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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第1章〜無能少女と青波学園〜
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入学式

 入学式が始まると、ざわついていた会場は途端に静かになった。暖かい風が開いた窓から入ってくる。風に乗って桜の花弁がひらりと楓の前を過ぎった。


 校長か何か、要するに偉い人が壇上で話しているが、楓の頭には入ってこない。それよりも、さっきの話が頭の中をぐるぐるしていた。


 ーー『天宮』。


 まさかそんなに大切な名前だとは知らなかった。木葉達の様子から、二人が嘘を吐いているとは思えない。


 だが、楓は『無能』だ。


 それは揺るぎない真実。

 いくら願っても、楓が霊能力が使えるようにはならなかった。


(あー、どうしよう……)


 状況は圧倒的に絶望的。

 考えるだけ無駄だ、というヤツである。


 楓は考えることも話を聞くことも諦めて目を閉じる。暖かい春の空気が満たされた空間で目を閉じると、直ぐに眠気がやって来た。楓は心地良い眠気に身を委ね、感覚を手放した。


 ***


 夢を見た。


 今よりもずっと幼い楓は降りしきる雨の中、たった一人で外にいた。冷たい雨が楓の身体を冷やし、手足はどんどん冷たくなる。少し顔よりも大きい眼鏡は雨に濡れ、視界を歪ませることしかしていない。


「……」


 楓は泥まみれの身体を引きずって、壁際に腰を下ろした。この泥も傷も全て、他の子供達に故意に付けられた物だ。


 痛みは感じない。


 辛い、苦しい、哀しい。そんな感情もいつしか忘れてしまった。


 ここにいる少女は魂のない脱け殻だった。


 楓は虚ろな瞳で淀み切った空を見上げる。どこまでもこの空は暗く、光なんて一欠片も見当たらない。この世界は楓にとってどこまでも冷たく、残酷な顔をして、ただそこに在った。


 孤児の楓に孤児院から逃げ出す術は無い。

 この世界から逃げる事は出来ない。


 楓は耳を塞いだ。

 声が幻聴のようにずっと響いている。


『無能』に居場所はない。

『無能』は屑だ。

『無能』は何も、救えない。


 否定したかった。

 でも、『無能』に力がないのは事実。彼等の言葉は悔しいくらいに正しかった。


 ざあざあと、雨は更に激しくなる。


 孤児院の建物の中でぬくぬくと過ごす彼等が、楓に手を差し伸べる事はない。


 悴んで震え始めた指を、楓は胸で抱きかかえるようにして温めようとする。だが、冷え切ったその身体では、そんな事、できるわけがなかった。


「……強く、なり、たい……」


 小さく呟く。その声は雨の音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。


 誰からも相手にされなくても、優しく在りたかった。優しい自分で居たかった。


 でも、そうするにはもう心はすっかり冷え切ってしまっていて……。











 ***


「……で、楓!」


 誰かの声が聞こえた。楓はそっと瞼を持ち上げる。突然目に入った少女の顔に、楓は驚いて立ち上がった。


「は、はいっ⁉︎な、なんでしょうかっ⁉︎」


 木葉は勢いよく立ち上がった楓の頭がぶつかる寸前に一歩下がり、激突を回避する。そして、楓の声に驚いて一部の生徒たちが振り返る。明らかに迷惑そうな顔で。


「……、入学式、終わったわよ」


 呆れたような驚いたような……、そんな顔をして木葉は言った。楓はあはは、と苦笑いする。


「思わず寝ちゃったよー。ぽかぽかしてるしさ、」

「まあ……、それは分かるけど……、もしかして、あなた、入学式全部寝てた?」


 楓は頭をかく。


「いやー、お恥ずかしながらー」

「寝てたのね……」


 どこか白い目で木葉に見られてしまった。


 だが、気づかれなくて良かった。

 さっき見た夢は心の奥に仕舞い込む。

 悟らせないように。


「あら、光希、もう行っちゃうの?」


 既に背中を向けて歩き出していた光希の背中に、木葉は問いかける。光希は振り返り、楓の方を見た。


「……俺には関わるな」

「え?」


 楓は思いもかけない言葉に少し耳を疑い、前に身を乗り出す。


 ついでに椅子を足に引っ掛けた。


 がたがたがたばしゃーん。


 光希と楓の間の椅子がドミノ倒しになる。光希は微かに眉を寄せ、再び楓と木葉を置いて歩き出してしまった。


「……楓、あなた、アホなの……?」


 木葉が微妙な顔をして倒れた椅子を眺める。


「ボクはアホじゃないっ⁉︎」


 楓は抗議する。


「……こんな事が出来るのはアホ以外にいないわ。あの光希も驚いてたみたいだし……」


 木葉は楓の抗議を完全に無視し、呟いた。


(……っていうか、あれで驚いてたんだ……)


