欠けた真実
伊織が光希達を連れてきたのは、ある棚の前だった。一見すると他の物と同じ、という事は伊織が見せたいのはその中身。
どうして伊織は迷わずにここに来れたのだろうか。光希はそう疑問に思う。それから、さっきまで伊織の気配を近くに感じられなかった事を思い出した。その時に、何かを発見したのだろう。
『琴吹』の資料が並べられていた場所からはあまり離れていない。比較的新しい方の研究なのかもしれない。大量のファイルが棚からはみ出し、圧倒的な情報量を誇示している。ここに何があるのだろうか。伊織が光希に見るように促したのには理由があるはずだ。そう思い、光希は棚を見上げた。
「なっ……⁉︎」
光希は驚愕のあまり目を見開いて、声を上げた。
「これは……⁉︎」
「どういう事⁉︎」
光希より少し遅れて涼と夏美が驚きの声を上げる。
「……私と光希君はよく似てるんだよ」
伊織は感情を覆い隠した無表情でそう言った。その声は辛そうで、光希は唇を引き締める。真実を直視する覚悟を決めて、光希は棚をもう一度見上げた。
『相川』
そうラベル付けられた多くの資料。光希はゆっくりとそのラベルを指でなぞった。
これらの資料が意味するのはたった一つ。光希が『研究』によって生み出された『兵器』であるという事。そう思った時、頭の中で幼い頃の記憶が蘇った。
幼い光希にみのるが語った言葉。空白だった単語が音を伴って響く。
「光希、私達はね、天宮家の為に存在しているんだ。それ以外の理由では生きられない。存在する事を許されないんだよ」
それは『相川』が兵器だから。兵器として育てられ、それ以外の理由では生きられない。それになぜ、と尋ねた光希にみのるはこうやって答えた。
「それはね、私達が戦闘兵器だからだよ。光希は最高傑作だから、私よりもずっと辛い思いをする事になるかもしれない。あまりにも強すぎる力は自分自身をも滅ぼすんだ。そして、あの精霊だけは絶対に使っちゃいけないよ。それは研究によって生み出された存在する事のできないはずの力なんだ……。それに、それは不完全な物だから、使役するだけで光希に大きな負荷をかける……」
(俺は……、『相川』の最高傑作……)
様々な記憶が堰を切ったように溢れ出す。光希は頭を手で押さえた。
戦うことしか知らない、それ以外の事は教えられてこなかった。戦う以外の生き方がわからない、知らない。
物心ついた頃からやってきたのは、数々の武術、霊力の扱い方、戦闘用の術式……。
いつも何を考えているかわからないと思っていたみのるも、兵器である事を受け止めて生きてきていたのだ。あの笑顔の下に覆い隠した感情は計り知れない。何を思って、息子を兵器として育ててきたのだろう。そもそも、みのるは光希の父親なのだろうか。
(俺は、兵器として育てられていたのか……)
光希は誰とも関わらないようにしてきた生活を思う。
いつからだろう。いつから人を拒絶して生きるようになっだのだろう。暴走して誰かを巻き込んでしまうのが怖くて距離を置いてきたはずだ。しかしそれもまた、巻き込まれる人などどうでもよく、兵器である光希の存在を秘匿するためにそう思うように仕向けられていたのかもしれない。
振り返れば戦ってばかりの今まで。
これでは伊織と変わりない。伊織を救うつもりが、光希の立場も伊織となんら変わりないものだった。
(自分の正体すら知らない俺が、伊織を救うなんて……)
光希は自嘲に口を歪め、顔を上げた。伊織の顔と、涼と夏美の顔が目に入る。気遣わしげな表情を浮かべる二人に光希は行き場のない怒りを感じた。もちろん二人に怒りをぶつけるのはお門違いというもの。光希は怒りをぐっと飲み込んだ。代わりに拳を握りしめる。
思考で溢れかえりそうな頭を落ち着けるために、胸に手を当てて深呼吸をする。そして誰とも目を合わせずに、ファイルに手を伸ばした。
