肝試し
楓は少し早めの夕食の後、木葉達に続いて外に出た。まだ七時前なのだが、夏だからかまだ少し明るい。空は濃紺に染まりかけ、水平線の上に薄い桃色が乗っている。生徒たちは自然とクラス毎に固まって、外に集まっていた。楓はそわそわと隣の木葉を見る。
「ねえ、『肝試し』って何やるの?」
「まあ、今から先生が説明してくれるわよ」
先生、という言葉に含みを持たせて木葉は言った。それが少し気になったが、生徒達の前に現れた和宏に注目したため聞くのを忘れてしまった。
「今から特殊戦闘実技、『肝試し』の説明をします。皆さん、公式武装は持ってきていますか?」
ざわざわと生徒達に落ち着かない空気が流れていた。楓は他の生徒達と同じように自分の腰の『緋凰』に視線を落とす。無意識に愛刀の柄を手で撫でた。
それにしても、特殊戦闘実技に『肝試し』と名付けたのは間違っているような気がする。確かに夜にやるし、肝を試すのだろうが、やはり何かが違うと思う。そんな楓の疑問を汲み取ったように、木葉が小声で解説する。
「過去にとある先生が主張したらしいわよ、何かが違うと思うのにも同意するわ。まぁ……、その先生は変人で有名だったみたいだけれど……」
「……なるほど」
どこにでも変人はいるものなんだろう。そのまま定着して、学校も放置しているのかもしれない。
「……突然ですが、自分のバスの隣の人はちゃんと覚えていますか?」
楓は自分の隣を思い出す。もちろん光希だ。光希の事を考えると、楓の心を黒いものが過った。今朝も昨日のままだった。どうにかして、前のように戻りたいのだが、理由がわからないおかげで打つ手もない。
「その人があなたのパートナーです」
(え? うっそーん!?)
楓は目をパチパチさせる。
「この試験は二人組で行います。試験内容は簡単。森を突破して広場に辿り着く、これだけです。障害物もあるので気をつけてください。なお、霊獣が現れるかもしれませんが、戦うもよし逃げるもよしです。この試験は単純にタイムによって成績がつけられるので、霊獣を倒した数は全く成績には影響ありません」
ここで和宏はパチンと手を叩く。生徒達の注目が和宏に集中した。
「では、今から二人組になってください。五分後に試験開始です」
生徒達がバラバラに動き始める。楓は同じように、パートナーである光希を探す。光希は案外近くに立っていた。すぐに二人組になる。楓は恐る恐る声をかけた。
「あー、相川? ボク達がペアだな」
反応してくれない事を覚悟していたため、楓の目を見て答えたのに驚く。
「そうだな。なんか佐藤に指示を出された……」
「なんて?」
「試験を一位で、出来るだけ早くクリアしろ、ってさ」
「は?」
光希は髪の毛をくしゃくしゃとする。
「俺も意味がわからないんだ。後は、天宮も多くの生徒に見られるわけじゃないから全力を出していいっ……」
「ほんと!?」
楓は光希のセリフを微妙に遮った。身を乗り出して目を輝かせる。光希はあまりにもキラキラした目を見ていられなくて、目をそらしたくなる。が、目を逸らさない努力をしていた。ここで逸らせば、昨日と同じに戻ってしまう気がした。
楓は嬉しさのあまり刀を撫で回す。もちろん生物ではないので喜んだり吠えたりもしないのだが、撫で回す、という表現が正しいだろう。楓はふと周りに意識を向けた。
「なあ、相川、あそこのペア……」
楓は光希の制服の袖をちょいちょいと引く。光希も同じ方向を見た。そこにいたのは、涼、夕姫ペア、夏美、夕馬ペア、それから木葉、湊ペアだった。一部に関しては何らかの作為が働いているのは確かだろう。
「なんか……、すごくわざとらしい組み合わせだね」
こちらに気付いた涼が言う。楓も頷く。
「本当だな、絶対ワザとだよ!」
楓は木葉、湊ペアの方に視線をスライドさせた。木葉は相変わらずの美しい微笑みを浮かべていたが、微かにこめかみが引きつっていた。湊は憧れの木葉と組めて、失神寸前の表情をしていた。別の意味で試験が心配だ。
「木葉も大変そうだな」
「そうだね」
夕姫があははっと笑い出す。楓もつられて笑い出していた。いつのまにかその場は笑いに包まれていた。
「後三十秒で試験開始です」
