校外教室の終わり
「はあっ、はあっ、はあっ」
楓は荒い息を吐いて、地面に足をつけた。余裕そうに見えたかもしれないが、ギリギリの戦いだった。神経を尖らせていたため、今はその糸がプツリと切れたように動く気が起こらなかった。
「天宮!」
「楓っ!」
「楓ー!」
「楓、」
「天宮さんっ!」
「楓!」
厳しい顔で光希が駆け寄ってくる。ズボンに砂が付くのも御構い無しで光希は楓の隣に膝をついた。
「傷は!?」
「大丈夫だよー」
へらり、楓は光希に緩んだ笑みを向けた。しかし、光希の顔はまだ険しいままだ。
光希から少し遅れて、夕姫、夏美、涼、夕馬、そして木葉が楓の周りに集まる。
「楓! 大丈夫? 何ともない?」
夕姫は心配そうに楓の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ、何ともないし、ほら」
楓は立ち上がってくるりと回る。夕姫の顔にほっとした笑顔が浮かぶ。地面に突き立てたままだった刀を楓は拾い上げ、少し振って血を落とす。そっと鞘に収めた。
「凄かったよ、楓。私たちが何もできない中で一人であんなの倒しちゃうんだから」
「そうだね、お疲れ、楓」
「ふぇっ!?」
突然涼に頭を撫でられる。驚いた楓は目を白黒させて、それから顔を赤くした。
光希が苦虫を噛み潰したような顔をする。不意に涼と目が合い、涼はにこりと笑い返してきた。
「僕のリードだね、光希」
と、涼の声が言われてもないのに聞こえてくる。光希は涼の視線から目を逸らした。これが光希にできるささやかな抵抗だ。
楓は背中に冷たい視線を感じた。
ゴクリ
息を呑み込んだ楓は覚悟を決めて、ソロソロと視線の主を探す。楓を遠巻きに眺めている集団の中に、ちらほらと敵意に満ちた視線を向けてくる者がいた。
……だが、全員ではない。
楓は、ほぅっと安堵の息を吐き出す。
(良かった……)
「ん? 楓、どうかしたの?」
夏美が不思議そうに首を傾げた。楓はにこりと笑顔を浮かべる。
「ううん、何でもない」
夏美が視線を離したその一瞬、楓の顔を影が過ぎる。
今回は霊力が使えなくなってて良かった。もし、霊力が使えて、身体強化をしたまま戦う所を見られたら。そう思うと、恐怖に身体が竦む。もしも、見られていたら、傷が一瞬で治る事に気づかれてしまう。そうなったら、それこそ全員に見捨てられるだろうから。
楓は口元に小さく笑みを浮かべて、周りを見た。光希も夕姫も夏美も涼も木葉も夕馬も側にいてくれる。それが、幸せだった。
「天宮さん、」
「何? 笹本? っていうか、楓でも天宮、でもいいよー」
突然声をかけてきた夕馬に少しだけ意外感を感じ、楓はコテリと首を傾げた。夕馬は数秒躊躇った後に、口を開く。
「じゃ、天宮、これから自由時間だし、全員で遊ばない?」
「おぅっ! いいね! 遊ぼ、遊ぼ!」
楓は輝いた瞳を夕馬に向ける。あまりの食いつき様に、発案者である夕馬も若干気圧されていた。
「む、相川と神林は大丈夫?」
ワクワク笑顔を浮かべ、ぴょんぴょんしながらポニーテールを振り回していた楓は、突然立ち止まって呟いた。
「僕達は大丈夫だよ」
「っていうか、大丈夫? はお前の方だろ!?」
「あらー、あ、そうなの?」
楓は周りを見て、全員がうんうん頷いている事を視認した。
「え、でも、ボク、ちょーぴんぴんしてるよ?」
「そういう問題じゃないっ!」
珍しく夕姫がツッコミを入れた。ちなみにいつもはボケる方だ。
「えー、聞こえてますか?」
楓達は弾かれた様に顔を声の方に向けた。楓は顔を引き締める。生徒達が自分に集中した事を確認した和宏が、話し出した。
「残念ですが、午後の自由時間は無しとします」
えええー、とあちこちで落胆の声が上がる。もちろん楓もその一人だ。頰を膨らませ、文句いっぱいの目で和宏を見る。
「今は霊力が使えるようになったみたいですが、魔物が現れて霊力が使えなくなるような事態がまた起こるかもしれません。安全確保のため、能力強化合宿は今時をもちまして終了とさせていただきます」
