自由時間
天宮楓は必死に柱にしがみついていた。
「いやだぁあああ!行かないぃ!恥ずかしいよぉぉおおー!」
「何やってるんだ?」
女子のコテージから絶叫が聞こえてくる。光希の疑問に涼は肩をすくめた。
「自由時間も限りがあるしな……」
夕馬は呟く。
「これじゃ、さっさと水着に着替えた意味がないような気がする」
「それもそうだが……、一時間以上生身で走っといてなんであんなに元気なんだ?」
先程の長距離走は体力と霊力を効率よく、かつ持続的に使うための訓練だった。距離はおそらくマラソンとほぼ同じだっただろう。そして、今は自由時間。要するに海で遊ぶ時間である。
「まあ、楓だし?」
「そうだねー」
「行かないいぃぃぃいー!!」
楓は柱から離れない。さっきから三人に物凄い力で引っ張られている。もちろん、そんな事で柱という命綱を離す訳がなく、柱のミシミシという怪しい音を聞きつつしがみつく。
「もう、ラチがあかないわ!やるわよ!」
「はい!」
「おっけー、木葉」
「……え⁉︎ちょ、待って!」
とうとう木葉達が本格的に動き始めた。木葉は手であやとりの形を形作る。そこに掛かった銀の糸は楓に言い知れない恐怖を感じさせた。
「『蜘蛛の糸』……」
木葉の呟きと共に銀の糸がするすると伸びていく。しかし、柱を離れれば夕姫と夏美に捕まってしまう。結果として柱にしがみつく以外の選択肢はなかった。
ぶわっ
銀の糸が楓を包み込む。気づいたら、身動きが取れなくなっていた。
「いやだぁあああああああ……」
絶叫する楓はミノムシのようにぐるぐる巻きで木葉に引きずられて行く。がりがりと地面、砂浜、に深い線を残して、楓は光希達の前に連れてこられてしまった。
「はーい!お待たせ!」
嬉しそうな木葉の声で、楓を拘束していた物が消え去る。楓はそれと同時に水着姿の夕姫の後ろに隠れた。
「もう、楓、可愛いから見せちゃえばいいじゃん!」
夏美が横から楓に声をかける。楓から見ると、その……、豊満な胸の谷間が……。その上、可愛い。……羨ましい。
楓はふるふると頭を振って、夕姫の後ろから離れない。
「光希に、見せなさいよ〜!」
「そうだよ!可愛いからさ!」
楓さらに頭をふるふるさせる。肩を抱え込むように上半身を隠して。
「ほら、行ってきなさい!」
どんっ
木葉によって眼鏡を奪われ、楓は前に押し出された。
「うわわわっ!」
視界がぼやぼやにボヤけ、足を砂に取られて転びそうになる。寸前で転ぶのを阻止するが、その時に何かに触れてしまった。
「誰、これ?」
ペタペタと触る。目を細めて上を見た。そして更に顔を近づける。
か、顔があった。至近距離で見ていたのは光希の顔だ。しかもその距離約十五センチ。楓は顔を茹であがらせた。慌てて離れる。
「ご、ごめん!」
「……あ、いや、こちらこそ、すまない」
顔を微かに赤くして、光希は楓から目を逸らす。水着姿の楓を直視できなかった。楓が着ているのは上下セパレートの水着。俗に言う、ビキニというヤツだ。つまり、目のやり場に困るのである。
木葉から眼鏡を受け取った楓は周りを見る。木葉は声も出ないくらいに笑い転げているし、夏美は笑顔を浮かべているように見えて目が笑っていない。最後に夕姫を見たが、全く笑っていなかった。
「裏切り者ぉぉ!!」
「えっ⁉︎な、何?ボク、なんかした⁉︎」
理由がわからないまま、突然叫び出した夕姫に追いかけられる。
「なんでー⁉︎」
「なんではこっちのセリフだ!な、何でボクっ娘のクセに私よりむ、む、胸がああぁぁ!!死刑!有罪!一回死んで!」
最後の方はもう、涙目の夕姫だった。楓は胸を張って言う。
「ふふん、普通、ボクみたいなキャラは貧乳という相場が決まっているのだが……、見たまえ、夕姫君。なんて言ってもボクはCカップあるのだよ!」
「くそおおぉぉ!」
堂々と言い切った後に楓は気づく。目の前にみんながいた事と自分がビキニを着ている事に。光希を見たら、何も言わずに目を逸らされた。涼は始終笑顔だ。信用ならん。夕馬はニヤニヤと夕姫と楓を見ていた。
「なんか、意外だね、水着」
涼に言われて、楓は慌てるのだが、もう逃げる場所はどこにもない。
「ち、違う!木葉が勝手に選んじゃって買ってきちゃったんだよ⁉︎ボクが進んで着るワケがないだろ⁉︎」
「せっかく似合う物を買って来てあげたのに〜」
と、木葉は口を尖らせる。
「確かに水着がなかったから買いに行かなきゃいけなかったけど、それにお金ないから木葉に買ってもらっちゃったし……」
「まあ、いいじゃないの。もう遅いし」
「そうだよぉぉ……、そんなに嫌なら裸でもいいんだよ……」
魂が抜けた夕姫が復讐とばかりに薄ら笑いを浮かべる。
「……はい、文句、言いません」
恐怖に震えながら、楓はカタコトで答えた。
涼は意味ありげに光希を見る。
「ほらね」
「は?」
「意外と、ってヤツだよ」
光希は涼の言葉が意味する事に気づいてしまう。
「……何言ってるんだよ⁉︎確かに意外だが……」
「夕姫よりもあるからね……」
夕馬も勝手に参加する。
「ほらほら、そこ!何コソコソ喋ってんだよ!」
楓の声に光希達は振り返る。楓はいつのまにか用意されたビーチボールを持っていた。
「バレーボールやろーぜ!」
悪戯っぽく楓は笑う。どうやらビキニである事の羞恥心は忘れたらしい。光希達が了承したのを確認するや否や、楓は口を開いた。
「じゃ、グーとパーで分かれるよ!」
ー結果、グーが楓、涼と木葉、パーが夕姫、夏美、夕馬、と光希に分かれた。地面に線を引き、木葉が術で即席のネットを作る。準備は万端だ。
「行くよ!」
楓は高くボールを放り投げた。
……ほのぼのした時間になるはずはなく、しまいには
「死ねえぇぇえ!」
バシーンッ!
「オラオラオラオラっ!」
バスッ!
「くそっ!」
……のような有様になっていた。光希、涼、木葉の三人は無言でボールを捌く(容赦なし)。そして、過激派は楓と笹本兄妹、それから意外にも夏美だった。しかも夏美の変貌ぶりが恐ろしい。ボールが壊れないのが不思議なくらいに物凄い球速でボールを打っている夏美は、どうやら何かのストレス発散をしているようだった。たまに口走る「アイツ」が誰なのか、あまり知らない方が良さそうだ。
楓は高く跳び上がると、スマッシュを全力で地面に打ちつけた。地面にボールがのめり込み、夕姫と夕馬が悔しそうに舌打ちする。そして、荒ぶる夏美のサーブで再びボールは宙に打ち出された。
その日、自由時間はその終わりまで白熱した試合が繰り広げられたのだった。
合宿初日にこんなに遊んでいいのだろうか…




