護衛
老人の確固たる意志を持った視線が楓の揺れる瞳を貫く。この目は、何かを知っている目だ。この老人は、楓が知らない何かを知っている、そんな気がした。
でも……。
楓は少し瞳を大きくする。そして、思い切って口を開いた。
「ボク……いえ、私はそれでも無能力者です。そんな霊力を持たない人間が天宮家になんてなれません」
「ふむ、ならその名はどう説明する? 天宮の名は当主によって与えられる称号に近い物。それを生まれた時に与えられる人間など今まで存在した事がないのだ」
健吾は眉を上げ、楓を見る。楓はその迫力に気圧される。
「ですがっ……!」
「類稀な戦闘能力と身体能力。そして、……特殊な力。それだけでも、天宮になり得る物がある」
楓は目を見開いた。
「……っ! なぜそれを……」
「私は天宮家に仕える者なのよ、楓」
良子が口を挟んだ。楓は弾かれたように良子の顔を見る。
「良子、さん、が……?」
「ええ、今まで黙っていてごめんなさい。私の任はあなたの監視と守護だった……。そして、あなたに稽古を付けていたあの人も、天宮家に仕えているのよ」
初めから決まっていたというのは本当にそのままの意味だったのだ。楓には拒否権も選択権も無い。ただ、これを受け入れるしか無い。
健吾は楓の冷静になった顔を見て、言った。
「お前はもう天宮家の人間だ。その事をしっかりと心に刻んで欲しい」
「……はい」
楓は静かに運命を受け入れる。
最初から、『無能』の楓には、力のない楓には、何も出来ないのだから。
「藤峰、あの二人を呼んできてくれ」
「は、」
楓の背後に控えていた良子は楓を残して、部屋を出て行ってしまった。書斎にいるのは、楓と健吾だけ。息が詰まりそうになる。
楓は黙って良子を待つ。
この老人が何を思っているのかがまるで読めない。それが余計に怖い。何の理由もなく楓を天宮家に迎えるような人物には到底見えないのだ。何か理由があって、この時期に楓を迎え入れたのだろう。
じりじりと嫌な時間が過ぎていく。寡黙な健吾が口を開く事はなく、楓もただ立っているだけだ。
(良子さん、早く帰ってこないかな……)
誰を呼んでくるのかは知らないが、この空間に居続けるのが苦しい。
突然祖父だと分かっても、この老人には甘えるなんて事は絶対に出来ない。……そもそも、そんな性格をしていない。
だが、この人が霊能力者達を統べる長なのだと説明されれば、簡単に納得がいく。
天宮健吾はそういう人物だった。
「連れて参りました、御当主様」
扉の外から良子の声が聞こえた。
それで楓の緊張は少し和らぐ。知っている人がいるのといないのとでは天と地ほどの差があった。
「入れ」
健吾は低い声を発する。
扉が開く気配がした。
「……!」
楓の後ろで誰かが息を呑んだ。楓は恐る恐る振り返る。
「……え?」
思わず声が出た。
入ってきた二人は、楓の見知った人だった。
同室の下田木葉と、クラスメイトの相川光希。二人とも、学校で既に言葉を交わした数少ない人だ。
木葉は楓に向かって微笑んだ。あまり驚いた感じはない。つまり、驚いていたのは光希の方だ。その光希は無表情で楓を見ていた。
「お互い既に知り合いのようで良かった。君達に話があって呼んだのだ」
光希の無表情から更に表情が消える。無表情から表情が無くなるなどおかしな話だが、そうとしか形容できない。
「紹介しよう。彼女が私の孫、そして先代当主天宮桜の娘の天宮楓だ」
光希の眉がピクリと動いた。その目は何故、という疑問の色を浮かべている。楓はその視線に目を伏せた。
「そこで相川光希、お前に天宮家当主として任務を与える」
静かに健吾が告げる。
「お前の任務は天宮楓の護衛だ」
空気が凍った。
光希の顔が険しくなる。
楓はポカンとして健吾と光希の顔を交互に見た。どう考えてもこの展開はおかしい。楓は話について行けなくなって戸惑った。
そして光希の顔は、明らかに護衛という任務を嫌がっている顔だ。無表情が崩れ感情が見えるほどに、光希は護衛を嫌がっている。
楓としても護衛など願い下げだ。守られなくても生きていける程度には武術を嗜んでいる。それに、こんな冷たい奴に守られたくなかった。
是非とも断ってもらいたいものだが、健吾がそれを任務と呼んだからには拒否権は光希に無さそうだ。
返事をしようとしない光希に健吾は言う。
「これは決定事項だ。お前に拒否権はない」
有無を言わせない口調。健吾の尖った視線が光希に突き刺さる。光希の顔から表情が消えた。楓に向かって話しているのではない事が分かるのに、楓はその威圧感に気圧された。
「……はい、分かりました」
光希は頭を下げる。その口元は引き結ばれ、微かに顔は強張っていた。
