悪夢 前編
諸事情あって、三週間ほど更新できませんでした。ごめんなさい
「楓ちゃん、……かーえーでーちゃん!」
「はっ⁉︎あわわ⁉︎」
ぼんやりとしていた楓は、自分の名前を呼ぶ声に意識を呼び戻された。
「ご、ごめん!ボーッとしてた!」
「もう、やっぱりそうだと思ったよー」
楓の目の前で、少女は腰に手を当てて頰を膨らませる。薄い黄色のワンピースを着た少女の茶色っぽい髪がふわりと揺れた。楓はゴメンゴメンと頭をかくと、ずり落ちた大きめな眼鏡を指で押し上げる。
「それで、何の話だったっけ?」
「えっと、アレだよ、アレ」
「仁美ちゃん、アレって何?」
楓は笑いながら親友に尋ねる。少女は初夏の太陽の光に目を細め、遠くを見た。楓も不思議に思って、その方向を見る。孤児院の建物とは真逆の、五星の結界から離れた方向。そこには森が広がっていた。
「何か、見えるの?」
「あそこって、何があるのかなぁって、思ってさ。楓ちゃんはどう思う?」
楓は仁美の質問に答える。
「あの森かぁ……。涼子さん達は危ないって言うけどね、本当は……」
「本当は……?」
仁美は興味津々に目を輝かせる。楓はその瞳から目を逸らした。
「……ううん、何でもないよ。何があるんだろうねー?」
少しワザとらしい楓の答えに仁美は首を傾げた。訝しげに楓を見ていたが、仁美は目を伏せて再び森を見た。
「……ねぇ、楓ちゃん」
「ん?」
「……あの森、行ってみない?」
楓は仁美の提案に目を見開いた。
「え?あそこの、あの森?」
「うん、ダメ、かな……?」
仁美は大きい目を上目遣いでうるうるさせる。大人しい仁美がこう言うのは初めてだった。
楓が『無能』と認定されてから一年。楓の事を友達と呼ぶのは仁美だけだった。大人も含め、他の人達は楓を『無能』と呼ぶ。あの日、『無能』として突き離されてからはずっとだ。
しかし、そんな仁美のお願いでも、あの森に行くのは危険過ぎる。あの森は霊獣の棲まう森。本来、孤児院の子供があの森に行くことは許されていない。楓は『先生』との訓練で行く事は多いが、それ以外の他人を伴って行ったことはない。
そして、何よりも気になったのが、仁美が突然こう言い出した事だった。仁美は冒険は苦手な気質。そんな仁美が言い出したにはワケがあるだろう。それも、楓には言えないような。
「……わかった。いいよ」
「え?」
仁美は豆鉄砲を食らった鳩のようにキョトンとする。自分で言っておいて、楓が頷くとは思っていなかったようだ。
楓は確信する。もしも楓がこの誘いに乗らなければ、シカトの標的になるのは仁美である、と。それに、これはきっと、他のみんなと仲直りするチャンスだと思った。
「いいの?やったぁ!行こ行こ!」
仁美は嬉しそうに飛び跳ねる。しかし、その声は空々しく、笑顔は強張っていた。
森に向かって歩き出し、楓は不安になる。やはり、仁美には危険なのではないか。そう思うと、楓はとても心配だった。もちろん、仁美がとても優秀なのはわかっている。仁美は楓の学年でも一番の霊能力の才能があるのだ。
楓は横目で仁美の顔を見る。仁美はにこにこしながら、軽い足取りで森に向かって躊躇いなく歩いて行く。相変わらず、ワザとらしさが滲んでいたが。仁美は嘘をつくのが下手だった。
仁美の後について行く形で、楓は森へと足を踏み入れた。楓は神経を張り詰めさせる。仁美をしっかりと守らなければ、そう思った。
「『風刃』」
微かに術の名を呟く声が耳に届いた。仁美は気づいていない。そして、殺気のようなものは楓に向けられていた。
『かまいたち』の下位術式による風の刃、と言っても剃刀のような程度だが、が楓の服を切り裂く。楓はそれを気にせずに、周りを見た。
「遅かったじゃないか、『無能』」
そう言いながら、木陰から現れたのは楓よりも二つ上の少年だった。そして、少年に続いて更に子供達が姿を現わす。
「……ボクをもう一度仲間に入れてくれるの?」
楓は笑顔でそう言う。しかし、少年は楓の言葉を鼻で笑い飛ばした。
「はっ、『無能』なんか仲間に入れるワケねぇだろ。これが歓迎会だと言うなら、お前の頭もおかしいんだろうな」
少年は楓にその手にあるものを見せつけるように右手を上げる。楓は目を見開いた。
「ボクの……⁉︎」
少年の手にあったのは楓の愛刀『緋凰』だった。いつも自分の部屋の自分の側に置いている。盗られるような事は……。いや、まさか……⁉︎
「そうだ。お前のだ。仁美が持って来てくれたぞ」
唯一の可能性は同室の仁美。仁美は楓を裏切ってた……?今までの全ては嘘だった?
