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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第8章〜紅蓮の魔女〜

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叶わぬことを望め、或いは

 べたりと、顔に嫌な感触があった。ゆっくりと崩れ、目を見開いたまま仁美は沈黙する。その姿はばらばらに壊れた人形のようで、もう二度と彼女は動かないことは嫌でも脳に叩き込まれる。頭がかっと熱くなった。代わりに心が冷たくなって、夕馬は握った銃を震えながら少女に向ける。冷たい黒の瞳に射すくめられ、ぎりと歯を食いしばった。


「……楓、いくら君でも、許せねえ!」


 殺傷能力の高い術式を組み霊力を装填していく。しかし、少女は顔色ひとつ変えずにただ無言で刀を振るった。術式が展開されるよりも、その動作はコンマ数秒単位で早く、夕馬の心臓を容易く貫き穿つ。


 何も言わなくなって崩れた落ちた死体を無感情に眺め、少女は呟く、


「──弱いな、人間は」


 顔に飛んだ血を拭うこともせずに。


 ***


 涼の隣で走っていた夕姫が足を止めた。


「どうしたの?」


 夕姫の顔を覗き込むと、夕姫の瞳が焦点を結んでいないことに気がつく。戦場の真ん中で戦えなくなるのは命取りだ。そう思って、涼は夕姫の肩にそっと触れる。


「……“霊能力者殺し”が出た。違う、楓がいる。楓、が、違う、いや、やめて! 仁美ちゃんが、ころされた──」


 焦点の定まらないまま、脈絡のない言葉を夕姫は発する。そこの中に混じった聞くはずのない言葉に、涼は動揺を押し殺すことができなかった。


「──いや、いや、やだ、夕馬!」


「夕姫!?」


 ああああああああああ──!


 夕姫の口から耳をつん裂くほどの痛々しい悲鳴が上がる。不思議な繋がりを持った魂がぶちりぶちりと千切れていく。びくりと最後に痙攣して、夕姫の声が途切れた。地面に向かって倒れていく身体を涼はなんとか抱き止める。


「夕姫、」


 涼はそっと声をかけた。返事はなく、いつも元気な顔は青ざめてはいたけれど、微かな息の音がして胸を撫で下ろす。ぐったりとした夕姫を抱く腕に力を入れ、抱き上げた。


「っ!?」


 放った“式”が潰された。一瞬、痺れが身体を走る。夕姫だけは絶対に傷つけないよう足に力を入れて地面を踏み締めた。


「何が、起きてるんだ?」


 夕姫を抱えたまま、決して一人にはさせないと抱きしめる腕に誓いながら、涼は歩き出す。空気に広がる血の臭いを追って。


 ***


 立ち塞がった魔獣を一匹、光希は斬り捨てる。


『姫の気配がした』


 青龍の声が思考に割って入ってくる。手を止め、光希はどういう意味かと追及しようとした矢先、朱雀の声までも流れ込んできた。


『ええ、しました。あの方は、生きています』


 どくんと光希の心臓が跳ねる。


 楓が生きている……?


 何度願ったことだろう。何度悔やんだことだろう。それでも、前に進まなければと後悔を引きずって、空虚な道を歩き出した。


 もしも、楓が生きているのなら、光希の抱えた後悔は消えるだろうか。言えなかった言葉も、貰いたかった言葉も、全部無くなるまで側にもう一度いられたら。姫と道具、それでも構わないから。


「──行かないと」


「ミツキ? どこに行くのですか?」


 突然の光希の行動に戸惑うセルティリカとイザヤの二人。しかし、もう光希の頭からはそんな二人のことは抜け落ちていた。光希は青龍の差した方角に足を向ける。


 そして、走り出した。


 もう一度、誰よりも優しくて強かった『無能』の少女に会うために。


 ひとつ歩みを進める度に濃くなる血の臭いも気にならないほど夢中で走って。期待と喜び、──天宮楓がくれたものを胸に抱えた。


 けれど、全ては無惨に粉々に打ち砕かれる。


 そこには海が広がっていた。淀んだ真っ赤の中に、ばらばらになった死体が転がっていた。どれも何が起きたのかまるで分かっていないような、間抜けな顔のまま、目を開けたまま、四肢を斬り刻まれて死んでいる。ここには息をしているものは何も無かった。


