命令
「今日の授業って五時間目までなんだよね?」
「そうだけど、何?」
五時間目が終わった直後、確認を取った楓に木葉は頷いた。
「なんかあるの?」
不思議そうに木葉を見ると、木葉は楓の肩に頭を乗せて体重をかけた。
「え? ちょ、何? 木葉!?」
一見具合の悪そうにも見える動作に楓は慌てた。はあ……、重い溜息を木葉はつく。顔をばっと上げた木葉は凄い勢いで何やら言い出した。
「話、聞いてなかったの? 朝に言われたじゃない! 校外教室の説明をするって⁉︎」
「おー! そういえばそう言ってたかもな!」
楓はポンと手を叩いた。木葉に言われて思い出す。朝のホームルームで和宏は、六時間目に校外教室の説明をすると言っていた。あまりにも憂鬱だったので、おそらく記憶を消去していたようだ。
「思い出せたのは良かったわ。もしそうじゃ無かったら、介護施設に入れようかと思ってたのよ」
「……ん?」
楓は木葉がにこやかに告げた言葉に、耳を疑った。
「今、なんて?」
「え? ああ、思い出せ無かったら、認知症だから介護施設に入れてあげようと……」
「おい……、ボクはババアじゃねぇぇえ!」
木葉に怒りのパンチを繰り出そうとしたが、手を止められる。木葉はそのまま、楓の手を捻った。
「……うぎゃぁぁあ! いだだだだ、痛い痛いっー!」
見事に関節をキメられて、楓は絶叫する。クラスメイト達が顔をしかめて楓の方を見た。木葉はパッと手を離し、女神になる(女神な笑顔を浮かべる)。
バタバタバタ……
一部の男子生徒達が鼻から大量の血を吹き出して倒れていった。
「きゃあぁぁぁ!」
その場にいた女子生徒が瀕死の男子生徒たちを見て悲鳴をあげる。木葉は驚いたように目を大きくした。
「あら、ちょっとやり過ぎてしまったようね……」
木葉はサラッと髪を手で払う。楓はその光景に一瞬呆然としてから我に返った。
「ちょっと、じゃないだろ!?」
背を向けて逃げようとした木葉の腕を楓はガシッと掴んだ。
「お前は大量殺人罪で刑務所行きだ!」
木葉は上目遣いで目をウルウルさせる。
「酷い……。か弱い乙女になんて事を……」
「……は?」
「そうだ! そうだ! 木葉様に何をするんだ!」
「いや、悪いのコイツだろ!?」
いつのまにか立ち上がっていた男子生徒達は木葉の擁護を始める。もはや呆れて声も出ない。楓は溜息をつくと、助けを求めて夏美を見る。夏美は困ったように笑うと、夕姫と共にこちらにやって来た。
「お疲れ、楓。あの女狐とは言い争いしない方が賢明だと思うよ」
夏美は木葉をちらりと見て、楓にニッコリと微笑んだ。すごく酷い言葉が聞こえたような気がする。そういえば、夏美と木葉はあまり仲が良くなかった気もする。楓としては仲良くなって欲しいが、理由がわからない。よって、今のところ二人を仲良くさせる手立てはないのだった。
「いやー、面白かったわ〜」
呑気にそう言いながら木葉が現れた。どうやら今まで下田木葉信者達に捕まっていたようだ。夏美の鋭い眼光が木葉に注がれた。少し怖い。しかし、当の木葉の方は全く気にしていなかった。むしろ面白そうに夏美を見ている。
「何か?」
「ううん、何でもないよ」
凍り始めた空気に、楓と夕姫は目を合わせた。
「こりゃ、マズイね……」
「うん、仲良くできないのかな……」
「むぅ〜……、私達が頑張るしかないね……」
「そうみたいだな……」
ちょうどチャイムが鳴り、他の生徒達と共に楓は自分の席に戻った。楓はぼんやりと目の前の光希の背中を見る。窓の外を見る光希はそれだけに絵になっていた。優秀な光希は自分とは違って心配事なんてないのだろう。今ではもう、力がない事は諦めているけれど、楓には光希達がとても眩しかった。
「では、能力強化合宿の説明をしようと思います」
話し始めた和宏の声に楓は視線を移した。
和宏が説明した校外教室の概要はこう言ったものだった。
能力強化合宿は五星の結界の外で一週間、実戦のための技術を磨く合宿。また、模擬戦をトーナメント戦で行うという実戦形式の試験がある。そこでの成績は大きな影響力を持っていて、一年間の評価に直結する。その上、ランク付けが行われる事になっている。ランク付けは霊能力の能力順ではない。今、現在、必要とされるのは実戦で使える霊能力者。つまり、ランクは戦闘能力でつけられるのだ。そのため、必ずしも入試の成績順にランクが付けられるわけではない。
そこまで説明されて、楓は重くなっていた気分が軽くなるのを感じた。もし、模擬戦でいい成績を残せば、楓でも高いランクが取れるかもしれない。既に楓が戦えるという事がバレてしまっているため、完璧な『無能』を演じる必要はないはずだ。
ーただ、問題は校外教室は実技しかやらない事だ。実技ができない楓は一週間どう過ごせば良いのだろうか。あまり、その事は考えたくなかった。
楓は誰にも気づかれないように溜息をついた。このところ、溜息をつく回数が多いような気がする。それだけ心配事が多いのだ。この一年、平穏には過ごせないだろう。
前から回ってきた校外教室のしおりを楓は受け取って、後ろに回す。開けてパラパラと紙をめくると、日程表の中のある言葉に目が留まった。
『肝試し』
(……?)
