手がかり
「ここはっ!?」
伊織が声を上げる。驚愕というよりも、恐怖が伊織の顔に表れていた。光希は伊織に何かを尋ねようと口を開く。
光希が声を発するより早く、電話の呼び出し音が鳴った。画面に電話の主の名前が表示される。光希は静かに電話を取った。
「……なんだ? 神林、」
『メールは届いた?』
焦ったような涼の声が耳に届く。
「届いたが……?」
『そう、ちょっと今光希の家まで来たんだけど、ドア、開けてくれるかな?』
「は?」
間抜けな声が口から出る。情報の処理が追いつかずに沈黙する光希に痺れを切らし、涼はもう一度同じ事を繰り返した。
『ちょっと今、光希の家まで来たからドア開けて!』
「……わかった」
光希は玄関に向かいドアを開ける。そこに立っていたのはいつになく真剣な顔した涼と夏美だった。
「お邪魔します」
夏美はソロソロと靴を脱ぎ、家に上がる。涼は挨拶を忘れていたようで、夏美がそう言ってから慌てて挨拶した。
「あの場所は何だ?」
光希は慌しい二人に問いかける。伊織は光希の後ろに隠れて涼と夏美の様子を伺うだけだ。
「うん、僕達がここに来たのもそれが理由だよ。情報元は言えないけど、正確だと思う」
前回やって来た時と同じようにして、全員テーブルを囲んで座った。席に着くと同時に涼が話し始める。情報元が言えないのは当然だろう。おそらく涼と夏美が使ったのは、家の諜報機関。機密が多そうなこの案件で、これだけ早くに情報を手に入れられたのは家のバックアップがあるからだろう。そう考えると、神林家と荒木家はこの『研究』を完全に潰しておきたい何らかの理由があるのかもしれない。
「旧愛知県、まあ、つまりはここら辺なんだけど、ここら辺に第一研究所跡があるんだ。それで、そこで研究されていたのが例の異端の『研究』なんだよ」
空気に緊張が走った。チラリと夏美は伊織を見る。伊織は下を向いていて、どんな表情をしているのかはわからない。再び光希の方を見て、夏美は涼の言葉を継ぐ。
「『研究』が凍結されたのは十三年前。世界が『崩壊』してから少し経ってから。凍結した理由はその実験があまりにも非人道的だった事、そしてもう一つ、古くからの家が反対した事だったの。正確には、古くから代々大きな力を持っている家で保たれているバランスを保つ為。でも、それも建前。本当は、『研究』によって作られた特殊かつ優秀な霊能力者に覇権を奪われたくなかったから。あの『研究』がずっと続けられていたら……、今ではもう私達荒木も、涼の神林家も、下位の家と同レベルに落ちていたはずだよ」
涼は肩を竦めて頷いた。
「そうだねー、いくら僕等の血筋が天然モノの中で優れていても、僕達と同じかそれ以上の遺伝子をいいとこ取りして作る霊能力者には敵わないよ。まあ、神林家はそんなに大火力の最強だぜ、みたいな家じゃないからね。『研究』されると、一番最初くらいに引き摺り下ろされそうで困るんだなー」
それが協力の理由か。だが、表立って動く事はできないから涼を寄越した、というところだろうか。夏美は涼の言葉に深く頷き、指を落ち着きなく動かした。
「もちろん、そうならない『使い方』もあるけどね……」
夏美の顔が曇る。その先の言葉が光希には予想できた。聞きたくない。だが、そんな思いと裏腹に夏美は冷たい声で告げた。
「主人に逆らえないように術で縛って、兵器として使い潰す」
光希は反射的に伊織の顔を見てしまった。もちろん、大袈裟な動作ではなく、あくまで気づかれない程度で、だ。伊織の顔からは表情が消えていた。光希は視線を夏美 に戻す。夏美と涼も光希と同じように伊織に一瞬目をやり、光希と同じタイミングで視線を戻した。光希と目が合った夏美は軽く頷き、話を続ける。
「そんな『使い方』もあるけど、『研究』は凍結された。やっぱり、扱うのがあくまで心のある人間だから、だと私は予想したの。そんな人間をたくさん作ったら、万に一つ反逆して今ある全てを破壊する事があるからなんじゃないかって」
光希は夏美の顔から目を離さない。だが、示し合わせたように夏美の言葉を継いだのは涼だった。
「でも、上の人達は悩んだ。『崩壊』して魔獣や霊獣が人間を襲うようになった世界で、別の種族が攻めてくる可能性が大いにあったからね。そして、半端に引きずった結果、あの研究所にはまだ大量の資料や設備が置き去りにされてるって訳なんだ」