 楓も木葉のアホ認定を忘れて、一瞬そっちの方を考えてしまう。


 表情の乏しいあの少年は、一体何者なのだろうか。青波学園の首席ともなれば、恐ろしいくらい強いのだろう。


 少し、気になった。


「行きましょ?」


 木葉が楓の顔を覗き込む。どうやらいつのまにか考え込んでしまったようだ。


「あ、うん」


 楓は頷いて、木葉と共に歩き始めた。人混みの中で流されるように歩いていたのだが、気づけばチラチラと周囲の視線が楓と木葉に向いていた。


 ……それにしても、居心地が悪い。


 木葉が目立ちまくっているのである。こんな美少女がいればガン見してしまうのは当然だが、隣にいる者としては落ち着かないのだ。


「……な、なぁ、相川って、何者なんだ?」


 少しでも周囲の視線から気を紛らわせようと、楓は木葉に問いかける。木葉は声のトーンを落として答えた。


「……私達の学年の首席よ」

「あ、うん、それはさっき聞いたけど……」


 木葉は目を細める。


「……どうしてあんなに冷たいのか、ってことね?」


 ぞくり、と何かが楓の背筋を凍らせた。楓は思わず木葉の顔を凝視する。


「そ、そういう訳じゃない、けど……」

「……まあ、誰しも気になるのは当然ね。あれだけ強くてイケメンなのにどうして……、って」


 木葉は遠い目をしてどこかに思いを馳せた。もしかすると、木葉と光希は結構長い付き合いなのかもしれない。


「……私からは、話せないわ。でも、光希はやっぱり人と触れ合うことを恐れている……」

「人、と……」


 楓は木葉の言葉を繰り返した。木葉は小さく頷く。


「ええ、それに……」

「それに?」


 木葉は何かを続けようとしたが、口を閉ざして話を切り替えた。


「まあ、でもあなたとは縁がありそうね。良い感じにハモってたし」


 表情にあった陰りを消し、木葉はニヤッと笑う。


「良い感じってなんだよ……」

「光希と気が合いそうな人を初めて見たわ〜。よろしくね、楓」


 可愛らしく微笑む。


「な、何のよろしくだよっ⁉︎」


 楓のツッコミを躱し、木葉はニヤニヤ笑うだけだ。楓はむーっと膨れて見せた。


 あんな無愛想な奴と一緒にされるのはゴメンだ。


 ……それに、光希も気になるが、この目の前の少女も気になる。一体何者なのだろう。光希と付き合いも長そうだし、きっと恐らくは彼女もまた、強者。カーストの上位に位置する筈だ。


 そんな人達と楓は釣り合わない。


 はぁ、重い溜息が口から漏れた。


「どうしたの?」


 木葉に気づかれてしまった。楓は笑顔を作って何でもないように装う。


「何でもないよー!でも、これから色々と大変そうだな、とか思って」


 木葉が真剣そうな顔を見せた。


「……そうね。あなたは無能力者。この世界は厳しすぎるわ」


 深読みされた。思った事を読まれた。そういう風に思われないように言ったのに……。どうやら、観察眼と見抜く力は相当なもののようだった。この少女に隠し事は出来なさそうだ。


「……うん、まあ、そうだな……」


 そろそろ教室に着くわよ、と気遣ったようなタイミングで木葉は言った。









 ***


 相川光希は一人で教室に向かっていた。


 木葉とあの少女ーー天宮楓は置いてきた。


『天宮』。


 特別なその名を持つ少女は、自分が無能力者だと言った。あの顔を見ればすぐに分かる。その言葉は嘘じゃない。


 光希は目の前をヒラリと通り過ぎた桃色の花弁を無視し、足を進める。


 クラス名簿を見た時には驚いた。光希の学年に『天宮』がいるとは知らなかったのだ。


 存在が秘匿されていたという可能性は十分にある。天宮はそれくらい簡単にやってしまう。


 ……だが、蓋を開けてみればただの少女だった。それも、よりによって無能力者の。


 信じられない上に、ありえない事だ。天宮はただの無能力者が継げる名前ではない。その重みは計り知れない。


 そもそも、入学式までの時間に二回もぶつかるという偶然自体おかしいのだ。


 初めはワザとかと思った。

 仮にも学年首席ではあるし……。


 ……天宮楓に限ってはそうではなさそうだが。


 バカでもなければ椅子をドミノ倒しにするという面白ビックリな現象は起こらない。


『無能』のフリをしているのかとも疑ったが、それもないだろう。本物の天宮家の者があんな素直な性格をしている訳がない。


 ……それなら一体あの少女は誰なのか。


 光希にはその答えは出せない。


 風に煽られた髪を払い、光希は空を見上げる。綺麗な青い空が広がっていた。


 ふと、さっき入学式で見たあの少女の顔が脳裏に浮かんだ。番号順の席だったので、隣だった。楓は入学式開始早々に居眠りを始めた。それに対しても驚いたが、それだけではない。


 眠る少女の顔は、


 ーー苦しそうに歪んでいた。


 なぜそんな顔をしているのかはわからない。


 だが、あまり人に興味を抱かない光希にしては珍しく、あの少女が気になっていた。

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