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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第9章〜異端の姫君〜

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番外編 こがねいろの幸せ

番外編です。ベタ甘注意報です。

「あいか──いや、光希」


 朱塗りの橋の欄干から水面を眺めていた楓はふと顔を上げ、隣にたたずむ少年に声をかけた。何、と光希は頭を少しだけ傾けて楓の顔を見た。


「あ、いや、その、町をさ、案内するとか、どうかなって。まだお前、こっちに来たばっかだろ?」


 なぜこんな提案に照れているのだろう、と頭では思うのだ。だが、楓は光希から半分目を逸らして、唇を尖らせた。


「どうかしたのか?」


「なん、でも、ないっ!」


 ぶおん、と風を切って楓の握った拳が飛ぶ。一瞬呆気に取られた顔をした光希だったが、あの反応速度は健在で、軽く首を捻るだけで殺傷性の高すぎる拳をやり過ごした。


「おい!? 危ないだろ!? 俺、なんかしたか!?」


「……あ、えっと、何もしてない」


「お前なあ!」


「べつにいいだろ! ふん、ボクの拳が疼いたんだ」


「そんな理由で顔面殴られてたまるか!?」


 なんだか言われ続けるのもムカついてきたので、楓はとりあえず応戦する。それが泥沼の入口なのだけど、そんな細かいことはどうでもいい。


「なんか楓、少し変わった?」


 ギャースカ騒いでいる楓と光希を眺めながら、夏美は呟いた。白髪が揺れるのを横目に、伊吹はこくりと頷く。


「フウは割と優等生してたし、こんな子供みたいにわーきゃーする人じゃなかった。あいつが来てからフウおかしい。突然教室飛び出していったらしいし」


 変化へんげはしていないが、伊吹は低く唸り声を上げた。


「九条光希、フウに近づいて一体何が目的だ……。早いうちにずたずたにして棄ててこないと……」


 視線だけで光希を殺しそうな顔をする伊吹に夏美は苦笑いをした。今までの楓は楽しそうな顔をしていても、どこか別の場所に心を置いて行ってしまっているような、心なしか寂しそうな顔をしていた。しかし、九条光希を見たとき、楓の瞳が眩しく輝いたことに夏美は気が付いていた。一応これでも幼馴染だし。不思議なのは、光希を見たのは転入初日が初めてのはずなのに、とても懐かしい感じがしたことだ。


「楓があんな顔を見せるなんてね。でも、楓が幸せそうだから、きっと九条君はいい人なんだよ」


 伊吹の眉間に深いシワが刻まれる。


「そんなの分からないじゃないか。フウをたぶらかして、あ、あんなこと、とか、そんなこと、とか、……うわあああああああああああああ! いやだあああ! 一発、いや百発くらい殴ってこないと」


 言い終える前に拳を握るどころか、変化へんげして伊吹は光希に突撃しようとしている。夏美は慌てて伊吹に抱きついた。


「邪魔しちゃだめー!」


「は、え、え、え……!?」


 変化へんげの解けた伊吹が地面を転がる。ぶすっとした顔で姉の姿ばかり追いかけていることで有名な伊吹が、のぼせたように顔を真っ赤にして失神している理由を夏美が知るのはもう少し先の話だ。


 そんなこんなで学び舎を出て、楓と光希は街を歩いていた。神がすべての人間に霊力を与えたことで、人の歴史は楓が知っているものとは大きく異なる道を歩んだ。科学は無く、ただ霊力がすべてを支配する。一部の人間が霊力の有無で迫害されることはなく、霊力に多寡はあれども霊力を持たない無能はいない。変わった世界への感慨はさておき、楓は自分たちが歩く街並みに意識を戻した。


 着物を纏う人間や妖、異国の服を纏う人間や魔族、それから異形も街を賑やかし、神坂紅葉は活気に満ちている。どこから来たものでも、どのような姿をしているものでも、神坂の地は快く受け入れるのだ。屋台が並び、多くの明るい声が飛び交う中を楓と光希は潜り抜けていく。前の世界で言うところの和風建築がこの場所を形作っていた。


「姫さん! 今日はなんか楽しそうだな。隣のやつは……、そうか逢引中ってわけか」


「……え!? いや、その、……そうかも」


 蚊の鳴くような声で楓は返答する。楓が街を歩くとよく人から声をかけられるのだが、今日は知り合いの店を通っても爽やかな笑顔で手だけ振ってくるのはなぜだろう、と思っていた。饅頭屋のおやじの、わざと空気を読まない絡みで否応なしに理解する。真っ赤な顔を隠しきれないと踏んで、楓は開き直るとおやじにやけくそな要求を叩きつけた。


