追跡
光希はゆっくりと瞼を開けた。その瞬間、ハッとして光希は飛び上がるようにして起き上がった。
隣にあるはずの伊織の気配がない。他の所にいるのかもしれないと思い、周りを見回す。それでも伊織の気配はどこにもなかった。
手の先から感覚が消えていく。視界が暗くなるような錯覚に光希は襲われた。
思えば、寝た時の記憶が曖昧だ。ただ、鮮明に覚えているのは突然襲ってきた強烈な眠気。
なぜ……?
そこで光希はある可能性に思い当たった。
伊織が光希を術で眠らせたのだ、と。
頭を振る。そんな事あるわけがない。そう思いたかった。
しかし、同時にそれ以外にあり得ない事もわかってしまう。誰かが隣で動いたなら、光希は絶対に気づくから。伊織は人間の精神を操る。その能力を使えば、光希を眠らせるくらい容易いだろう。
あの笑顔は嘘だったのだろうか……?
あの感謝の言葉も……?
信じたくない。
あの子を探さないと……。
でも、伊織はそれを望んでいるのか?
繰り返される自問自答に光希は呆然と立ち尽くす。どうしようもない虚無感が胸に広がった。
伊織に時間がないというのはこの事だったのだろうか、突然姿を消すという事が。それなら、もう光希は伊織を引き留める理由がない……。
……本当に?
光希と伊織の関係は何だったか。光希はそれを思い出す。
相川光希が命じられたのは、琴吹伊織の護衛。その任期は……その命が解かれるまで。光希はまだ、琴吹伊織の護衛である。その命に背くわけにはいかない。
そう気づいた途端、心から暗雲が消えすっきりと晴れていった。自分は何を迷っていたのだろう。光希は琴吹伊織の護衛なのだ。それをやめるという選択肢は存在しない。
光希は感覚が戻ってきた手を握りしめ、新たな覚悟を決める。
琴吹伊織を探し、救う、と。
そうと決まれば話は早い。伊織を見つけ出すのだ。
光希は壁に立てかけていた刀を掴む。刀を一度抜くと、電灯の光にかざす。まだ朝日は登っていなかった。刃こぼれが治っているわけではないが、刀の状態を確認しておきたかった。ひゅん、と振ってから鞘に納める。そして、刀を腰に吊った。
そのまま放置していたコートを引っ掴んで袖を通す。十二月の早朝はとても冷え込むのだ。寒がる余裕すら今はいらない。伊織を見つけ出す方が今は何よりも重要だった。
鍵を開け、部屋の中に鍵を放り投げる。チェックアウトなどしている場合ではない。光希は外に出ると、一瞬身体を震わせてぼろぼろの欄干を蹴った。めしゃっ、という嫌な音が後ろで響くがもう遅い。光希は隣の家の屋根に着地した。
一度立ち止まると、光希は目を閉じる。霊力を少しずつ解放していく。昨日の夜のように、幻想的な蒼い粒子が舞い始める。蒼い炎が揺らめき、目の前に青龍が現れた。一回目よりも少し早く呼び出すことができた。
普段なら、青龍は使えない。術が使える精霊魔術師は存在しないからだ。光希の存在は機密として扱われている。
しかし、今は手段を選べない。
光希は顔を上げる。青龍の凛とした瞳が光希を見つめ返してきた。
「伊織が消えた。探す手伝いをしてくれないか?」
最高位の精霊にぞんざいな口調で話しかけてしまった事にも意識がいかない。また、それで青龍が機嫌を損ねる事もなかった。
『うむ……、あの娘が?』
「ああ」
青龍が次に口にしたのは光希が望んだのとは違う答えだった。
『このままの方がいいのではないか?』
「どういう事だ」
思わず尖った声が出る。
『あの娘は助からない。今から命をかける必要はないぞ』
光希は青龍を睨んだ。青龍はそっと光希の瞳を見つめ返すだけだった。
「それでもいい。俺はあいつの護衛だ。もう一度言う、手伝え」
光希は青龍の話を思い出す。青龍の支配権は完全に光希の物。そう言ったのは青龍だ。
青龍は小さく頭を下げた。
『それだけの覚悟ならば、我は止めぬ。主人の命に従うまでだ』
光希は瞳をふっと和らげる。青龍が光希に逆らえないというのは本当のようだった。
突然蒼い光が瞬いて視界を奪う。そして、再び視力を取り戻した光希の前には何も居なくなっていた。ぐるりと辺りを見回しても何もいない。探しに行ったのだろうか。そう思って、光希は屋根を蹴ろうと足に力を込めた。
『ちょっと待て!我を置いていく気か⁉︎』
焦ったような青龍の声が聞こえる。しかし、いくら見回してもそれらしきものは見えない。
『下だ、下を見ろ!』
慌てた声に促され、光希は視線を下に落とした。
「……青龍?」
『うむ、如何にもだ!』
小さな蒼く光る蛇が、屋根の上で跳ねていた。その異様な光景に、光希は見なかった事にして目を逸らす。
『おい!ちょっと目を逸らすな!馬鹿者!』
さらに慌てた声が響く。ちらりと下を見ると、チビ龍が身体を張ってアピールを繰り広げていた。尻尾を振ってみたり、小さい手を振ってみたり、飛び跳ねてみたり……。四神とも言われる最高位の精霊が繰り広げる滑稽な光景に、光希は堪えきれずに吹き出した。
『笑うな!この馬鹿者!』
怒ったようにチビ龍が喚く。確かに笑っている場合ではない。一頻り笑った光希は青龍に手を差し伸べる。チビ龍は器用に光希の肩によじ登ると、そこに乗っかるようにちょこんと座った。
「……伊織の位置はわかるか?」
『うむ。あの娘の霊力は覚えているぞ。少し時間をくれ』
緊張感を含んだ光希の声に、青龍は気負いなく答えた。伊織を見つけ出す事に関してかなり自信があるようなので、信用しても大丈夫だと判断する。
「わかった」
青龍の霊力が活性化する。伊織を探しているのだ。霊力を薄く広範囲に広げ、その圏内の霊力を感知する。この作業には高度な技術と高い霊力感知能力が要される。こんな芸当は精霊でもなければできないだろう。
『いたぞ。ここから少し離れた場所。北の方だ』
「了解」
光希は肩に青龍を乗せたまま屋根を蹴り、暗がりの中を駆け出した。
日が昇るまでまだ少し時間がかかる。早朝の身を切るような寒さが、駆ける光希の頰を叩く。
目を細めて、冷たい風に耐える。
『娘の霊力は先程から強くなったり弱くなったりを繰り返している。霊力の位置を探す努力はするが……』
青龍の言葉の最後は風に消えた。光希はそれを聞く気もなく、ただ頷いただけだ。
さらに光希は速度を上げる。伊織を見つけたいという気持ちが早り、光希の足を速くする。まだほとんど車が通らない道路を飛び越え、前へと進む。
風を切る音が耳を掠めていく。日が昇り明るくなってくるはずなのに、いつまで経っても明るくならない。今にも雪を降らせそうな灰色の雲が空を静かに覆うだけだった。不吉な予感ばかりが光希の中で膨らんでいく。そしてその焦りが光希を急かした。
『北東に進路を変えろ』
「わかった」
青龍の指示に従って、進む方角を修正する。青龍の指示はさらに細かくなっていく。
目的地はすぐそこだった。
実は初めの方に光希が楓がいない事に気付いたのにも、青龍の霊力感知を使っていました。
かなり青龍の性格がお茶目になった……?