人差し指に小さな炎を灯した夕姫が小さく叫んだ。
「霊力、使えるようになってる!」
「僕もだ」
夕姫と同様に何かを試したらしい涼も小さく言う。楓はそんな二人を見て、顔を緩ませた。
指示に従って、楓はコテージに戻り、荷物をまとめた。ヨイショ、と旅行鞄を担ぎ上げる。
「それでは各自、行きと同じ席順でバスに乗ってください。まずはA組から……」
和宏が指示を飛ばす。楓はふくれっ面で一旦地面に置いた鞄を再び持ち上げた。
「遊ぶ時間がなくなるなんて、酷すぎるよ!」
楓はぶつぶつ言いながら、光希と共にバスに向かう。
「まあ、学校としては仕方がないんだろうな。さっきのアレだって、天宮がいなかったら、今はどうなってたかわからない」
「でもさー、いいじゃん。ボクが倒したんだし」
楓は唇を尖らせた。光希が困ったように笑顔を浮かべる。楓はその表情に一瞬、遊べない事に不満を抱いていたのを忘れた。
「相川が、そんな顔するの、初めて見た……」
「そうか?」
光希は楓の呟きに反応した。さっきの顔が消えて、楓は少し残念に思えた。始めに比べて、光希の表情が増えたような気がする。楓にはなんだかそれが嬉しく思えた。
ふふふ、自然と笑い声が漏れた。光希は不思議そうに楓の顔を見る。
「なんだ?」
「ううん、何でも」
バスに乗り込んで、二人は行きと同じ座席を探す。前の方なので、すぐに座れた。疲れているからか、光希は気を抜いたようにドサリと腰を下ろした。楓も同じく、だ。正直に言うと、かなり疲れていた。それだけあのタコと戦うのに体力を消耗したのだ。もちろん、遊ぶ分の体力は別モノだ。
楓は光希の横顔をぼんやりと見つめた。そのままボーっとする。
「おい、天宮」
光希の顔が視界いっぱいに映し出されていた。
「あわ、あわわわわ⁉︎」
驚いて飛び上がり、動くスペースがほとんどない座席の端に寄る。光希は微かに眉を寄せた。
「さっきのタコの話なんだが、ちょっといいか?」
光希は声の音量を絞って言う。
「やっぱ、タコだよね!」
「は?」
斜め上を行く返事に光希は戸惑った。楓は光希が戸惑っている事に気づかず、目をキラキラさせて光希に詰め寄る。今度は光希が座席の端に寄る番だった。
「あの魔物、ボクは仮名称として『タコ』と呼んでいた!」
なぜかドヤ顔で言い放つ。
「いや、そうじゃなくて、そのタコの名前なんだが……」
光希は楓の主張を思い切り無視し、本題に戻る。楓はすぐに食いついた。
「ほうほう……、んで、タコの名前は?」
「クウォザルク、というらしい。かなり昔にどこかの海域でヨーロッパの魔術師達が封印したものだそうだ。あまりに強かったんで倒せなかったらしい」
「おう? ボク、バラバラに切り刻んじゃったけど?」
光希は額に手を当てて、溜息をついた。やはり天宮楓は非常識だった。
楓はコロリと顔を切り替え、真剣な表情を浮かべる。手を顎に当てて、少しの間考える。光希はそれを待ってくれているようだった。
「封印されていたはずの魔物が突然襲ってくるなんて、やっぱおかしいな……」
「ああ、それにそのタイミングで霊力が使えなくなった」
「もしかしたら、ボクを戦わせるための罠だった、のかな?」
楓はそう言ってから、光希の顔を伺う。光希の顔に感情はなかった。まるで何かを思い詰めているかのように。楓の視線にしばらくして気づいた光希は、顔を緩めて見せた。
「俺も、そう思った。でも、それだとおかしいんだ。まるで――」
「――誰かが裏切ったみたい」
楓は光希の言葉を継いだ。そして、気づく。もし、それが真実ならば、楓の本当の実力を知る者の内、誰かが情報を流しているかもしれない、と。楓の顔に暗い影が落ちる。
「それは、あり得るかもしれないね……。だって、ボクは……」
「天宮、お前は……」
光希は言葉に詰まった。暗い笑顔を浮かべる楓の顔を見て、何も言えなくなる。だから光希は、そっと手を伸ばした。楓の冷たい手に自分の手を重ねる。楓の瞳が大きく見開かれた。
光希と涼は引き分け(?)でした




