいる時間、何度も何度も剣を突き刺し、抜き、突き刺した。
頭から首、胸、腹、足へと、落ちながらも、ドラゴンに突き刺し続ける。ドラゴンから血が流れ続ける。元々赤かった身体が更に赤く染まる。染まってもなお、刺し続けるリル。地面に足がつき、ようやくその手が止まった。ドラゴンはすでに絶命しており、倒れる。
「…リル、大丈夫か?」
リルがゆっくりと振り返る。振り返ったリルの目は赤かった。つい先ほどまで綺麗だったオレンジの瞳は、狂気的な赤に変色していた。
「お前、目が…!」
「……?目?私の目がどうかした?」
「どうかしたって、いま……」
赤くなってると言おうとして、息を飲む。瞬きをした一瞬だった。瞬きをしている間に、リルの瞳は元の色に戻った。スッと赤から綺麗なオレンジ色に。
「……なん、でもない。」
不思議そうにするリルに、曖昧に笑いかける。
その後、しばらくリルを見続けていたが、リルの瞳が赤くなることはなかった。
夜、テルムは自室のベッドに寝転がっていた。天井に向け手を伸ばし、目を瞑る。まぶたに浮かぶのは、ドラゴンの赤い目、母さんの死体、今日見たリルの戦い。
「……俺は、強くなる。強くなって、誰も傷つかない世の中に!」
今日ドラゴンに襲撃された際、テルムは動くことができなかった。できたのは、石を投げて子供達を守ることだけ。
夕食の時、助けてくれてありがとう!と子供達に言われた。でも、俺は何もしていない。ただ見てることしかできなかった。そんな自分が悔しい。
しかし、なんの因果かここは教会。俺は教会に所属する1人。強さを手に入れられる。教会に入って、武器を手に入れて、強くなるんだ。死んでなんかやるもんか!しぶとく生き続けてやる!
思い描くのは神殿で舞うリルの姿。綺麗に可憐に舞っていたあの小さい身体だ。
自分に誓う。もう2度と逃げないと。同じことは繰り返さない。
闇夜に浮かぶ月は光を失うことなく、輝き続けた。
「…そう、決めたんだね。」
ティシアは笑う。まるで、分かってたよとでも言うように。
「はい、決めました。俺は教会に入ります。強くなって、2度と同じことを繰り返さないために、全力を尽くします。」
これは誓いだ。自分に対する決意表明。
「私は天使。神の使い。神からの言葉を伝えるもの。そして、神に伝えるもの。……役割はきちんと果たすよ。」
開かれた扉から光が差し込む。1人の騎士の誕生を祝福するように。誘うように。
「本当にいいの?」
心配しているのだろう、リルが話しかけてくる。
「大丈夫。もう、逃げたくないんだ。」
前を見据えた瞳は、鈍く。しかし、確実に輝きを秘めていた。