楓の模擬戦と思わぬ激励
昼食の時間が終わり、午後の二戦目が初戦である楓は、自分が戦う事になる会場、というか四角、を探す。他のみんなは、一戦目に初戦がある涼の応援に行っている。
「誰が相手だっけ……」
楓はメールを開いた。相手はD組の女子だ。十コート以上ある中で、楓は自分のコートに辿り着く。一戦目はまだ終わっていない。実力が拮抗しているようで、しばらく決着はつかなさそうだった。
楓はボンヤリと模擬戦を見る。しかし、頭の中には何も入ってこなかった。
「楓〜!」
夕姫の声に楓は振り返った。いつもの六人だ。どうやら涼の試験は一瞬で決着が着いたようだ。それを見て、楓は自分の心が沈むのを感じた。
今から自分はここにいる全ての人を欺かなければならない。実力を完全に隠し通す。戦闘のプロ達を騙すにはどうすればいいのか。
楓は腰の刀に手を当てた。目を閉じて大きく息を吸って、吐く。
「よしっ……」
次に楓が目を開けた時、楓の瞳には強い決意が灯されていた。
午後の一戦目が終わり、楓はゆっくりとコートに足を踏み入れる。相手の女子生徒はゴクリと唾を飲み込み、楓を睨みつけた。
霞浦前髪ロスト事件による、警戒なのだろう。そして、それは正しいのだが、この場合は意味がない。
「始め」
静かな合図と共に楓は刀を抜く。
沢山の人に自分が注目されているのが、手に取るようにわかった。興味と自分の実力を見定めるために楓を見つめている。これは、楓が無力である事を示す絶好の機会。
楓は刀を構えた。棒立ちで背筋を丸め、脇は締めない。
「なんなんだ、あの構えは」
「本当に噂通りなの?」
疑いの声が風に乗って耳に届く。
(これでいい……)
拍子抜けしたような表情を浮かべた女子生徒は、指先を楓に向けた。楓はキョトンとした顔を作る。来るのはおそらく、銃弾のように発射される術式。動かなければ確実に当たる。
「『雷童子』」
さすがに避ける素振りを見せないと、見破られるはずだ。
「うわわっ」
楓は声を上げて尻餅をつく。それも自然に。尻餅をついたまま腕をプルプルと震えさせて、刀を顔を守るように掲げる。
が、それよりも早く霊力で強化された手刀が楓の首筋に突きつけられていた。
「勝者、D組――」
名前は聞き取れなかった。
「なんだよ、弱いじゃねぇか」
「やっぱり『無能』は無能ね」
「見に来て損したよ」
ちゃんと欺けたようだ。目の前の女子生徒が楓を冷たく見ているのを、意図的に視界の外に追いやる。楓はスカートの後ろの砂を払い、誰にも気づかれないように小さく息をつく。
刀を慣れない手つきで鞘に納める。演技は最後まで抜かりなく、だ。
背中を向けて白線の外に出た楓の口元が悔しそうに歪んでいたのに気づいたのは光希だけだった。
「天宮……」
心配そうな顔で夕姫がこちらに走ってくる。
「楓⁉︎何が、何があったの!? どうして……?」
「楓……?」
楓は夕姫と夏美に笑いかけた。元気に答えようとして、失敗した。その言葉はとても弱々しく響いた。
「……ごめん」
夕馬はそんな夕姫と楓の様子を見て、答えを求めるように光希を見た。光希なら、事情を知っているはずだ。しかし、光希の顔からは感情を全く感じ取れない。何も思っていないのではなく、何かを隠している、そんな顔だった。
「天宮さん、ちょっといいですか?」
上から降ってきた声に、楓は肩をピクリと動かした。作り笑いを顔に貼り付ける。
「はい、何ですか?」
和宏の後について、夕姫達から離れる。今は、その事が救いだった。
「……演技、すごく上手でした。審査官も、『無能』という言葉に踊らされて上手く騙されてくれたみたいです。これでもう二戦目を受ける必要はなくなりました」
「そうですか、それなら良かったです」
思ってもいない事が嘘の笑顔を浮かべた顔から出て来る。まるで、自分ではない別人が喋っているようだ。和宏も当然気づいていただろう。それでも、笑顔のまま何も言わなかった。
和宏が去った後も楓はその場に立ち尽くしていた。何もやる気が起きなかった。
「何なのですかっ! あの腑抜けた戦い方は!?」
不意に雷のように浴びせられた怒声に、楓はゆっくりと目の焦点を合わせた。
「霞浦亜美……? と、桜木カレン?」
憤慨する亜美にベッタリとくっつくように現れたのは、『ベガ』構成員のカレンだった。今は“元”なのか?
不思議な組み合わせに楓は首をひねる。
「天宮楓、今のは何ですか⁉︎」
カレンもまた、亜美と同じように怒っていた。
「え? ……今の?」
「ええ! そうですわ! さっきの模擬戦闘です!」
「何って、いつも通りだよ」
亜美の目もカレンの目も見ずに楓は言う。
「あり得ません! そんな腑抜けた面でよくそんな事を……! 私たちを完膚なきまで叩きのめしてくれた恩は忘れていませんよっ!」
カレンは目を見開いてまくし立てる。楓はそれでも目を逸らす。
「……ごめん」
「何をそんな、しおらしく……。私は言いましたわ、強き者でなければ認められない、と。そして、貴女は証明した、それに足る力がある事を」
亜美は鋭く楓を見る。
「貴女は私が認めた女、貴女がそんな弱い振りするのは認められませんわっ!」
亜美は長い人差し指を楓に突きつけた。
「ごめん……」
もう一度、楓は言う。その言葉に亜美とカレンは言葉を失った。楓はそんな二人に背を向けて、歩き出す。あまり長い間光希達から離れていると心配させてしまう。
そして、こう思うのも、明確な逃げ、だった。
 




