涼の目的
夕食を食べ終えた後、風呂に入ったその帰り道、光希、涼、夕馬の三人はたわいもない話をしながら暗い道を歩いていた。
「楽しかったなー、俺としては荒木さんが荒れてたのに驚いたけど」
伸びをするように手を上に上げ、夕馬は笑った。
「まあ、夏美は昔からああいう所があったからね……。にこにこしてるけど、容赦もないし」
涼はどことなく言いにくそうにそう言った。
「おまけに一度決めるとしつこいしな……」
光希もその隣で溜息をつく。夏美の事を荒木と呼んでいた光希だったが、夏美と呼んでもらう事を決めた夏美は、光希に何度もしつこいほどに迫り、光希が諦めて夏美と呼ぶまで続いた。それもかなり長い期間。
その上、夏美は怒らせると怖い。とにかく、やる事がえげつないのだ。特に中学の時、「ロリ巨乳」と呼ばれた時なんかは、そう呼び始めた奴をけちょんけちょんに言い負かし(たぶんそいつは心に深い傷を負った)、「変態豚男」という称号を授けていた。おそらく全ての生徒がそいつに同情した事だろう。
まあ、いい奴ではあるのだ。幼馴染として長くチームを組んでいる光希としては、夏美は戦闘能力も知能も高い、頼りになるチームメンバーだ。色々と過激な所が少々残念ではあるが。
「……なるほどね、やっぱり光希達って面白いな。一緒にいて飽きないや」
「飽きないかもしれないが、……大変だと思うぞ?」
夕馬は光希の言葉に首を振る。
「今までエリートの奴らなんて、ロクな奴がいないと思ってたけどさ、いい奴もいっぱいいるってわかって、ここに来て良かったって思ったんだ」
今まで努力してきて良かった、と夕馬はニッと歯を見せた。
「じゃ、夕馬も変なエリートの仲間だね〜」
涼は夕馬の肩に手を置いた。夕馬は苦笑いを浮かべる。
「変なエリートってなんだよ!?」
光希の抗議に涼はサラッと反論する。
「いや、だって、変じゃん?マトモな人がいると思って?」
「……」
論破され、光希はその呼び方をやめさせる事を諦めた。
「ところでさ……、荒木さんって、光希の事、好きなの?」
ピシリと空気が凍りついた。それに気づかずに夕馬は続ける。
「なんか、今日も光希に近づいた天宮さんを人でも殺すような目つきで見てたし、いちいち光希に胸を押し付けようとしてたよな? ……ん? あれ? どうした?」
笑顔のまま固まった涼と顔から表情が消えた光希に夕馬は気づく。何かいけない事を言ってしまっただろうか。
「……う、うん。夏美の光希への気持ちはみんな気づいてるよ。楓だけ気づいてなさそうけど……、とりあえず、それは本人には言っちゃダメだよ……。何が起こるかわからないから……」
涼の視線が宙を彷徨っている。よほど恐ろしいのだろう。真剣な顔で光希は頷いていた。
「そ、そうなんだ……。やめとく」
話している間に自分達のコテージに着いた。光希達は荷物を降ろす。男子の方もコテージの部屋割りは女子と同じで番号順で、下に五人、上に六人だ。A組は女子よりも男子の方が生徒数が多くなっている。
光希は肩にかけていたタオルを取り、荷物の上に放った。ちらりと涼を見る。
さて、どうやって情報を引っ張り出すか……、だ。涼には楓の護衛以外に何か目的があるように見える。それはしばらく見ていて確証が持てた。護衛任務の事は夕馬には言っていない。夕馬には気づかれない方がいいはずだ。
「涼、ちょっといいか? 天宮について聞きたい事がある」
「ん?」
光希は涼に声をかける。涼は一瞬の迷いを目に浮かべ、その後頷いた。
「いいよ、ここじゃない方がいいよね?」
「……あ、ああ」
あまりにもあっさりと涼が承諾し、光希は拍子抜けした。しかし、何を涼は迷ったのだろうか。
コテージを抜け出した二人は、外を歩いていた。お互い無言のまま歩みを進める。光希は黒い海に視線を向けた。月の光さえ飲み込んでしまいそうなほど海は黒かった。時折反射する光だけが、そこに海がある事を示している。見ているだけで息が詰まりそうだった。
光希の前を歩く涼の背中が止まった。顔を上げた光希の瞳に星空が映る。とても美しい星空であっただろうものは薄い雲に覆われつつあった。
「ここなら、誰にも聞かれないよ」
振り返った涼は光希の隣に歩いてきた。暗くてその表情はよく見えない。光希は意を決して口を開いた。
「お前の目的は……、何だ?」
「何って、楓の護衛だけど?」
