“霊能力者殺し”
黒いコートがばさりと翻る。揺れる星の数は三つ。それはSランクの証だった。光希はポケットに上から触れる。お守り代わりの『緋凰』のカケラ。いつも戦場に出る時は、ここに楓の刀の破片を入れていた。
なんとなく灰色の空を見上げていると、後ろから声がした。
「ミツキ、ここ、北部戦線は今一番戦いが激しいところなのですよね?」
振り返り、セルティリカのアクアマリンの瞳と目が合う。
「ああ、お前たちは別に戦わなくていいんだが……。涼も帰って来たことだし」
「いいえ、ワタシも戦うのです。お世話になっているのですから、アマミヤに少しはお役に立ちたいなのです! ワタシの精霊はそのためにいるのですから! イザヤもそう思うなのです?」
セルティリカの肩に金髪の青年が微笑んで手を置いた。
「はい、……オレとしてはお嬢様は戦わなくても良いと思うのですが、恩を返すという意味では賛成ですね。お嬢様が怪我をしないように守るのがオレの仕事ですから、精一杯守らせていただきます」
さらりとした薄薔薇色の髪を一房掬い上げて、イザヤはそっと口づける。セルティリカの顔がボンッと爆発した。
「い、イザヤ!? び、びっくりなのですよ!?」
イザヤの深緑の瞳が悪戯っぽく笑う。
「お嬢様、オレがきっちり働いたらご褒美をくださいね」
「ご褒美……?」
はい、とイザヤは笑って誤魔化して、セルティリカはよく分からないまま約束する。そして、視界目一杯でいちゃつくお嬢様と従者に光希は呆れて目を逸らしておいた。
「光希―!」
涼と夕姫、夕馬と仁美の姿が近づいてくる。光希は軽く右手を上げた。
「どうしたんだ? 今日はバラバラで魔獣狩りをするんじゃなかったのか?」
「まあ、そうなんだけどさ」
「事前に作戦会議でもしておこうぜって感じで」
「うんうん」
「作戦……、だいじ……」
結局いつものメンバーで顔を合わせることになり、ぴりぴりとした戦場に束の間の穏やかな時間が生まれる。
「じゃあ、今の状況のおさらいから。最近、魔獣の数が増えて、この北部戦線は戦力不足になって、僕たちが呼ばれたわけだけど……」
「問題は“霊能力者殺し”なんだよね?」
夕姫が涼の後を継ぐ。光希は小さく頷いた。
この数ヶ月、戦場に度々現れる人間が霊能力者を殺戮するということが起きている。同じ人間のはずなのに、なぜこうも味方を殺すのか。そもそも、人間なのか。
楓を殺した白髪の少年の姿が光希の脳裏に甦る。人間では、おそらくないのだろう。ならば、妖族か。
とにかく、光希たちの最優先事項がその“霊能力者殺し”の正体を掴むことなのだった。そして、できるのなら殺すこと。天宮からの直々の命令だ。光希たちがその命令を拒む理由はない。この戦いが終わらないのなら、奪わなければならない命もあるのだから。
「ワタシも手伝うのです。フィーに頑張ってもらうなのです」
ひょこっと光希の隣からセルティリカが顔を出した。
「ありがとう、セルティー。わたしも、がんばる」
ぐっと拳を握って仁美はキリッとした顔を作ろうとする。が、目立った違いは特に見当たらない。夕馬に言わせれば、眉が少しだけキリッとしたとでも言うのだろうか。
「“霊能力者殺し”、気になる言葉ですね。オレもできる限り力になりましょう」
光希とセルティリカの間の割り込んだイザヤが真顔で口にする。
「心強いぜ。これなら、俺たちで“霊能力者殺し”を仕留められるかもしれないな」
「これ以上、殺させるわけにはいかない」
光希は呟き、拳に力を入れた。
「そうだね」
涼が虚空に向かって手を伸ばす。淡い光を纏った蝶がふっと涼の指に触れて姿を見せた。灰色の淀んだ空の下ではとても綺麗に見えて、夕姫はほぅっとため息をこぼした。