感情が困らない、どこか機械的な和宏の声に全員が沈黙した。あれだけ浮ついていた場が一瞬で静まり返ったのだ。しーん、という音が聞こえてきそうだった。楓はチラリと光希を見る。光希もすぐに気がついて、視線を返してきた。
「では、始めっ!」
視線を交わした二人は地面を蹴った。森に入り、鬱蒼と茂る木々の間を夜目を頼りに駆け抜ける。このまま走るだけなら簡単だ。そう思った時に異変が起きた。
「相川!」
楓は光希を呼んで立ち止まる。光希も同じように足を止めた。視界がどんどん白に染まっていく。それは霧だった。すぐに夜目が利かなくなってくる。もう周りは何も見えなくなっていた。
「まずいな……、霧だ。その上、音も聞こえなくなっている……」
「これもなんかの術?」
光希は手を顎に当てて答える。
「おそらく、そうだ。効果は音の吸収と視界を遮る事だ」
楓の知覚に何かの気配が捕らえられた。この霧の中でわかるのだ、かなり大きなものなのだろう。
「……何か、来る」
楓は気配の方を睨みながら、刀の柄に手をかける。いつでも抜刀できるようにだ。
「ぐるがぁあああっ!」
咆哮を上げて姿を現したのは、猫とライオンを混ぜて鉤爪をつけたような生物だった。霊獣だ。霊獣には何種類もあるのだが、そんな事を思い出している場合ではない。
楓は殺意を剥き出して毛を逆立てる霊獣と真正面から対峙する。霊獣のしなやかな筋肉が躍動し、楓に襲いかかった。楓の瞳が金色の光を帯びる。それは暗闇に光ったように見えた。楓は刀を一閃させる。血飛沫が上がった。霊獣は血を流して楓を睨む。楓との間合いを測るように、霊獣はうろうろとしていた。楓はトンッと軽く地面を蹴った。それだけでも生身の人間ではあり得ないほど高くまで身体が飛び上がる。宙に舞い上がった楓の刀がキラリと光った。
「ふっ!」
刀を振り切った体勢で楓は地面に降り立った。刀を鞘に納める。一拍遅れて、楓に襲いかかろうとした霊獣が音を立てて倒れていった。
「さすがだな」
光希は感嘆の声を漏らす。あまりレベルの高くない霊獣とはいえ、楓の鮮やかすぎる手際に、少し可哀想になる。
「まあな、これから霊獣はボクが倒すから」
「頼んだぞ」
光希はポンと楓の肩を叩く。楓の肩が微かに動いた。照れ臭いが、大した相手ではなくても褒められるのは嬉しい。
「さて、どうする? 道はわからないしな……」
「待って」
楓は目を閉じた。感覚を鋭く研ぎ澄まし、広げる。楓の瞼がピクリと動いた。一ヶ所だけ霧が流れてくる方角がある。おそらくそちらが術を使っている人のいる方向。つまりゴールがある方だ。
「向こうだ」
光希は目を見開いた。あまりにも的確すぎる方向に、驚きを感じる。光希自身は霊力によって術者の位置を知覚したのだが、それを感じられない楓が同じ方向を選んだのには驚いた。
「行くぞ、ほら、」
光希が手を差し出してくる。
「な? 何?」
「……だから、この霧で迷ったらいけないだろ? だから……」
光希は更に手を突き出す。その動作の意味する事がわからずに、楓は首を傾げた。光希は焦れったくなって、少しの躊躇いの後、楓の手を取った。
「!?」
「……行くぞ」
楓は自分の顔が火照るのを感じた。視界が悪いのに今の間だけ感謝する。それは光希も同じだったが。
再び楓は光希に片手をふさがれて、要するに手を繋いでだ、走り出す。やはり景色は変わらないが、少しずつ目的地に近づいているのが楓にはわかった。
「あ……」
楓は気配を感じ、手を離してもらおうと声を発したのと同時に手を離された。少し気まずくなって楓は反省する。光希も気配に気づいているのは当たり前だ。
木々の間から大蛇が現れた。割れた舌をシュルシュルと出し入れして、威嚇している。楓は刀を抜いて、素早く間合いを詰めた。瞬きをする間にごろりと蛇の首が落ちる。文字通り、瞬殺だった。ドス黒い血が地面を濡らす。しかし、二人はそれを見ることもなく走り出していた。
パッと視界が開けた。霧がこの場所だけ晴れている。森がこの場所だけを避けて存在しているようだった。そんなわけはないのだが。
「お疲れ様です。相川、天宮ペア、試験一位クリアです」
その声に光希は急いで手を離した。楓も安心する。和宏に見られていないとは言い難いが、この状態でいるのは恥ずかしかった。




