出会い
楓は入学式会場へと向かう。
さっきの二人はもう見えなくなってしまったが、他にも歩いている生徒がいるので道に困ることはない。
一本道を歩き、それから右に曲がると入学式会場らしき建物があった。中学までの体育館ではなく、講堂、というかホールのような少し洒落た建物だ。その入り口に『入学式会場』と書かれたボードが置かれていた。
うん、間違いなくここだ。
楓は一人で頷き、建物に足を踏み入れた。
ぱぁっと視界が広がる。
ホールには椅子が綺麗に並べられ、既に多くの生徒達が集まっていた。
後ろの方に座っている生徒達は楓とは違い制服に年季が入っている。おそらく上級生だ。そして、前の方にたむろしているのが新入生のように見えた。
ということは、前の方に行けばいいのだ。
楓はウロウロしている人にぶつからないように気をつけて歩く。突然横から出てきた人を身体を捻って避ける。
楓は顔を上げて前を見た。
遠い。
A組の位置までの距離は結構ある。何しろ、ここはホールの一番後ろ。前の方の入り口から入れば簡単だったのにな、と楓は後悔する。
(まあ……、頑張ろ)
再び楓はソロソロと動き始める。
ところが、あともう少しという所で楓は椅子に蹴躓いた。
がんっ。
鈍い音と共につんのめる。
「おっとっとっと……、ふんっ!」
楓は必死で体勢を立て直し、勢いよく顔を上げた。
ごんっ。
「え?」
……結果として誰かの顔に頭突きをした事になってしまったのだった。
楓はぽかんとして顔の主を見る。
はて……、どこかで見た顔だ。
端整な顔立ちの少年は楓に頭突きされた鼻を押さえ、楓の方を見た。……正確には睨んだ。
「……またお前か……」
ボソリと少年は呟く。
その言葉で、楓は頭突きしたのがさっき道でぶつかった少年であることに気がついた。
「そのー、2回目になるけどごめんな?」
楓は頭をかいて、ぺこりと謝る。
だがもちろん、そんな簡単には許してくれなさそうだ。二回もぶつかったのだから当然か……。
少年は冷たい目で楓を見下ろす。
楓は作り笑いを凍りつかせた。それからそのまま睨まれるのも癪なので、少年を睨み返してみる。
「……」
「……」
沈黙が流れる。
そして、その沈黙を破ったのはとある少女だった。
「何初めから険悪そうに睨み合ってるのよ〜?」
あの少女だ。とても美しい容姿の、この少年に声をかけた少女。
少女は新品の制服を纏い、思った通りの美しさでそこに立っていた。
真正面からしっかり顔を見ると、その美しさがよく分かる。
白い陶磁器のような肌に何よりも黒い、漆黒の長い真っ直ぐな髪。その顔立ちは綺麗に整っていて非の打ち所がない。少し吊り目がちなその真っ黒な瞳は日本人形のような容姿と相まって、少女の美しさを際立たせている。
ボーッと楓は少女に魅入る。同性である楓を魅了する程彼女は綺麗だった。
「……大丈夫かしら?」
少女の声に楓はハッとした。慌てて笑顔を作る。
「あ、う、うん」
少女は無愛想に隣にたつ少年の耳を突然引っ張って何やら囁いた。少年はそれに反感を持ったようで、更に険しい顔をする。とうとう少女は少年に何やら言う事を諦め、楓の方を見た。少女はニコリと微笑んで言う。
「ごめんなさいね、光希がぶつかって」
「え?いや、ぶつかったのはボクの方だけど……?」
誤解を正そうとする。
「ええ、光希がぶつかって挙句にこんな無愛想に突っ立ってるのよね、代わって謝るわ」
……この人、聞いてない。
楓は理解不能で首を傾げた。
「あー、べ、別に良いよ、全然。悪いはボクだからさ、しかも二回もぶつかったし」
そこで少女は驚いたように目を瞬いた。
「あら、そうなの?いつ?」
「……さっき、です」
楓の声が尻すぼみになる。流石にあんな風にぶつかったら罪悪感に駆られる。
だが、なぜか少女は楽しそうに笑った。
「これは……、運命ね」
真面目な顔で少女は言う。
「「な、わけないだろ⁉︎」」
少年の声と楓の声が綺麗に重なった。
すると少女は腹を抱えて笑い始めてしまった。
「うふふ、あははっ、何?ふふっ、あなた達、あはっ、最高、じゃない!」
少女の行動理由が全く読めずに楓は、楓と同じように訳がわかっていなさそうな少年と共に立ち尽くす。
「うふふ……、ふっ……、ふぅ……」