正直言って目を疑った。真面目そうなこの学校でそんなレクリエーションのような事をするわけがない。何かの訓練なのだろうか。考えるだけ無駄だった。どうせ、楓には関係ない。
楓はぼんやりと前を眺め、話を半分聞きながら半分聞かずに後の時間を過ごす。和宏は持ち物の説明などもしていたが、楓は聞き流していた。
授業が終わるチャイムが鳴り、楓は伸びをして立ち上がった。すると、和宏と目が合う。
「相川君、天宮さん、ちょっといいですか?」
楓は何も考えずに教卓に向かう。少し遅れて光希もやって来た。二人の顔を見た和宏は少し身を屈めて、小さな声で言う。
「ホームルーム後、教室に残ってください」
何の話をするのか見当もつかなかったが、楓は頷いた。隣の光希も無言で頷いた気配がした。光希の表情は楓からは見えなかった。もちろん、何を思っているのかはわからない。和宏だけが笑顔で頷いた。
***
ホームルームの後、教室からは人が出て行き、残っているのはもう楓と光希、それから和宏だけになっていた。楓はこの空気に落ち着けず、窓から外を見た。外ではたくさんの生徒達が歩いている。これから部活にでも向かうのだろう。太陽の光が窓ガラスにキラリと反射した。楓は一瞬目を細める。
「それでは、話を始めましょうか」
おもむろに口を開いた和宏の方を楓は見た。和宏の顔からは感情が全く読み取れない。それでいて、不自然さは感じられなかった。
「能力強化合宿について、お願いがあります」
楓は和宏の顔を睨んだ。和宏は淡々と告げる。
「天宮さん、あなたは模擬戦で、初戦で負けてもらいます。ランクはもちろんランク外です。これだけは必ず守ってください」
「……なっ!?」
不覚にも驚きを口から出してしまった。楓は和宏を疑いを込めて見る。しかし、その表情は全く変化しなかった。
「……どうして、ですか?」
楓は気持ちを落ち着け、静かに尋ねる。
「すみません。理由は話せません」
「でも、ボ……いえ、私が完璧な『無能』ではない事はもう知られてしまったはず……。私の所為ですが……。その事は本当に申し訳ありません」
楓は俯いた。あれは自分が自分の感情を抑えられていれば起こらなかったはずだ。
「別にその程度ならまだ大丈夫でしょう。まあ、それを判断するのは僕ではないですけどね」
和宏は肩をすくめた。その顔には微笑みが湛えられている。
「それよりも、ランクをつけられてしまう方が問題です。ランクは全世界共通。今現在、霊能力者も魔術師も、そしてそうでない人もそれで力を判断されます。もちろん、力がない人が取るのは容易ではありませんが、それに見合う戦闘能力を持っていれば別です。そして、天宮さん、あなたにはそれができる」
和宏の眼光がさっきまでの笑顔からは考えられない鋭利な光を帯びる。楓は思わず息を呑んだ。
「……ランクは下からE、D、C、B、A、S、そしてSS。おそらく、天宮さんなら、頑張ればAランクは取れるでしょうね。でも、最初に言ったように絶対に勝たないでください」
静かだが有無を言わせない口調に、楓はただ頷くことしかできなかった。和宏の目は今まで黙っていた光希にも注がれる。光希は冷めた瞳で和宏を見返した。
「相川君は、もう既にランクを持ってましたよね?」
「はい」
短く答える。和宏もその言葉には確認の意しか込めていなかったようで、光希の返答には何も反応を示さない。
「中学三年生の時に、Sランク。驚異的ですね」
賞賛の言葉のはずが、あまり感情はこもっていなかった。
「……そこで僕からお願いです。相川君、君には優勝してもらいます」
光希の瞳が大きくなった。流石に驚きを禁じ得ないようだった。
「ですが……」
「もう一人のSランク、神林君もいますが、相川君が優勝しなければ意味が無いので」
和宏はそう言って光希の言葉を封じる。もう従うしかなかった。
「わかりました」
光希は和宏の顔を直視せずにそう口にした。和宏の表情が一変して笑顔に変わる。
「二人とも、よろしくお願いしますね」
楓と光希は無言で頷いた。
佐藤和宏は何者なのでしょうか?
始めの方の部分を編集したので、もし良ければまた読み返してみてください。
 




