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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第3章〜孤高の天才と聖夜の祈り〜

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下田木葉

 もうここまで来れば大丈夫だろう。そう思って、光希は息を吐き出した。


 夜でよかった。昼間で人が出歩いていれば、全身ぼろぼろで血塗れの中学生はかなり人目を引いただろう。そんな場面を想像してみると、緊張しきった感情が少しだけ緩んだ。


 とはいえ、伊織は気を失い、涼は重傷、夏美は足に傷を負い、光希の身体も無事ではない。かなりの痛手だった。本当に今生きているのが奇跡みたいだ。


 明るい電灯が青白い光を地面に落としているのが見えた。もう街に入ったようだった。明かりを消した家が道の脇に立ち並び始める。非日常から日常に帰ってきたという事を感じさせるような光景だった。


 光希は遠くに視線を向けた。街の中心部はまだ眠りについていない。色とりどりの光が踊って見えた。


 夜の街は不思議な活気がある。もうすぐクリスマスだからだろう。何を祝うものなのかを知らなくても、イベントと名前がついたものはそれだけで浮かれる理由になる。その浮かれた人々が、今は少しだけ疎ましく思えた。


「あら、遅かったじゃない?」


 空から声が降ってきた。光希はその方向を睨み、反射的に鋭く声を発する。


「誰だっ!」


 ふふふ、という笑い声が聞こえる。どこか艶めかしいその声は、すぐ隣の家の屋根から聞こえていた。


 声の主が立ち上がる。月明かりに照らされて、美しい少女の姿が目に映った。


「誰……?」


 惚けたように夏美は呟く。その少女の姿はあまりにも現実離れしていた。風になびく、黒よりもさらに黒い真っ直ぐな髪、白磁の肌、そして月を写す黒い瞳。少しつり目なその瞳は少女の美しさを際立たせていた。


 少女は屋根から跳んだ。長い黒髪がふわりと広がる。そして、音もなく地面に足をつけた。まるで体重が無いかのような動き。明らかに少女が上位の者である事がわかった。


 ゴクリと息を呑む音が隣で聞こえた。


「ん……」


 光希は声がした方に弾かれたように顔を向けてしまった。相手が敵かどうかがわからない状況で、目を離すのは命取り。すぐに後悔したが、目の前の少女は微笑むだけで、襲ってくる気配もない。


