決勝、そして、光希の答え
光希は空を見上げた。
今日は校外教室最終日にして、ランク試験の決勝の日。そして、答えを出す日。
握った拳に力を込める。答えは決まっていた。
ばんっ
背中を急に叩かれた。光希は驚いて振り返る。誰なのかは、大体予想はついていたのだが。
「頑張れよ、相川」
悪戯小僧のような笑顔がそこにはあった。ニヤリと笑う顔に微かに浮かぶ、今にも泣き出しそうな表情。それを楓が押し隠しているのがわかった。いや、わかってしまった。楓はきっと、自分がそんな顔を、そんな風に思っている事も気づいていない。
「ああ、頑張るよ」
光希は自信ありげに答える事しか出来なかった。
「おうっ! 見てるからね!」
楓は手をひらりと翻し、光希に背を向けて駆け出してしまう。光希は顔を引き締めた。
絶対に勝つ。
これが光希の答えだった。あの少女が世界に押しつぶされてしまう前に、救う。それが光希の望み、そして、義務。
光希は腰の刀『清瀧』を握りしめた。とくん、とそれは脈を打ったように感じられた。
「……でも、これは使わないからな」
誰へともなく、光希は呟いた。光希は時計に視線を向けた。あと五分程で、決勝が始まる。決勝が行われるのは、今まで試合をしてきたものよりもひと回り大きいコートだ。そして、追加ルールとして、時間制限が設けられている。これは毎年度、決勝で取られる措置らしい。模擬戦を勝ち抜いて決勝に出るのは、いつも共に実力のある生徒だ。そのため、時間制限なしではいつまで続くかがわからないのだ。決勝以外でも設けられた例は数多くあるのだが、今年は光希と涼の圧勝であったため、決勝のみである。時間制限は二十分。それまでに涼を倒さなければならない。
一年生の全生徒はコートの周りに所狭しと並んでいる。誰もがSランクの天才達の戦いに注目していた。
あと、二分。
光希はゆっくりと足を運ぶ。
緊張は、していた。動きに支障をきたすほどではない。だが、それは初めての実戦以来、と言っていいほど久しぶりのものだった。実戦経験の多い光希には珍しい感情だ。
自分の答えを示す為の戦いである事を考えるほど、微かな緊張が心を縛る。光希は感情を写さない瞳で前を見た。いつになく真剣な表情の涼が目の前に立っていた。光希は目を細める。
もう一度拳に力を込める。
力を抜く。
さあ、これで大丈夫だ。
光希と涼の間に一陣の風が吹いた。風に舞い上げられた木葉が二人の間を通り過ぎる。
光希は霊力をさらに身体に巡らせる。普段からの癖として、ほぼ常に身体強化はしているが、涼にはそれでは通用しない。
「始めっ!」
周りから音が消えた。聞こえるのは、この場の音だけ。
一瞬で刀を抜いた光希は全力で地面を蹴る。その場に自分の影を残していくような錯覚すらしてしまうほどの速度。普通の人間ならば、認識さえできずに瞬殺されていただろう。
しかし、相手は光希と同程度のスペックを持っている。そう簡単に終わるわけがなかった。
凄まじい速度でぶつかり合った刀が衝撃波を撒き散らす。光希と涼は距離をとる。足が地面を滑り、砂埃を巻き上げた。
光希は術式を発動させる。
術式は通常、その術式の名を口にする。そうする事で、術式のイメージを強め発動の補助する役割を果たしているのだ。よって、術式の名を口にせずに発動させるのは、難易度の高い高等技術。この戦いで、速度を落とすような無駄な動きは命取り。そう判断した光希は、術式名を省いた。この高速戦闘の中で、一体どれくらいの生徒がその事に気がついただろうか。『九神』である光希としては、手札はあまり開示したくないが、今はそんな事、なりふり構っている場合ではない。
光希の周りに現れた水の球が弾ける。霧状になった水が視界を塞ぐ。それに紛れ、光希は涼から距離を取った。そして、そのまま霊力によって感知した涼に神速の刀を叩き込む。
ガキッ
氷!?
