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旧約神なき世界の異端姫  作者: 斑鳩睡蓮
第8章〜紅蓮の魔女〜

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術式訓練

 それから術式の訓練はすぐに始まった。涼に術式を教えることなったや否や、涼と神林東一は光希たちと別れ、東一が出てきたという山に向かった。


「どうして山を降りて、神林本家にいらっしゃったのですか?」


 稽古の合間に涼は尋ねてみる。杖で地面をつつきながら、東一はしわがれた声で返事をした。


「神林の術を受け継ぐ弟子を探していたんじゃよ。神林の“式”は絶やすには惜しい。お主、術式戦闘が得意だそうじゃな? どれ、儂に見せてみよ」


 躊躇う涼に東一は、薄っぺらな紙を数枚宙に投げつける。ふっと息を吹きかければ、紙切れは霊力を纏い姿を変えた。虚空に駆け出した狐は涼の首筋を容赦なく刈り取ろうと爪を伸ばす。


「……っ!?」


 後ろに退がりたくなるのを堪えて、涼は即座に無詠唱の『かまいたち』で“式”を切り刻む。


「『刃羽斬り』」


 白い羽根が散る。老人へと鋭い刃を向ける前に、ちり、と背中の方に違和感を覚える。刃羽斬りの羽根を操り違和感の元を断ち、振り返ろうとした。ほぼ同時に障壁を張り、他の攻撃術式を展開し始める。


 頭が割れそうな痛みが涼の動きを止めた。歪めた顔でやっと目の端に紫色の蝶が解けるのを見た。


「ぐ、ぅ……」


 どくん、と心臓が嫌な音を立てる。耐えきれずに膝を地面に着いた。いつのまにか、発動間際の術式は打ち消され、東一が涼の首筋に杖を当てがっていた。


「──ふむ、筋が良いのう。あまり“式”は戦闘には向かんのじゃが、“式”を解く時には危険が伴う場合もあるんじゃよ。例えば、さっきの蝶は淀んだ魂──つまりは怨念じゃ──を使ったからの」


「怨念……」


「うむ、“式”は術者に牙を剥くことがある。それを頭に叩き込むのじゃ。さて、お主もやってみるが良い」


「分かりました」


 目を閉じて霊力の気配を感じる。“式”にする魂は霊力として宙を漂っているのだという。それをただの霊力と認識するか、魂として認識するか、という違いだけらしい。中でもとりわけ強い霊力に手を伸ばし、涼は目を開けた。


 教わった神林の術式を慎重に頭の中で組み立てる。抗って暴れ回る強い霊力のカタマリをぐしゃりと術式の中に押し込める。バチっと紫電が散った後、銀狼がゆらりと姿を現した。


「……できました」


「驚いた。初めから、そのレベルの“式”を作ってしまうとは……。どうやら、お主は形なきものに形を与えることを得手とするようじゃな──」


 げほ、げほ、と乾いた咳と杖が転がる音がした。苦しそうに胸を押さえる姿に、涼は手を伸ばそうとする。


「大丈夫じゃ、手は貸さんで良い」


 杖をのろのろと拾って、東一は話を逸らすように教えることを続けた。


「知っておるか? 儂らが持つ霊能力が何処から来たのか」


 無言で首を振ると、そうじゃろう、と頷く。


「本当かどうかは分からぬが、この世界がひとつであった頃、ソラから堕ちた神が人に残したモノだと言われておる。つまりは、儂らの使う力は神とやらの霊の力じゃ、と。適当に付けた名の帳尻合わせかもしれぬがのぅ」


 まあ、ひとつだった世界というのが何を指すのかさえ今は分からぬのだが──、と付け加える。涼は胸の中に話をそっと仕舞う。何一つこぼさないように。


「そういえば、孫が天宮の姫について何やら言っておったわい。姫君はもう亡くなられた、と。それは誠か?」


「──はい。僕らを守るために、たった一人で戦って、……そして帰ってきませんでした」


 強張る身体の動きを悟られないよう、淡々と答える。


「天宮の姫君は強かったか?」


「とても。霊力を使うことができなくても、誰よりも強かったです」


「ふむ……、霊力を使えない姫とな?」


 細めた目が大きくなった。涼は微かに顎を引いた。


「天宮の姫君が居なくなってどれだけ経つ? 天宮の反応はあるか?」


「もうすぐ半年になります。反応の方は……、ない、と思います」


 返事があるまで時間がかかった。涼は無意識に外していた視線を東一に戻す。


「──ならばまだ、天宮の姫君は死んではおらぬのかもしれぬな。もちろん、儂には判断材料が少なすぎる。期待はしない方が良いじゃろう」


 やけに長く、その言葉が耳に残った。楓が死んでいないかもしれない、と微かな希望が膨らむ。確かに天宮家は『神』の器だとまで言い切った楓がいなくなっても、動じた様子はなかった。もしも、それが楓は生きているということが理由なら──。


「……どこかで、生きていて欲しいです。少し、気持ちが軽くなりました。ありがとうございます」


 東一はただ目を細めただけだった。


 東一が涼を弟子に選んでから、何回も日が登って沈んで、月が登って沈んだ。本来ならば何年もかけて習得する神林の術式の奥義を叩き込まれた。まるでそれは、何かに追われるようで、焦るように。いつのまにか、東一の咳の回数は増えていた。


 涼の指先に蝶が止まる。淡い光を纏った金色の蝶は呼吸をするように翅を震わせる。術式を解くと、紙切れだけがはらはらと舞い落ちた。


「──涼、もうお主に教えることはない。帰るのじゃ、元居た場所に。お主が望めば神林を継ぐこともできる。継がないというのも選択の一つじゃよ。それはいずれ自分で決めるが良い。お主は儂が認めた弟子じゃ。何処へ行けども、お主は自分を誇って良い」


「師匠は、行かないのですか?」


 東一は昔ながらの日本家屋のぼろぼろの縁側に腰掛けたまま、首を振った。立ち上がる元気さえももうないのだろう。


「儂はここで良い。最期くらいは静かにさせよ。さっさと山を降りるんじゃ。もたもたしておると日が暮れる」


「短い時間でしたが、ありがとうございました。あなたの弟子になれたこと、僕は光栄に思います」


 最初に頭を下げた時よりも深く、感謝を込めて礼をした。もう二度とこの人と会うことはできないのだ、と心に刻む。教えてもらったことは全部胸の中にしまった。


 早朝の霞の中に、涼は身を躍らせる。白い霧に包まれ、森の中の小屋は消えていく。は、と吐いた息はひやりとした森の空気に溶けて混じり合った。


 思えば、随分と長く、夕姫たちの側から離れてしまっていたのだった。


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