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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第3章〜孤高の天才と聖夜の祈り〜

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『琴吹』

「ありがとうございます」


 光希は戸惑いを隠し、人当たりの良い笑顔を貼り付けた。そして、すれ違うようにして歩いていく四人をその場で見送る。その姿が見えなくなった途端、光希は張り詰めていた息を吐き出した。


「……なんだったんだろう、あの人達」

「絶対バレたと思ったんだけど……」


 伊織の霊力に気づかなかったようで、二人は不思議そうにしていた。そんな二人を横目に光希は伊織をちらりと見る。光希からはその顔が全く見えず、どのような表情をしているのかを知る事はできない。


 伊織が何をしたのかは、光希にもよくわからなかった。ただ、それがあの女研究員を誤魔化せた理由なのは確かだろう。光希は伊織の頭に軽く手を置いた。


 伊織の肩が強張り、その後力が抜ける。光希の方を見た伊織はにこりと笑顔を見せた。しかし、それはどこか影を感じさせた。


「早く行こう」


 光希は自分に言い聞かせるようにそう言って、歩き出した。どこまでも続く白い廊下。その壁には数多くのドアがあった。一つ一つが何の為のものかなんてわからない。それでもここで忌々しい『研究』が続けられていると思うと……。光希は握った拳に気づかれないように力を入れた。


 カツカツと靴音が響く。無言で歩く内にどんどん色々なドアが過ぎていく。


 ふと心に疑問が浮かんだ。


 本当に真実を知ってもいいのだろうか。


 心のどこかに存在した迷いがそう囁いただけだったのかもしれないが、光希にはそれを一蹴する事ができなかった。


 伊織が秘したかったその能力。そして、その生い立ち。


 知ったらもう戻れない。光希は確認するように手を開いて閉じる。


 それでもやはり、知らなければならないような気がした。伊織を救う為に。


 目的を再確認している間に廊下の奥、曲がり角まで辿り着いた。教えてもらった通りに曲がると、そこには『資料管理室』と刻まれた金属プレートがかけられた扉があった。シンプルな扉ではあっても、セキュリティーは万全のものだ。ここはこの研究所でも重要な場所のはずだから当然の事だ。


「開いてる……」


 夏美は呟いた。厳重にロックがかけられていなければならないはずの扉が開いている。すぐにはわからないほどしか開いていないが、開いている事に間違いはない。


 光希は扉に音もなく近づく。その隙間に顔を近づけて、中にいる人の気配を探る。


 誰もいない……?


 扉から顔をそっと離し、光希は振り返って三人に向かって首を振る。驚いたように三人の瞳が大きくなった。


「誰も、いない?」


 涼が声に出して尋ねる。光希は頷いた。


「行くしかないね」


 夏美の言葉に全員が頷いた。光希が扉をさらに開け、始めに中に入る。暗い部屋の冷気が肌を刺した。人が入ってきた事を感知したらしい照明が、チカチカと点滅してから光を放つ。それに照らされてずらりと並ぶ棚がそびえ立った。ぐるりと見渡す。全てが資料に埋め尽くされていた。この量から見るに、かなり昔の物からあるようだ。


「……すごい」


 伊織がポツリと漏らした声に光希は我に返った。眺めに来たのではないのだ。見つけなければ。


 光希は棚を凝視しながら歩き始めた。新しい方の物はおそらく近い所にあるのではないか。見当をつけて光希は棚を漁る。


 同じ事を思ったらしい涼と夏美も同じ棚を違う場所から見ていっている。この分だと早くに見つかるかもしれない。どこかに姿を消した伊織に、光希は気づかなかった。


「今時紙なんて珍しいね」

「僕もそう思ったよ」


 光希は資料のタイトルを見て行くのを一瞬やめ、棚全体を見る。確かに全てのデータが紙の状態で保存されている。だが、ほとんど人が訪れる事のないように幻術が施された建物に近づく人はなかなかいない。そうすると、ハッキングによってデータを盗み出される事の方がよっぽど危険だ。その点、紙で残せばその場に行かなければ手に入れる事ができない。ここの場合、紙にデータを残す方が安全だったのだろう。