光希が斬ったのは氷の塊だった。不意に霧が晴れる。光希は空を見た。光希の瞳に映ったのは、宙に飛び上がった涼の姿と……大量の氷の礫。
息もつかない間に氷の礫が放たれた。さっきの霧を利用されたのだ。避けるには量が多過ぎる。しかし、一瞬の迷いがあれば、このままでは本当に挽肉になってしまう。
光希は目を閉じた。もちろん、ミンチになる事を大人しく受け入れた訳ではない。刀に蒼い炎が燃え上がった。光希は目を開ける。そして、これはほんの刹那の動作だった。
光希はその場から動かずに刀を振るう。致命傷になる氷を斬りとばす。一部の氷が光希を少しずつ傷つけるが、そんな事は気にしない。
氷が途切れ、光希は攻撃に転じる。蒼い炎を纏った刀が火の粉を散らして、涼に襲いかかった。涼は真正面から受けずに飛ぶ。鋭く研ぎ澄まされた風の刃が光希に殺到する。
「くっ!」
光希は全力で刀を振るって、風の刃を霧散させる。だが、その間に涼が目の前に迫っていた。
「僕の、勝ちだよっ!」
「まだだああっ!」
光希の瞳に強い光が灯る。
例え、この気持ちが琴吹伊織を守れなかった事から来る罪悪感や後悔から来るものであっても、天宮楓を救うと誓った心は本当のものだ。
光希自身の手で守り抜く。守り抜いてみせる。
どうして涼に指摘されて動揺したのか。そんな事で揺らぐ気持ちのはずがない。
だから、ここで、ここで証明する。
どんな形であれ、あの少女を救ってみせる、と。
光希の周りに蒼炎が上がる。堪らずに、涼は距離を取った。
あの蒼い炎が特殊な能力を持っている事は知っていた。それが何なのかは厳密には知らないが、触れない方が良いという事はわかる。
一瞬、光希の周りの炎が不自然に動き、涼の刀を舐めた。
「がっ……!」
ごっそりと霊力が奪われる。
ガクン、と涼の身体から力が抜けかけた。が、留まる。
しかし、光希はその一瞬を突いて、刀を涼に容赦なく振るった。
涼は転ぶようにしてそれを避ける。僅かに避けきれず、頰を血が伝った。
涼を間合いから逃すまいと、光希は距離を詰める。
再び立ち上がって光希の刀を受け止めた涼には、初めのような余裕は消えていた。
光希は躊躇いなく刀を一閃。涼の刀がそれを受け止めて、その勢いを光希に返してきた。冷静に光希は涼の攻撃を捌く。
霊力が限界に近づいているのか、涼の動きは少しずつ鈍くなっていく。初めとほぼ変わらない速度を保つ光希に涼は押され始めていた。徐々に光希は涼の体勢が崩していく。
「これが俺の答えだ」
肩で息をする光希は体勢を崩した涼に刀を突きつけた。
ー勝負が決したのだった。残り時間二分を残して。
「勝負ありっ! 優勝者は、A組、相川光希っ!」
歓声が光希と涼に降り注ぐ。他の生徒達には届かない領域で繰り広げられた戦闘を演じた二人に、惜しみない拍手が送られていた。
微かに頰の傷から垂れる血を拭い、荒い息を吐いた涼はにこりと微笑んだ。
「光希の答え、ちゃんと受け取ったよ」
「例え伊織に引きずられていても、俺は天宮を守ってみせる」
光希は目に強い光を秘めて、そう言った。それに涼は笑顔で答えた。
模擬戦、ランク試験が終わり、優勝だの何だのの喧騒から光希と涼は抜け出して、二人は歩く。光希は自分の制服に視線を落とした。所々、裂けて血が滲んでいる。それは隣の涼も似たようなものだった。
正直言って、今回の勝負、長引けば光希も霊力と体力の限界はそう遠くない内に迎えていただろう。同じSランク、涼の実力は光希が何とか勝てたというレベル。お互いの消耗はかなりのものだった。おそらく、今からまた何かと戦う、とかいうのは無理だろう。
涼はおもむろに口を開いた。
「今回は僕の完敗だね、楓の護衛一は、光希のままだよ」
「ああ、」
「でも、僕も諦めたわけじゃない。それに、僕は楓、好きだしね」
思わず光希は咳き込んだ。
「ねえ、光希。アレ、は一体何だったの?」
涼の顔から笑いが搔き消える。光希は涼が言わんとしている事を察し、背筋を凍らせた。
「……あれは、ただの俺の術式だ。それ以上でもそれ以下でもない」
光希は静かに嘘をつく。本当はあの力を使う気は無かった。あの力は、隠さなければならないもの。大事なものをかけた戦いであっても、使っていいものではなかった。後悔のようなものが胸に湧き上がる。だが、それはもう取り返しのつかないものだった。
「……ふうん、そう」
涼は未だに疑問は抜け切らないという表情で腕を組んだ。光希は涼の視線から逃げるのもあって、人混みの中の楓の姿を探した。
 




