蠢動
「フウ、」
呼ばれて、黒髪の少女は首を動かす。瓦ぶきの屋根の上は少しだけ肌寒い。高い城から見下ろす地面は遠く、街明かりが点々と蛍のように揺らめいていた。
「ん?」
「イブキは──」
白髪紫眼の少年は口を閉じる。その理由はすぐに分かって、フウは微かに笑う。フウの隣でうずくまる銀色の滑らかな毛玉は月の柔らかな光を受けて淡く輝いていた。もぞりと毛玉が動く。身体を起こしたその獣は四肢を伸ばした。あまりにも美しい姿をした獣、銀狼は金の瞳を細める。
「イブキは寝ぼけてるみたいだな」
「……珍しい。でも、変化するのは二回目だから、慣れていないのかもしれない。──フウは?」
フウは銀狼の耳を揺らす。フウの変化は耳と尾、あとはイブキと同じ金の瞳だけ。同じ半妖でも、人間と妖の混ざり具合は違うらしい。
「変な感じだ。落ち着かない。でも、そんなに違いはない。フユは、そういうのはないのか?」
尾がぱたんと屋根を叩く。フウは慌てて手で尾を押さえた。どうも制御が難しいというかなんというか。むず痒い感覚にフウは眉間にシワを寄せる。フユ、と呼ばれた少年は紫紺のスカーフをはためかせ、音もなくフウの隣に腰を下ろした。
「僕はない。鬼には変化はないから」
「角を出すのは、違うのか?」
「違う。あれは力を上手く使うためのものだから、姿が変わるわけじゃない」
ふうん、とフウは呟き、金色の目で月を見た。あの日、天宮とフウを呼んだ少年を刺した時の奇妙な感覚がまだ胸の奥に残っている。必死そうな微かに青みがかった黒い瞳が傷の痛みではない何かに歪むのを見てしまったから。どうして、と問いかけるその目への答えは持っていない。フウには何もなかった。
「フウ、人間はまだたくさん残ってるから殺さないと」
銀狼が呟く。フウは我に帰って双子の弟の言葉に小さく頷いた。
「ああ、皆殺しにするまで終わらないからな。父上はわたしたちには会ってくださらないし」
「うん、おれも遠くからしか見たことがない。きっとおれたちが半分だけで、中途半端だから」
半妖は忌み嫌われる存在だ。陣内の名を持つがゆえに二人への風当たりは強い。それは仕方のないことだが、妖の頂点に立つという父に会ってみたいとは思うのだ。
「行こう、イブキ。またな、フユ」
銀狼と銀狼の耳と尾を持つ少女は軽やかに屋根から飛び降りた。フウは慣れない身体を動かし、飛ぶように駆ける銀狼の背を追う。
「フウ、人間の街に行こう。早く仕事は終わらせたい」
「ああ、わかった。今日、変化している間に移動して、人間の服に着替えて潜入すればアマミヤについても調べられるかもしれない」
フウがイブキの背に乗ると、ぐんと景色の流れる速度が上がった。満月の夜といえど、闇は深い。銀狼とその上に乗った少女の姿は溶けるように漆黒に沈んだ。
フウとイブキよりも遅れて立ち上がった白髪紫眼の少年の隣に、くすんだ桃色の髪の少女、深緑の髪の少年、枯葉色の髪の少女がふっと現れる。顔からうかがえる性格も髪色も全て違うが、紫眼だけは皆同じだった。
「ハル、ナツ、アキ」
フユの呟きに彼らは頷く。
「陣内の半妖がアレだよなぁ?」
少年──ナツの質問にフユは返答した。
「うん。アマミヤと混ざってる。だから、二人は陣内の最大の弱点だ」
「我らは陣内を、食い荒らし、滅ぼします。だから、利用させてもらいます」
くすんだ桃色の髪をしたハルはぼそりと口にする。
「まずは外堀から埋めてけって話よね。四州の一族を全部従わせられたら、ウチらの勝ちってことで。フユ兄はもう動いてるんでしょ?」
枯葉色の髪のアキは瞳を輝かせた。小さく顎を引いたフユの紫眼が酷薄な光を灯す。
「既にすべて手は打った。後は待つだけだ。その間にも半妖の二人が人間を片付ける」
「よーするに、ついでにアマミヤも倒して一石二鳥だろ! さすが兄さん」
「私だって、がんばりました。姉さんのことも、褒めて」
ふん、とハルはぺったんこの胸を張った。アキとナツは苦笑い半分にハルを褒める。
「ねーさん、えらい、えらい」
「ハル姉、さいこー」
「……なんか雑では、ないですか」
「「いや、そんなことない」」
それぞれあらぬ方向へと視線を彷徨わせた弟と妹を見つめながらぷすっとハルは頬を膨らませた。
「大丈夫。ハルは上手くやってくれている。ありがとう」
フユの手がハルの頭を優しく撫でると、ハルは頰を染めた。
「フユ兄様のお役に立てて、至極光栄、です」
鬼は妖の中でも高い力を持つが、変化しないというその一点で軽蔑の対象になっている。人間に近い姿形はどうしても、かつて人間に多くの同胞を滅ぼされた妖には受け入れがたいものがあるのだった。それが長らく鬼が表舞台にお呼ばれしなかった理由だ。
しかし、そろそろ夜の色を塗り替える頃合いだ、と鬼を統べる天城はそう判断した。元々群れる習性などない妖は強者に従う。四つの州にそれぞれ縄張りを持つ一族を落とせば、天城が王の座を勝ち得る。すべてはその為に。
陣内が天宮と混ざった半妖という爆弾を抱え込む羽目になった今が、千載一遇の好機だ。
──決して逃しはしない。
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