「式神かー、カッコよくて憧れるな、夕姫」
「うん、帰ってから涼も大活躍だよね! いろんな所で引っ張りダコだし」
「俺もなんか新しい術式覚えようかな。広範囲術式ばっかだと、使い勝手悪いし」
「確かに。私も一皮剥けた新しい笹本になる!」
「俺も俺も! 新しい笹本になってやるぜ!」
新しい笹本ってなんだろう、と盛り上がる双子以外の面々は苦笑いを浮かべたのだった。
「──今は、“霊能力者殺し”は来ていないみたいだね。とは言っても、戦況が楽になったわけではないんだけどね」
「そろそろ、行かないと、おこられちゃう」
仁美の言うことももっともだ。このままふざけている場合ではないのが現実。
「俺は単独で探ってみる。あとは……」
「夕馬と仁美、僕と夕姫でどうかな? 光希はセルティリカちゃんとイザヤさんと一緒に行ったらいいと思う」
涼の堅実なチーム分けにもちろん異論は出ず、全員は頷く。
「分かれましょうか」
セルティリカは一人だけ小首を傾げて涼に尋ねる。
「良いのですか? ミツキとワタシとイザヤでは戦力が偏りすぎるのでは?」
こそりと耳打ちで答えが返ってくる。
「光希が死なないように見張っててほしいんだ」
ぽんっと手を叩き、薄薔薇色の頭が上下した。一人にしておいたら、命を捨てかねない危なっかしさは、光希が目に光を取り戻した今でも消えていない。それを引き留めることができるとしたら、自分たちなのかもしれない、とセルティリカは自身に割り当てられた役割をきちんと理解する。
「分かったのです! 必ず果たすのです!」
「うん、頼んだよ。じゃあ、夕馬と仁美は後方から敵を撃ってほしい。仁美の付与術式なら魔獣の動きを止めることができるだろうし、夕馬も撃ちやすいんじゃないかな?」
「ああ、よく分かってるな、涼。いや、もう司令官って呼ぼっかな」
夕馬がニヤッと笑う。仁美もコクリと頷く。
「わかった。わたしもがんばる、しれーかん」
「し、司令官?」
謎の呼称を涼が訂正するより先に二人は、駆け出してしまう。夕姫も夕馬とそっくりにニヤッと笑い、親指を立てる仕草をした。
「頼んだ! 我らが司令官!」
戸惑って笑顔で固まる涼に、光希も流れに合わせて声をかける。
「死ぬなよ、司令官」
「……光希が一番それ言えないと思うよ」
とびきりの苦笑いが返ってきて、光希は謎の答えが返ってきたなと内心で首を傾げた。
涼と分かれ、セルティリカとイザヤと共に前線へと向かう。魔獣との戦いに明け暮れる霊能力者たちの間を抜ける。
視界が開けた。
黒いモノが地面に転がり、動くモノも尽きることを知らない。広範囲術式を使える者がここには配属されていないのか、術式を使用した跡はなかった。
「セルティリカ、朱雀でこいつらを滅ぼせるか?」
まずは雑魚を片付けるのが先、そう判断する。
「もちろんなのです! ですが、ミツキの青龍は呼べないのですか?」
「──ああ、許可が降りてない」
なるほど、とセルティリカは呟く。
「確かに、《領域越え》は目立つなのです。……術式と精霊、両方使えるなんてずるいなのです。羨ましいなのです」
むう、と白い頬を膨らませるセルティリカの肩に、イザヤはそっと手を乗せる。
「ですが、代わりにお嬢様は精霊との相性がとても良いでしょう? それに、オレもついていますので、今度ミツキと戦う時は叩きのめしてやりましょう」
きれいな笑顔でとんでもないことを言ってのける従者に向かって、セルティリカはとりあえずコクンと頷いた。この二人とは戦いたくないな、と思ったのは誤魔化しておこう。