「うー、だったら饅頭くださいよー。逢引の邪魔してくれたんですから!」


「わーった。わかった。ちょっと待ってろ」


「へ、いいんですか?」


 騒がしいおやじが店の奥に引っ込んで、代わりに街の喧騒が耳に飛び込んできた。光希がさっきから身じろぎひとつしないので、心配になって楓は光希の顔を斜め下からのぞき込む。


「どうしたんだ? 黙り込んじゃってさ」


 心ここにあらずだった光希の瞳が楓を認めて、見開かれた。


「あ、いや——」


「ほらよ、持っていきやがれ。落とすんじゃねーぞ!」


「これって、一番おいしくて高いやつじゃないですか! おやじさん、大好きありがとー!」


 ふたつの饅頭は楓の手の中でほくほくと湯気を上げている。光希と一緒に頬張ってしまえばなくなるのは一瞬で、今まで食べたものよりもおいしく感じられるのだから不思議なものだ。


 ふいに楓の手に光希の手が触れた。反射的に引っ込めようとしたけれど、光希の方が一枚上手だった。優しく、だが振りほどくことなどできないように手を握られる。顔を上げると光希の耳が赤くなっているのが見えた。


「……逢引なんだろ。いいだろ、このくらい」


 にへら、と楓の唇が緩んだ。握られた手にギュッと力を入れる。


「うん。ずっとこうやって光希と外を歩いてみたかったんだ。そういえば、今までどうしてたんだ?」


 光希の視線は神坂の中心部にそびえる天宮の城に向けられる。眩しそうにわずかに目を細め、光希は口を開いた。


「九条の領地にいた。魔族と妖の領地が隣接する地域だから、よく小競り合いが起きていたんだ。その手伝いをしてた。父さん——、相川みのるは九条の家に婿入りをして、今は九条の当主である母さん——、九条春香の補佐をしている」


 九条の領地は人間の支配域の最西端に位置し、深い森にその多くを覆われている。草木は霧に包まれることもしばしばで、人を拒む聖域も数多存在する。森の息吹、手つかずの神秘。故にこそ、九条の地には精霊が棲まう。精霊に魅入られ、帰らなくなった人は数知れず、しかしまた精霊と絆を結ぶ人も多い。神坂の地を離れたことのない楓には、まだ見たことのない世界だ。


「で、俺は最近、九条の地から脱走してきた」


「は?」


 楓は思いもよらない情報に戸惑い、ぽかんと口を開ける。冗談かと思いきや、光希の顔は至極真面目だ。


「目の届く場所にいてほしいんだろうな。あなたの実力なら学び舎なんか行っても、学ぶことなんてないわ、とか言われてさ。神坂紅葉に行くのを実力行使で止められた。その上青龍を術式で九条の地に縛り付けられたから、その術式を自力で解くのにものすごく時間がかかったんだ。今頃、大騒ぎでもしてるんだろうな」


 みのるの戦闘能力は落ちていないだろうから、ただでさえ勝ち目が薄いのに、九条の当主を同時に相手取ることになっては、いくら光希でも簡単には突破できなかっただろう。ご愁傷様だ。とはいえ、楓と伊吹も似たようなものだ。天宮時冬は仏頂面で、うむ、としか言わないくせに天宮桜にべた甘。そしてそれは楓と伊吹にも適用されるし、遠くへ行くのを許したがらないのもまた事実。楓も光希も、たくさん愛されている、そういうことなのだろう。


「お互い大変だなー。でも、ボクらを大事にしてくれる家族がいるっていうのは、なんか、すごくいいよな。独りで生きて、独りで死ぬんだと遠い昔は思ってたから」


 もう楓と光希の中にしかない遠い世界。壊れた世界で、楓は心を氷雨の牢獄に縛り付けて押し殺して閉じ込めた。真っ暗な場所ではあったけれど、楓はそこで光を見つけた。どんな闇の中でも決して煌めきを失わない、楓の星を。


 ——ボクを救ってくれたのはお前なんだ、光希。


 そう呟いて、楓は光希の手を引いて駆けだした。こんな顔は見せられない。へたくそな画家が描いたみたいな、感情をごった煮にした顔なんて。


 景色が飛ぶように流れていく。秋の赤と黄色、朽ち葉色に化粧した街を抜け、金色のすすきが視界を塗りつぶす。それでも止まらずに、進もうとする楓の手を今度は光希が引いた。