 くらくらとする。血の臭いがむせ返るように強くなった。ぽたりぽたり。微かに血の雫が海の中に波紋を作る音がする。


 鮮血と絶望の中に、少女が一人。長い綺麗な黒髪を下ろし、見たことのない衣を纏っていても、その姿を光希が見間違えるはずがない。少女の握った刀から、鮮血が滴り落ちる。


 少しずつ近づいて、少女の前に転がった二人の変わり果てた姿に光希の瞳から光が消えた。


「……夕馬、小野寺」


 少女が顔を上げた。天宮楓であって、天宮楓でない黒い冷たい瞳と目が合う。


「──お前が殺したのか、全員」


 少女は頷く。


「それ以外、どう見える?」


 懐かしい声がした。なのに、どうしようもないくらいに違う。こんな冷徹な声は知らない。


「天宮、どうして殺した! お前は誰も殺したくない、そのために強くなったんじゃないのか!」


 乾いた喉で、無理矢理叫んだ。少女はまばたきをして、問いを発する。


「天宮……? それは誰だ?」


 光希の心が凍った。あまみやかえではもういない。あの日、死んだのだ。


「……全部、忘れたのか? お前が誰で、何をしていたのか、全部。その強さを手に入れた理由も」


「知らないし、興味もない。でも、こんなに強いんだったら、前のわたしはやっぱり人殺しだったんだろうな」


 違う──、否定しようとした言葉は出て来なかった。代わりに訊く。


「お前は誰だ」


「わたしはフウ。陣内フウだ。ならば、わたしも問おう。お前は誰だ?」


「相川光希」


 短く答える。フウは口の中で光希の名前を反芻した。


「相川光希、お前も霊能力者か?」


「ああ。だったらどうする?」


 ぞくりと嫌な感覚が背中を駆け抜ける。フウは刀で風を切り、深紅を落とす。銀色の刃を、天宮楓と同じ構えで光希へと向けた。


「──殺す。わたしの役目は霊能力者を殺すこと。霊能力者は皆殺しだ」


 フウの姿が霞む。


 ぎぃん、とギリギリで引き抜いた刀で斬撃を受け止める。金色に染まった瞳があった。いつもの楓よりも何倍も疾い。いや、楓は光希相手に今までずっと手加減をしていたのだ。


「なるほど、これを受けるのか」


 楓と初めて刀を合わせた時が頭に浮かんだ。負けるものなど何も無いと思い上がっていた光希の鼻っ柱を楓は簡単に叩き折った。けれど、光希も楓も意地を張ってばかりで睨み合って。やっと、手にした関係もやがて手の中からこぼれ落ちて。


 それでも、変わってしまっても、彼女に刃を向けることが、消えてしまわないようにかき抱いたものを削り落とすようで苦しかった。


「お前は他の人間とは違うようだな」


 フウの斬撃がさらに鋭く疾くなる。知覚を限界まで研ぎ澄ませても、まだ足りない。フウの動きを捉えきれない。


「どうしてミツキは精霊も術も使わないなのですか!? ミツキが危ないなのですよ!?」


 光希が追い詰められていく様子にセルティリカはたまらず声を上げた。イザヤは主の肩に手を乗せて、目を伏せる。


「ミツキには、できないのですよ、お嬢様」


 え──? と綺麗な瞳が上を向いた。


「あの様子を見れば、何となくオレにも分かります。“霊能力者殺し”のあの少女は、おそらくアマミヤの姫です」


 だから光希は少女を傷つけることができない。守り抜くと誓った相手を忘れることなんて、できないから。


「──そう、イザヤさんの言う通りだよ。あの子が天宮の姫、天宮楓だ」


 ざっざっと音のする方へ視線をやると、力失く青ざめた夕姫を抱いた涼が歩いてきていた。光希と楓の攻防から目を離さず、涼はセルティリカとイザヤの前で足を止める。


「あの方が、『無能』でありながら、誰よりも強いというカエデ、なのですね? ……カエデの強さは目に見えて、分かるなのです」


 セルティリカはそう言うが、涼の心はここに在らずといった様子だった。


「うん……。見て全部理解したよ、夕姫が倒れた理由も、夕姫が言った言葉の意味も」


 夕姫の顔を涼は見つめる。こぼれたのは苦い苦い後悔と自分を責める言葉だった。


「僕の采配のせいだ。全員で行動することを選んでいれば、分かれるなんていう選択をしなければ……! 僕が二人を、殺したんだ。もう誰も、失いたくなかったのに……」


 僕のせいだ、と涼はもう一度熱に浮かされたように呟く。


「ふざけないでください」


 平静を失った涼を低い声が叱咤した。


「それはあなたのできることから外れたことです。分かっているでしょう? 二人を救うことは初めからできなかった。それほどまでに、あの少女は強い。もしも、固まっていても不意を突かれたら、オレたちは今頃(しかばね)の仲間入りをしていましたよ」


 イザヤの深緑の瞳が涼を睨みつけていた。その眼光に捉えられ、涼はハッと正気に戻る。


「……ごめん。僕はきっと、誰かの、誰かのせいにしたかったんだ。でも、今はこんな感情に囚われてる場合じゃない」


 頭を振って、弱い気持ちをとりあえずは振り払う。代わりに、現状を変えるために頭を働かせる。


「どうするなのですか?」


「光希を救って逃げよう。まずは、楓をどうにかして光希と離す。あの反応速度についていけるのは、光希だけだ。たぶん、僕たちが術式を展開しても、発動する前に楓の刃を僕らに届いてしまう。だから──」


