校外教室初日1
光希はバスに揺られながら、外を見た。と、いうか、外以外に視線をやる選択肢が存在しなかった。恐る恐る、隣をちらりと横目で見る。何故か隣では気持ち良さそうに天宮楓が爆睡していた。光希は一瞬で視線を逸らし、また、外へと向ける。そして、先週の金曜日の事を思い出していた。
***
「校外教室の部屋割りとかの発表だってさー!」
明るい女子達の話し声や、男子の楽しそうな話し声で教室は満たされていた。光希にとって、部屋割りなどさして重要なことではないので、あまり興味はなかった。
「相川〜! お前って、木葉さんと仲、いいんだろ?」
唐突に声をかけられ、光希はその方向に椅子に座ったまま身体の向きを変えた。声をかけてきたのはクラス一のお調子者、天童湊だった。
「いや、仲が良いわけじゃないが……、なんかあったか?」
「なんかさ、今、女子の胸の大きさランキング予想してるんだけど……」
湊は視線を彼の周りの男子、それも六人ほど、に同意を求めるように滑らせた。彼らもうんうんと頷き、同意を示す。湊が「女子の胸の大きさランキング」という言葉だけ小さな声で言ったのは、周りの女子を警戒してのことだろう。光希は呆れて、目を細める。
「……それで?」
「あ、そうそう、それで相川の意見が聞きたいな〜みたいな?」
「で、それが何で下田に繋がるわけ?」
湊はわざとらしく頭をぽりぽりとかく。
「下田さんって、やっぱり胸、でかい?」
「……は?」
あまりにもストレートすぎる質問に光希は気の抜けた声を上げた。
「見た事無いし……、そもそも、胸だけなら夏美の方があるんじゃないか?」
「あー! 光希が不純な会話してるー!」
ギクリとして、光希は振り返った。棒読みのセリフで会話に乱入したのは涼。そして、その隣には、にやにや笑いを浮かべた夕馬の姿があった。
「湊、なんか楽しそうな事してるじゃん、俺たちも混ぜてよ」
なぜか楽しそうに夕馬も会話に入ってきた。このままでは光希もコイツらと同類扱いになってしまう。ここから抜け出せないかと一瞬考えて、にこやかな涼の顔を見て、やめた。ムリだ。
「なるほど、やっぱり光希から見てもそうか……」
湊は腕を組んで呟いた。その視線の先には夏美ではない、違う女子だった。
「それで、暫定一位は誰なの?」
涼の質問に、湊は自信ありげに鼻を膨らませて答えた。
「あの子、水源美鈴だよ……」
「俺もそう思ってた」
うんうんと、夕馬は同意する。それにしても、どうしてここまで女子の胸で盛り上がれるのかつくづく不思議だ。
「弟として言うと、夕姫はアレだ、完璧なる断崖絶壁だぞ……」
「やっぱりそうか……」
「わかるか、」
「ああ」
夕馬と湊の間に美しい友情が芽生えようとしていた。白けた目で二人を見ていると、にこやかな表情を崩さない涼に絡まれた。
「光希〜、楓はどうなの?」
「は? アイツか?」
「うんうん、そうそう」
光希は素っ気なく答える。
「無いだろ、アレは。まずあの性格だし……」
「ふふ、案外ってヤツだよ……」
意味深に笑った涼の意図は光希には分からなかった。
「答え合わせは校外教室の自由時間で、だな!」
湊の元気な声に光希を除いた全員は頷いた。ちなみに、今回の校外教室は海辺で行われるため、水着の持ち込みが許可されている。もちろん、女子の胸を見るのには絶好のチャンスであって……。
「皆さーん! ホームルーム、始めますよ!」
騒がしい教室に担任の声が響き渡った。全員黙り、それぞれの席へと戻っていく。光希は和宏の顔を一瞬睨んだ。和宏の方は反応を見せなかったが、アイツのことだ、気づいているだろう。にこりと笑顔で和宏は紙を取り出した。クラス全員の注目がそこに集まる。
「今から、バスの座席と部屋割りを発表します!」
おお〜、とクラス中にどよめきが走る。お互いの顔を見合わせる者、視線を交わす者。反応は三者三様だった。光希は冷めた目で和宏を見て、視線を逸らした。
「では、バスの座席から、発表しますね。座席は二人席がくっついていて、その隣同士がペアになっています。なので、絶対に覚えてください」
息の詰まる僅かな沈黙の後、和宏は口を開いた。
「では、この席から……、相川光希、天宮楓」
……。
今、なんて言った!?
光希の心の声に答えるように、クラスの人の視線が楓と自分を行き来する。
ちらり、楓を見ると、目が合ってしまった。楓の目が雄弁と語っている。何でボクがコイツの隣なんだ!?と。光希としても願い下げだ。護衛をするのとペアになるとでは別問題。
……なのだが、やはり変えることはできないので、今の有り様なわけである。回想を終え、隣の楓(爆睡中)を見る。
「……」
さっきから肩が重いとは思っていたが、普通に楓の頭が肩に乗っていた。そして、ある光景に光希は顔を引きつらせた。ただ単に頭を乗っけているだけなら別にいいのだが……、光希は視線を湿った肩に落とした。口を開けて爆睡する楓の口からヨダレという名の液体が溢れているのには流石に殺意を覚えなくも無い。ただ、あまりに気持ち良さそうなので、起こすのも忍びない。光希は自分の制服を取るか、天宮楓の安眠を取るかで真剣に悩んでいた。
楓の寝顔を見る。いつもの振る舞いからあまり感じられないが、その容姿は決して悪くはない。だが、美少女の、認めたくはないが、木葉や、夏美、夕姫もいるせいで霞んでしまっている。
ガタン
バスが揺れて楓の鼻から眼鏡がずり落ちそうになった。もちろん、直そうなんて思わない。もし、起きたりしたら後にとんでもない事になるかもしれない。光希としても、そんな事は経験したくなかった。
寝る時も、眼鏡、外さないんだな、とそう思ったりもしたが、日中だからだろうと結論づける。それでも、今時、眼鏡、というのは珍しかった。世界が『崩壊』したと言っても、医療技術が失われたわけではない。むしろ、進歩していた。現在、視力は進歩した医療技術で治すことができるのだ。しかし、楓は眼鏡を未だにしていた。
『封印』
光希の脳裏にその言葉が浮かんだ。四月にみのるに言われた事だ。みのるは言った。天宮楓にはある種の封印が施されている、と。楓は全力を出す時、瞳が一瞬金色を帯びる。その事と関係があるのではないか。眼鏡もまた、『封印』の一部なのかもしれない。楓自身はその事に気づいていないようだった。
「はあ……」
思わず溜息が口から出た。天宮楓にはわからない事が多すぎる。
……そしてそれは光希自身も同じ事。
「もう着きますよ〜! 寝てる人は起こして下さい」
和宏の声に光希は驚いて肩を動かした。その弾みで楓の頭がずり落ち……止まった。
「はにゃ〜? お〜、おハロー、相川〜」
寝ぼけながら顔を上げた楓に、挨拶された。どう返事をしていいか困った光希だが、無意識に天宮楓の安眠を守ってしまった事に光希は気づかなかった。