「光希!」


 緊迫した涼の声が鋭く響いた。光希はハッと顔をそちらへ向ける。涼の姿は少し遠くにあった。


「あったよ、」


 涼の元に光希は走った。気が急いてしまっていた。夏美もすぐに涼の元に集まる。


「この辺りが『琴吹』だよ」


 涼が手でファイルを指し示す。『琴吹』とラベルの貼られたファイルはそれだけでかなりの量があった。


 一つ目のファイルを開く。年度は1998年。『琴吹』の研究が始まったと記されていた。『琴吹』の研究テーマは人間の精神を操る能力を付与した霊能力者を()()する、というものだった。


 光希はそこで伊織がさっき女研究員を操ったのは、その能力によるものだったのだろう。光希はそれだけ思い、資料に意識を戻した。



『琴吹』の研究は、最初、その能力の開発から始まった。突然変異として生まれた特殊能力を持つ霊能力者を探す地道な作業から始まり、見つけた後もその遺伝子を採取して、それをベースとした胎児を製造。三人中、成功例は一人のみ。その一人も充分な能力は得られず、遺伝子採取ののち廃棄。何世代にも渡って遺伝子の試行錯誤は続き、2021年に遺伝子の完成形が誕生した。その遺伝子を使ってできた実験体は十五人にも及び、実験を重ねた。しかし、彼等にはまだまだ欠陥が見られる事がわかった。この次の世代ならば、兵器として有用なレベルの実験体が得られるだろう、と記されている。



 涼は最後のファイルを開いた。



 2030年、『研究』の凍結により一旦中止し、四分の三の実験体を廃棄。しばらくの空白期間を経て、完成体の二世代目の製造を2038年に再開。



 光希はその年度が目に入り、瞬きをした。おかしい。伊織の年齢は光希達と同じ十三歳のはずだ。だが、この資料ではその歳である事はあり得ない。


 同じ事に気づいた涼と夏美の二人と目が合った。資料を読み進めば、わかるかもしれない。


 何人ものデータが後に続く。しかし、そのどれもに赤いバツ印がついていた。それが意味するのは廃棄、又は死亡だろう。そして、そのファイルの一番最後、『琴吹伊織』という名が記されていた。しかし、そのデータは簡素なもので、最小限の事ぐらいしか記載されていない。


「……製造年度、2038年?」


 伊織の名前の隣に書かれた製造年度は今から四年前のものだった。そうすると、伊織は四歳という事になる。それはあり得ない。


「……あり得るよ。その製造年度は正しいし、私は十三歳だよ」


 三人の心を読んだようなタイミングで静かに響いた声に、三人はファイルから顔を上げた。感情を隠すように目を伏せて、伊織は続ける。


「私は研究の際に十三歳の身体まで急速に成長させられた。でも、何かの、遺伝子上の問題であまり大きくはならなかった。そこに載ってる赤いバツがついた人達は、私と同じ兵器だった。訓練の途中で命を落としたり、実験の負荷で内側から崩壊したり、身体として長く生きられなかったり……。みんな死んだよ」


 感情の籠らない淡々とした声は、伊織が心の傷を隠す為の物のように聞こえた。


「そして、その実験を生き残った私は『琴吹』の最高傑作と呼ばれた……」


 最高傑作、という言葉が耳から離れない。いつか、どこかで聞いた事があるのだろうか。


 光希は意味もなく、伊織に手を伸ばそうとした。手を伸ばせばすぐ届くのに、届かないような、どこかへ消えていってしまいそうで怖かった。


 伊織の瞳に恐怖が浮かぶ。肩を抱くようにふらりと後ろに退がり、光希の手は空を切った。


 伊織の顔がまともに見れない。伊織の拒絶に、光希はただ視線を逸らすことしかできなかった。


「ご、ごめん。光希君……」


 無意識に光希を拒絶してしまった事に気づき、伊織は潤んだ瞳を彷徨わせる。一番傷つけたくない人を傷つけてしまった。伊織は肩を抱いた手に力を込める。伊織の能力の本当の姿はとても醜い。その姿を光希が目にして拒絶されると思うと、身体が竦む。それを悟られないように、伊織は表情を消して口を開いた。


「……ついてきて」


 そう言ってくるりと背を向けた伊織の後を光希は追う。前を歩く伊織の肩は強張っているように見えた。

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