 一際甲高い金属音が乾いた空気を震わせた。青みがかった刀が宙を舞う。


「っ!」


 遠くで刀が落ちた音と同時に、フウの刀が光希の顎先でピタリと静止した。


「なぜ術を使わない?」


 光希は微かに笑う。金色を帯びた瞳がわずかに大きくなった。


「……そんなこと、できるわけないだろ。お前を守ることが俺の誓いだからな」


「意味が分からない。わたしは天宮楓ではないと言ったはずだ」


 フウの見せた微かな動揺に期待した。しかし、フウの表情は結局ただの驚きでしかなくて、すぐに冷たい顔に戻ってしまう。


「天宮」


 思わず呟いた。もう届かない名前を口にして何の意味があるのだろうか。


 天宮楓はもういない。誰も殺さないために強くなることを選んだ『無能』の少女はどこにもいない。


「これ以上、お前と交わす言葉はない。ここで死ね、相川光希」


 ぴしゃん、という音に光希は自分が一歩下がったことを知る。どこまでも真っ赤で、死臭が漂う殺戮の跡。どこにも光希の逃げ場はなかった。


 壊れた世界でもう一度──。


 こんな形で、出会わなければならなかった運命全てを光希は呪う。フウはきっと止まらない。光希を殺して、その次は涼たちを手にかける。


 天宮楓はあの日あの場所で死んだのだ、と頭に刻み込む。決して躊躇わないように。


 フウの手に力がこもる。光希の口が動いた。


「『刃羽斬り』」


 術式の展開は一瞬。白い羽のような風の刃をフウを襲う。しかし、フウの反応はやはり速い。後ろに跳び、軽い動きで羽を躱していく。フウの口元が弧を描いた。


「やっと本気になったか」


 羽の形を模していながら、風の刃の動きは鋭い。避けきれなくなったフウは刀で風を斬った。


「くっ」


 連鎖的に爆発が起こる。フウの身体が衝撃波の中に呑まれるのを光希は見た。それでも、フウは、楓は、これくらいでは止まらない。


 白く煙った視界が開ける前に、光希は飛ばされた刀を取りに走る。滑るように、最小の動作で隙無く『清瀧』を掴み取って、フウへ向けた。白塵が晴れ、刀の先でフウが唇を笑みの形に歪ませる。


 今度はフウに向かって光希が駆けた。


『青龍、やれ』


 蒼炎が立ち昇る。炎の中、フウは苦しげに息をした。光希の術式がフウの身体を吹き飛ばす。黒髪が翻った。フウは足で地面を削り、がくりと膝をつく。光希はフウの傷が治ってしまう前に、さらに距離を詰めた。


 銀色の刃が宙を舞った。

 おぼつかない足で立ち上がったフウの手から、刀が消える。今度は光希がフウの首筋に刀を突きつけていた。フウは薄く笑った。


「なんだ。お前、強いじゃないか」


 光希は手を動かす。天宮楓ではない彼女の命を奪うために。フウの満月の色をした瞳と視線が交錯する。フウは自分の運命を受け入れ、静かに全部を諦める目をしていた。


 わたしの負けだ。さあ、わたしの命を持って行け──と言わんばかりに。


 ぴたりと光希の刀はフウの首の前で止まる。どれだけ力を込めても動かせなかった。


 それで分かってしまった。相川光希は、何があろうとも天宮楓を殺せない。どれだけ変わり果ててもそれだけはできない、と。


 フウの顔がぼやけて見えた。歯を食いしばる。


「……できない」


「そうか。残念だ」


 どすりと鈍い音が光希の中から響いた。ゆっくりと下を見ると、腹部に短刀が刺さっていた。フウの手が短刀から離れていく。それでやっと光希は刺されたことを理解する。


 フウは重力に引かれ、倒れていく光希に背を向けた。揺れるのは長いポニーテールではなく、緩く結われた髪。


 痛い。


 この痛みが傷のものなのか、胸のものなのか、光希にはもはや分からない。


 壊れていく。


 全部ばらばらになって崩れていくようだった。大事なもの、光希を支えていたもの、全部。


 何もない手でフウの背中に手を伸ばす。手の平からこぼれて砕けたものはあまりにも大きかった。


 黒に閉ざされる視界の遠く向こうで、フウの隣に白髪の少年と黒髪の少年を見た気がした。


「──フウ、行くぞ」


 二振りの刀を背負った黒髪の少年は、忽然と現れてフウにそう声をかける。その隣で黒のスカーフが揺れた。もう一人、白髪の少年は綺麗な紫色の瞳をしていた。フウは地面に突き立つ刀を抜き、鋭く振って血糊を落とす。背中の鞘に納めながら、最後にちらりと血溜まりの中に倒れて動かない光希を一瞥する。


 フウはこの少年を知らなかった。


フウです。



8章最後の話でした。

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。

誠に勝手ながら、しばらく更新を休止することにしました。また再開する予定なので、その時は是非よろしくお願いします。

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