伊織の服
次の日の朝、光希と伊織は簡単な朝食を済ませ、出かける仕度をしていた。
「光希君、今日はどこ行くの?」
伊織は昨日の夜と同じコートとマフラーに身を包み、首を傾げた。
「お前の服を買いに行く」
「そうなの!? でも、いいの?」
伊織は驚いて目をパチパチさせる。
「その服のままでいいなら別だ」
光希に指を指され、伊織は視線を自分の服に落とす。少し照れ臭そうに笑うと、伊織は頭をかいた。
「それは、そうだね……。確かにちょっとボロボロかも」
光希は頷く。伊織の服はかなり長い間着回していたようで、ほつれたり汚れたりしていた。それにいつまでも光希の服を着ているわけにもいかないだろう。
「行くぞ、」
「うん」
伊織は光希の後をひょこひょこついてくる。フードを被って髪が出ていない事を確認すると、伊織はドアをくぐった。
光希は伊織を腕にくっつけたまま、歩く。みのるに貰った金はかなりの額あったので、服が少しくらい高くても払えるはずだ。
「どこか買いに行きたい所とか、あるか?」
伊織は周囲の目を気にして控えめに顔を上げる。コテリ、と首を傾げた。
「服ってどこに売ってるの?」
「……」
どうやら知らなかったようだ。本当にどのような環境で生きてきたのかが気になる。
光希自身、服を気にするような人種ではないので、服のブランドなどは一切わからないのだが。
「とりあえず、ショッピングモールでも行けばいいか……」
「うん、そうだね〜」
元気良く頷いた伊織は、その直後に再び首を傾げた。
「しょっ、ぴんぐもー、るって何?」
ガクッと光希は頭を抱えたくなる。ただ、首を傾げる伊織は小動物のようで愛らしかった。それだけで許せてしまうのは何故だろう。可愛さは正義、という思想に敗北した光希は、溜息をついただけだった。
「そうだな……、ショッピングモールは店がたくさん入ってる建物、みたいな物だ」
「おー!」
伊織はポンっと手を叩く。
「アレだね、お城みたいな感じ?」
「……いや、全然違う。お前はどれだけ世界をファンタジーにするつもりだ……」
よくわからない方向に想像力を働かせた伊織に、光希は力無くツッコミを入れた。
しばらく歩くとショッピングモールにたどり着いた。平日の昼間なのに人が多い。クリスマスが近いからだろうか。
「人、多いね」
伊織は物珍しい物を見るように目をいっぱいに見開いて、周りを見る。その表情は明るかった。
「ああ、でも、まだ少ない方だと思う」
光希は伊織を見て言った。不思議とこの少女とは話しやすい。伊織が光希の事を知らないからなのかもしれないが、それだけでは無いような気がする。
「あれ……」
伊織が突然立ち止まり、何かを凝視した。光希は伊織の視線の先を見る。ショーウィンドウに飾られたピンク色のワンピースがあった。可愛らしいデザインで、腰の所にリボンがついている。伊織によく似合いそうだった。
「あれが欲しいのか?」
「……あ、う、でも、高いかもだから、別に……」
遠慮が混ざって煮え切らない返事が返ってくる。どうせ買うなら本人が気に入ったものがいいと思った光希は伊織を店に連れて行く。
「……兄妹っていう設定だからな」
店に入る前に光希は伊織に確認しておく。ただ、問題は中学生だという事だ。下手したら補導されるかもしれない。
(しょうがない……。あまり得意ではないが、幻術を使うか……)
もちろん、本格的な幻術を使えば霊力を探知されてしまうので、使うのは人の認識をずらすぐらいの軽いものだ。光希の年齢を知っている伊織にはあまり効果はないが、初対面の店員くらいなら誤魔化せるはずだ。
光希は慎重に霊力を解放し、術式を構築する。霊力は可視光にはならず、薄く光希の周りに広がった。伊織が不思議そうな表情で光希を見る。
「……なんかした?」
「ちょっと年齢を誤魔化そうとしている……」
伊織がその微弱な霊力に気づいた事に驚きつつも、光希は顔に出さずに答えた。これに気づくということは、伊織は高レベルの霊能力者なのだろう。その事はみのるが伊織を連れてきた時から予想していた事だが、そうすると余計に伊織の正体が気になる。
「へぇ、そんな事できるんだ」
伊織は面白そうに目を見開いた。
「まあ、効果は弱いけどな」
光希はそう言うと、思い切って伊織を連れて店に入った。店内に一人だけ店員がいたが、入ってきた二人をちらりと見ただけで大した興味は持たなかったようだ。その事に安心した光希は真っ先に伊織が欲しがっていたワンピースを手に取った。
「これ、だったよな?」
「う、うん、そうだけど……」
伊織は落ち着かなげに服を見る。
「にゃ、さ、三万くらいだ……」
値札を見つけた伊織は絶望的な声を上げた。ワンピースを買う事を諦めるという意思を光希に表明しようとする。
「別に、金は親父から預かってる。俺のじゃないし、少しくらい高くても構わない」
伊織の言葉を無視して光希は言う。
「あとは、コートもいるよな……」
光希は呟いて、コートの並んでいるコーナーへと向かう。そこでしばらく睨めっこをした光希は、伊織に似合いそうなグレーのコートを手に取った。
「……着てみろ」
「え、ちょっと、これもすごい高いよ?」
伊織は不安そうな表情をしながらも、コートを羽織り、フードを被ってみる。
「ど、どうかな?」
「いいんじゃないか?」
伊織はそのコートが気に入ったらしく、遠慮しなきゃと思っていても口元が緩んでいた。
「この靴とマフラーも合わせてみたらどうでしょうか?」
「ひゃっ!」
伊織は後ろから突然声をかけられて飛び上がった。
「あ、驚かせてすみません。ただ、お客様がとても可愛らしいのでつい……」
女性店員がにこにことしながら、そう口にした。光希は気づかれないように警戒しておく。伊織は追われている身。誰が伊織を狙っているのかがわからない今、何でも警戒しておくのは必要な事だ。
可愛らしい、と褒められた伊織は笑顔で店員に勧められた靴とマフラーもつけてみている。
「このワンピースも一度着てみますか?」
「はい!」
光希は女性物の店にいる事に今更ながら場違い感を覚え、とっとと店を出たい衝動に駆られる。が、もちろんそんな事はできず、試着しに行った伊織と店員に取り残されて、光希は一人で居心地悪く待っていた。
「どうかな? お兄ちゃん?」
思わず、は?、と返してしまいそうになる口を光希は抑えた。そういえば、兄妹、という設定だった。光希自身がその事を忘れてしまっていた。
「すごく似合うぞ」
光希は店員がいる事を意識して、笑顔を顔に貼り付ける。たぶん、側から見れば物凄いブラコンシスコンな兄妹に見られるような気がした。
「うふふふふ……」
伊織が幸せそうな笑い声をもらす。その顔を見た店員の顔も緩んでいた。
「じゃあ、会計をお願いします」
光希はあくまでも優しい兄、という設定で店員に声をかける。店員は頰を染め、慌ててレジに入った。
「は、はい! 会計しますね!」
レジに出された金額は恐ろしすぎて光希には直視できなかった。しかし、みのるに渡されたカードは余裕で支払ってくれてしまった。
 