「では、行くのです!」
セルティリカは唄うように精霊の名を読んだ。
──フィー、全てを焼き尽くしなさい。
紡がれた言葉の通りに、少女の身体からあふれた紅蓮の炎は地面を舐め尽くす。霊力を持ち、高い再生能力を持つ魔獣であっても一度に焼き払われれば、灰塵と化すばかり。朱雀の炎が焼いた後には、崩れた黒い灰が残っていた。
残敵ゼロ。ここには直接倒す必要があるほど強い魔獣はいないようだ。膠着していた戦況が動き、疲弊していた霊能力者たちは歓声を上げる。もちろん、こんなもので何かが変わったとは言えないが、彼らもそれを分かった上での喜びだろう。
「じゃあ、次に行きましょうか。ここにはザコしかいなかったようですし」
「なのです! 知性の低い魔獣はつまらないなのですよ。フィーも楽しくなかったですよね?」
『ええ。私たちの前に立つには実力不足が過ぎます。これでは私も力の振るい甲斐が無いというもの』
無邪気につまらなかったと言うセルティリカに光希が感じたのは、同類の匂いだった。気づいてはいたけれど、ここにはそういう人間が集まるのかもしれない。
***
後方で魔獣を吹き飛ばしていた夕馬は銃のスコープから目を離した。離れた夕姫との同調を介して広範囲術式の構築の補助と照準をしていたわけだが、同時に視界に入る分を撃っていたため消耗が激しい。
「だいじょうぶ? 夕馬くん、疲れた?」
はあ、と疲れた息を吐き出す夕馬の顔を仁美が覗き込む。
「いや、大丈夫。仁美こそ、大丈夫なの? ずっと付与術式で魔獣の足止めしてるだろ?」
「ん、でも平気なの。わたしは付与術式の特化型だから、けっこう長持ちするの」
“特化型”と聞いて、夕馬は仁美が造られた存在であることを思い出す。忘れられない、仁美の真実。『異端の研究』とその呪縛から逃れることはやっぱり本当の意味では無理なのだろうか。どこかで仁美は一線を引いているような気がしてならないのだ。
「夕馬くん!」
仁美が叫ぶ。その視線を追い、見上げた空に人影が舞う。遠くて何も判別できないが、すとんと人影が人々の間に静かに舞い降りたように見えた。あれは誰だろうと思った途端に、身体が冷たい水を被ったような錯覚に囚われる。
もしも、アレが“霊能力者殺し”だったとしたら──?
後方には、多くの霊能力者たちが交代と補給のために集まっている。こんなにも人の多い場所で圧倒的な強さを持つと言われる“霊能力者殺し”が暴れたら──。
直感じみた予感に突き動かされ、逃げろ、と叫ぼうとした。しかし、声が空気を震わせるよりも先に、視界が崩れる。違う、崩れたのは風景の一部だった多くの人間だ。ほんの一瞬で全て、物言わぬ死体と血の海に変わる。死体はまるで陶器が壊れたようで、きれいにばらばら。何で切断したのかも分からない。唯一分かるとすれば、あの人影が何かを振るったということだけ。
夕馬と仁美は外れた位置にいたため、凶刃の餌食にはまだなっていない。しかし、二人が破片の仲間入りをするのも時間の問題だ。
どうにかしないと──
血の海で人影がゆらりと動いた。心臓を鷲掴みにされたような恐怖が身体中を駆け巡る。
人影の握った刀が鈍く光を弾いた。やっと目に入ったのは、着物のような服装をして長い黒髪を腰の少し上で軽く結われた少女の姿。
もういないはずの少女の面影を彼女に見て、夕馬は大きく目を見開く。長い黒髪が揺れた。刃の銀色が走る。神速で放たれる斬撃を逃れる術を夕馬は持たない。
仁美の背中が夕馬の視界を塞ぐ。
「──やめてっ! かえで!」
そして夕馬の視界いっぱいに紅い紅い華が咲いた。それはあまりにもきれいで、残酷な血のいろをしていた。




