解呪
「……それがお前がここに来た理由か……」
光希は呆然と呟くように言った。あまりの情報量に頭が追いつかない。この力を完全に操れるようになれば、このままではいられないだろう。それは自分にとって本当にいい事なのかは光希にはわからない。ただ、一つだけ言えるのは、自由になれる可能性ができたという事だ。しかし、それにすら裏があるように感じてしまうのは、ただの思い過ごしだろうか。
伊織は光希の目を見て頷いた。
「そう。だから、私は光希君にかけられた呪いを解く……。そのためにここに来る事を許されたから」
少し寂しそうに伊織は微笑んだ。
「魂に刻まれた術式を解くにはかなり時間がかかるよ。それに、負担も……。それでもいい?」
光希は即答した。
「いい。っていうか、しないっていう選択肢は用意されてないだろう?」
ニヤリ、と口の端を上げる。伊織はふっと顔を緩め、同じように笑い返してきた。
「そうだね。これで光希君はもっともっと強くなれる。間違いなく、ね。それじゃあ、ついて来て」
伊織は光希に背を向け、マンションの部屋を歩き出す。何かを探しているようにドアを開け閉めし、立ち止まった。
「……ここがいいかな」
不思議に思って伊織の上から部屋の中を見る。どう見てもただの寝室だった。
「……どうしてここなんだ?」
伊織はきょとんと光希を見上げる。
「え?だって時間かかるから。それとも床で寝そべる方が好きだったりする?」
「……。いや、何でもない」
変な勘違いをされそうなので、これ以上何も言わない事にする。伊織はそんな光希を特に気にした様子はなく、普通に中に入っていく。どこからか引っ張ってきた椅子をベッドの側に配置すると、光希を手招きした。
「はい、光希君、ここに寝て」
「……」
言葉が出ない。色々な意味で勘違いを引き起こしそうな言葉だ。光希は渋々ベッドに腰を下ろす。伊織はなぜか腕を組んで唸った。そして、突然手をポンと叩く。
「光希君、服脱いで」
数秒が経過した。
「……は?」
光希は口をポカーンと開けてしまう。
ナニイッテルンダコノコハ……。
爆弾発言した事に気付かない伊織は、固まる光希を焦ったそうに見る。
「もう、だから、上着脱いで」
「……あ、そ、そうか」
固まった思考が融解した。光希は先程の侵入作戦によってぼろぼろになった上着を脱ぐ。少しだけ身体が軽くなったように感じられた。
光希は身体をベッドに横たえた。戦って神経を擦り減したため、寝てしまいそうだ。ふと、伊織が明日でなく今にした事が気になった。光希には伊織が焦っているように見える。何に焦っているのか、とても重要な事のはずなのに、光希にはなぜかその理由を聞くことができなかった。
光希は重い瞼を開けて、伊織を見上げた。伊織は光希を微笑んで返す。
もし、これが終わったら、伊織はここから居なくなるのだろうか。
そんな不安が光希の心を過ぎった。下田木葉も、伊織には時間がないと言っていた。それが光希が思った意味ならば、伊織は確実にここからいなくなる。それは……。
「光希君、始めるよ」
どこか緊張した伊織の声に、光希は思索を中断せざるを得なかった。
「……頼む」
「うん、絶対に失敗しないから、安心してね」
光希は微かに笑顔を浮かべ、伊織に応える。伊織は一度頷くと、顔から笑みを消した。
伊織は目を閉じて光希の額に手を伸ばした。ひんやりとした手の感触が伝わってくる。光希はその感覚に身を委ねて目を閉じた。
伊織の身体から霊力が溢れ出す。研究所でも思ったのだが、そのかなりの霊力保有量に、光希は内心舌を巻く。
伊織が緊張して、身体を固くしているのが気配でわかった。もちろんそれがわかったところで光希には何もできないのだが。
伊織の霊力が光希の霊力を包み込む。精神が伊織によって包まれていく感覚があった。
普通、他の人の霊力にこうやって干渉されると、多少の抵抗感が生まれる。しかし、伊織の霊力にはそれがなかった。全く苦痛ではない、むしろ自分の霊力と錯覚してしまいそうなほどだった。
おそらくこれが、『琴吹』の秘密。誰にでも受け入れられる霊力によって、相手の精神、つまりは霊力の根源に干渉する。それが『琴吹』なのだ。恐ろしく高度な演算による必殺の攻撃。それをいとも容易く行う伊織は兵器としてかなり優秀なのだろう。
光希の身体に激痛が走った。歯を食いしばり、呻き声を上げないようにする。しかし、顔を痛みに歪めるのは堪えられなかった。
伊織が何かに触れたのだ。伊織は眉を寄せ、さらに精神の深くへと潜る。
天宮によって埋め込まれた術式は、もっと深くだ。
その術式は、光希を縛る呪い。天宮から逃げられず、天宮に従い続ける。逆らう事などまずできない。そんな術式を光希は精神の奥深くに埋め込まれていた。
そして、光希が戦えない理由。それは、その術式が光希の霊力を縛っていたからなのだ。
精霊は霊力を喰らい力を使う存在。契約を結ぶ事で、適性のあるものは手に入れる事ができる。しかし、その代償として霊力の全てを精霊に譲渡する必要がある。精霊が霊力を扱う領域に居座る結果となり、通常術式は一切使えなくなる。
その壁を越えた光希は、人並み外れた霊力の保有量と二つの霊力の領域を持つ事でその矛盾を解消していた。その二つの霊力の領域を繋ぐ部分を霊力で縛られているが故に、光希は欠陥品となったのだ。
皮肉にも、最強の兵器を作り上げようとした天宮家によって。
光希は伊織が自分の中にあった異物を見つけた事がわかった。今まで、そこにそんな物があったのには気づかなかった。伊織が指摘して、そこでやっと気付いたのだ。
もう光希にもわかる。それが光希を縛っている物であると。
「……っ!」
痛みに頭が真っ白になる。意識を手放してしまいそうな激痛。だが、ここで意識を手放せば失敗する、と直感が叫んでいる。光希は必死に気を失わないように、握った手の平に爪を立てた。
伊織の霊力がさらに活性化する。術式を解除する作業に入ったのだ。伊織の額を汗が伝った。ここまで高度な作業をした事がなかった。絶対に失敗しない、と光希に言ったのは自分にプレッシャーをかけるためだった。絶対に失敗できない、成功させなければならない、と。光希を救う事ができるのは、自分だけだから、伊織がやらなければ光希は欠陥品として天宮に潰されるだけだから……。
(絶対に光希君を救ってみせる……!)
伊織は術式を解読、分解させていく。その度に光希が苦しそうに身体をよじる。伊織は唇を噛み、さらに集中力と霊力を注ぎ込む。
「……終わ、った……」
伊織は唇から垂れた血を手の甲で拭う。集中するあまり、唇を噛み切ってしまった事に気がつかなかった。目を閉じた光希の顔を見る。険しい顔のまま、深い眠りについていた。
伊織はほぅっ、と息を吐く。張り詰めていた緊張の糸が緩み、どっと疲れが押し寄せてくる。頭が熱い。あまりにも脳を酷使し過ぎて、頭が熱っぽくなっていた。
「……もう、これで光希君は私と同じ運命を辿らなくて済むね……」
伊織は小さく微笑んだ。確かに笑顔をしているのに、その顔は今にも泣き出しそうなほどに哀しく見えた。
そして、伊織は光希に覆い被さるように眠りに落ちた。
伊織は光希を救いました。光希は伊織を救えるのか……?