笑いの発作が収まり、落ち着きを取り戻した少女は指で目尻の涙を拭った。
「それで……、あなたも新入生?」
「あ、うん。そっちもか?」
「ええ、光希と私はA組なの。あなたは?」
物凄い偶然だ。
まさか自分と同じクラスだとは……。
「……実はボクもA組なんだ」
「……運命だわ!」
少女は嬉しそうに微笑んだ。楓も釣られて笑顔になる。少年だけは、少しも嬉しくなさそうだった。……当然か。
「よろしく、えっと……」
そこで名前をまだ聞いていない事を思い出す。少女も同じ事を思ったようで自己紹介を始めた。
「私は下田木葉、木葉で良いわよ。そして、こっちが相川光希、私達の学年の首席よ」
「は……⁉︎」
どうやらとんでもない人と二度もぶつかってしまったようだ。
「……別に、首席と決まったわけじゃない」
無愛想に光希と呼ばれた少年は言う。
「でも、あなたの実力なら決まったようなものよ〜?」
「……神林もいるだろ」
知らない名前が聞こえた。だが、少女、木葉は笑みを崩さない。
「何言ってるのよ、あなたが入試の成績の首席でしょ」
「……」
光希は何も答えなかった。
まあ、つまりはこの少年が首席だと言う事なのである。楓には、遠すぎる雲の上の人ということになるが。
「よろしく、木葉、相川」
楓はそう口にしてニッと笑ってみせた。
「よろしく……、ところであなたの名前は?」
木葉に言われて、失礼にも名乗るのを忘れていた事に気づく。
「あ、忘れてたね、ごめん。それで、ボクの名前は天宮楓。よろしくな!」
楓が名前を口にした時、木葉と光希の間の空気が凍りついた。
何かマズい事を言ってしまっただろうか。
楓は二人にジッと見られて固まる。
「……あなた、『天宮』って、言ったわよね?」
「あ、あ、うん、そうだけど?」
木葉の黒い瞳が楓を射るようにこちらに向く。
「それは、本名?」
何故そんな質問をするのか、理解できない。
楓はゆっくりと頷いた。
「……うん、生まれた時からボクは、天宮楓だよ」
光希の訝しむような視線が突き刺さる。
この名前に何の意味があると言うのだろう。
もしかすると、霊能力者を束ねる一族が『天宮』だからかもしれない。
だが、楓は無能力者。
そんな筈はない。
「……そ、そんなに、変、かな?」
恐る恐る楓は木葉に目をやる。
「……『天宮』は私達、霊能力者を束ねる家の家名。その名前は……、とても特別なの」
「とく、べつ……」
木葉は声を潜める。
「その名を名乗る事を許されるのは、ほんの一握り。天宮の血筋で、かつ、その力を発現させた者に限られるの」
「偶然、じゃないのかな……?」
「そんな事は、あり得ない。天宮は天宮家ただ一つの名前だから」
楓は目を見張った。
もしも、木葉の言った事が本当なら……。
楓の顔から血の気が引いた。
「……どうしよう」
「どういう意味なの……?」
木葉に尋ねられてしまう。
そうか、二人は知らないのだ。
楓が無能力者だという事を。
「……ボクは、無能力者なんだ」
小さな声で言う。
同時に木葉と光希の顔が明らかな驚愕に染まる。
「……⁉︎」
「それは本当なのか?」
光希に聞かれて、楓は決まり悪く頷いた。
「……そうだよ。ボクは『無能』だ。ただの何もできない人間なんだ」
「嘘、でしょ……⁉︎あり得ないわ⁉︎それならどうしてあなたの名前は『天宮』なの⁉︎」
二人の剣幕に押され、楓は僅かに後退る。
「……わからないよ」
震える楓の声に、木葉はハッとして口を閉じた。
「……ごめんなさい、少し取り乱したわ。そうよね、あなたには何の非もない。それに、あなたには何かが本当にあるのかもしれない。それにはあなたが『無能』かどうかなんて関係無いわ」
木葉はそう言ってとても綺麗な笑顔を見せた。それはまるで女神が笑ったのかという錯覚すら覚えそうな程、美しい笑顔だった。
「……ありがとう、木葉」
楓は木葉が自分に気を遣ってくれた事を汲んで、感謝の言葉を告げた。
「良いのよ。それに、これからは同じクラスなんだしね。改めて、よろしく、楓」
「う、うん。よろしく、木葉」
木葉が笑顔で光希の足を踏んだ。容赦無く靴の踵が光希の足の甲に突き刺さる。かなり痛そうだった。
光希は痛そうに眉を寄せ、渋々口を開く。
「……よろしく、天宮」
「よろしく、相川」
楓は少しだけ顔を引きつらせてそう言った。