 相川の兵器として生きていた光希をでたらめな強さと行動で引っ搔き回して、めちゃくちゃにした戦犯が楓だ。たったひとりに命を懸けると誓って、心を殺すのをやめた。どれだけ遠くても、手を伸ばすと決めたから。


 ——俺を人にしてくれたのはお前だった、楓。


 楓は言葉を失くして足を止めた。口が無意味な開閉運動をする。脳みそがショートして楓の頭はぐちゃぐちゃだ。すると、突然光希がにやっといたずら小僧のように笑った。


「再戦しないか?」


「え?」


「お前ともう一度手合わせしたい」


 楓は自分の唇がにやりと弧を描くのを感じた。


「ああ、もちろんだ。ボクもまたお前と戦いたかった。そうだな……、うん、ずっと待ってた」


 楓は背負っていた刀を引っこ抜くと、ぶんと振る。風切り音を奏でた鋼が陽光を跳ね返して輝いた。光希もまた刀を抜く。涼やかな音と共にその切っ先は楓へと向けられた。


「「今度は絶対勝つ!」」


 地面を蹴ったのは同時だった。すすきが巻き起こった強い風に倒れそうになっている。お構い無しに楓は叫ぶ。


「『紅葉狩もみじがり』!」


 楓を中心にして赤い霊力の葉が乱舞した。目をつぶってしまいたくなるほどの鮮やかな紅が二人の間の世界を塗りつぶす。そして、ぽちゃんと雫が水面に落ちる音が響いた。まるで鏡のような澄んだ水面に、ひらひらと紅葉が降る。水面に落ちた紅葉は波紋を生んで、光の粒に変わる。鏡面に立つのは、長い黒髪の少女と黒髪の少年。物語にも出てこない、絶望的なまでに美しい幻想の具現。


 これは楓の固有術式オリジナルだ。結界の一種だが、この世界はすべてが楓の思い通りになる神域。しかし、殺戮を拒む領域だ。ここではなにも殺せない。だが、卓越した戦闘技能を持つ楓には十分すぎるくらいだ。


 目を見張る光希にも楓は容赦しない。水面に波紋を重ねて肉薄し、紅蓮の炎を纏う刀を突き出した。


「──っ! こんな術式を使えるようになったのか」


 蒼炎に包まれた刀は力強く楓の刀を弾き返した。真剣勝負だというのに、光希の顔は楽しそうだ。楓もつられて笑ってしまう。


「ああ、この中では何でもボクの思い通りになるぞ」


 ざぶん。凪いでいた水面が光希の所だけ渦を巻き始める。簡単に溺れさせることだってできるのだ。もちろん、トドメまではさせないけれど。


「甘いな」


「な!?」


 冷気が水面を凍らせる。寒さに白んでいく足元に楓は歯噛みした。今になってやっとわかった。光希の霊力量が桁外れであることの意味、その強さ。肌で感じる。圧倒的すぎて、空間の主である楓すらも気圧される。


「お前がこの世界を支配しているなら、ここにあるものの物性はお前の想像の域を出ない。水は凍る、とお前が思っている限り、ここは凍らせることができる」


 光希の姿が霞む。後ろだと直感し、刀を振るった所で爆発が楓の身体を飲み込んだ。黒煙から楓は飛び出す。氷の上に降り立ったその身体には傷すらおろか焼け焦げた跡さえ無い。


「この場所でボクを傷つけることはできない」


 黒煙の晴れた後、防御結界を破棄した光希が姿を現した。


「だが、この世界そのものを攻撃することはできる」


 硝子が割れる張り詰めた破砕音が鼓膜を震わせる。構築した世界が軋んでいるのが感覚として伝わってくる。


 光希の術式は何だ、何をしている?