声色も変えずに涼は答えた。何を言っているのかわからない、というように肩をすくめる。しかしもちろんそんな事で騙される光希ではない。
「惚けるな、俺が聞いてるのはもう一つの目的だ」
「やっぱりわかっちゃう?」
「だてにお前の幼馴染やってるわけじゃない」
涼がこれ以上言い逃れをしないようにと、光希は涼に鋭い視線を向けた。涼は一度目を閉じ、ふぅ、と息を吐いた。
「何も聞かないっていう選択肢はないんだね?」
光希は黙って頷く。涼は静かに口を開いた。
「僕の本当の任務は護衛なんかじゃない。天宮楓の婚約者としてここに来たんだ」
「……婚約者……?」
光希は耳を疑った。思ってもいなかった単語が涼から出てきた事に驚いたのだ。
「その反応だと、光希は知らないんだね。光希の本当の任務は護衛じゃない、……本当の役割は楓の婚約者だ」
「は? ……聞いてないぞ、そんなこと」
光希は驚きに目を見開いた。
「そう、光希は楓の婚約者として天宮楓に付けられた。ーーただそれは天宮家のご当主様の意向。全体の意思じゃない」
涼は光希を見る。いつもは優しげな目が鋭く光希を捉えていた。
「相川家は新興の一族。一族、と呼べる程でもないか。でも、その力は古参の一族にも無視できなかった。その上、相川である光希を天宮家の直系と婚約させようとしているのだから。そして、古参の家柄の当主達は相川家がさらに大きな力を手に入れる事を恐れたんだ」
ここで一度涼は言葉を切った。光希には何も言う事ができない。これは光希が知り得る事のなかった情報だった。
「そして問題は天宮楓。先代当主、天宮桜様の娘にして、天宮を名乗る事を許された無能力者。正直言って、厄介でしかない」
「おい!」
何かを言おうとした光希を制して涼は話を続ける。
「それなら、厄介者には厄介者をくっつければいい。天宮家と釣り合うだけの能力を持ち、その家にとっては厄介者ーー」
「ーーそれが、お前か……」
涼の言葉を光希は継いだ。涼は自分自身を嘲るように笑う。
「ああ、それが僕だ。神林家は使い魔の一族。でも僕が使えるのは烏一羽だけ。それに比べて、兄さんは狼。それも同時に何匹も使役できる。そんな優秀な兄さんに、……僕は神林の失敗作。厄介払いしたくなるのは当然だよ」
「……涼」
神林としての完成した技能を持たない涼からは、どれだけ戦闘能力が高くとも失敗作の烙印は離れない。それでも涼は幼い頃からの兄への憧れを捨て切る事はできなかった。
「……ごめん。これは今は関係なかったね。でも、それが僕がここに来た理由だよ」
光希は涼の話が終わったと思い、足を動かした。かさり、と足元の草が揺れる。涼はその音に閉じていた目を開けた。
「ねぇ、光希は楓が好きなの?」
「……は?」
突然の質問に光希は呆気にとられて、間抜けに口を開けてしまった。そんな光希を気にせず、真剣な眼差しで問いかける。
「いいから答えて」
「何で俺があんなバカを好きになるっていうんだよ!?」
「じゃあ、僕が楓をもらってもいいかな?」
「なっ!?」
「ダメ?」
驚きの声を上げた光希に涼は茶目っ気ある口調でそう言った。しかし、その言葉に軽さはない、
「そ、そんな事はないが……」
「僕も婚約者になる気は無かった。本当はこのまま何もしないつもりだった。でも、光希に知られちゃったからにはもう命令を無視し続ける事はできない」
「……どういう事だ?」
涼は首を振った。そして、目を細めて光希を鋭く射抜いた。
「光希に楓は渡せない。初めは光希が楓の婚約者であればいいと思ってた。でも、今の光希を見て思ったんだ。……楓は琴吹伊織じゃない」
「……っ!」
光希は息を呑んだ。心のどこかで楓をあの少女に重ね合わせていたのかもしれない。
「だが、天宮と伊織は似ていない。それも正反対だ」
それを心のどこかで自覚しながらも、光希は反論する。しかし、それすらも涼に見抜かれていた。
「いや、楓も伊織も同じ闇を抱えている、そうだよね?」
「……」
光希は言葉を失った。今、自分がどんな顔をしているのか、光希には分からなかった。
「もし、本当に光希が楓自身を守りたいと思うのなら、模擬戦で僕に勝って証明して」
そう言って涼は踵を返した。立ち尽くす光希を置いて。光希はしばらく拳を握りしめたまま、動く事ができなかった。
これが神林涼が天宮楓に近づいた理由。そして、琴吹伊織とは…