一番最初、『相川』の研究が始められたのは『琴吹』よりも早く、すでに第二次世界大戦の後から始まっていた。『相川』の研究テーマはとても簡単だ。最強の戦闘兵器を作る事、ただそれだけだ。幾世代にも渡って、戦闘能力の高い遺伝子を掛け合わせ、試行錯誤を繰り返し、実験を続けたのちに純粋な戦闘能力だけに特化した霊能力者が作られた。その最高傑作が相川みのるだった。
最後のページをめくる。そこで光希の手が止まった。
自分のページ。『相川光希』と記されている。しかし、そこには肝心の中身が欠けていた。
「能力と遺伝子情報、それから経過記録がないね」
涼が光希の手元を覗き込んだ。
「他の人にも、伊織ちゃんのにもあったのに……」
一番大事な情報がない。光希が一番知りたいのはそこなのに。ワザと消したようにきれいにそこがなくなっている。光希は紙をなぞる。やはり何も変わらない。
もしかしたら伊織なら知っているかもしれない。そう思った光希は、思わず伊織の顔に答えを探してしまった。
「そこの内容は、私も知らない……」
ぼそりと伊織は呟く。申し訳なさそうな表情に、その言葉が真実である事が理解できた。光希は唇を噛んだ。自分が本当は何なのか、わからないのがもどかしい。
「くそっ」
光希は小さな声で悪態を吐き、軽く地面を蹴った。
「ねえ、光希」
涼は鋭い目を光希に向けた。
「……何だ?」
涼の視線に、なぜか光希は後ろめたいような気持ちを覚える。
「光希が僕達を避けてきたのはこれが理由なの?」
「……!」
光希は反射的に目を逸らそうとした。しかし、涼は光希を逃がさない。
「お願い……。私達はそれが知りたいの」
夏美もそんな光希に追い討ちをかけるようにそう口にする。光希は視線を彷徨わせ、そこに逃げ場がない事を悟った。ゴクリと唾を飲み込む。
「さっきの驚きようから、理由はそうじゃないんだろう?本当の理由を教えてほしいんだ」
涼が嘆願するように言う。ここまで感情を露わにして話す涼を、光希は見た事がなかった。
「……俺が兵器として作られたのはさっき初めて知った。だが、俺がお前らを避けてたのは……、その本当の理由は、神林と荒木を傷つけたくなかったからだ」
涼と夏美は思わぬ言葉に目を見開いた。
「私達を傷つけない為……?それは、どういう……?」
「俺の能力は、不完全だ。全力で霊力を使うだけで暴走する。そうすると、制御ができなくなるんだ」
「暴走……?」
「ああ、そしてそれは容易く人の命を奪う。……無差別にな」
涼が見るからに動揺し、息を呑んだ。
「それが理由だ」
素っ気なく光希はそう言った。夏美と涼はしばらくその場で立ち尽くしていた。
「……光希君」
伊織は光希の冷え切った手を両手でそっと包み込む。伊織の手も光希と同じように、暖かくはなかったが、ほんの少しだけの温もりが嬉しかった。
「どうして電気がついている⁉︎誰かいるのか?」
研究員らしき声が聞こえ、背筋が凍る。涼、夏美、伊織も顔を強張らせ、ゆっくりとその方向に顔を向けた。
運が悪かったのは、その研究員がここの近くの資料を見にきてしまった事か。思い切り鉢合わせしてしまう。
資料を見るのと幻術を維持する事が両立できるほどの技量も適性もない光希達は、思い切り素の状態を晒してしまう。
研究所に侵入し、資料を読み漁る中学生の姿に一瞬、ぽかんとした研究員は、驚愕に目を見開く。そして、慌てて手をポケットに伸ばした。おそらく緊急事態を告げる為の物だろう。
連絡を入れられる前に始末しなければと、光希は刀に手をかけた。それを涼が制し、一瞬で十メートルほどの距離を詰め、刀を一閃させて男を切り捨てる。
それと同時に、けたたましく警報が鳴り響いた。
ついに光希の秘密の一部が明らかに……!
でも、まだまだわからない事は多いようです。




