絶望の始まり
楓は昨日の和宏の話を思い出しながら、教室棟へ歩いていた。あの内容から考えると、霊能力関係では全く何も出来ないフリをしろということだろう。ま、頑張っても霊力がない診断されちゃったから、何もできないんだけどな。楓は自嘲気味に口の端を持ち上げた。だが、その代わり通常授業を頑張ればいいだけのことだ。成績がつくのがそれだけならば、楓にもチャンスがある。
「どうしたのよ?ぼーっとして」
隣を歩いていた木葉が楓の顔を覗き込んでくる。昨日、寮に帰っても木葉の態度は始めの時と何ら変わりはなかった。それは楓にとってありがたいことではあったが、木葉にとってはどうなのか気になるところだった。思い切って聞いてみる。
「ねえ、木葉はボクが無能でも気にしないの?」
木葉は少し驚いた表情を浮かべ、にこりと微笑んだ。
「そんなの、気にするわけないじゃない。気にする心の狭いやつとかはいっぱいいるけど」
ここにも気にしない人がいた。孤児院の時には戻らなくていい、そう感じて安堵に心が緩んだ。
「それに―」
木葉は小声で付け加えた。
「私は天宮家に仕える者。私は楓を守るためにここにいる。何があっても私は楓からは離れられない」
最後の一言は木葉の唇から歌うようにこぼれ落ちた。楓の中で反芻されて心の奥に刻み込まれる。
「おはよーっう!楓っ!」
背中に衝撃と重みが加わる。振り向くと、背中には夕姫が貼りついていた。楓と目が合うと、にかっと夕姫は笑顔を見せた。ふと隣を見ると、夏美がうふふ、と笑って楓を見た。
「おはよ、楓」
楓の方が背が高いので、頑張って見上げている夏美は小動物のような愛らしさがあった。正直言って、今すぐ抱きしめたい。…が、もちろんガマン。友達ができたのにそんなことでヒかれてはたまらない。
「あ、おはよ、相川」
夕馬と話しながら歩いていた光希に声をかけてみる。光希はちらりと楓を見た。
「おはよう、天宮」
少し驚きだ。普通に返事が返ってくるとは思っていなかった。驚きが顔に出ていたらしく、光希の眉毛がピクリと動く。
「何でそこに驚いてるんだよ、俺が挨拶を返したら何か変かよ?」
「いやー、そういうわけでもないかもじゃないかも」
「どういう意味だよ⁉︎」
「まあまあ、」
夕馬が悪化しかけた空気を穏やかに沈静化させる。夕姫によく似た顔でにこにことしているだけで、夕馬はその場の空気を和やかにするようだった。
その調子でしばらく歩いていると、楓たちの目の前にいた生徒が振り返った。楓は自分に向けられた悪意のこもった視線に気づいた。肌にちりっと小さな痛みを感じる。流石に光希たちもそれに気づいたようで全員が気を引き締めたのが、後ろから伝わってきた。
「天宮ね、あなた」
明るい色の髪を優雅に結わえた少女は、冷たい光をその目に浮かべて楓を見た。楓はその圧力に負けないように真っ直ぐに少女を見つめる。少女はその口元に笑みを浮かべた。明らかに楓を見下して。
「そうだけど、何かボクに用?」
「ボク?喋り方まで品のないこと…。どんな人かと思っていたら、何と『無能』だったとはねえ」
天宮と無能をワザと他の生徒たちに聞かせるように強調する。その甲斐あって、周りの生徒たちが興味深げに楓に視線を投げかけてきた。ジロジロと見られるのにもいい加減慣れ始めてしまった。
「もう忘れたの?覚えておきなさい、私はB組の霞浦亜美よ。昨日の朝のことは思い出したくもないわ。この私が『無能』にあの様な態度で話しかけてしまったなんて、思い出すだけでも虫唾が走る」
吐き捨てるように亜美はそう言った。
「亜美様、そ、それは言い過ぎ…じゃ…」
いつからそこにいたかはわからない。赤茶の髪を、自己主張弱めに下で二つに結んだ少女がおどおどと亜美の後ろから顔を出した。
「何?桜木、貴方、居場所をなくしたいの?」
「ひ、ひぃ、ご、めんなさい。亜美様が正しいです!」
桜木と呼ばれた少女は亜美の従者だろうか。少女は下を向いて亜美の後ろに隠れてしまった。その少女について考えられるほど、楓の気持ちに余裕はない。
「ねえ、どうして『無能』がここにいるの?私には許せない。この学園は霊能力者のエリートだけが集められているはずよ。なのにエリート中のエリートが集められたA組に天宮の名を語る『無能』がいる、それが私には到底許すことはできないわっ!」
楓はそう語った亜美に何も言い返すことができなかった。その通りだ。『無能』はここにいてはならない。たとえ友達ができても、『無能』がここにいていい理由にはなり得るはずがなかった。亜美が叫んだことは生徒たち全員の総意なのだ。楓にはそれがよくわかる。フザケルナ、そういう人々の声が。
楓は俯くことしかできなかった。
「楓に酷いこと言うなっ!それ以上言ったら私が許さない!」
その声に顔を上げると、夕姫が笑いかけてきた。亜美は少し意外そうな表情を浮かべたが、すぐに皮肉な笑みに変わった。
「相川、荒木、笹本…。豪華ね。私は貴方達と敵対する気はないわ。貴方達も天宮と友達ごっこするのはやめておきなさい。用があるのは天宮だけ。まあいいわ。時間はたっぷりあるのだから、たくさん遊んであげるわ」
優雅にハイヒールの音を響かせて、亜美は踵を返した。ふわりと、スカートが持ち上がる。微かな薔薇の香りを残して亜美は歩き去った。
しばらく楓たちは何も言わずに立ち尽くしていた。亜美の言葉はそれほどの影響力を持っていた。
「みんな、ごめん。ボクのせいで…。嫌なら今すぐボクから離れてもいいよ。気にしないから」
「楓が謝る必要はないよ。私たちは楓が好きだからここにいる、だから大丈夫、ね?」
夏美はそう言ってにこりとした。本当にそれでいいのか、と楓はみんなの顔を見た。楓と目が合うと、頷いて答えてくれた。
「ありがとう」
そう言った楓の声は震えていた。




