桜木カレンの本性
深夜の東京を光希は制服で歩く。腰に挿しているのは光希の愛刀、『清瀧』だ。制服のまま指定された場所に向かうのは、この制服が戦闘をする事を前提として作られた戦闘服としての機能を併せ持っているからだ。女子の制服も同じように戦闘服としての機能を持っているが、楓はおそらく武器を奪われた丸腰状態だろう。
光希は歯をぎりりと食いしばる。楓の身に何かあったら……。そう思うと心に鈍い痛みが走った。ただの護衛対象のはずなのにどうしてこんなに心が痛むのだろう。光希にはその理由がわからなかった。
夜の人気のない道をちらほらと歩く人たちが、明らかに学生が出歩いていい時間を過ぎて道を歩いている光希をジロジロと見る。彼らはこれから家に帰るのだろう。平和な日常を送る彼らはこの世界の現実を知らずに、力のない事を嘆いて過ごしている。
光希は行き場のない怒りを辺りにぶつけて、怒鳴り出したかった。平和に生きているくせに、何一つ失わない生活をしているくせに、ただ守られているだけのくせに……。楓をまた守る事ができずに、周りの人々に怒りをぶつけようとしている自分が何よりも苛立たしかった。
光希は空を見上げた。今日は綺麗な満月だ、悲しいくらいに。小さく溜息をつく。
天宮家の血を引いてさえいなければ、楓は普通の人と同じように普通の生活を送って幸せになれたはずなのだ。しかし、天宮という名を与えられたが故に、少女は虐げられる。光希はそんな少女を守りたかった。
『横田ビルはそのすぐ近くよ!』
光希は耳につけた小型トランシーバーから響く木葉の声に、現実に引き戻された。5月の生温い風が前髪を攫っていく。
夏美と夕姫は違うルートでビルに向かい、夕馬が夕姫の援護をする事になっていた。周りの敵を夏美と夕姫、夕馬が片付け、光希が楓を助け出す。それが木葉の立てた作戦だ。だが、敵の情報が無いため上手くいくという保障はない。
本当は誰も巻き込みたくはなかった。楓を守る事ができなかった自分が負うべきものなのだ。仲間なんて作らなければ……。
光希は首を振って思考を中断させた。もうこの事を考えるのはやめたのだ。今更振り返る事はしてはいけない。決意を固めて光希は前を見た。目の前にあったのは、指定場所の横田ビル。何年も前に廃ビルになり、コンクリートが剥き出しだった。光希は躊躇わずに足を踏み出した。
カツンッ
硬い音が反響する。何かが襲ってくる可能性を考えて光希は身体を固くした。しかし、何も起こらない。光希は身体を少し緩めつつ、いつ何が起きても対応できるようにと神経を尖らせた。
楓を探すためにビルを歩き始める。どの階にも少しずつ人がいるのが霊力の流れからわかる。どうやら敵はほぼ全員霊能力者。そしておそらくかなりの手練れだ。彼らと遭遇すれば、光希でもかなり苦戦するかもしれない。光希は彼らに遭遇しないように細心の注意を払い、気配を消して階段を登っていった。
このビルもあと二階分階段を登れば屋上に着く、というところで光希は違和感を覚えた。
(なぜ彼らは襲って来ない?俺を殺すのが目的なら、階段を見張っていればいいはずだ。だが、今までは……。あまりにも簡単すぎる……)
そして光希は気づく。これが光希を屋上に誘導するための罠である事に。となると、おそらく楓は屋上にいる。
(受けてやろうじゃないか……、そして必ず俺が勝って天宮を助け出してみせる)
光希の顔に小さく笑みが浮かんだ。迷わずに屋上へ向かう。
屋上の壊れたドアを開けると、風が吹き込んできた。満月が屋上を照らし出す。そこに立っていたのは高い位置で髪をツインテールにした青い瞳の少女だった。風になびいた髪を手で払うと、少女は歪んだ笑みを浮かべた。
「よく来ましたね、相川光希……」
光希の目にカレンの足元に倒れている少女が映った。思わずぐっと手を握りしめる。
「何が……、何がお前の目的だ?」
「私は知りませんよ、私が命じられたのはあんたの抹殺。ただそれだけです」
「『ベガ』か……?」
「まあ、私に答える義務は無いんですけど……そうですね、私は『ベガ』のメンバーですよ」
「……」
光希はもう一度楓に目をやった。何かで眠らされているのだろうか、意識はないようだった。
「俺を殺すだけなら、天宮を捕らえる必要はなかったはずだ……」
けけけ、とカレンは笑う。聞くだけで背筋に嫌なものが走る、そんな笑い声だった。
「そうですねー、でも、私はあんたを買っているんです。タイマンで勝てる相手じゃないって思っているほどにはね……」
光希にもカレンの意図が読めてきた。カレンは楓を人質として、光希に自由に戦わせないための道具にしようとしているのだ。
「だから天宮楓はあんたに対する人質なんです、あんたを殺すための道具としてね……」
「……っ!そのためだけにこいつを……」
カレンは片手で楓の長いポニーテールを引っ張って楓の頭を持ち上げた。楓が髪を結わえるのにいつも使っている水色の紐が揺れる。
「でも、こいつって本当に人間なんでしょうかね?睡眠薬で眠らせるのにこんなに時間をかけるつもりはなかったのですが……、普通の人が飲んだら必ず爆睡する量を飲ませてもけろっとしているし、その1.5倍でも平気な顔をしていました。普通の人なら即永眠する量を飲ませてもただ寝てるだけなんですからね……、おかしいと思いません?」
カレンは楓の髪をくいくいと引っ張った。その動作に楓を道具としか見ていないことがよく表れている。カレンは心底嬉しそうな笑顔を浮かべて言った。
「あと、コイツの手足を拘束している枷にはちょっと威力の強めな爆薬が仕込んでありますよ。下手に動くと爆発させます。そうなれば人間ミンチの出来上がりですね〜!」
「くっ……!」
光希はカレンを睨みつける。この状況でカレンに立ち向かう術を脳みそをフル回転させて考える。しかし、カレンの策は一部の隙も破綻もない。それがさらに光希を追い詰める。
「このままあんたを殺してもいいんですけど、それだと私がつまらないので、んー……、そうですね、霊力を一切使わずに全力の私と戦うってのはどうでしょう?」
圧倒的に光希が不利な条件だ。だが、これで時間を稼げるのなら、少しでも勝機に繋がるのであれば……。
「受けてやるよ、その勝負」
光希は口の端を持ち上げる。何か策があるように見えるように。