「……つまりはそこに乗り込むって事か?」
光希は呟くように言う。涼は笑顔で頷いた。
「そう言うことになるね」
夏美が身を乗り出した。光希の真意を見逃さないように、瞳を覗き込んでくる。
「どうする? 行くかどうかを決めるのは相川君だよ」
返事をしようとして、伊織に服を引っ張られた。光希は伊織を見る。伊織は行かないで、と紅い瞳を見開いて訴えている。光希はそんな伊織を無視して言った。
「行こう、」
その答えに夏美と涼は頷いた。
「また光希と作戦に当たる事ができるなんて、思ってなかったな」
嬉しいよ、と涼は歯を見せて笑った。夏美も嬉しそうに頷く。
「私も」
そんな二人の言葉に光希の心がずきりと痛んだ。
――これが終わったら、また二人との関係を断ち切らなければならない。
暴走を起こす可能性があるという問題が無くならない限り、光希は誰とも馴れ合えない。これがきっと本当の最後の共同作戦になるのだろう。
「向こうで何かがあるかもしれないから、武装は必須だよね」
「うん、今はきっと警戒が強いだろうしね」
そう言いながら、涼はチラリと伊織を見た。その視線に伊織は気づかない。
「どんな服で行くのー?」
能天気に夏美は言い、それにまた能天気に涼が答える。
「うーん、やっぱり黒っぽい服だよね。それに武装が目立たないやつ。夏美はスカート?」
「うん、拳銃を二つ、キレイに隠すにはやっぱりホルスターを足に付けないとだからね」
夏美はぱんぱんと手でスカートを叩いて見せた。涼の目が光希に向く。
「じゃあ、光希はどうするのー?」
これを答えなきゃいけないのか、と少し面倒に思いつつ、光希はぶっきらぼうに答えた。
「俺は……、普通に黒い服で行こう思うが?」
「ふうん、つまんないの」
涼は口を不満そうに尖らせた。
「……聞いたの、お前だろ」
ポツリと光希はツッコミを入れるが、見事にスルーされた。
「そう言うお前はどうなんだ?」
「ん? 僕?」
「ああ、」
涼はしばらく何か考え込む仕草をして、答える。
「普通に黒めの動きやすい服かな? 防弾仕様のやつ」
「ふうん、つまんないの」
夏美は呆れたようにそう言った。涼はあはは、と笑い、頭をかく。
「じゃあ、作戦開始は午後七時。ここで集合。でどうかな?」
顔から笑いを消して、涼は光希と夏美 に告げる。そして光希は頷いた。
「また後でね〜」
軽い別れの言葉と共に二人は家を出る。光希は二人に軽く手を振った。
二人が居なくなり、家には静寂が訪れる。光希は息を吐くと、立ち上がった。時計を見る。もう朝食の時間は優に過ぎていた。
「昼ご飯、作るか……」
そう呟いて、キッチンに向かおうとした光希の手が掴まれた。ギュッと握られ、解くわけにもいかずに光希は足を止めて振り返る。
「何だ?」
「……光希君」
伊織は顔を上げた。必死な表情で光希を見る。
「ねえ、お願い! あそこには行かないで!」
光希は目を伏せた。
「すまない。だが、俺は……」
伊織はぶんぶん首を振る。白い髪がバサリと広がった。
「ダメ! 行かないって言ってよ……。私、もう光希君に傷ついて欲しくない。少し前にあんなに戦ったばかりなんだよ!? ……今日じゃなくて、今じゃなくていいじゃない! また三日後でも来週でもいいじゃない!」
光希は静かに首を振った。
「今じゃなきゃ、ダメなんだ。あそこに追手が現れたのだって、もうここがバレているからだ」
「でもっ!」
「それに、今じゃないといけないような気がするんだ」
光希は優しく伊織の頭に手を乗せた。伊織がびくりと身じろぎする。
「……じゃあね、私のお願いを一つだけ、聞いてくれないかな?」
伊織は真剣な光を瞳に宿して光希を見つめた。
「ああ、わかった。何だ?」
「私も、連れて行って」
光希は驚愕で目を見開いた。
「それはダ……」
断ろうとして、光希は伊織の目を見ると続きが言えなくなった。伊織の目に宿る強い光が光希を真摯に見つめていたのだ。
「大丈夫。私、自分の身は自分で守れる。何かあったら、力を使うから」
伊織の瞳にあるのは決意と覚悟。この意志を動かす事は出来ない、そう思った。
「わかった。だが、俺の側からは絶対に離れないでくれ。それだけ約束して欲しい」
伊織はコクリと頷いた。
「わかった、何があっても絶対に守るから」
伊織は光希を研究所に行かせたくない理由があるようです




