紫陽花学院
光希は歩いて校舎に向かう。紫陽花学院中等部、それが光希の通う中学校だった。
紫陽花学院は五星学園の一つで、世界崩壊前の地理から言うと愛知県にある。厳密には名古屋市近辺だ。その名前からして、色は紫。制服もまた、紫色が取り入れられていた。高等部と中等部では制服に違いはあるが、紫色を取り入れているため統一感はあった。
また、五星学園はそれぞれに色が名前に取り入れられている。それは五星の結界の効力を上げるためだ。青波学園は青、紅月学園は赤、紫陽花学院は紫、藤黄学園は黄、そして緑風学院は緑。この五色が結界の重要な要素だった。
光希は寮から少し離れた中等部校舎を目指す。時刻は午前七時四十分。そろそろ校舎に向かう生徒達も増えてきた頃だ。
目の前を赤い葉が過った。光希は視線で紅葉が飛んできた方を辿る。もうその木には数枚の葉がくっついているだけだった。もう時期全て落ちるだろう。
今日から十二月に入る。木々が葉を落とし終わる頃だった。冷え込んだ空気が光希の服を通り過ぎる。光希は足を速めた。
中等部校舎はもう目の前にあった。あまり飾り気のない建物で、無駄な装飾を省いたようにシンプルなものだ。しかし、それでいてつまらなくはない。むしろ機能美のような、違った美しさがこの建物にはあった。
光希は靴をそのままに三階に向かう。
学校内は上靴を履く、という文化は廃れつつあった。おそらくどこの学校も土足で校舎内を歩き回れるようになっているはずだ。
中等部校舎は三階建てだ。三階から一年生、二年生、三年生、となっている。
光希は筆記用具などが入った鞄を下げて、階段を登る。階段に人は少なく、光希はさっさと登り終えることができた。光希は廊下の突き当たりにある教室に入る。光希のクラスは一年F組だ。まだ、中等部一年の段階では成績順でクラス分けは行われていない。完全にランダムだ。
光希が教室に入ると、既に教室に入っていた生徒達が、ちらりと光希の顔を伺うようにこちらを見た。光希はその視線を無視して、静かに自分の席に着く。もう生徒達は光希を見ていなかった。これが四月から続く朝の光景だった。
ガラリとドアが開いた。光希はその音で朝のホームルームが始まる事に気づく。しかし、やはり顔色ひとつ変えずに座っているだけだった。
「光希、おはよ」
ホームルームが終わったすぐ後、上から降ってきた声に光希はゆっくりと頭を上げた。神林涼だ。その隣にいるのは荒木夏美。夏美は微笑んで、光希に挨拶をする。
「おはよう、相川君」
「……」
光希は二人を無視する。返事も返さない。それでも涼は笑顔を崩す事はなく、夏美も又、微笑みをなくす事はなかった。
迷惑な奴らだ。光希は思う。
二人は幼い頃からお互いの事を知っている幼馴染だ。小さい時は一緒に遊んだ事もあった。だからと言って、慣れ合う気は全くなかった。気を許せば、守るべき秘密をすぐに暴かれてしまう。
しかし、二人は中学に入っても変わらず、光希に声をかけようとしてくる。それが本当に煩わしかった。さっさと見捨てればいいのに。
光希は窓の外に目をやった。涼と目が合ってしまう。窓が反射して涼と目を合わせているのだ。光希は視線をずらす。それに合わせて涼も視線をずらしてくる。それを何度か繰り返し、光希は振り返った。
「あ、やっとこっち向いてくれた!」
夏美は嬉しそうな声を上げる。光希は無表情で二人を見た。
「迷惑だ。俺に関わるな」
光希は冷たく言い放つ。夏美はその言葉にしゅんと目を伏せた。
(これでいい)
光希は微かに痛んだ心を無視して、自分を納得させた。
つまらない授業が四時間終わり、光希は食堂へ向かう。さっさと食べてさっさと帰ってくるつもりだった。あまり人の多いところに居続けたくない。
ハンバーグがメインの今日のオススメと書かれたものを選ぶ。食べる物で悩んで時間を使いたくなかったからだ。光希は美味しいはずのハンバーグをろくに味わいもせず、流すように食べる。十分程度で食べ終え、光希は席を立った。
「きゃっ!」
目の前にいた女子生徒が転び、持っていたトレーに載っていた皿が落ちる。けたたましい音を立てて散らばった皿は割れはしなかったものの、ぐちゃぐちゃになってしまっていた。床に尻餅をついた少女は反射的に顔を上げて、縋るような視線を向けてきた。おそらく、すぐ近くに立っているのが光希だとは気づかなかったのだろう。
光希は冷たい視線を、少女はそう感じた、少女に向けた。少女は小さく息を呑んだ。
「ご、ごめんなさい!」
光希は謝罪してきた少女を無視し、トレーを棚に戻す。やっと立ち上がった少女には目もくれなかった。
「大丈夫?」
「あ、うん」
そんな声が後ろから聞こえる。もちろん光希は足を止めない。
「ーー相川君って、なんかすごく冷たいっていうか、酷いよね」
少女の友達らしき声がした。
「ほんと、顔と頭と実力だけあるって感じ。感情とか、ないんじゃない?」
同意の声が上がる。
「ちょっと! 聞こえちゃうかもしれないよ!? 」
少女が声を潜めて彼女の友達等を注意する。光希の耳に全部入っていたので、全くの無駄な努力だが。
これが光希の周りからの評価だった。光希自身、そうなるように行動を取ってきたつもりだ。実際、それはとても効果があった。誰も光希に話しかけようとしたり、色々聞いてきたりはしなかった。
二人だけの例外を除いて。
ただ、光希が本当に恐れていたのは、誰かに嫌われることではない。恐れているのは、自分の暴走に誰かを巻き込んでしまうこと。そして、自分の大切な人達を巻き込み、殺してしまうこと。そうならないようにするためになら、光希はいくらでも冷酷になれる。




