水源家当主
「最高記録更新だな、それも二十分ほど」
背の高い女が腕を組む。B組担任の藤堂裕佳梨だ。その凛とした立ち姿はそのクールビューティーな容姿にしっくりとくるものだった。噂によれば、一部の男子にとても人気があるらしい。なんでも、しばかれたいとかなんとか。他にも縛られたいとか、鞭打ちされたいとか……。ちなみに、他のクラスの担任は生徒達の監視も兼ねて見回りをしている。
「そうですね」
和宏は頷いて、視線を後ろに向ける。楓は無意識にその視線を辿った。楓は目を見開いた。
妖艶な美貌を持つ女がそこに立っていた。漆黒の髪が白い肌に生え、その美しさは暗闇の中でも異彩を放っていた。女は静かに目を開く。
「あなたが天宮の『無能』、ですか」
不思議とその言葉には、楓を卑下するような感情はまるでこもっていなかった。楓は返事を忘れ、ぽかんと女の顔を凝視する。
こつん
隣の光希に小突かれた。ハッとして、答えを返そうとする。
「え、えっと……」
「その様ですね」
どうやら返事を求めた言葉ではなかった様だ。女は微笑を浮かべた。
「初めまして、私は水源家当主、水源泉と申します。今回は特別試験の協力をさせていただいてます」
「は、はあ……」
協力、というのはあの霧の事だろうか。確かに、この森全体という広範囲に特殊な霧を発生させるのは、かなり高度な技術と力が必要なはずだ。
楓は泉の顔を真っ直ぐに見つめ、真意を見極めようと瞳を覗く。その青みがかかった瞳は深い海の様に、落ち着いた揺らぎを続けるだけだ。
泉は隣の光希に目を向けた。
「久しぶりですね、相川君。あなたの噂はよく耳にしますよ」
「恐れ入ります」
光希は無表情で泉に答えた。泉は微笑を湛えたまま、しかし、その目は全く笑っていない。泉が光希に対して良い感情を持っていないというのには、前から気づいていた。この態度は他の家も変わらない。理由はわからないが、相川であるという事が問題のようだった。
「それにしても、異常な記録ですね」
含みを持たせて、ゆっくりと泉はそう言った。指を顎に当てて、あざとくも感じられる動作で首を傾げる。
「あなたが優秀すぎるのか、それとも……」
楓は泉の視線が自分に注がれるのを感じ、身体を緊張させた。この女は得体が知れない。楓は自分の心が警告を発しているのを感じた気がした。
「……あなたの能力でしょうか? でも、いいですか? 天宮はあなたが思っているより甘くはないのです。あなたは本当にイレギュラーな存在。それも受け入れ難い存在です。それを忘れないでください」
楓は何も言わずに頷いた。何をもってイレギュラーというのか、それは『無能』である事以外にもあるのかもしれない。でも、それは楓にはわからない。
助けを求めて光希を見る。光希は困ったように楓の視線を受け止めただけだった。
「それは、どういう意味、ですか?」
言葉を区切りながらゆっくり疑問を口にする。それに泉はにこりと笑って答えた。
「『無能』でありながら天宮の名を名乗ることを許されるというのは、本来あり得ない事です。天宮の名は力を持っている事の証明。つまり、あなたには何か、特別な力があるのでしょうね」
泉はここで言葉を切った。それから一拍おいて、話を再開する。
「私はあなたの力が知りたいのです。そのために呼びました」
ああ、なるほど。だから楓達は試験を最速でクリアする事を求められたのか。楓はそれに納得しつつも、戸惑いを覚えた。
「……でも、ボクは『無能』ですよ? 力がないのは完全なる事実。そんなボクにそんな力があるとは思えないです」
「だからです。まあ、あなたとこうしてお話できたのは良かったです。それに、もう次のペアがたどり着いたようですし」
楓は促されて後ろを振り返る。森から出て来たのは涼と夕姫のペアだった。
「二組目、試験クリアです」
和宏が静かに告げた一言が耳に届く。ふと腕時計を見ると、もう既に十五分が経っていた。
結局、何もわからなかったし、泉が何を言いたかったのかは全くわからなかった。
楓は一人、小さく息をついた。ふとした拍子に泉の顔が目に入る。そして、泉が光希に向ける厳しい視線に気づいてしまった。見なかったフリをして、楓は涼と夕姫に話しかける。
「お疲れ様〜、どうだった?」
涼は息が荒かった名残を残して、笑顔で答えた。
「なかなかハードな試験だね。あの霧には参ったよ。音も視界も全く効かないからね」
「それに、結構強い霊獣が多かったしねー、」
涼の言葉に夕姫が言葉を付け足す。
「倒すのにも手間取っちゃった」
えへへ、と夕姫はポニーテールを揺らす。
「え? もしかして、ボク達とは違う霊獣が出たりしたの?」
目をパチパチさせた楓は、夕姫に問いかける。夕姫はそれこそ意外と言ったように、目をパチクリさせた。
「え? 違うの? 私と涼のヤツは猫っぽいヤツとかが出たけど?」
「ん? あれ? じゃあ一緒?」
隣で光希は頰をかいた。
「天宮が強すぎるだけだろ……」
「……みたいだね」
呆れ笑いで涼は楓を見る。楓も光希も全く戦闘をした後には見えない。土ぼこりすら付いていないように見えた。夕姫と涼は少々土にまみれているのだが。
「この様子を見ると、仲直りしたみたいだね」
「まあ、な」
「僕としては、仲直りはしてくれなかった方が都合が良かったんだけどね」
意味ありげに笑った涼に、光希は表情を変えなかった。
「お前、どこまで本気だったんだ?」
「えー? 何?」
ワザとわからないフリをする涼に、微かな苛立ちを感じつつ、もう一度尋ねる。
「アレだ、お前が天宮の婚約者になるって話だ」
周囲を憚って『婚約者』だけ一段と音を小さくする。涼の顔から笑顔が消えた。
「もちろん、本気に決まってるじゃない。楓は好きだよ、女の子としてね」
真顔でサラリとこういうことを言えてしまう涼に、光希は敵わないと感じさせられてしまう。
「……俺は」
「はーい、ちょっと待った!」
言おうとした事を遮られ、光希は微かに眉を寄せた。笑顔を再び浮かべた涼は人差し指をくるりと動かした。
「続きは、ランク試験で……。ところで、楓、なんか今日、元気だよね。なんていうか、吹っ切れてるって感じ」
「そうか?」
光希は楓の方を見た。確かにいつもより明るい印象がある。
「たぶん、久しぶりに全力を出せたからじゃないかな? 持っている力を隠し続けるのはすごく大変な事なんだよ」
「そう、だな……」
光希にもよくわかる、その感覚。誰にも知られないように、自分の力をひたすらに隠し通す。それは想像以上にきつい事だ。
「楓、やっぱすごいや!」
夕姫は楓に笑顔を向ける。
「いやいや……そ、そんな事ないよ」
褒められる事にあまり慣れない楓は咄嗟に謙遜してしまう。側から見れば、一線を画する楓の強さは謙遜されると、少し傷つかなくもないのだが……。夕姫はそんなことは臆面にも出さず、笑顔を崩す事はなかった。
「いやいや、すごいって!」
「そうかな? にゃはにゃはにゃはは〜」
気持ち悪い笑い方を始めた楓に、少し離れた場所で術式を維持する泉は鋭い視線を向けた。
「……あの子の事は、調べておく必要がありそうですね……。それも全て……」
 