 伊織はゆっくりと目を開いた。


 光希は安堵に微かに顔を緩ませた。死んでしまうかもしれない、という恐れで顔が強張っていたのだ。


 伊織は夏美の背中から降りる。危なっかしくよろめいて、伊織は地面を踏みしめた。


「……あなたは、誰?」


 伊織は天使のように微笑みを浮かべる少女を紅い瞳で睨みつける。その態度を気にした様子もなく、少女は口を開いた。


「私の名前は、下田木葉よ。天宮家のご当主様に仕える者」

「天宮……?」


 光希は不審に思い、少女の瞳からその真意を読み取ろうと目を合わせる。少女、木葉はにこりと微笑み、その瞳からは何も読み取れない。


「天宮家がなんで僕達に?」


 重傷を負っているとは思わせないように、涼は平然とした顔で木葉に尋ねた。木葉は楽しそうに髪の毛を指に絡め、離す。ぱさりと髪の毛の房がが広がった。


「そうねぇ、琴吹伊織の件について、かしら」


 その言葉で空気に緊張が走った。伊織は木葉に向ける視線に、さらに警戒の色が深まる。


「下田さんが、天宮の人だという証拠はあるの?」


 夏美は鋭く指摘する。木葉は困った顔を作り、肩をすくめる。その動作はわざとらしかった。


「うーん、証拠ねぇ?確かに完璧な理由になるものは無いかもしれないわ」


 木葉は細く長い人差し指を顎に当てた。


「私が知ってるのは……光希が『相川』の研究によって生み出された兵器だ、とかかしら?」


 ぞくり。嫌な感覚が走る。木葉の顔は明らかに微笑みの形をしているのに、目が全く笑っていない。


 こいつは全てを知っている。


 直感だった。知っているからこその得体の知れない感覚。そして、木葉は光希の名前をいつもそう呼んでいるような慣れと共に口にした。


「……それで何がお前の用だ?」


 光希は静かに問いかける。木葉はクスリと笑った。


「あら、意外と飲み込みが早かったわね」

「光希⁉︎」


 涼が驚愕の声を上げる。


「まだ、本当にそうとはわからないよ⁉︎」


 木葉が視線を涼に向けた。涼は身体に力を入れて身構える。


「まだ他の三人は、信じてくれないのね」


 そう言いつつも木葉は全く残念そうでは無い。


「どうしたら信用してくれるかしらね〜?」


 木葉の姿が掻き消えた。光希は目を開く。涼の首筋すれすれで手刀が静止していた。


「……今ので死んでたわよ」


 硬直する涼の耳元に木葉は囁く。光希にも目で追えなかった。明らかに実力は上。それも天宮の側近になれるくらいの実力だ。


「涼っ!」


 叫んだ夏美の肩に木葉の手が乗った。ひっ、と夏美は息を呑む。やはりその動きは目で捉えきれなかった。木葉はにこりと笑顔で夏美を見る。夏美は木葉を睨みつけた。


「実力は確かみたいだね……。あなたに殺す気があったなら、私達はもうとっくに死んでた。いいよ、とりあえずは信じるよ」

「ええ、」


 木葉は満足そうに頷き、三人からゆっくりと歩いて距離を取る。数メートル離れたところで木葉はくるりと振り返った。


「じゃあ、手っ取り早く用件を伝えるわ」


 木葉の目が細められた。笑いが顔から消える。


「……涼と夏美はもうこの件には関わらないようにしなさい」


 涼は訝しげに木葉を見る。夏美もまた、今すぐ食ってかかりそうな顔をしていた。


「もう、そんな顔しないで。これは本家からの命令でもあるんだから」


 さらに木葉は続ける。木葉の瞳が鋭く尖った光を帯びた。


「これ以上関われば……死ぬわよ」


 涼と夏美は悔しそうに下を向く。きっと薄々気づいていたのだろう。しかしそれは光希も同じこと。なぜ、木葉は自分だけ関わらせようとするのだろう。


 光希が戦闘兵器だから?

 それとも、伊織の護衛だから?


 考えても答えは出ない。光希には答えが出せない。


 伊織の手がそっと光希の手に触れた。光希はその手をぎゅっと握る。


 木葉の視線が伊織に向いた。伊織の手に力がこもる。


「伊織、この二人の治癒、できるかしら?」


 伊織はコクリと頷いた。木葉はさも当然というように頷く。そして、再び涼と夏美にそれぞれ目をやった。


「伊織の能力はもう知ってるわよね?」


 二人は頷く。


「精神というか、人間の内面に直接働きかけるのが琴吹伊織の能力。それを応用すれば、治癒だってできるのよ。人間の持つ治癒能力を大幅に引き上げ、急速に治癒させる。伊織、頼んだわ」


 伊織はコクリと再び頷いた。するりと光希の手から手が離れる。温もりだけが光希の手の中に残った。伊織は涼の隣に立つ。


「……横になってもらっていい、ですか?」


 固い伊織の言葉に涼はそっと頷いた。地面にゆっくりと身体を下ろし、横になる。伊織の膝が頭の下にあった。伊織のひんやりとした手のひらが涼の額に乗る。その手はとても心地よく、安心した。涼は身体から力を抜く。伊織の周囲で少しだけ霊力が活性化したように感じられた。


 伊織は目を閉じて、手探りをするように霊力を涼の中に伸ばしていく。涼は安心したような表情で伊織になされるがままになっていた。


(見つけた……)


 伊織は精神の一部に少しだけ霊力で細工する。これで治癒能力が一時的に飛躍的に上がるはずだ。


 涼は目を開けた。痛みが嘘のように消えている。手で傷があった場所を探しても、そこには傷など存在しなかった。


「治った……」


 涼は身体の様子を確認しつつ、立ち上がる。そして、にこりと伊織に笑いかけた。


「ありがとう、」


 伊織は大きく目を開いた。顔の寂しそうな影が一瞬消えたように見えた。


「じゃあ、夏美もよろしく」


 木葉に促され、同じ作業を夏美にも施す。夏美は伊織に笑顔で感謝の言葉を述べた。伊織はその後、木葉に向かって口を開いた。


「……光希君も治す」


 木葉はにこりと微笑み、許可を出す。光希は伊織に身体を預け、目を閉じた。ひんやりとした手が額にそっと触れられる。なんとも言えない暖かい感覚に光希はほぅっ、と息を吐いた。伊織の霊力が消える。伊織が立ち上がるよりも前に光希は目を開けて、伊織の顔を見つめた。驚いた伊織は目をパチパチさせる。光希は精一杯の笑顔を伊織に向けた。


「……ありがとう」


あの人が現れました

次に続きます

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