ハミダシモノ
「フウ!」
黒衣の少年がフウの前に立ち、光希を睨みつけた。
「フウに何をした!?」
光希が口を開くのを待たずに少年は光希の胸ぐらを掴んだ。激痛が走り、治りきっていない傷が開く。痛みを押し殺すために口を開くことができない。その状態を答える気がないと判断したらしく、締め付けが強くなる。食いしばったせいで唇が切れた。うっすらと積もった雪の上にぼたりと紅が滲む。
「イブキ、何もなかった。わたしはただこいつと話をしていただけだ。なんなら食費をくれたぞ。あまり傷つけるな。人間はわたしたちとは違って壊れやすいんだから」
まるで自分が人間ではないかのように、いや本当に完全に人間ではないのだ、フウは冷めた瞳で光希を眺めていた。その言葉にしぶしぶイブキは手を離す。光希はふらつくのを堪え、フウとイブキが曇天に姿を消すのを見送った。
「光希!」
涼の声がなぜか聞こえる。光希は足で血の跡を隠しながら振り返った。
「どうした?」
白い息を吐き、涼が口をへの字に曲げてみせると、思いがけない子供っぽい表情に光希は笑ってしまった。笑われて不服そうな顔までダダ漏れだから、随分と疲れているのだろう。
「どうして、はこっちの台詞! 全然帰ってこないから見に行くと消えてるんだよ? 心配するさ」
「悪かった。つい──」
「あの子を見つけたんでしょ? 光希が後先考えなくなるのは楓が絡む時だから」
図星だった。観念し、光希は去り際にフウが言った言葉を復唱した。
「青波学園跡地に明日の夕方、霊能力者をイブキと殺しに行く。来るなら来い。……待っているから」
最後の一言を言う前に僅かに間があった。フウは躊躇ったのだ。止めに来て欲しいという本心を悟られたくなかったから。
「天宮はそう言ってた。止めに行くついでに天宮を回収しよう」
「──そういう意味だと解釈していいの?」
涼はいつもの冷静さが戻ってきたらしく、怜悧な視線を光希に向ける。
「俺はそう考える。お前はどう思う? 罠だと思うか?」
ゆっくりと涼は首を横に振った。
「思わない。第一、楓には罠を張るなんていう真似はできない。でも、手を抜くとも思わない。だから、今の僕たちにできる最高の布陣で挑んで無力化する」
「ああ、やっぱりお前ほそうでなくちゃ」
ばんと涼の肩を思い切り叩いた。同時に腹部の傷が悲鳴を上げ、誤魔化す間もなく呻いてしまう。
「傷、開いたんじゃないの?」
「大丈夫だ、別に大したことじゃない」
「問答無用だよ」
気づけば光希は涼に抱き上げられていた。この姿を楓に見られなくて良かったと半分思いつつ、頭を抱える。とにかく恥ずかしい。人目が少なかったのがせめてもの救いだった。
***
「フウ、ごめん。怒るなって」
「ふーん。武器も持たない無抵抗な人間を傷つけるのはわたしは嫌だ。しかも、あいつはわたしたちの食費を三十円増し増しにしてくれたんだ。感謝しろ」
屋根の上を駆けながら、二人は気が抜けるような会話をしていた。
「またカップ麺なんだろ?」
「む。失敬な。カップ麺はおいしい。おいしいは正義だぞ」
隣でやれやれという溜息をする気配があった。
「そう言って何日経った? 毎日カップ麺だとさすがに飽きる。フウを食糧担当にしたおれが間違ってた」
「いいじゃないか。選ぶのがめんどくさいんだから」
「……それが本音か。何か食べたいものをおまえに言えば良かった」
「うん、そうだな」
あっさりとフウは頷いた。食べ物にこだわりがなく、腹が膨れれば良いと思っているのがフウなのだ。
「フウ、おまえさ、最後にあいつに何て言ったんだ?」
フウの唇がニヤリと弧を描く。以前食べたご馳走を思い出すような小さな幸福感を顔に浮かべた。青みがかった刀の描く真っ直ぐで素直な剣線が、目を閉じるとふっと立ち現れてくる。きっと真っ直ぐなのはあの少年の心も真っ直ぐだからだ。研ぎ澄まされた鋼は持ち主を映す鏡。ただフウだけを瞳に映して刀を振るう姿は好ましいとフウは思う。
「果たし状だ。もう一度、あいつと刃を交えたい。本気のあいつと。心が躍るんだ、前にも感じた。楽しい、なんて言うとおかしいだろうけど、切り結ぶのが楽しかった」
「……次は前のように簡単にはいかない。二対二とは限らないし、対策も練られてる。それに、あいつらはみんなアマミヤの手先だ。何をしてくるか、わかったものじゃない」
眉根を寄せたイブキはビルの上で足を止めた。下から風が吹き上がり、フウの髪が巻き上げられる。フウは感情のない目をして笑う。
「ああ。人体実験から術のために同胞を供物にすることまで、何でもござれだもんな。わたしたちも捕らえられたら、引き裂かれたりするのかもしれないな」
引き裂かれる想像でもしたのか、イブキは露骨に嫌な顔をした。
「変なこと言うなよ。おれ、人間怖い病にでもかかるかもしれない」
「わたしたちだって、半分は人間だ。……残念ながら、な」
イブキは空を仰いだまましばらく動かなかった。その拳が固く握られて、白くなっていることにフウは気づいていた。フウとイブキには腹違いの兄と妹がいる。もちろん、彼らは半妖ではない。フウは記憶がないので分からないが、生まれたその時から妖の世界で生きてきたイブキの扱いが良いものではなかったことは想像に難くない。仲間とみなされず、ただ独りきりで物のように扱われ、どれだけ努力しても認められる日は来ないと知りながら眠るのがいかに苦しいか。なぜかフウにもその気持ちが分かるような気がする。
「ねえ、なんで、わたしたちは生まれたんだろう。どこにも居場所なんてないのに」
ふとそんな問いが口からこぼれ落ちた。イブキは下を向いたまま頷く。
「おれたちは何のためにたくさんの命を奪ってきたんだろうな。……苦しいよ、フウ」
イブキの頭がコツンとフウの肩に載った。フウはそろそろと手を回し、イブキの背中を撫でる。いつもどこか強張っているその肩はフウに身体を預けている間だけ和らぐ。
「うん。イブキ、大丈夫。わたしがいるから」
フウはイブキの胸に顔を埋めて呟いた。今だけは寒くない。それでも、雪は降り積もる。フウとイブキを白く染めて。
──いっそこのまま白く雪の中に消えてしまえたら。