「くそっ!」


 目を開き、光希を見る。しかし、そう簡単に光希が術式を見破らせるわけがない。


「『烈火爆散』」


 光希の得意術式で光希を狙った。息を吸うかのごとく結界を張ることのできる光希には有効ではないと分かっている。だから、本命はこっちだ。


「くたばれ光希っ!」


 壊れて消えていく結界から溢れた余剰霊力で増し増しに、けれどあくまでそれはお飾りで、楓は愚直にいつも通りの刀を振るった。


「くっ!」


 即座に回避する光希。しかし、その体勢は崩れて隙だらけだ。


「もらったぁあああっ!」


「ああ、もらったぞ」


「え?」


 刀が光希に届く寸前、ずるっと楓の足が滑った。違う、消えたのは平衡感覚か。ぽかんとした楓は大の字でひっくり返って、光希が笑って刀の切っ先を楓の首元で静止させる。


「俺の勝ちだな」


 憎たらしいくらいに得意げな笑顔で光希は刀を鞘に納めた。楓も寝っ転がったまま刀を鞘に戻す。


「ま、け、たぁああああ! 悔しい! この最強無敗のボクが! 負けた!」


 く゛そ゛ぉ゛ぉ゛お゛お゛お゛お゛お゛お、とカエル顔負けの濁点をいっぱいつけた声で叫びながら、楓は朽葉色の芝生を転がる。


「しかも、光希、青龍使わなかったじゃん」


「お前だって、変化へんげしなかっただろ」


 光希は寝転がった楓の隣にしゃがんみこんで、そう言った。楓は頭を動かし、光希を見上げる。


「だって、お前と同じ土俵で戦いたかったんだもん」


 記憶の中の光希を辿った。鮮明に刻まれたあの美しい戦い方をひとつひとつ、大切に思い出して、真似をする。初めて光希が戦うところを見てから、楓の中に刻み込まれた感動を忘れることはなかったから。憧れに今なら手を届かせることができると思っていたのだが……。


「ボクもまだまだだなー」


「伸び代ばかりだぞ。まあ、俺とは年季が違うからな」


「なにをぉ!」


 ガバッと光希に抱きついた。楓の顔を覗き込む不安定な格好をしていた光希は、何の抵抗もなく崩れ落ちた。ふたりでゴロゴロと転がって、草まみれで止まったところで大笑いをする。いつの間にか、楓は変化へんげして耳と尻尾をばたつかせていた。


「楓」


 光希の手が銀狼の耳を撫でる。なぜだかゾクリとして、楓は光希から目を逸らす。すると、光希は両手を楓の頭の脇についた。深い青を湛えた瞳がグッと近づく。楓の心臓が飛び出すくらいに暴れている。もうどこにも視線の逃げ場はなかった。


「な、なんだよ」


 ゆでダコになった顔で光希を見る。光希は微笑む。


「かわいいよ」


「へ、あ、は、えっと、その、えっと、えっと、ん、えっと、その……」


 光希の顔が近くて、こんな訳が分からないことを言われて、楓の頭は大絶賛熱暴走中だ。


「光希、えっと、ボクは、そのかわ、可愛くなんてな──!?」


 言葉ごと口を塞がれて、楓は目を大きく見開いた。ふわふわとした気分になって、もう何も考えられなくなる。ただ、光希とこうしていられるのが幸せで。


 幸せ、という言葉が自分の中にあることを、楓はとても嬉しいと思うのだ。


 長いくちづけの後、楓は光希に手を引かれてゆっくりと立ち上がった。沈んでいく夕陽で群生するすすきは黄金こがね色の海に見える。


「ねえ、学び舎を出たらさ、色んな所に行かないか?」


 楓は尾を揺らす。ふと、想像するのだ。天宮に縛られていた楓と光希はもう自由だから、どこへだって行ける。ふたりでたくさん色んなものを見て、色んなものを食べて、色んなものを叩き斬って。


「ああ、行こう。お前が救った世界を見て回ろう」


「違うぞ、()()()が救った世界だ」


 ニッと笑って楓は光希の脇腹を肘でつつく。なぜか、光希は顔をしかめたけれど。


 同じくらいの長さをした、ふたつの影が長く伸びている。楓は銀狼の耳がある分、反則かもしれない。空が白んで、桃色になって。紫から、そして光希の瞳のような深い青を浮かべた色になって。最後、空には楓の瞳と同じ、金色の月がぷかりと浮かぶ。






「光希、お前に会えて本当に良かった」


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― 新着の感想 ―
[良い点]  6章からずっと大部分が癖で大変助かりました。少年少女(と大人)が互いを想い合う心が輝く素敵な地獄でしたね。みんな不利な環境で、良く頑張ってて健気で純粋で可愛くて(語彙力)、ずっとニコニコ…
[一言] 完結してもう見られないと思っていた2人のやり取りが読めて、嬉しかったです! 楓かわいい…。 ここに至るまでの話を思い出すと、甘〜い会話が感慨深いです。
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