(信じたくないよ……)
楓は笑顔が消えた顔を仁美に向ける。縋るような楓の目から、仁美は顔を背けた。
「これが無けりゃ、どうせ『無能』は何もできないんだろ?」
少年はぶんぶんと鞘に入った刀を振り回す。楓は地面に視線を落とした。
「『無能』がここにいる必要は無い。『無能』は大人しく地面に這いつくばってろ」
ガッ
少年は刀を地面に放り、踏みつける。楓の顔が少し強張った。少年はこれを待っていたのだ。楓が親友と信じていた人に裏切られ、心折れるのを。周りの人達の目はとても冷たい。元々楓を人間とも思っていないような、そんな瞳。楓は自分の指が小さく震えているのにやっと気がついた。
「仁美ちゃんも、ずっと……?」
楓は仁美に問いかける。仁美はぎゅっと拳を握り、楓の質問には答えてくれない。
「……そっか」
楓はにこりと笑顔を浮かべた。楓を取り囲む子供達は驚きを顔に滲ませる。まさか笑顔で返されるとは思っていなかったのだろう。
「それでボクの事、どうするの?」
「……サンドバッグにでもしてやるよ」
少年は顔を悔しそうに歪ませて、そう呟いた。楓は笑顔のまま少年を見る。
「やれ」
暗い瞳をした顔が一斉に楓の方に向く。そして、楓に向かって拳を振り上げる。
「……っ!」
楓は避けようとはしなかった。振り上げられる拳を甘んじて受ける。霊力によって不完全ながらも強化された拳は、楓の身体を少しずつ傷つけていく。
口の端が切れ、血が滲む。再生が始まりかけた口の端を自分でもう一度噛んだ。そして拭うようにして血を伸ばす。治癒能力を悟らせないための小細工だった。
「楓……ちゃんっ!」
掠れた悲鳴のような声が耳に届いた気がした。地面に倒れる身体の、その視界の中で悲痛な顔をする仁美が見えた。
(なんだよ……、裏切ったくせに)
そんな思考が楓の心の中で木霊する。楓はそう思ってしまった自分を叱咤したかった。
子供達が息を呑んだ気配がした。
「……我に従いてその猛々し力を喚び醒まさん。烈火、荒れるが如くその……」
術の詠唱?
楓は少年がその術を自分に向かって放とうとしているのが理解できた。それも高等術式。高等術式は詠唱を必要とする。術者の熟練度や技量によっては省略することが可能となる。この少年にはそれだけの技量が無いようだが、いずれにせよ下手をすれば楓の命が吹き飛ぶものだ。
しかし、その状況で、楓の意識は別の所にあった。この森は霊獣の棲まう森なのだ。こんな所で高等術式を使おうものなら、霊獣が現れるのは確実である。そうなれば、武器の無い楓が全員を守り切るのは不可能だった。
記念すべき100話目!!
主人公は楓に戻り、時系列は二章の後になってます。といっても、楓と光希のダブル主人公になってるんですけどね。
しかし、なかなか読んでくれる人が増えない……。やっぱりシリアスすぎるからなのでしょうか……?
もしアドバイスなどがあれば、教えてくださると嬉しいです