光希が任務を受けたのを見計らい、健吾は楓に向き直る。
「相川光希がお前の護衛をする事になった。よろしく頼む」
「……はい」
楓は不本意に思っているのを隠しながら、小さく頷いた。拒否権がないのは楓も同じだった。
「光希、頑張ってね〜」
木葉だけが空気を読まず、にこにことしている。完全にワザとだ。そんな木葉を睨んだ光希の目は、刃物のように鋭利な光を帯びていた。視線で人体も切れそうだ。
「この任務は極秘の物だ。二人とも心しておくように」
「「はい」」
返事をした声が被った。楓は光希の方を見てしまい、向こうも同じようにこちらを見ている。当然のように目が合った。光希は楓を睨んだ。楓も睨んで返す。お互い護衛なんて認めていないという意思表示だった。
「では話はこれで終わりだ」
健吾がそう言うと、良子が代わりに口を開いた。
「楓様、光希様、相川みのる様が裏庭でお待ちです」
息の詰まりそうな空気の中、良子の声はよく響いた。良子の言葉遣いはもう楓の知ってい物ではない。楓は不安を隠せずに良子の顔に答えを求めた。
良子は楓に答えない。ただ穏やかな笑顔を見せただけだ。突き放された気がして、楓は顔を凍りつかせた。
天宮として認められるというのはこういう事なのだ。
今になってその本当の意味が分かった気がする。ここに来る前とは決定的に違う。
(……なんか、寂しいな)
前を歩く良子の後ろ姿が遠い。このまま置いていかれそうで、楓は足を早めた。
「……あの、相川みのるさんって、誰なんですか?」
楓は良子に聞く。隣を歩く光希の顔が引きつった。良子はどこか呆れたように微笑む。
「行けば分かりますよ」
良子はそう言うのだが、そんな名前の人を楓は知らない。楓は首を傾げた。
キョロキョロしながら歩いていると、裏庭に着いた。
「相川みのる様は外でお待ちです。靴はこちらに移動させてありますので」
「あ、……ありがとうございます」
楓はよそよそしい良子に礼を言って、縁側から足を下ろし靴を履く。外に出ると、涼しい風が肌を滑っていった。五星の中とは空気が違う。不思議な感覚だった。
「楓、久しぶりだね」
突然声を掛けられ、楓はビクッと肩を震わせた。
「せん、せい? ……なんでここに?」
長身の男が楓の前に立っている。整った顔に黒い髪。切れ長の瞳が優しそうな光を浮かべ、楓を見ていた。最近何処かでこの顔によく似た人を見たような気がするが……。
「私が相川みのるだよ」
「え、はあ? そうなんですか⁉︎」
目をパチパチさせ、みのるの顔を見つめる。相川みのるは楓に五星の外で生き抜く術を教えてくれた大事な人だ。無能力者である楓がみのるから教わったのは、徒手格闘と剣術だった。
それにしても相川、何処かで聞いた名前だ。
……まさか?
楓は後ろを振り返った。無表情でそこに立つ光希の苗字も相川だ。
「そう、光希は私の息子だよ。君の護衛になったのは知っているだろう?」
「あ、はあ……?」
「……俺は認めていない」
光希がみのるを睨みつける。みのるは目を細め、薄く笑う。
「御当主様に言われた筈だ。既にこれは決定事項、お前に拒否権はない、と」
「なんでこんな奴の護衛なんかしなければならないんだ!」
無表情だった光希が声を荒らげる。楓は驚いて光希を見た。
「光希、楓はもう天宮の人間だ。私達には命令の拒否権は与えられていないんだよ」
光希は悔しそうに口を引き結び、楓を睨んだ。
「先生……、ボクも護衛なんていりません」
楓はみのるに向かって呟く。みのるはニコリと微笑んだ。
「これはずっと前から決められていた事なんだ」
「でも……!」
不服そうな二人の顔を見て、みのるは一つの提案をした。
「それじゃあ模擬戦をして光希が勝ったら考えても良いかな」
光希が訝しむように楓とみのるを交互に見る。みのるは光希がその勝負に勝てないのを知っているように見えた。
だが、楓が手を抜けば別だ。
そしてそう思った楓の心を見透かしたようにみのるが付け加える。
「手抜きしたらすぐに分かるよ、楓」
「う……」
「ほらっ」
みのるは何かを楓に放り投げた。
「おっと、とっとと……」
アワアワと楓は寄越された物を受け止める。
楓は顔を輝かせた。
それは名を『緋凰』という楓の刀だった。
鞘から刀を抜くと、涼やかな金属の擦れる音が奏でられ、赤みがかった刀身が姿を現した。
「光希、術はなしで身体強化だけで戦ってほしい。楓はいつも通りで良いよ」
「身体強化は使って良いのか?」
「うん。……間違っても手加減しようだなんて考えてはいけないよ。楓にはそんなんじゃ勝てない」
光希は覚悟を決めた目つきで小さく頷いた。
「分かった」
みのるはその顔を見て、満足そうに微笑んだ。