郊外教室2日目 1
起床時間ジャスト……、の五分後。楓はスッキリと目を覚ました。ボサボサの長い髪を振り乱しながら周りを見る。
まだ髪の毛ボサボサのまま、ぽけーっとしている夕姫に、布団をたたみ始めた夏美。それからもう制服に着替え終えている木葉、紗都香に至ってはまだ寝ている。一瞬起こした方がいいのかと思いかけた。楓がその考えを打ち切ったのは、しっかり者でみんなに好かれている夏美が起こしにかかったのを見だからだった。
「うーん……」
伸びをして勢いよく立ち上がる。楓は部屋の端に掛けていた制服を取り、着替え始めた。
二分もかからずに着替え終えた楓は布団をたたみ、部屋の隅に移動させる。
「ふぅ……」
一息ついて、楓は腰を下ろした。櫛を鞄から取り出し、ボサボサの髪を梳かしていく。すぐに黒く長い髪は真っ直ぐに整えられた。楓は髪をまとめ、水色の紐で手早く結わえる。
「手慣れたものねー」
上から降ってきた声に楓は顔を上げた。木葉だ。
「まあ、何年もやってればね、」
「そう、いつから伸ばしてるの?」
木葉は楓の髪をつつきながら、単純な疑問を口にする。
「うーん……、わかんないや、でも前に切った気もするけどな……」
「なるほ……」
木葉の言葉は途中で中断された。理由は、
「朝ご飯の時間だよー!」
と言った夕姫の声だ。二人は顔を夕姫に向けた。楓は部屋の壁にかかった時計を見る。あと十分で朝ご飯の時間だ。
紗都香は楓達に構わずさっさと姿を消してしまった。楓には紗都香を呼び止める義理もないので、その背中を何も言わずに見送る。
「行きましょ?」
木葉は紗都香を気にせずに言った。楓も無表情になっていた顔に笑顔を浮かべる。
「そうだね!今日は授業でしょ?」
「そうだったぁ⁉︎」
突拍子もない声を上げたのは夕姫だった。夏美も顔を綻ばせる。
「夕姫、理論、苦手だもんね」
「えへへへ……」
夕姫は頭をかいた。楓はふと、気になっていた事を聞いてみた。
「ところでさ、霊力を使うってどういう感覚なの?」
三人が考え込むように顔をしかめた。嫌な事を聞いてしまったかと思い、楓は質問を取り消そうと口を開く。
「なんていうか、感覚なんだけど、頭の中で術を発動させる回路みたいなものをイメージして、そこに霊力を流し込む……みたいな感じかな?」
どうやら三人のあの顔はただ単に考えていただけだったようだ。楓は口を噤んで夕姫の話に耳を傾けた。
「私も似たような感じだよ。自分の作ったコースに霊力を流す感じ」
「私も二人と同じ感覚だと思うわ。霊力を持たない楓にはわからない感覚かもしれないけれど……」
少し申し訳なさが木葉の声に滲んだ。
「いやいや、教えてくれてありがとう。感覚がわかったら、もしかしたらって思ったけど、やっぱ問題は根本的なところか〜」
努めて明るく楓は言う。しかし、返答に困ったようだ。そんな三人に楓は駆け足してみせる。
「ほらほら、朝ご飯食べに行こうよ〜!」
「そうだね!」
***
白いご飯と味噌汁、それから漬物などと言った、極めて日本っぽい朝ご飯を食べた後、楓達はクラス別で部屋に集められた。木造りの部屋にはクラス全員分の机と椅子が並べられている。どうやらここで授業を行うようだ。いつもの教室と同じように、出席番号順で席が割り振られていた。楓は光希の後ろの席に腰を下ろす。
「おはよ」
試しに声をかけてみた。しかし、反応が全くない。楓は光希の背中をつついてみる。やはり反応がない。
「相川ー!おはよー!」
大きめの声と背中をぽんぽん叩く事のダブル技で、ようやく光希は振り返った。
「おはよう」
光希は楓の目を見ずにそれだけ言って、前を向こうとした。その動作を不審に思い、楓は光希と目を合わそうとしてみる。
光希は楓の目から逃げたように見えた。もちろん理由はわからない。その事が楓の心にモヤモヤとした物を残す。しかし、楓は光希に声をかける事はできなかった。
そのまま数分が経ち、授業が始まった。いつもの理論とは違い、和宏が教壇に立っている。和宏は戦闘用術式の方が得意なのかもしれない。そんな予想はさておき、楓は授業に耳を傾けた。不真面目なように見えて、根は真面目なのだ。
「えー、今日は大規模術式についての実技と授業を行います。まず、大規模術式とは、広範囲に渡って効果を及ぼす術式の事で、結界などもこれに含まれます」
和宏はここで一度切って、全員の顔を見渡した。失敗には大きな事故が伴うため、話を聞いていない人がいない事を確認するためだ。
「まずは、戦闘用術式について、説明していこうと思います。戦闘用という名前から、人を殺す事が簡単にできてしまう術式です。そして、失敗の仕方によっては自分自身を傷つけたり、命を落としたりする危険性があります。A組の皆さんならもう知っている人が多いかと思いますが」
物によっては使う本人も危ないんだな、と今更ながら楓は思うのだった。あまり目立たないように周囲を見回す。寝ている生徒は誰もいなかった。やはりそれだけ危険な事なのだろう。
楓は授業について行くために木葉に理論を教えてもらっている。おかげで理論自体は何となく話を聞いて理解する事ができた。ただ、楓にとっては実感の伴わない物。完全に理解したとは到底言えなかった。
頑張って講義を受けること五十分。楓は眠気に自分の頭の据え付けが悪くなっているのを実感していた。目を閉じればもう開ける事ができないであろうギリギリのところだ。
「……これで一時間目の戦闘用術式の授業を終わります」
その声に楓は立ち上がった。顔をぱちぱちと叩き、眠気を覚ます。これからこんな訳の分からない授業が二時間も続くのだ。ちゃんと目を覚ましていなければいけない。
次の授業は結界などその場に術を残す方法について。そしてその次の授業は少し長めで、今日やった戦闘用術式に他の効果を付与するなどといった、さらに実戦的な内容を説明された。途中からちんぷんかんぷんだったが。そのため、結局二時間目も三時間目も頭をカクカクさせて、眠気と戦うのに必死だった。
***
「お昼ご飯、お昼ご飯〜」
三時間目が終わった後、楓は木葉達と食堂に向かった。別の部屋で授業を受けていた他のクラスも食堂に集まってくる。
楓はたった一つの一日の楽しみ、昼ご飯をるんるんと食べ始めた。ちなみにメニューは焼きそばだ。麺を口いっぱいに頬張った楓はこの場所の違和感に気づいた。
昨日と食堂の雰囲気がまるで違っていたのだ。楽しそうに昼食を取っているのは楓だけ、と言っていいくらいだ。昨日の浮ついた明るい空気は何処へやら。一変してピリピリした空気が流れていた。
(何かあったかな……?)
スケジュールを思い出す。昼食の後は実技の訓練だ。もしかすると、全員、それでピリピリしているのかもしれない。
楓は綻んでいた口元を引き締める。一人だけ楽しそうに食べるのも気が引けた。




