伊織の力
光希は朦朧とする意識を必死で繋ぎ止め、身体を起こした。伊織に背を向けて、刀を構える。
もう全力で戦うしか……
「ダメ……」
そう思った光希の後ろで声が聞こえた。呟きのような小さな声だ。
「ダメ……。私のせいで誰かが死ぬのは嫌だよ……」
光希は後ろで霊力の気配を感じた。
「い……、おり?」
伊織の身体を霊力の渦が取り囲む。膨大な量の霊力が伊織の周囲で静かに荒れ狂っていた。
「……もう、これ以上誰かが、光希君が、傷つくのを見ていられないよ」
光希を排除するために視線を向けていた兵器達の視線が伊織に向く。その霊力から敵だと認識したようだった。一人が伊織に向かって手を伸ばす。光の玉をその手に宿して。
撃ち殺すつもりだ!
瞬時にそれを理解した光希は行動する。
「伊織っ!」
光希は伊織の前に出た。しかし、伊織はそれを拒んだ。伊織の哀しそうな顔が一瞬目に映る。その顔に言葉が出てこなくなった。
「大丈夫だよ、光希君」
そう言い終えた伊織の瞳から全ての感情がストンと抜け落ちた。
「首斬り」
伊織の呟きと同時に伊織を撃とうとしていた少女の首が、鮮血を撒き散らしてゴロリと落ちた。
「なっ⁉︎何が……?」
光希の驚きを無視し、伊織はさらに違う少年に視線を向けた。まるで照準を定めるように。
「窒息死」
再び伊織は無機質な声で呟いた。少年は溺れてでもいるように、首を押さえる。そしてそのまま、もがき苦しむような顔をして崩れ落ちた。
そこでやっと光希は気づいた。伊織が口にしているのは、死に方だという事に。そしてこれが『琴吹』最高傑作としての姿だと。
伊織はさらに違う少年や少女に視線を向ける。
「ばらばら」「毒殺」「心肺停止」「爆裂」……
伊織が視線を向け、死に方を口にするだけで、その通りに人が死んでいく。この場を支配しているのは伊織だった。
おそらくこの能力の弱点、視線を合わせなければ使えない、というのは、思考能力を失った彼らには意味を成さなかった。
統率すら取れていない兵器達はばらばらに伊織に攻撃を仕掛けようとして、その前に伊織に命を奪われていく。
それでも人格破綻、人間としての感情も思考能力も失くした兵器達は、苦しみの声すら上げない。どれだけ強くても、精神に攻撃を仕掛ける伊織には全く歯が立たなかった。
また一人、また一人と人が死んでいく。しかし、伊織の紅い瞳は感情を映さないままに澄んでいた。無表情のはずなのに、光希には伊織がとても哀しそうに見えた。
光希は目を見開いた。
殺戮を続ける伊織の姿は、とても哀しくて綺麗だった。場違いな感想だ。それはわかっている。だが、ひたすらに美しいのだ。まるで天使のようで。
「伊織ちゃん……」
夏美はやっとのことで身体を起こし、伊織を見上げた。ああ、これがこの子の本当の姿なんだな、と不思議とストンと腑に落ちた。
光希は思わず握った刀に力を込めてしまっていた。
伊織は光希達の為だけに戦っている。あれだけ自分の力を嫌っているあの子が……。
それは嬉しいようで、光希には辛かった。歯を食いしばる。口の中に血の味がした。
女の子一人、守れない自分の弱さ。
伊織の護衛なのに、伊織に守られる自分。
ー悔しい。
光希は心を殺しながら戦う伊織の背中を見つめた。
もっと、強くなりたい……!
そう思ったその時、ドサリと、最後の一人が崩れ落ちた。
目の前の伊織の身体がふらりとする。伊織は糸が切れた操り人形のように後ろに倒れ込む。光希は地面に着く前に伊織の肩を抱きとめた。
華奢で力を入れたら壊れそうな肩だ。その肩にどれだけの物を背負ってきたのだろうか。きっとそれはこの華奢な肩では背負い切れない。
「伊織っ⁉︎大丈夫か⁉︎」
見るからに青ざめた顔でグッタリと目を閉じた伊織に光希は叫ぶ。まつ毛を震わせて伊織は薄っすらと目を開けた。
「……大丈夫、だよ」
そう言って、伊織はグッタリともう一度目を閉じた。
「……全然、大丈夫なんかじゃないじゃないか」
光希は伊織から目を離し、周囲を見渡す。夏美が辛そうに笑顔をゆっくりと見せた。
「伊織ちゃんを守れなかった……。悔しいよ……」
夏美は唇を噛み、下を向く。夏美の中で色々な感情がごちゃ混ぜになって暴れていた。
「神林は……?」
光希は青ざめた顔で目を閉じる伊織をしっかりと抱いたまま、呟く。
「……ちょっと、……忘れてもらっちゃ困る……かな……」
光希の声に苦しげに掠れた声が応えた。
「涼っ⁉︎」
夏美が顔色を変えて倒れた涼に駆け寄る。涼は顔を痛みに顰めて、身体を起こした。
「いたっ、……一応、止血は……、したけどね」
「大丈夫じゃないよ⁉︎早く手当てしなきゃっ!」
夏美は涼の腹部の傷からまだ滲み出ている事にすぐに気づく。治癒は汎用できる術式がない。夏美では、涼の傷を治す事も血を止める事もできないのだ。
「早くここから出るぞ」
光希は焦りを浮かべる夏美に声をかけた。夏美はハッとして、冷静になる。
「そうだね……。それが先、」
「ああ。荒木、伊織を頼む」
光希は夏美に伊織をそっと預け、涼の肩に手を回した。涼はよろけつつも、光希の肩を支えに歩き始める。
「……ごめん。僕達じゃ……、役に立てなかった……」
涼は自分の心に杭を突き立てるようにそう口にした。悔しい、という感情で涼の顔は染まっている。光希は静かに首を振った。
「そんなわけ無いだろ。俺が真実を知る事ができたのはお前らのお陰だ。……力が足りなかったのは俺の方だ」
「光希……」
伊織を背負った夏美と共に、光希は急いで出口に向かう。兵器達に戦闘を任せた研究員達は、出て来ることはなかった。
元来た道を辿り、光希達は帰路に着く。もうかなり時間が経っていたようで、木々は暗闇に呑まれて沈んでいた。月明かりに、曲がりくねった木々は不気味なバケモノのような影を地面に落としている。光希達は搬入用の道路の隣を木に隠れて歩き続ける。
歩くのが辛い。身体は重りのようだった。
光希の肩を借りて歩く涼の息は荒い。ただ腹に刺さっただけではこうはならない。おそらくどこかの臓器を傷つけたりでもしたのだろう。
特殊な兵器と戦うというのはこういう事だ。まず普通の人間には勝ち目がない。文字通り次元を違えた存在と戦うのだ。無傷ではいられないのは当然の事だった。
むしろ、生きて帰れたのが奇跡だろう……
光希は一瞬夏美の肩に乗った伊織の顔を見た。幼い顔は苦痛で歪んでいる。何かを犠牲にしたのかもしれない。
(俺達が生きているのも、伊織のおかげ、か……)
光希の顔に影が落ちた。涼はその表情の微かな変化に気づいたが、何も声をかけられなかった。
大魔王降臨……!
は、もちろん冗談です
とうとう伊織が本当の力を使いました。これからどうするのか……。
光希は何を思うのか……。
次はある人が現れます




